連絡帳 ファイが転校してから、一週間が過ぎた。 人当たりのよいファイはすぐにクラスに溶け込んだ。 ただ黒鋼は、どうしてもファイが気に入らないらしく、毎朝「おはよー」と声をかけられても無視。(しかし最後はなんだかんだと怒鳴りながら、二人仲良くご登校。)帰りはファイに声をかけられる前に逃走。(しかし3回に2回は見つかって一緒に帰宅。)ガキ大将と金髪の転校生の追いかけっこは、既に学校の名物だ。 黒鋼以外のクラスメイトとの付き合いにおいては、何の問題も無い。 だからこれはイジメなどという大げさなものではなく、ちょっと悪ふざけが過ぎただけのものだ。 帰る途中に川がある。 「この橋の欄干の上を最後まで渡りきれたら、なんでも願いが叶うんだぜ。」 「へー、すごいねー。」 「お前もやってみろよ。この辺の奴は誰でも一度は挑戦してるんだ。落ちても深さはあるし流れも遅いから、死んだりすることも無い。」 「うん、分かったー。鞄持っててー。」 それは、ファイが黒鋼を取り逃がして、他の友達と帰る道でのことだった。 断じてイジメなどではなく、いわゆる洗礼のようなもの。本当の仲間として受け入れられるのに必要な、儀式のようなものだ。この辺りの子供が挑戦しているというのも本当で、落ちた子供も何人もいる。ただこんな真冬に挑戦する者はいない。 誰が悪いといえば、悪ふざけでやってみろといった友人達と、考えなしに欄干に登ったファイ。 そしてたまたま通りかかった黒鋼。 断じてイジメではないが、こんな季節にそんなことをしていればイジメに見えても仕方ない。 「・・・・・・何やってんだ!?」 ファイをまいて一人で帰る途中、偶然この光景に遭遇した黒鋼は、思わずそう叫んだ。 「あ、黒むー!!」 今ではもうすっかり定着した(しかしファイ以外に呼ぶものはいない)あだ名を叫んで、振り向いたファイが手を振ったのは、丁度橋の真ん中。つまり川の真ん中。だから、落下したのも川の真ん中。 振り向いた瞬間にバランスを崩して、そこに容赦のない勢いで木枯らしがファイの体を押し、実にあっさりと、足は欄干から離れた。側にいた友人が手を伸ばしても間に合わず、大きな水音が響く。 「ファイ!!」 叫んだのは残念ながら、黒鋼ではなく他の友人達。 こんな真冬に川に落ちればどうなるかくらい、小学生達にも分かるのだ。 冷たい水に何の準備も無く飛び込めば、心臓ショックで死ぬこともあると、プールの授業のときに先生が言っていた。 たとえその程度の知識だったとしても。 だから、水面から金髪が浮き上がったときには、皆ほっと息をつく。しかし、様子がおかしい。 水しぶきは上げるが、一向に岸へ向かおうとしないファイ。浮かんでは沈む金髪。 「おい・・・まさか・・・・・・」 落ちたついでに水遊びを楽しめるほど、この時期の水温は人体に優しくないはずだ。 「泳げねえのか、あのバカ!!!」 最後の台詞だけは黒鋼のもので、言った瞬間にはもう、彼はランドセルを投げ出して、欄干を越えていた。 二度目の水音。 直後、ファイは手首を掴まれるのを感じた。そのまま岸に向かって引っぱられる。 誰が飛び込んでくれたのかは見えなかったが、きっと黒鋼だと思った。あるいはそれは、期待かもしれなかったけれど。 だから、岸に辿り着いて彼だと確認したとき、無性に嬉しかったのだ。 礼を言おうと口を開いたが、飲んだ水でむせてしまって、上手く言葉が出てこない。 怒鳴り声に先を越された。 「このバカ!!泳げねえんならこんなことするんじゃねえ!!」 「ごめ・・・落ちる予定は無かったんだよー。」 「予定で行動するんじゃねえよ!死んだらどうするつもりだ!!」 「うん、ごめんねー。ありがと、黒りん。」 「・・・・・・」 放っておけばいつまでも説教を続けそうだった黒鋼は、ありがとうと言われて急に黙り込む。まさか照れているのだろうかとファイが顔を上げると、黒鋼の顔は既にもっと上にあった。 「帰るぞ!」 「・・・・・・はーい。」 さっさと歩き出した黒鋼の顔は、少し赤かったと思う。 しかし、家に着く頃には、二人とも唇から色がなくなっていた。 「寒いねー。」 「当たり前だ。帰ったらさっさと風呂入れよ!」 「うん。明日の給食、プリンが出るもんねー。風邪引かないようにしなきゃー。」 そういう問題か、と突っ込もうとしたが、長くなるだけだと押さえて、黒鋼はファイの家の前を通り過ぎた。後ろからじゃあねーと言う明るい声が聞こえる。 返事は返さず、自宅のドアを開けると、先に帰っていた知世が、さすがに少し驚いて、タオルを持って来てくれた。 黒鋼宅のチャイムが鳴ったのはその5分後。 風呂で冷えた体を温めていた黒鋼の代わりに、知世がドアを開ける。 「まあ、どうしましたの!?」 「えっと・・・鍵、なくしちゃったみたいでー・・・」 5分前の黒鋼と同じくずぶ濡れのファイを、知世は風呂場へ案内し、そこでファイはまた黒鋼に説教される羽目になった。 「鍵をなくすな」ではなく、「鍵をなくしたなら、もっと早く来い」と。 「お父様は、何時頃お帰りになりますの?」 お風呂上り、少しのぼせ気味のファイにお茶を出しながら、知世が尋ねる。 黒鋼には、自分で入れろといわんばかりに、空のコップが一つ。良い度胸だ。 「いつもは夕方には帰ってくるんだけど、今日は遅くなるんだー。」 答えるのは袖を折りながら。黒鋼の服を借りたが、ファイには少々でかい。 「帰ってくるまで、ここで待たせてもらって良いかなー?」 「ええ、勿論。なんでしたら夕飯も一緒に。」 「いいのー?ありがとー。」 その後しばらくして蘇摩が帰宅。4人でにぎやかに夕飯を食べるのは、父親と二人暮しのファイには新鮮な感覚だったのだろう。ずっと頬を高潮させて、楽しそうに笑っていた。 ドアに貼っていた手紙を見て、父親がファイを迎えに来たのは、8時を少し過ぎる頃。 「じゃあねー。」 満足げに手を振ってファイ帰るファイを見送った後、蘇摩が黒鋼に言う。 「明日の朝は、家まで迎えに行ってあげてください。」 「あ?何でだよ。」 「顔が赤かったですから。熱が出るかもしれません。」 「興奮しすぎただけだろ?あいつ白いから、赤くなると目立つんだよ。」 「私のこの手の勘は当たりますよ。」 浮かべた苦笑は、姉の貫禄とでも言うのだろうか。本当にそうなる気がした。 だから、明日、家の前でファイが待っていなければ、チャイムくらいは押してやるかと思った。 やめれば良かったと、後悔するのは押した後だ。 出てきたのは、昨夜初めて見たファイの父親。 金髪のファイの親なのに、その髪は黒髪で、少し威圧的に人を見る奴だと思った。昨夜はそんな風には感じなかったのだが。 (蘇摩が相手だったからか?一応女だしな。) そんな失礼な事を考えながら、ファイはと聞くと、一冊のノートを手渡された。 見慣れた某動物王国のノート。表紙には連絡帳の文字。 「昨夜から熱が下がらなくてな。ファイは、あまり体が強くない。あまり無茶な遊びには誘わないでくれ。」 言い方に少し毒があった。要するに、人を威圧的に見るのではなく、黒鋼が嫌われただけの話。 連絡帳を担任に渡すよう頼むと、父親はさっさと家の中に戻ってしまった。 「・・・なんなんだよ・・・。」 原因は昨日の寒中水泳事件しかないだろうが。 「あれは俺の責任じゃ・・・」 ねえだろ、と言いかけて、しかしよく考えてみると、ファイがバランスを崩すきっかけを作ったのは自分かと。 そしてついでのように、ファイが給食のプリンを楽しみにしていたことを思い出した。 男というものは、常に何かに挑戦して生きる生き物である。 学校から帰ると、黒鋼はすぐに自室の窓を開けた。 「ファイ、入るぞ?」 そろそろ学校が終わる時間だなーと、ファイが壁の時計を見ていると、父が部屋に入って来た。 今日は、仕事は休んでくれたらしい。夜中に息子が39度も熱を出せば当たり前か。 ファイの額に触れる。まだ熱い。38度くらいまでは、下がったかもしれないが。 「気分はどうだ?」 「んー、マシになったよー。」 そんな真っ赤な顔で言われても、説得力はないのだが。 「何か食べるか?」 昼食は、食欲がないと殆ど手をつけられなかったファイだが、本当に少し気分は良くなってきた。 「・・・プリン、食べたいな・・・」 ふと思い出したのは、今日の給食に出ているはずのプリン。 「たしか、冷蔵庫に一つ残っていたな。」 「あ、やっぱりいいやー。」 立ち上がった父親の足が止まる。 「いらないのか?」 「うん。それより、何か飲みたいなー。喉乾いちゃったー。」 「分かった。何かとってこよう。寝ていなさい。」 そういってファイの頭を撫でると、父親は一階の台所へと降りていった。 優しくて自慢のお父さんだ。少し親ばかが過ぎるところがあるが。 心配なのは、今朝、黒鋼に、何か失礼なことを言ったのではないかということ。 黒むーは悪くないと昨日説明したのだが、分かってもらえたのだろうか。 (んー、明日黒たんに聞いてみよー。気分悪くさせちゃったなら、謝らないとねー。) そんなことを考えていると、窓に何かが当たる音が聞こえた。 コン・・・ 「んー?」 だるい体を起こしてカーテンを開ける。向かいの家の窓から、黒鋼が身を乗り出していた。 何か叫んでいる。その唇の動きからして、「アケロ」と言っているのだと思う。 「開けろ?窓を?」 言われたとおりに窓を開けると、父が暑い位に室温設定していた部屋の中に、外の冷気が流れ込んだ。 「うわ、さむーい。」 「そこどいてろ!」 今度ははっきりと聞こえる声。 何するのー?と訊くまでもなく、身構える黒鋼を見て、何をするつもりかは想像がついた。 「黒みゅー、危ないよー。」 「2メートル半だ!飛べる!!」 つまり、2階の窓から窓へと飛び移ろうという作戦。 ファイが体をどけると、黒鋼が勢いよく飛び込んできた。ジャンプ力はさすがだ。ベッドがなかったら、かなり痛いことになっていただろうと予測できる着地ではあったが。 「玄関から入ってくれば良いのにー。」 「お前の親父が、入れてくれそうになかったんだよ。」 ああ、やっぱり何か失礼なことを言ったのかと思いながら、しかしこの発言もかなり誤解があるなと。 だからもう訂正する気になれず、ファイは用件を聞いた。 「何しに来たのー?」 「お前が学校休むから、わざわざ届けもんしてやってんだろ。ほら。」 差し出されたのは、連絡帳と、 「あ、プリンだー。」 今の衝撃ですこしぐちゃぐちゃになってはいたが、それは給食に出たプリン。 お父さんに持ってきてもらわなくて良かった、と、嬉しそうにファイはそれを受け取る。 頼まなかったのは、きっとこんな予感がしたからだと思う。あるいはそれは、ただの期待だったかもしれないが。 「それからな、」 「うん?」 まだ何かあるのかと黒鋼の顔を見ると、向こうから目を逸らされた。 これは、昨日、帰るぞと言われたときに似ている。照れ隠しだ。 「明日から一緒に帰ってやるから、もうバカな遊びはすんな。」 「・・・・・・・・・・・・」 「なんか言えよ!!」 「あ・・・うん、ちょっとビックリして・・・」 まさかそう来るとは。思わず言葉をなくしてしまった。 「ありがとー。」 そう言って笑うと、黒鋼の顔が少し赤くなった気がした。 実は優しい人だと思う。ただ、その優しさに、気付いてもらうことに慣れていないのではないのだろうか。 誰も知らない黒鋼の一面を知った気がして、自然と笑みがこぼれた。 「なんだよ!?」 「別にー。おまじない、失敗したのに、願いは叶ったなーって思ってー。」 おまじないは、あの橋の欄干を渡りきること。途中で落ちたのだから、失敗だ。 願い事は、 「黒たんと、仲良くなれますようにって願ったんだよー。」 一緒に帰ると言ってくれるのだから、叶ったと言って良いはずだ。 「・・・・・・帰る。」 また照れたのか、黒鋼は、ノーコメントを決め込んで、窓枠に足をかけた。 「窓から帰るのー?」 「窓から来たんだから、当たり前だろ。俺が出たらさっさと窓閉めろよ。明日、治ってなかったら知らないからな。」 「はーい。」 そして黒鋼が窓から身を乗り出したとき、 「何をしている!」 「げっ、う、わ・・・っ!」 「黒みゅー!!」 丁度戻ってきた父親の声に振り向いた途端バランスを崩し、黒鋼の姿が視界から消えた。 2階の窓から落下して、左足骨折全治一ヶ月。 松葉杖なしで歩けるようになるまでファイがなんだかんだと世話を焼いてくれたが、黒鋼はこう思わずにはいられなかった。 (俺、こいつが来てから散々じゃないか・・・?) =後書き= 何かと教訓が隠れている学生シリーズです。 今回は、窓からの出入りはやめましょうと言うお話。(やってる人いないから。) アシュラパパ登場です。呼び方はなんにするかな、と非常に悩んだのですが、お父さんと呼ばせたいと思います。 息子のために仕事を休む、親ばかキングのお父さんさ。 ちょっと油断すると、おやすみのキスやらおはようのキスやら、しかねない感じの危険キャラです。 下手するとそれどころじゃ止まらなくなるので(裏突入とかね・・・)扱いには1番気を遣います。 もう、この人が喋ったってだけで、黒鋼がファイ助けたとか、黒鋼とファイが一緒にお風呂入ったとか、どうでもよくなる自分が一番危険因子なんですが。 この話は黒ファイだと言い聞かせて頑張ります。 復習:今回の(雪流さん的)萌ポイント『息子の看病のために仕事休むパパ』『連絡帳』『プリン』『鍵っ子』 予習:次から中学生ですが、いきなり修学旅行に飛ぼうかと。淡い恋心が芽生えます。 旅行に出るとパパが出ないのさ・・・。 <そろそろ門限ですか?> <まだ平気ですか?> |