片想い
 
 
日本では桜が散り終わったころだったはずだが。
「何でこんなに暑いんだ・・・」
「ここは常夏だからねーv」
日本のようなじめじめとした不快な蒸し暑さではないが。こんな時期に海水浴なんて。
「黒様、早くー!ほっとくとオレ溺れちゃうよー?」
「じゃあ一人でさっさと行くな!」
どうなんだろう。駆け落ちして日焼けして帰るのって。
(あ、帰らねえのか・・・)
どうもいまいち実感がわかない。それもこれも、この生活リズムの所為だろう。朝は日が高くなるまで寝ていて、午後から海水浴。こんな呑気な駆け落ちがあってもいいものか。そしてこれを、続けていていいのだろうか。
 
ハワイ3日目。今日も黒鋼は寝坊。時差ぼけも少しあるが、おもな原因は夜更かしだろう。しかしそこはそれ、ハネムーンなので許して欲しい。
「ねー、黒みゅー。買い物行かないー?そろそろお店開いてるでしょー。」
「まだ眠い・・・。昼からでいいだろ・・・。」
「昼からは海に行くのー。今日こそ泳げるようになるんだから。」
駆け落ちついでにファイはかなづち克服中。それにしても何故ファイはこんなに元気なのか。彼のほうが海外慣れしているとはいえ、夜寝る時間は殆ど同じなのに。
「じゃあ一人で行ってくるねー。アロハシャツ買ってきてあげるー♪」
「いらねえ・・。」
気をつけていけよ、とベッドの中から見送るついでに、胸に秘めていた疑問を口にする。
「なあ、」
「んー?」
「・・・ずっとここに居るのか?」
振り向いたファイの顔が強張って、しかしすぐに笑顔にすり替えられる。
「んー、確かに定期的にホテルを変えたほうが安心だけどー、別に大丈夫でしょー。そう簡単に情報が漏れることはないと思うよー?」
「そうじゃ・・・」
「じゃあ行ってくるから!寒くなったらちゃんとクーラー弱めてね!」
バタンと、彼には似合わぬ早口の言葉の後に、勢いよくドアが閉まった。
「・・・そうじゃねえだろ・・・・・・」
分かっているから、はぐらかしたのだろうが。
何も帰ろうと言っているのではない。ただ、このままではいけないと、そんな気がするだけだ。
 
 
「おやつ買ったー。着替え買ったー。飲み物はホテルで頼めばいいしー、こんなもんだよねー。」
ホテルから少し離れた所にある商店街で買い物を済ませ、指を折りながらファイは岐路に着いた。日本に居た時より荷物が軽くて、なんだか物足りない気がする。食事の用意をする必要がないのが原因だが。
(お父さん・・・ちゃんと食べてるのかなー・・・)
ふとそんなことを考えてしまって、慌てて首を振った。
「あんな分からず屋の頑固親父の事なんて知らないっ!」
パパが聞いたら引きこもりになりそうな台詞だ。
「もう絶対帰らないもんねー。ずっとここで・・・」
 
『ずっと、ここに居るのか?』
 
「・・・居ればいいじゃない・・・・・・。」
どうしてあんな事。いや、分かっている。ちゃんと解っている。家族も友人も学校も、全部日本にあるのだ。唐突に、勢いで全部捨てさせた。別れを言う間も与えずに。
常夏の楽園での生活は、楽しく見えてどこか空虚だ。繰り返される非日常に、得られるものなど何もない。
「次は・・・帰ろうって言うのかな・・・」
そこに二人の未来はないのに。
目頭が熱くなって、ファイは足を止めた。見下ろした自分の足が、じわりと滲む。
そのとき、不意に背後から声をかけられた。
「Excuse me,・・・」
「あ、はいー?」
慌てて目元を拭って振り向くと、そこには体格のいい3人の若者。身なりからは、あまり柄のいい者達とは思えない。
(うわ、面倒そうなのに捕まっちゃったー)
かなり失礼な意見だが、その程度の認識では甘かったと気付くのはこの直後。左端に立っていた一人に、突然手首を掴まれる。
「え?ちょっ!何するんですかー!」
強い力で引きずられる。パパが放った追っ手にしては少々乱暴すぎるし、ナンパにしたってもう少しやりようがあるだろう。
(って事は誘拐?暴行?)
金銭目的だろうか。さっきの買い物でカードを使ったところを見られたとか。体・・・という線は考えたくないが、自分と黒鋼との関係を考えれば、あり得ないとは言い切れない。
見回すと、周囲に人気がない。日本と同じのりで油断した。観光地とはいえ、ハワイはアメリカ合衆国だ。一人でふらふら出歩くんじゃなかった。
(護身術・・・とか・・・)
軽く習った程度だが、試してみようか。肢を払って手首を捻れば・・・
(・・・・・無理です師匠ー!)
どう考えたってこんな巨漢を転がすなんて出来ない。しかも相手は三人。修行不足の弟子で申し訳ない。ちなみに師匠は星史郎。
後は、小狼から教えられた、某所を蹴り上げるという一撃必殺があるが、相手が複数で、隙を作っても逃げ切る自信がないときは、相手を逆上させるだけなので使ってはいけないという注意があった気が。特に相手が銃所有の疑いがあるときは厳禁。何もしないことは、時には最大の防御になるとも。
『何かあっても、必ず助けに行きますから。とにかく無事で居てください。』
(あ、駄目だ・・・)
彼も、日本においてきた。ここで何があっても、助けに来てはくれない。
(オレ・・・誰を呼べばいいんだろう・・・)
掴まれた腕が酷く痛む。けれど、それとは別の理由で涙が滲んだ。呼べる名前など、一つしかない。でも、彼には届かない。
「黒むー・・・」
 
ひゅん・・・どごっ!
「っ!!」
不意に鈍い衝撃音が響いて、手首を掴んでいた手が解けた。顔を上げると、男の体がぐらりと傾ぐ。そして倒れた体の向こうに、
「小・・・狼君・・・?」
「下がっててください!」
「は・・・はい・・・」
指示されてファイが数歩後ずさる間に、小狼はもう一人の男の胴に、いつもの木刀を叩き込む。男の喉から奇妙な声が漏れて膝が折れる。その間に、最後の男が懐に手を入れた。
(銃っ・・・!)
「シャオ・・・」
しかしファイが叫ぶより早く、男がそれを取り出した次の瞬間に、小狼が振り向きざまに振り上げた木刀が、男の手首に入った。何かが砕ける音がして、男は悲鳴を上げてそのばに蹲る。小狼は男が落とした銃を拾うと、ファイに駆け寄った。
「大丈夫ですか!?怪我は!?」
「あ・・うん・・・大丈夫・・・」
目の前で繰り広げられた光景にまだ少し呆然としていた。あっという間に3人を地面に這わせる腕前。日本では目にする機会もなくて、彼がボディーガードだということさえ忘れがちだったが。星史郎のお墨付きは本物だったらしい。
「強いんだね・・・」
素直な言葉で感動を伝えると、戦闘中の気迫は名残も見せず、小狼はいつもどおりの笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。」
その笑顔に、急に安堵感が押し寄せた。力が抜ける。堪えられなくなる。
「ファイさん?どうしたんですか!?どこか・・・」
「違・・・うんだ・・・大丈夫・・・なんだけど・・・・・・」
一度溢れた涙は止め処なく頬を流れ落ちる。ファイはしゃがみこんで膝に額を当てた。
「ごめん・・・ごめんね・・・・・・」
「ファイさん・・・」
小狼はそれ以上何も言わずに、ファイの前に膝を付いてそっと肩に手を置いた。その手をとても優しく感じて、またファイの目から、新しい涙がこぼれた。
 
 
「ただいまー・・・」
「!何があったんだ!大丈夫なのか!?」
ホテルの部屋に戻ると、血相を変えた黒鋼が出迎えてくれた。少し買い物のつもりがもう昼過ぎだ。遅くなると連絡は入れたが、詳しい事情は話さなかったので余計に心配させたらしい。
「ごめん、ちょっと休ませて・・・」
「おいっ!」
ファイを引きとめようとする黒鋼を、さらに第三者が引き止める。
「説明はおれがしますから。」
「!何でお前がここに!?」
「仕事ですから。場所を変えましょう。昼食はまだですよね?」
「そりゃ、まだだが・・・」
何で俺がこいつと一緒に食事を。という思いを込めてファイを振り返ると、ひらひらと手を振られた。『オレはいらない』あるいは『行ってらっしゃい』。結論は同じだ。
 
 
「手首を掴まれて、少し痣になってますが、骨に異常はありません。他に大きな怪我もないようです。犯行はファイさんの素性を知ってのものではないと言うことなので、ホテルの移動等の措置は必要ないと思いますが、不安なら新しいホテルを手配します。」
「・・・シークレットサービスってのはそんな事までするのか。」
「何でもしますよ。ファイさんのためなら。」
どこに感心しているんだと責める様な目で見られて、黒鋼は眉間の皺を一本増やした。ホテル内のカフェでテーブルを挟んで座るこの少年は、自分への言葉に棘がある気がする。
「・・・移動の件はプロのお前の判断に任せる。それよりどうやってここが分かったんだ。あいつか?」
「いえ。駆け落ちしたとは聞きましたが、星史郎さんはお二人に悪いからと居場所までは教えてくれなかったので自分で調べました。」
「どうやって。」
「何かあったときのために、ファイさんの持ち物のいくつかに、小型発信機を取り付けさせて頂いています。ここの事は誰にも言わずに来たので安心してください。」
「連れ戻しに来たわけじゃねえのか。」
「ファイさんが望まないことはしません。」
「・・・あいつに何か聞いたのか?」
「なにをですか?」
「・・・・・・いや。いい。」
ずっとここに居るのかと訊いた事、責められているのかと思った。しかし小狼の反応はとぼけているという風でもない。ファイは時々、自分に話す以上に、彼の胸のうちを明かすが、今回はまだ何も言っていないらしい。小狼は自分から聞き出すような事はしない。
正直、羨ましいと思った。彼以上にファイを愛している自信はあるのに、彼ほどファイが望むままに生きることはできない。どんな願いでも叶えてやりたいと思うのに、ここに来てからどうも上手くいかない。どうしてと自問と自責を繰り返しても、答えにたどり着けない。
 
「・・・おれも、一つ訊いて良いですか?」
「なんだ。」
「どうなってるんですか?」
「・・・・・・何が。」
「お二人が、です。」
「あ?」
ファイと小狼がホテルに戻ったのは、ファイの涙が止まってから、かなりたってからだった。目の腫れは殆ど引いていた。黒鋼は、ファイの涙の名残さえ見ては居ない。見ていた小狼に分かったのは、それは危機を脱した安堵からのものではなく、もっと深い苦しみから流れたものだったのではないかということ。
気付いていないのなら言わない方がいいのだろうか。黒鋼の前では泣かなかったことが、伝えて欲しくないという証拠。
「いえ・・・いいです・・・」
ファイの事を想って質問を取り下げると、黒鋼に眉間の皺がまた一本増えた。
 
何がそんなに気に入らないのだろう。何度か、宣戦布告じみたことをした自覚はあるが、本気で奪おうとしたことなど一度もない。この想いを、ファイに悟らせてさえいないのに。
 
 
「3人に対してベッドが2つかー。じゃんけんで負けた人がソファで寝る?」
その夜、ファイは随分元気になって、片手でグーを作って臨戦態勢。しかしすぐに小狼が手を挙げる。
「おれ、ソファで寝ます。」
「こんな所で気を遣わなくていいよー。使用人じゃないんだしさー。」
「いえ、体格的におれが一番楽ですから。」
超高級ホテルなので、ソファといえども寝心地は抜群だ。
しかし黒鋼は、小狼がこの部屋に泊まるという事自体が不満らしく。
「気を遣うならこの部屋で寝るな。」
冷たい言葉を投げつけた所、あらぬ誤解を招いてしまった。
「廊下で寝ろって言うのー!?それはあんまりだよ、黒むー!」
「もう一部屋取れって言ってんだ!!」
いくらなんでもそこまで非情ではない。
「んー、でも、この時間だしー。それにいくら星史郎さんのコネとはいえ、二部屋も占領したらホテル側に迷惑だよー。」
それにまだ、二人きりになりたくないと。はっきりと口には出さないけれど、笑顔が少し強張っていたから、そう思っていることは明らかで、
「だから、じゃんけんで。ねー?」
懇願するような眼差しを、ファイが向けたのは黒鋼ではなく小狼の方で、それも、黒鋼の気に障った。
黒鋼は唐突にファイに歩み寄ると、いきなりその体を担ぎ上げた。
「うわ!ちょっ、何するの黒みゅー!?」
「うるせえ、静かにしろ、暴れるな。」
そう言いながら窓に近い方のベッドにファイを降ろすと、黒鋼は小狼に向かってもう一方のベッドを指す。
「お前はそっちで寝ろ。」
そして自分はファイの隣へ。
「う、嘘っ!ちょっと待って黒みゅー!」
「うるせえ。隣で寝るだけだ。これで全員ベッドなんだから、文句ねえだろ。」
「だからっていくらなんでも・・・恥じらいってものはないの・・・!?」
「駆け落ちまでしといて、いまさら何言ってやがる。」
「でででもっ・・!」
キリがなさそうなので、小狼は黒鋼の指示に従うことにした。
「電気、消しますね。」
「え、ちょ、待っ・・・」
パチン。
照明を落とすとファイも観念したのか騒ぐのをやめた。
 
こんな方法で見せ付けなくても、ファイが笑うたびに、ファイが泣くたびに、或いはただ言葉を発するたびに。その心の中に居るのはただ一人だということ、痛いほど良く解るのに。そのただ一人はどうして、そのことに自信が持てないのだろう。自分のどんな行動も、その場所を脅かす脅威にはなり得ない。だから、暗闇の中でファイに向けた眼差しに、愛しさを込めることくらいは許して欲しい。
「おやすみなさい・・・良い夢を。」
 
 
ところで日本でもちょっとした動きが。
チャイムが鳴って、蘇摩が玄関に向かうと、訪問者は既に扉を開けていた。
「よお、蘇摩。久しぶりだな。」
「お、お父さん!?お母さんも・・・」
めったに家には帰ってこない両親の突然の帰宅に、蘇摩は驚きを隠せない。
「どうしたんですか、こんな時期に・・。」
いつも帰ってくるなら冬休みだ。お隣さんは故郷に里帰りしていて、いまだ顔をあわせたことはない。が、
「黒鋼がお隣の息子さんと駆け落ちしたんだろ?」
情報はばっちりだ。
「知世から連絡貰ってな。無理言って帰ってきたんだ。親としては放っておけないだろう?」
こんなビッグイベントは。という声も聞こえた気がして蘇摩は苦笑を浮かべた。お父様、なかなかお茶目な方らしい。
「恋愛なんて本人達の自由なんだから、放っといてあげましょうと言ったのに、この人ったら聞かなくて。」
そういうお母様もどこか楽しそうだ。
「さて。じゃあとりあえず、お隣さんにご挨拶にでも行くか?」
「あ・・・まだ仕事に行かれてると思いますけど・・」
「ああ、そうか。忙しい人なんだったな。」
「あなた、まず何か手土産を用意しないと。」
「それもそうだな。何かで気を逸らさないと、顔をあわせた瞬間に殴られそうだからな。」
「ええ。貴方、本当に黒鋼とそっくりだから。どんな顔をなさるか楽しみね。」
「それは・・・笑い事ではないのでは・・・」
お父様、顔で一番似たのは黒鋼だが、性格が似たのは間違いなく末の妹だ。
 
 
=後書き=
外国人さんの台詞は英語で書きましたよ・・・!THE☆微妙。
小狼→ファイの片想いはもちろんのこと、黒ファイ間も想いが行き違っています。これもある意味片想い。
雪流さんの中では小狼の方がイイ男らしいですね。扱いは悪いけど。
この切ない役回りが愛しくて堪らんとですよ。
黒鋼君のご両親の設定は最初からあるにはあったんですが、固まったのは原作であのお二人が登場してからですね。
仕事は、一応外交官ということにしていたんですが、明言してしまうと色んなツッコミが入りそうなので作中でははっきりとは明かさない方向で。
小狼合流で事態はまた新たな展開を見せるのか見せないのか(どっちや)頑張れ小狼ー!
 
復習:(雪流さん的萌ポイント)「必ず助けに行きますから」「小型発信機」「おやすみなさい・・・良い夢を」
予習:次回、黒鋼VS小狼アーンド、父上VSパパ!
 
 
 
             <直線が好きですか>    <多角形も平気ですか>