倦怠期 小狼が合流した翌日、駆け落ち間際に知世が貸してくれた携帯が鳴った。黒鋼が画面を確認すると、発信元には自宅の文字。ちなみに知世ちゃんの携帯は海外でも繋がるタイプ。 「・・・うちからだ。」 ファイの表情に緊張が走る。 「・・・出るの・・・・・・?」 「・・・キングにはこの電話の事は話してねえ筈だ。キングからって事はねえだろ。」 黒鋼は思い切って通話ボタンを押した。 「・・・もしもし?」 耳に当てた電話からは、自分によく似た声が聞こえた。 『おー、出た出た。よお、元気か息子。』 「・・・・・・・・・・・・・親父っ!?」 びっくりした黒鋼が発した言葉に、ファイもかなりびっくりした。 「黒むーのお父さんって生きてたんだー。」 「会ったことないんですか?」 「うん。一度もー。」 てっきりご両親はお亡くなりなのかと思っていた。 「何でうちから・・。仕事はどうしたんだ?」 『お前がお隣の息子さんと駆け落ちしたって聞いて、無理言って帰ってきたんだろー。』 「あ・・・それは・・・その・・・・・・ごめんなさい・・・」 なんというかいろんな意味で。 「黒様が謝ったー!!!」 「よっぽど凄い人なんでしょうか、お父さん。」 『別に怒ってるとは言ってないだろ?いいじゃないか、駆け落ち。恋は情熱的な方が良いに決まってる。帰って来いなんて野暮なことは言わないから、お前達が納得できるまで頑張れば良い。それより、写真で見ただけなんだが、相手はえらく別嬪さんだな。どうやって口説いたんだ?』 「いや・・・口説いたって言うか・・・」 とりあえず体から。 「それより、怒ってねえなら何の用だ。」 『ああ、実はその別嬪さんに訊きたい事があってな。』 「ファイに?」 「え、オレ!?」 黒鋼に電話を差し出されて、ファイはそれを受け取ることをしばし躊躇う。 「お、怒られるのかなー・・・」 「いや、何か訊きたいらしい。怒ってはいねえから。」 「ほんとにー?電話から居合い抜き飛んできたりしないー?」 「・・・・・・どんな想像だ。」 お父様、電話の向こうで大爆笑。その声で、そんなに怖い人でもないのかとほっとする。 「もしもし・・・あ、はい、初めましてー・・・いえ、そんな・・・こちらこそー・・・はい・・・は・・・え、ええっ!?」 「なんだ、どうした!?」 「あ、いえ、迷惑とかではなくてですねー、でもその・・・やめた方がー・・・」 「何する気なんだ!?」 「お父さんに挨拶しに行くから、手土産どんなのがいいと思うかってー・・・」 「・・・・・・やめとけ、危険だっ!!」 『なんだ急に。折角ファイと話してたのに邪魔するな。』 「いきなり呼び捨てかよ、なれなれしいぞ!!」 『お前の恋人なら、将来的にはうちの息子だろうがー。ああ、そちらは一人息子さんか。じゃあお前が婿に行くとしてもだな、』 「そういう問題じゃねえ!」 というか駆け落ちなんてしちゃった時点でその問題はない。 「それはともかく・・・その顔で奴の前に出るのは・・・」 「って事は黒鋼さんはお父さん似なんですね。」 「お母さん似でも怖いけどねー」 確かに。 『別に顔見た途端に撃ち殺されるようなことはないだろ?日本は銃社会じゃないんだから。』 「・・・人工衛星辺りからレーザービームが飛んでくる可能性が・・・」 『あのなあ。一応あちら様も分別のある大人だろ?ちょっと気が合わない位で悪役に仕立て上げるのは良くないぞ?』 「・・・・・・・・」 分別は、ないかも。 『とりあえず、お菓子が無難かと思うんだが。好みをはずすと悪印象だからな。』 「お菓子はどっちかって言うと洋菓子派ですけどー・・・」 説得が無理そうなのでまた電話を受け取ったファイは、それを耳に当てたまま少し考え込んで。 「あの・・・ちょっと面倒なことをお願いしても宜しいでしょうかー・・・?」 『ああ、もう遠慮なく。』 「お父さん、ちゃんと食べてないかもしれないんで、もし宜しければ食事に誘ってあげてくれませんか・・・?」 『食事なら、蘇摩がちょこちょこ差し入れてるそうだが。』 「え、そうなんですか?何か・・・ホントに色々とご迷惑を・・・」 『いやいや。でもそうだな、一度ゆっくり話もしてみたいし、今夜の夕飯に誘ってみよう。』 「あ、ありがとうございます!・・・・・・・・・はい、・・・・・・はい、じゃあ、よろしくお願いします。」 「・・・食事するってか。」 切れた電話を受け取りながら父親の顔を思い浮かべて尋ねる。自分を鏡に映したように、少し年齢を感じさせる以外はそっくりな顔。パパがあの顔と食事をしたがるとは思えないのだが。 「うん。食事が終わったら、無事だぞーって連絡してくれるって。」 ファイの顔が明るくなったので、まあ良いかと息をつく。 いや、しかし本当に良いのだろうか。 「なんていうか、大らかなお父さんだねー。声も優しそうだったし。顔は黒みゅーそっくりなんでしょー?」 「・・・ああ。」 小狼が合流して一つ、パパの食事の心配がなくなって一つ。肩から荷物を下ろしたように、笑顔が軽くなっていく。自分と二人で居た時は、無理して笑っていたくせに。 警鐘が、聞こえた気がした。このままではいけない。昨日より強く、それを感じる。 「・・・なあ、」 「んー?」 「・・・・・・・・・・帰らねえか。」 「・・・・・へ・・・・・・・・・・?」 唐突な言葉に、ファイは思わず目を見開く。傍で聞いていた小狼でさえも。 確かに、次は帰ろうと言われるのではないかと思っていた。でもこんなにすぐにだとは。 「何・・・言って・・・」 「日本に帰ろう。こんなこと・・・なんか違うだろ・・・。」 「違わないよ!帰ったら、引き離される・・・、ずっと一緒に居ようって言ったのに!」 「それでも・・・」 「黒むーのお父さんだって、頑張れって言ってくれた!!」 「ファイ、」 「嫌っ!嫌だよ・・・ここに居て・・・お願いだから・・・」 「ファイッ!!」 「っ・・・」 黒鋼が声を荒げて、ファイの肩がびくりと揺れる。この島の海と同じ色の瞳は、まだ濡れてはいないけれど (駄目だ・・・) いまだ濡れぬその頬に、小狼は昨日の涙の名残を見た気がした。 だからどうかそれ以上は。ファイだって解っている。ただ、受け入れたくないだけ。 受け入れた方が辛いのか、受け入れられない方が辛いのかは判らないけれど、受け入れさせたいのなら、こんな方法では駄目だ。こんな乱暴な、殴りつけるような方法では。 「黒鋼さ・・・」 「てめえは黙ってろ!!」 しかし、昨日の涙を知らない黒鋼は、小狼が口を挟むことを許さない。 「じゃあ俺達が何を頑張った!ここに来たのもここに居るのも、全部他人の力じゃねえか!親父は納得できるまで頑張れって言っただろう!ここで何に納得できる!苦しいだけじゃねえか!!」 「違う、苦しくなんかないっ!!」 「苦しいんだろ!?現にお前はここに来たって、キングの食事の心配をしてるじゃねえか!」 「っ・・・それは・・・・・」 「ファイ、」 一つだけ、酷く罪悪感。引き離されたくないという理由で、あんなにも子を愛していた父親から、その子を引き離した。その苦しみ、彼以上にファイを愛している自信があるから、想像するのは容易い。 「心配なんだろ・・・。嫌いになったわけじゃねえんだろ・・・?」 「・・・嫌いだよ・・・嫌い・・・!大嫌い・・・!!」 「自分に言い聞かせるな!」 「知らないもんっ・・・!お父さんなんて・・・どうなったって知らないっ・・・!」 ここに来てから、何かが狂っている。こんな事を、言わせてはいけない。それにもっと、他に何か。自分達も、どこかが狂い出している。ここに居てはいけない。 「ファイ・・・帰ろう。」 「絶対嫌っ・・・!」 「駄目だ。帰るんだ。」 「・・・・・・どうしてっ・・・」 (あ・・・・・) 見守る小狼の視界の中で、俯いたファイの顔に零れた髪の間から、光る珠が零れ落ちた。 「ファイ・・・」 パンッ・・・ 黒鋼が伸ばした手を弾いて、ファイはそのまま身を翻す。 「ファイさんっ!!」 小狼はすぐに後を追った。部屋を飛び出し廊下を駆け抜け、エレベーターホールで、丁度停止していたエレベーターに飛び乗るファイに追いつく。ファイはすばやく扉を閉めたけれど、その扉が完全に閉まる前に小狼は体を滑り込ませた。 拒絶はされなかった。ファイはただ、追って来たのが黒鋼ではないことを確認すると、壁に背を預けた。そのまま、ずるずると座り込む。立てた膝に額をつけるとほぼ同時に、堪えきれずに嗚咽が零れた。 「ファイさん・・・・」 呟いて手を伸ばそうとした小狼は、しかしエレベーターが動いていないことに気付いて動きを止めた。振り向くと、階を指定するボタンが押されていない。扉を閉めることだけに、必死だったのだろう。ここで止まっていては、黒鋼が外からボタンを押せば、直ぐに扉が開いてしまう。 「・・・・・・1階で良いですか・・・?」 金の髪が微かに揺れたのを確認して、小狼は1階のボタンを押した。 「はい、ファイさん。」 「あ・・・ありがとー・・」 ホテルから少し離れた公園にベンチを見つけて、二人はそこで足を止めた。小狼が近くで買ってきたジュースの冷たいボトルを、ファイは泣き腫らした目に当てる。 「気持ち良いー」 「良かった。」 少し、笑ってくれて。 「・・・・黒むー、追いかけてこないね・・。」 「そうですね・・・。」 「・・・見放されたかなー・・・」 「それは・・・ないと思いますけど・・・。」 可能性としては、ファイに拒絶されたショックで立ち尽くしているか、追っていいものか悩んでいるか。 「・・・戻りますか?」 「・・・・・・戻っても、オレには黒りんを説得できない・・・」 彼の方が正しい。ちゃんと解っている。彼を説き伏せられるほどの正当性は、自分にはない。 「・・・だけど・・・黒鋼さんだって、間違ってます・・・。」 ほんの少し、理屈が通っているから、正しく聞こえるだけ。 「別のホテルを手配します。少し、距離を置いてみては。」 「・・・一緒にいたいって言ったのに・・・?」 「でも、辛いんでしょう?」 「辛くなんか・・・」 「でも、泣いてたでしょう?」 「・・・・・・」 ファイはゆっくりと顔を上げた。目から離したボトルの中で、液体が僅かに音を立てる。見上げた青空の下で、いつも見つめる赤より、優しい色が微笑んだ。 「好きだからこそ、そういうときもあります。認めていいんですよ?」 「・・・・・・そっか・・・オレ・・・辛かったんだ・・・」 愛しているのに。それだけは、間違いないはずなのに。 傍に居てくれと望みながら、傍に居るのが辛かった。 「何でだろー・・・最初はこんな風じゃなかった・・・」 「・・・大丈夫です。ちゃんと・・・すぐに戻れますから・・。」 『泣かないで』 願いは口にしなかった。それを口にしても、彼の代わりにファイを抱きしめることは出来ないから。 黒鋼はドアが開く音ではっと顔を上げた。ファイが部屋を飛び出していってからもう2時間が経つ。帰ってきたのは、小狼だけ。 「あいつは?」 「泣き疲れて寝てます。」 「どこで。」 問うと、紙切れが差し出された。記されていたのは、確か3軒ほど先にあったホテルの名前。 「移動します。黒鋼さんはこのままこちらで。」 そう告げると、小狼は自分とファイ、二人分の荷物をまとめ始めた。 「どういうことだ。」 「今言ったとおりですが。」 「・・・・・・・・」 黒鋼は部屋の入り口に向かった。貰ったメモに書かれたホテルに押しかけて、強引にでもファイを連れ戻すつもりで。しかし、 「あ、行っても、」 「ああ!?」 「入り口で止められますから。」 「・・・・・・・・・」 そう簡単に行き先を教えるわけがなかった。ここも恐らく星史郎の息が掛かったホテルだろう。中途半端な警備体制を敷いているわけがない。無理に突入したとしても、部屋を探しているうちに取り押さえられるのがオチだ。 「・・・いつ戻ってくる・・・」 「さあ。かなり疲れてるみたいですから。」 「・・・何に。」 「一緒に居ることに。」 「・・・・・・じゃあどうしろってんだ・・・」 帰ろうと言えば傍に居てくれと泣く、傍に居れば疲れたと言うなら、一体どうしろというのか。 「・・・黒鋼さんは、何のために帰るんですか。」 「あ・・・?」 「ここに居ても何も出来ないから。自分達は無力だから。戻っても何も出来なくても、他に行き場所はないから。負けるために帰るんですか。」 「そ・・・んな訳・・・ねえだろ」 「そう聞こえるから泣くんです。救いがないから辛いんです。黒鋼さんだって、まだ何か納得できていないから、ファイさんだってわかってるのに、聞き入れられないんです。」 「・・・・・・それでも・・・それが現実だ・・・。」 救いなどない。 「それとも、お前なら泣かせねえのか。」 『おれなら泣かせない』と、いつか、挑むように言い放った彼なら、とるべき道を知っているのだろうか。 小狼は、まとめ終わった二人分の荷物を肩にかけて立ち上がった。 「ファイさんは、おれにために泣くほど、おれを想ってはくれません。それだけの話です。」 彼が笑うたびに、泣くたびに、或いは言葉を発するたびに。 思い知らされるのは、彼の心の中には、ただ一人の居場所しかないのだということ。 だからずっと、その場所が羨ましかったのに。 そこに居る黒鋼には、分からないのだろうか。 「救いならあります。まだ泣いてくれるうちは。」 =後書き= 奥さんが他の男と外泊です・・・!! 実際にホテルの手配をなさったのは星史郎さんでしょうから、彼も何かを期待していると思います。 わざわざダブルベッドの部屋とか用意させてるんじゃないかな。 でもそうなるとソファで寝ちゃうのがボディーガード君です。分かってない・・・!! いや、イイ男なんですけどね。イイ男なんです。 対する黒鋼さん、いつにも増してへたれです。 それにしても事態はどんどん収拾のつかない方向へ。 復習:(雪流さん的萌ポイント)『別嬪さん』『レーザービーム』『エレベーター』『他の男と外泊v』 予習:次回のタイトル『収集』とかどうですかね。 <もう小狼とくっついてもいいよ。> <いや、タイトル黒ファイだから。> |