散華−伍− 赤は似合わないと、そう言っておきながら、黒鋼がファイに贈った簪は、赤い珊瑚玉のものだった。 3つの玉を実に見立てて、その周りに葉を模した鮮やかな緑の装飾。 「南天ですね。」 「そうだねー。」 有名な細工だ。しかし、花魁の装飾品ではない。そこそこ派手ではあるが、品がありすぎる。 それに、 「季節外れ・・・。」 「言っちゃ駄目だよー。」 神威にそう言いながら、ファイ自身も笑いをこらえきれていない。 南天の実は冬のもの。この辺りにも多く植えられていて、冬になると遊女達が雪うさぎの目に使ったりする。咳止めの薬にもなるらしい。 しかし簪としての南天は、主に正月の飾りだ。 季節はまだ夏の初め。 「きっと自分で選んだんだろうねー。店の人は止めてくれなかったのかなー?」 「南天を贈りたかったんじゃないですか?えっと・・・南天に込められる意味は何でしたっけ。」 「南天はねー、」 植物には、様々な意味が込められる。客への手紙に花を添えることもある遊女達は、その辺りのことには詳しい。花言葉と呼ばれるその意味を、黒鋼が知っているとは、とても思えないのだが。 「黒りんが知ってて選んだなら、思わず笑っちゃうような意味だよー。」 そういってファイが一人で笑ったとき、部屋の外で声がした。 「和泉屋の若旦那様のお越しです。」 いつの間にか、夜の登楼が始まっているらしい。そういえば表が賑やかだ。 和泉屋の若旦那は神威の唯一の馴染み客。初登楼からもう約一週間、通いが途切れたことがない。 「封真さんだっけ。上手くいってるんだねー。」 冷やかし半分でファイがそう言うと、神威は照れ笑いを浮かべて部屋を出て行った。 幸せそうだ。微笑ましい。 けれど、羨ましいとは思わない。 所詮、此処は遊郭なのだから。 小さく溜息をこぼすと、ファイは煙管に火を入れた。 「あの子が、護りたいものですか?」 不意に天井から声が降る。 「盗み聞きは良くないですよー。」 「申し訳ありません。」 そこに居ることは分かっていたので、別に気を悪くしているわけでもないのだが、真面目なくの一はご丁寧に姿をあらわして謝罪した。 (忍なんて、盗み聞きも仕事のうちでしょー?) 声に出さずにそう呟いて、この人をからかうのは辞めようと少し反省。 「それにしても蘇摩さん、随分早いお越しですねー。もっと遅くにいらっしゃるかと思ってましたー。」 「登楼が始まる頃にと思ったのですが、早すぎましたか?」 「登楼は始まってますけど、一応お楽しみのところを邪魔するわけにはいきませんからー。」 「では何時ごろに。」 「神威が眠ってから。あの子には、何も知られたくないので。」 今回ことが公になれば、和泉屋本人は勿論、家族にも何らかの罰が与えられる。死刑などということはないにしても、財産没収くらいは免れないだろう。 『それは困るんですけどー。』 だから、首謀者が和泉屋であるということを教え、銀龍を黒鋼に渡す代わりに、ファイは事を公にしないことを要求した。首謀者の家族には、罰を与えないようにと。 知世は、封真が店を継ぎ、和泉屋が隠居という形で町を離れるなら、ということで同意した。 それには、封真の協力が必要だ。 悪に染まらぬ青年は、自分の父親の罪にも、厳しくあってくれるだろうか。 蘇摩が今宵ここを訪れたのは、封真にこのことを説明するため。ファイが伝えると申し出たのだが、漏れると困る情報もあるらしい。 「国家機密ってやつでしょー?オレは大丈夫なんですかー?」 「ある程度の信頼はさせて頂いているつもりです。」 「花魁風情にー?『花魁の言葉に誠なし』って知ってますー?」 「職が人格に影響するとは思いません。それに、その言葉は客相手の話では?」 「・・・・・・・・・・・そうでもないですよ。」 答までの間に、花魁が何を思ったかなど、くの一には分からない。ただ、あまり触れて欲しくはなさそうだと、話題を変えることにする。 「今夜は、例の忍は訪れないんですか?」 「んー、次の約束をしたことはないですけど、しばらく来ないと思いますよー?」 すばやく笑顔を繕うファイ。『しばらく』と言ったのは、黒鋼は、此処に通うのを、簪を渡すまでと決めていたから。けれどきっと、またすぐに来る。出会った時もそうだった。 「その簪、髪には飾らないんですか?」 ファイの手は、無意識に、簪を弄んでいる。 先刻、天井裏で聞いた話からして、それはおそらく、例の忍が贈ったものだろうと予想しながら蘇摩がそう聞いた時、襖の向こうからまた、客の登楼を告げる声。 襖は開けずに、ファイは断ってくれと応えた。 「宜しいのですか?お仕事の邪魔なら、一旦お暇しますが。」 「蘇摩さんのせいじゃないですよー。昨日、昼から忙しかったんで、今日はお休みです。」 最高級の花魁ともなると、この程度の我侭は許される。 「それより双六でもしますー?夜までは、もう少し間がありますしー。」 「あの、では・・・・・・もし宜しければ、例の忍の話を。」 「情報収集ですか?仕事熱心ですねー。」 「勿論、無理にとは申しません。」 「別にいいですよー。ただ情報っていわれても、彼は何も話さないんで、馴れ初め話でよければ。」 「馴れ初め・・・?」 僅かに目を見開いた蘇摩を小さく笑うと、ファイは黒鋼と出会った夜のことから話し始めた。 それは、ファイの間延びした話し方でも小一時間で終わってしまうような、馴れ初め話と呼ぶにはまだ早いが、それでも一種の恋物語。 「それで、この簪を貰ったんですよー。」 そう言いながら、愛しそうに簪を見つめる。その目が、神威と同じ光を宿していることに、ファイは気付いていないのだろうか。 「簪を贈ることにも、何か特別な意味が?」 「いいえー。欲しかっただけ。」 (幸せな恋を、しているように見えるのに・・・・・・) 花魁が、髪に飾らない簪を忍に求めたのは、いつか忍の訪れがなくなったときに、それでも何か形に残るものをと。蘇摩には、そんな風に思えた。 「忍が次にいつ来るかは、分からないんですか?」 「占ってみますー?」 「占い・・・?」 「簪を頼んだのはこれのためなんですけど、畳算って言いましてー。簪を投げて、落ちた場所から畳の縁までの目の数で、次のお越しを占うんですよー。」 遊女なら誰でも知っている占いなのだと説明しながらファイが軽く放った簪は、小さな弧を描いて畳に落ちた。ファイは這って行って目の数を数える。 「あと4日。新月の前の晩ですねー。」 占うまでもなく、そんなところだろうと思っていたが。 簪を渡すまで、そう思いながら通い続けていた黒鋼は、簪を渡した時、もう来ないと決めていた。決して口には出さなかったけれど。 数日前の占い。赤い賽の目。彼は、自分が新月の晩に死ぬと思い込んでいる。 (でも、最期に顔も見ずに逝けるほど、強くはないんだよねー。) 気付いた想いが強くなる前に、姿を消すことを選びながら、窓辺の恋を悲劇に終わらせることを、恐れるような彼だから。 けれど矛盾しているのはファイも同じ。花魁として生きる自分が、こんな甘い恋で幸せになれるはずはないと知りながら、それでも惹かれずにはいられない。 「あ、神威が寝ましたねー。」 この部屋にいながら、別室の様子を知る。それは蘇摩には理解の及ばない特異な力のなせる業。 「若旦那だけ、こちらにお呼びしますねー。」 静かに部屋を出たファイは、最後まで笑みを崩さなかった。 蘇摩の事情説明はあっさりと終わった。 銀龍のことは白鷺城の秘宝と表現され、今はファイの手元にあるということは隠された。勿論、知世とファイの取引のことも。 父親の罪を知った封真は、一瞬動揺を見せたものの、薄々、感付いていたのかもしれない、すぐに落ち着きを取り戻し、むしろ、与えられる罰のほうに難色を示した。 「・・・御容赦には感謝します。しかし、これだけの事を犯しておきながら、何のお咎めもないというのは・・・・・・ 「こちらも、あまりことを荒立てたくはありません。」 「しかし・・・っ」 「若旦那、お声が。」 ファイに制され、封真は一度口をつぐむ。そして、いくらか声を抑えて再び口を開いた。 「納得がいきません。どうかお咎めを。」 「貴方も、罰を受けることになりますよ?」 「父の罪は和泉屋の罪。気付いて止めることが出来なかった俺にも非があります。」 「・・・・・・・・・・・・」 罪に厳しくと、そう望んだ二人だったが、此処までを望んだわけではない。 あの和泉屋の息子とは思えない程、強すぎる正義感。 蘇摩が困った顔でファイを窺う。封真が承知しないのなら、事を内密に進めるのは不可能。 「・・・・・お父上の意見をお聞きになっては?」 しばしの沈黙の後、ファイは静かな声でそう告げた。 その声に宿る感情が何なのか、共に居る二人には分からない。 「お父上が、罰を受ける事を望まれるのでしたら、そうなさいませ。けれど、『和泉屋』の存続と、家族の幸せを望むのなら、ご自分で商売から離れることを望むでしょう。」 「・・・・・・父が・・・・・・ですか・・・・・・?」 「どちらをお選びになると思います?」 愚問だ。そんなこと、おそらくこの場に居る全員が分かっている。 権力を愛し、更なる力を得るため、どんな卑怯な手でも使ってきた彼が、どちらかを選ぶなど。だからこそ、封真の協力が必要なのだから。 「・・・・・・今日はこの辺にしましょう。あまり長引くと、神威が起きてしまいます。」 そう言って、ファイは灯りを手に立ち上がった。封真は、何か言いたそうに口を開きかけたが、部屋まで送るとファイに言われて、結局無言で膝を立てる。 蘇摩は、静かに一礼して二人を見送った。伝えるべきことは全て伝えた。後はファイの仕事だ。 「若旦那、」 「はい、」 思いつめた顔で歩いていた封真は、先を行くファイが振り向いたのに気付き足を止めた。 灯りに照らされた影が、廊下に長く揺れる。 自分を見上げるファイの瞳が、いつもより濃い青に見えるのはきっと光の加減だろうと、そう思い込んで封真は先を促した。父親のことで、まだ何かあるのだろうかと。 けれど、ファイが口にしたのは全く別のこと。 「身請けの話は進んでいますか?」 「・・・・・・・・・。」 封真の表情がこわばったのを、ファイは見逃しはしない。 それでも溜息さえ漏らさないのは、訊くまでもなく分かっていたのだ。最近遊郭通いを始めた封真より、最近花魁になったばかりの神威より、ファイはこの世界には詳しいのだから。 身請けすると、そう宣言しておいて、賛成意見を微塵も得られないこと。 神威が知らない世界の真実。 誠意を込めた言葉さえ、ここでは嘘に変わるのだ。 「・・・・・・すいません」 「オレに謝ってもしょうがないでしょう?」 それでもファイは、決して責める事はしない。中途半端な気持ちで身請けを申し出たのではないことは、十分分かっている。 ここは、気持ちだけではどうにもならない世界。 「花魁の身請けに、いくら掛かるかご存知ですか?」 「・・・・・・高くて一千万両ほどだと。」 「神威はまだなり立てですし、貴方以外の馴染み客もいないので、もう少し安く済みます。」 「ではなおさら、払えない額ではありません。」 「それは、『和泉屋若旦那』の貴方の話でしょう?」 「・・・・・・・・・っ」 結局、話はここに戻る。いや、最初から、離れてはいなかったはずだ。ファイはこのためだけに、知世に『和泉屋』の存続を願ったのだから。 「罰を受けるなら、神威の身請けは出来ません。それも承知の上で咎めを望みますか?」 封真もまた、この世界のことを本当には分かっていない。 此処は、金が愛に変わる場所。たとえ、想いが別にあったとしても。 「花魁は、ただ一人を待ち続けることは出来ない生き物です。貴方の通いがなくなれば、神威は他の客を取らざるを得ません。それが分かっているから、誰にも触れさせないために、毎晩通い続けていらっしゃるんでしょう?」 「そ・・・・・・れは・・・・・・・・・」 言葉に詰まった封真を見てファイは思う。神威は幸せだ。 花魁としてではなく、一人の人間として愛してくれる人が居る。 花魁の身でありながら、いまだに穢れを知らずに笑っていられる。 「貴方が神威を抱かないのは、誓い立てのおつもりですか?」 「・・・・・・それは、神威が・・・?」 「見ていれば分かります。貴方自身もまだ、あの子に触れていませんね。」 「・・・・・・・・・愛は、金で買うものではないと思っています。」 初めて封真は真っ直ぐに、ファイの瞳を見返した。心を読まなくても分かる。それは、想いの強さへの自信の現れ。 身請けするまでは抱かないと、そう誓うことで、身請けの決意を表明する。遊郭を題材にする小説が好みそうな話だ。こうして実践する者がいるからこそ、本にされ出版されるのだが。 そして封真はやはり何も分かっていない。彼がどんな愛し方をしようと、神威が花魁であることには変わりはなく、抱かないことは愛の証明にはならないし、その想いさえ、ここでは嘘に変えることができる。 封真の正義は、此処での正義ではない。 「神威を真に想うなら、何事もなかったふりをして和泉屋をお継ぎ下さい。どうかあの子を悲しませるようなことは・・・・・・。」 「・・・・・・・・・・・・」 社会的に見ればどちらが正しいかなど、ファイとて良く分かっている。 けれどそんなもの、此処では何の役にも立たない。 唯一つの想いを貫かせること、それが此処での正義だ。 「貴方を信じています。和泉屋様。」 ・・・・・・ぱたん 静かに襖が閉じる音に、蘇摩ははっと顔を上げた。戻ってきた花魁は、似合わない暗い表情を浮かべている。説得は、上手くいかなかったのだろうか。 「ファイさん・・・・・・?」 「蘇摩さん、身請けって何だとおもいますー?」 「は・・・・・・身請けですか?」 予想外の質問に少々面食らいながら、蘇摩は一般的な認識を答える。 「客が遊女を買い取ることでは・・・?」 「それに何の意味がー?」 「意味・・・ですか・・・・・・?」 まるで禅問答のような、行き着くところの分からない質問に、それでも生真面目な彼女は、必死で答を絞り出す。遊郭・身請け・遊女。どれも馴染みのない言葉だろうに。 「その遊女を・・・自分だけのものにする・・・ですか?」 「つまり独占欲だとー?」 「まあ、悪く言えば・・・・・・。」 「・・・・・・・・・・・・」 ファイが封真と何を話し、何を思ったかなど、蘇摩の知る所ではない。 正解なのか不正解なのか、蘇摩の答を聞いて、ファイは黙り込んだまま。 本当は、ファイにも答など分からないのかもしれない。 ただ、思うことはある。 『愛は、金で買うものではないと思っています。』 そんな言葉は、奇麗事に過ぎない。 (身請けだってそうでしょー?) 所詮は、金で愛を買う行為ではないか。ただ買い取る愛が、一夜の愛から永遠の愛に変わるだけ。 「ファイさん・・・・・・?」 「・・・・・・蘇摩さん、4日後もいらっしゃるんですかー?」 「え・・・あ、はい。」 不意に話を変えたファイは、何事もなかったかのように普段どおりの笑顔を浮かべ、蘇摩と向かい合う位置に腰を下ろした。 4日後。新月の前夜。黒鋼が、最期の決意を固めてファイを訪れる日。そしてファイが銀龍を黒鋼に渡す日。 「忍が龍に呑まれたなら、被害が出る前にその場でと命じられています。」 「そうですかー。」 それはつまり、ファイの目の前で黒鋼を殺すこともあり得るという事なのだが、ファイは気にする様子もなく。 「じゃぁ4日後は、今日より遅い時間に来てくれますかー?最期の逢瀬を楽しみたいんでー。」 それはまるで、それが最期になると知っているような口ぶりで。 いや、知っているのだ。あの日、賽は唯一の赤い点を上に向けたのだから。 二人の別れは血に染まる。 それでもこんな、金が絡まない愛に、最期まで溺れようとする自分の方が、封真と神威よりよほど滑稽なのだろうけれど。 「じゃあ、日付が変わる頃にー。」 蘇摩を送り出すためにファイが窓を開けると、白い花弁が一枚舞い込んだ。 そういえば、彼はこの花の名を気にしていたなと思い出す。 4日後、まだこの花が残っていたら教えてあげようか。 ついでに、この花が持つ意味も。 きっとそれが最期になるのだから。 <BACK> <散華-六-へ> |