散華−四−



『欲しいものがあるのだ。』
酔いに任せた戯言とも取れるあの言葉は、確か一年も前に聞いたもの。
みつけたと、聞いたのは彼からだっただろうか?




遊郭といえば、夜の印象が強いが、実は昼間も営業していたりする。昼間から床入りという事はさすがに無く、遊女の仕事は座敷のみ。

「しばらく御越しにならないから、嫌われたのかと思いました。」

そう言って、ファイは客の盃に酒を注ぐ。
客は、貿易商・大和屋。黒鋼と出会うために、帰してしまって以来だ。

「仕事が忙しくてな。一段落したら、急にお前の顔が見たくなった。
「では、こんな昼間ではなく、夜にいらっしゃればよかったのに。先日の続きも兼ねて。」
「一番人気の花魁を、予約なしで抱くのは難しいだろう?」
「旦那の御指名でしたら最優先いたしますよ。」
「それは嬉しいな。だが・・・・・・」

大和屋は、盃の酒を一気に飲み干すと、今度はファイの盃に酒を注いだ。

「最近、金の髪の花魁は、夜の客を取らないと言う噂を聞いた。間夫でも出来たのではないかと。」
「そんな噂が。」

間夫とは、遊女の本命の男のこと。
花魁の恋はすぐに噂になる。有名なものになると、本が出版されるほどだという。
ファイは、『金の髪の花魁』と遊郭の外でも有名だ。こういう噂も、これが初めてではない。

「お客は取ってるんですよ。お座敷だけの方が重なっただけです。」
「本当に?」
「ええ。それに、昨夜の方は床まで。」
「・・・その客は、今朝、見返り柳の下で殺されたか?」
「良くご存知で。」

とある高僧が、遊郭への道の途中で殺された事は、午前中には付近一帯に広まったらしい。ファイも、今朝、神威から聞かされた。しかし本当は、その前から知っていた。誰が彼を殺したのかも。

「オレの客だった事まで広まってますか?」
「いや、以前、お前から聞いた名だったからな。」
「それならよかった。」
「ただ、破戒僧だと問題になっている。」
「お気の毒に。亡くなった方のことなんて、そっとしておいてあげれば良いのに。」

僧を客に取った事を隠すわけではないが、世間の噂はいい加減だ。あの花魁は命を吸い取るだとか、怪奇物語に仕立て上げられでもしたら、たまったものではない。関わらずに居られるなら、関わらない方がいいのだ。

「最近何か変わったことは?」
死者の話など、あまり気持ちの良いものではなく、ファイは上手く話題を変えた。注いでもらった酒は、唇を濡らしただけで盆の上に戻す。酔っては仕事にならない。

「変わったことといえば、武器問屋の和泉屋も、確かお前の客だったな。」
「はい。」
「国取りでもするつもりか?」

国取り。不穏な響きだ。
ファイは、大和屋にばれぬ程度にくすりと笑う。彼なら、それくらいの野望を抱いても、不思議ではない。

「大きな仕事があるとはおっしゃっていましたが、何か良くない噂でも?」
とは言っても、和泉屋の良い噂など、聞いたことも無いが。

「一年ほど前、大陸にある刀を探してほしいと頼まれた。そのときは見つからなかったが、最近になって情報が入ってきてな、これがまた、とんでもない刀だ。」
「魔刀、というやつですか?」
「ああ。名を銀龍という。」

銀龍。聞いた名だ。あれは確か一年前。酒に酔った和泉屋が、自分で口にしたはず。あの晩はかなり酔っていたから、覚えているかどうかは知れないが。
彼からその名を聞いたのはその一度だけ。その後は、名前さえ口にしない。
胸中では今でも、手に入れることを望んでいるのだろうが。

「その刀、大陸にはもう無かった。」
「今は、白鷺城でしょう?」
「・・・・・・詳しいな。」
「職業柄。先日、白鷺城に侵入した賊の狙いは、その刀でしょうね。」
「ああ、確証は無いが・・・和泉屋もどこかから情報を仕入れたらしいな。」

知っている者は知っているものだ。大和屋の場合、あくまでも憶測の域を脱しないが。
それにファイとて、証拠を掴んでいるわけではない。全てを知る忍は、依頼人のことも含め、仕事の詳しい内容までは、決して口にしない。

(でも本当は、何も知らないんだよねー。)
忍はただ、命じられた仕事をこなすだけ。あの和泉屋のことだから、黒鋼にさえ、箱の中身は話していないだろう。
自分が盗もうとしているものがどんなものか、黒鋼は知らない。

「ファイ、」
「はい?」
「首筋のそれはどうした?」

問われて初めて、ファイは自分の首筋に触れていたことに気付く。無意識の行動とは恐ろしい。これでは、隠せるものも隠せない。

「昨夜、ちょっと。」

苦笑でごまかすそれは、白い肌にくっきりと咲いた赤い跡。昨夜、黒鋼が残したものだ。

「お前らしくないな。」
「そうですね。」

商売道具である体に跡を残されるなど、花魁失格だ。
それでも、気付けば指先がその跡に触れている。
らしくないのは、跡を残されたことだけではない。

「悔しいな。」
「旦那?」

不意に大和屋に抱き寄せられて、ファイは困惑の表情を浮かべた。
あくまでも、浮かべただけに過ぎないが。
大和屋は、ファイの首筋に唇を寄せながら、片手で酒の載った盆を遠ざける。
首筋を這う舌が、跡を残すことは無い。

「困りますよ、昼間からは・・・。」
「私の指名は最優先なのだろう?」
「それとこれとは、ん・・・・・・っ」

ファイの言には構わず、触れる動作は愛撫に変わる。ファイは、それ以上は抵抗せず、その動きに身を任せた。
所詮は商売。客が悦ぶ反応を見せるのが仕事なのだから。
拒んで見せることさえ、この後の行為を盛り上げるための演技に過ぎない。

「心配するな。明日の朝まで、買い取ろう。」

狙い通りの言葉が、予想通りの優しい声で、耳に吹き込まれた。





『“漆黒”を捜しています。』

それは、今朝のことだった。昨夜の客はすでに帰り、昼の客はまだ訪れず、一日の仕事の始まりに備え、遊郭が眠りに付くそんな時間。一挺の駕籠が店の前に止まった。
降りてきたのは一人の少女。出迎えた番頭が、面食らったのは無理も無い。通常、女人は遊郭に立ち入る事は出来ない。入るという事は売られてくるということ。出るということは、身請けか病か駆け落ちか。
移動手段に駕籠を用い、身なりからも相当な身分だと知れる少女が、遊女だとは考えられず、目を白黒させる番頭に、少女は笑顔を浮かべてこういった。
『白鷺城城主、知世と申します。金の髪の花魁に、お引き合わせ願えますでしょうか?』


話を聞いて驚いたのは、むしろ一緒に居た神威の方で、当の本人であるファイは、動揺一つ見せなかった。


『お姫様自らご足労頂き、ありがとうございます。』
『いいえ、用があるのはこちらですから。』

にこやかな笑みを浮かべる知世。一国一城の主だというのに、部屋にはファイと二人きり。護衛のものが五人くらいは居てもよさそうなものだが。
『護衛の方は、天井裏のお一人だけですかー?』
頭上で、誰かが驚愕したのが分かった。

『蘇摩と申しますの。優秀なくの一ですわ。』
『あー、毒使いのお姉さんですかー?』
『毒に限らず、薬なら何でも。姿が見えないのは落ち着きませんか?』
『オレはどっちでもー。でも、そこ狭いでしょー?』

後半は、天井裏の蘇摩に向けて発せられた台詞。
それに応えたのか、それとも、存在を知られているなら、隠れる必要は無いと判断したのか、知世の後ろに黒装束の女が現れた。
『蘇摩と申します。』
『初めましてー』

『さて、本題に入らせていただきますが、蘇摩が毒を使うことをご存知だという事は、大体の事情もご存知でしょうか?』
『何もかもというわけでは。情報源が限られてますんでー。』
『では、まず単刀直入に。“漆黒”を捜しています。』
『先日、白鷺城に侵入したという賊の事でしょうか?』
『ええ。昨夜、この店から出て行く彼を、蘇摩が目撃しております。調べさせたところ、それは貴方の部屋だと。間違いありませんね?』
『はい。』

今更隠すつもりは無かった。それに、彼女達が、彼を罪に問うために、彼を捜しているのではないと知っていた。

『龍が目覚めたんでしょう?』
『・・・・・・その情報は彼から?』
『いえ、彼は仕事の事は話しません。ただ、最近、龍の咆哮が聞こえるものでー。』
『龍のことはどこまで?』
『ただ、飢えているとだけ。』

『話が早くて助かりますわ。蘇摩、』
『はっ、』

蘇摩は、短く答えると、ファイの前に直方体の木箱を置いた。蓋には銀龍の文字。そして一枚の札。

『開けてみてくださいな。』
『大丈夫なんですかー?』
『ええ。封印はもう解けていますから。その札は、移動の途中に、他人が邪気に当てられぬよう、念のために貼ったものです。大した効き目はありません。』
『じゃあ遠慮なくー。』

ファイは箱を縛る紐を解き始めた。その間も、知世の話は続く。

『銀龍草という腐生植物があります。』
『腐生植物?』
『腐敗したものに根を下ろし、生長する植物の総称です。銀龍という名は、その草にちなんで付けられたものとも。』

蓋が開いた。それは、柄に龍の装飾が施された一振りの刀。

『その刀は腐肉を好みます。心の弱いものが握れば、銀に龍に導かれるまま、人を斬り続ける鬼と化すでしょう。その刀のために、国が乱れ、あるいは滅びた例も。もとは大陸で生まれた刀ですが、巡り巡って、前城主である父の手に渡りました。父の死後は私が護っています。』
『それは、貴方が呪の力を操るからですかー?』
『はい。この刀が城に来たその日に、危険だと判断した父が封印を施しました。けれどその封印を・・・』
『彼が解いた。』
『そういうことです。』

忍は何も知らない。この刀がどういうものか。自分が剥がした紙が何だったのか。それゆえに、これから何が起ころうとしているのか。

『長年封じられてきた龍の飢えは激しく、このまま封印しなおすのは危険。ですから、一度彼に握らせてみようと思うのです。心強きものが握れば、龍は静まり、己の持つ魔性ゆえに、破魔の刀ともなりましょう。』
『もし彼が、心弱きものなら?』
『自らの肉で、龍の飢えを鎮めてもらうことになりますわね。』

笑顔で言い切った知世だが、早い話、そのときは殺すという事だ。不用意に札を剥がした黒鋼に非があるとは言え、あまりにも容赦が無い。
それに、

『隠し事がお上手ですねー。』
『・・・・・・言うべきこととそうでないことを、区別しているだけですわ。』
『姫っ!』
『良いのです、蘇摩。』

言葉だけで制すると、知世はファイの目を見つめた。瞳の青が、先ほどまでより濃い。

『貴方の“力”・・・先見かと思いましたが、読心の方でしょうか・・・?』
『さあ、どうなんでしょうねー。どっちかって言うと後者ですけど、占いは良く当たりますよ。オレは、勘が良い程度にしか思ってませんけどー。』

『・・・・・・一つ聞きたい事が。』
『何でしょう?』
『忍を使い、この刀を求めているものは誰ですか?』
『・・・・・・・・・・・・』

さすがの知世姫も、そこまでは掴んでいないらしい。
しかし、ファイは知っている。それは、黒鋼から“聞いた”ことであり、和泉屋本人から“聞いた”事だ。
勿論二人とも、言葉に出して語ったわけではないが。

『・・・・・・それをオレが言ってしまうと、その人はどうなるんでしょう?』
『私は、忍よりその者に罪があると考えます。罰は取り調べてみないと分かりませんが、今回は物が物ですので、死刑か追放か、とにかく重いものになるでしょうね。』

決して、和泉屋の心配をするわけではない。ただ一つだけ、気がかりな事がある。

『知世姫、』
『はい。』
『その件に関して、一つお願いが。・・・オレにも、護りたいものがあります。』






(ずるいね、お姫様。)
大和屋の頭を膝に乗せ、自分は壁に背を預け、ファイは夢でも見るかのように、今朝の会話を思い出す。

銀の龍の飢えは激しい。きっとどんなに強い心の持ち主でも、今のあれを扱う事は出来まい。姫自身が、刀に触れないのがその証拠。
(そうでしょー?)
心の中でそう呟いて視線をやると、部屋の隅に置かれた木箱が淡く光った。
黒鋼に渡すために預かった刀。その力は、月によって抑えられているのだという。だから必ず、新月までに黒鋼に渡すようにと。
ファイの膝を枕にして眠る大和屋は、この禍々しい光を目にする事は無い。

二人の別れは血に染まる。いつか、賽の目が示したとおりに。


「姐さん、」
不意に襖の向こうから声を掛けられて、ファイはふと我に返った。
「神威ちゃんー?何ー?」
返事を返すと、すっと襖が開く。
「あの、あ、す、すいませんっ・・・!」
慌てて神威が顔を背けたのは、客が居る事に気付かなかったからではなく、自分の肌蹴た着物のせいだと、ファイは朱に染まる頬を見て理解する。さっき抱かれた後、ろくに整えていない。誰が見ても、情事の後だということは一目瞭然だ。

ああ、しまった、と思いながら、そっと大和屋の頭を床に下ろし、立ち上がりながら着物を直す。神威の前に膝を付く頃には、何とか見れる状態になってはいたが、まだ神威の顔は赤かった。

「何ー?」
「あの、お客様が・・・」
「客?」

今日は、客の多い日だ。そう思いながら、断ってくれるよう神威に頼む。すでに明日の朝まで、大和屋に買われた後だ。
しかし、
「でも、姐さん。あの・・・」
神威の口から出た名に、ファイはすぐに部屋を出た。



格子部屋。通りに面した部屋で、格子張りになっており、中に居る遊女を客が外から見るための部屋だ。昼見世と呼ばれるこの昼の営業時間帯は、格子部屋の前に居る殆どがひやかし目的だが。
格の高い遊女は、あまりこういう場には姿を見せることが無い。それゆえ、金の髪の花魁の姿に、格子の外の客はざわめいた。そんな客には構わず、ファイはただ一人へと歩み寄る。初めて見る、袴姿の黒鋼に。

「仕事中か。」
ファイの赤い着物を見て問うのは、少し乱れが残っているからだろうか。
「大和屋さんが来てるんだー。今夜は朝まで。」
そう答えたが、黒鋼は客の事には興味が無いらしく、無言で懐を探る。取り出したのは、細長く折り畳まれた袱紗。格子の間から受け取ると、中に堅い感触があった。

「簪・・・・・・?」
「それで一つは返したからな。」

どうしてわざわざ格子越しに。
分かっている。『窓越しの恋は悲劇に終る』と、昨夜そう言ったのは自分だ。

「格子越しのほうが悲恋くさいよー。」
「うるせえ。・・・・・・・・・・・・お前、」
「んー?」
「・・・赤、似合わねえな。」
「・・・・・・・・・・・・」

要するに着ている着物が似合わないのだと、ファイが理解する前に、黒鋼の姿は人ごみに紛れてしまった。




「どこへ行っていた?」

部屋に戻ると、大和屋が起きていた。ちょっと、と誤魔化して、尋ねてみる。

「オレって、赤似合いませんか?」
「着物の話か?似合わぬというか・・・・・・お前は色が薄いから、消えてしまいそうに見えることがあるな。」
「そうですか・・・・・・。」
「誰がそんな事を?」
「いえ、自分で思っただけです。」

そう答えて、大和屋の隣に腰を下ろすと、すぐに肩を抱かれた。

「ファイ、そろそろ身請けの話を。」
「・・・・・・そうですね。」

大和屋は、以前から身請けを申し出てくれているものの一人。本気だという事も知っている。けれど、神威が一人立ちするまでと、先延ばしにしていたのはファイの方。神威が花魁として独立した今、もう断る理由も無いのだが。

「もう少し、待って頂けますか?」

理由が出来てしまった。

(だって貴方は・・・)

「構わぬよ。心の準備が出来れば、いつでも言うといい。」

そう言って、唇を寄せる首筋には、やはり跡は一つだけ。
花魁の肌に跡を残してはいけないと、知っているからこそ、この人は跡を残さない。
知っているからこそ、跡を残した彼とは違う。

(貴方はオレを、花魁としてしか、見てくれないんでしょう?)




大和屋の向こうに障子を見ると、小さな影が躍っていた。きっと、いつもの白い花弁だろう。

『この花も、そろそろ終わりですわね。』

別れ際、知世が呟いた一言が、ふと耳に蘇った。








           <BACK>                 <散華−伍−へ>