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『30:身の程知らずの恋』
その夜黒鋼は夢を見た。森の中を歩いていた。何処へ行こうとしているのかは分からない。
不意に、少し開けた場所に出た。そこで、少女が一人泣いていた。あの時計の姫君だった。
『・・・どうしたんだ・・・』
訊かなければいけない気がした。
『昔々・・・』
少女は泣きながら話し出した。
『昔々、一羽の蝶がいたのです。蝶はある日森で一人の王子に出会い、一目で恋に落ちました。蝶は毎晩王子の姿を見るために城まで飛んで行きました。しかし、小さな蝶の姿は、王子が窓から見下ろしても王子の瞳に映ることはありませんでした。ある晩、見かねた月が蝶に力を貸しました。蝶は月の魔力によって、12時の間だけ人間の姿になったのです。王子は蝶に気付きました。王子もまた一目で恋に落ちました。しかし王子は人なのです。蝶は所詮蝶なのです。身の程知らずのこの恋に成就など訪れるはずもなく、蝶はある晩を境に王子の前から姿を消したのです。』
『・・・それは・・・・・・』
『本当は魔法使いなど居ないのです。だから二人はどうすることも出来なかったのです。いつか王子は人と結ばれ、蝶は森で死んだのです。』
『それが、本当の物語か・・・』
問うと、少女は悲しげに、一つ小さく頷いた。
『31:絶対』
愛しき人よ 壊れた時計に
誰の運命重ねて泣いた?
絶対的な二人の距離に
俺とお前の今を見た
『それでも、何か出来たはずだ。どうして王子は降りていかなかった。どうして蝶はその窓まで飛んで行こうとはしなかったんだ。』
『王子は彼女が蝶だと知っていたのです。蝶はその恋を叶えてはいけないと知っていたのです。二人は何も出来なかったのです。』
『それでもっ・・何でもいい、何か出来たはずだ!』
降りて行って手をとって抱きしめて名を教えあって愛を囁いてまた明日そこで会う約束をして
『しかし全ては手遅れなのです。もうどうしようもないのです。』
『それまでに何とかすればよかっただろ!』
『けれど二人には絶対に越えられない境があったのです。』
『この世に絶対なんてあるか!』
『二人は何も出来なかったのです。そして別れが訪れたのです。』
『うるせえ、黙れ!』
背筋を戦慄にも似た振るえが駆け上がる。
これは誰の話だ。
『全てはもう手遅れなのです。貴方もまた、何も出来ないのです。』
『違う、まだ終わってねえ!』
『もう手遅れなのです。この世に絶対など存在しないというなら、終わっていないという事さえ、絶対ではないのです。』
『うるせえ!俺は・・・』
確かに蝶の言う通りだ。絶対などないなら、絶対に連れて帰れるという保証すら何処にもなくて。
でもそれでも、自分はこれ以外の言葉を持たない。
『終わらせねえ!!』
叫ぶと同時に。
ごう、と唸りを立てて、風が吹いた。少女の姿が突如、無数の蝶に変わる。
『おい待て。まだ話は・・!』
視界が蝶に埋め尽くされる。
息苦しささえ感じて目の前の蝶を払いのけようと手を伸ばすと
「っ・・・・・・!!」
掴んだのは夜の空気だった。
『32:月下の君』
(まだ、どうしようもないなんて事は・・・ないはずだ・・・)
少なくとも、自分が諦めるまでは。
こんな形で終わらせたくない。たとえ、ファイが何を望んでいようとも。
黒鋼は外に出た。ファイを捜して連れて帰ろうと。
しかし、ふと思う。今、記憶のないこの状態でファイを連れて帰ったとして、現実世界でのファイの記憶はどうなるのだろう。いやそれ以前に、連れて帰るとは言っても、起きると決めるのはファイ自身。今の状態のファイを起こすのは不可能だ。
『もうどうしようもないのです』
嫌な言葉だ。まるで呪詛のような。
「何とかしてやる・・・」
まずは記憶を呼び戻す。何かきっかけさえあればきっと。
何を話せばいいのだろう。知る限りのファイの過去を?それとも共に過ごした時間を?それはファイにとって、この時間以上に大きなものとなりえるのだろうか。
庭を歩いて王の部屋の下まで来た。見上げると、珍しく月が出ていた。そういえば、この世界に来てから初めて見るのではないだろうか。常に雪雲に覆われた空。あまり好きになれない世界だ。
少し目線を下げると、王の部屋のテラスにファイの姿があった。彼もまた、一人で月を見上げている。金の髪には、太陽よりも月明かりの方が似合うかもしれない。王も、この光景をどこかから見ているのだろうか。
「おい、」
声をかけると、ファイがこちらに気付いて手を振った。
『あ、黒りん、何やってるのー?』
見上げるものと見下ろすもの。その構図が、時計の二人にかぶる気がして吐き気を感じた。
「降りて来い。話がある。」
王は眠っているのだろうか。ファイは驚くほどあっさりと、上着を羽織って庭に降りてきた。
『33:欲望』
黒鋼はもう一度、ここが夢の中なのだという事をファイに話した。しかし、ファイはいまいち理解できないという顔をしている。
『そんな事言われてもー。それにオレ、君の事知らないしー。』
「俺は現実世界でお前と一緒に世界を渡るたびをしてる。俺だけじゃねえ、小僧と姫と白饅頭と・・」
『あはは、それ名前じゃないよねー?白饅頭って何ー?』
「モコナだ。次元の魔女にイレズミを代価に貰っただろ。」
『イレズミってオレの背中のこれー?でも今ちゃんとここにあるし、それに、凄く大事なものなんだ。人に渡すはずないよー。』
「渡したんだ、お前は誰かから逃げるために!」
『誰かってー?』
「そこまで知るか!あのアシュラとか言う王じゃねえのか!?」
『アシュラ王ー?それは・・・ありえないよー。いくらなんでもあの人から逃げるなんてー。』
埒が明かない。
「・・・どうすれば信じるんだ・・・。」
『そう言われてもー。ここは過去なんでしょー?じゃあ、もうしばらくたったら、きっとまた会えるよ。』
「それはっ・・・!」
それだけは駄目だ。きっと再び出逢えるまでに、ファイにとって何か辛いことが起こるはず。ありえないといっている王からの逃亡、イレズミの譲渡。それほどの何かが。
それをまた経験するというのか。それだけは・・・
しかし黒鋼の気持ちとは裏腹に、ファイの時間は止まらない。
『ねえ・・・』
ふと、ファイが黒鋼を覗き込む。その瞳に浮かぶのは、今までの困惑した色ではなく、つい最近どこかで見たような
(嘘だろ・・・)
絶望に押しつぶされそうになりながら思い違いであることを祈る。しかしファイの唇は、残酷にも再びあの言葉を紡いだ。
『君・・・誰・・・・・・?』
「・・・・・・・・・・・」
忘れてしまったのか。今まで話していた目の前の相手を。そして今までの話も。
モウ ドウニモ ナラナイノデス
蝶の言葉がよみがえる。本当にどうしていいか分からなくなって、黒鋼は半ば無意識にファイに手を伸ばした。
『え、んっ・・・・・・!』
強引に抱き寄せて口付ける。ファイの抵抗も力でねじ伏せて、舌で歯列をこじ開けて逃げる舌を絡めとる。
『や・・・んぅ・・・・・・』
何度も交わした欲望に任せただけの激しいキスに、しかしファイは何かを思い出す様子もなく、がくんと膝が折れても黒鋼を拒む手は下ろさない。
『や、だっ・・・何・・・・・・』
「覚えてるだろ!何度こうして俺に抱かれたと思ってるんだ!忘れたとは言わせねえぞ!!」
『知らな・・・君なんか知らない!オレはアシュラ王しかっ・・・・・・』
「っ・・・・・・」
モウ ドウニモ ナラナイノデス
その通りかもしれない。これだけ拒絶されて、他の男の名を呼ばれて、これ以上何をすればいい。
黒鋼はファイを拘束した腕を解いた。
『・・・・・・?』
状況が分からないまま何かを口走ろうとしたファイは、黒鋼の目を見てはっと息を詰める。
炎のような紅い瞳に、深い絶望と哀しみの色。
『あ・・・・・・』
思わず口を噤んだファイに、黒鋼は無言で背を向けた。
『34:漆黒の闇』
『ある晩を境に蝶は王子の前から姿を消したのです。』
ああ、また夢を見ている。今度は森の中ではなく、漆黒の闇に包まれた空間。蝶の姿も、自分の姿さえ見えない。もしかしたら、この闇自体が無数の蝶かもしれないと思ったが、確かめるために手を伸ばす気力もなかった。
代わりに口を開く。
『その夜ってのは・・・どんな夜だったんだ・・・。』
見えない蝶に問いかける。蝶は急に黙り込んで、そしてしばらくして一言だけ。
『『君を愛している。』』
『・・・王子がそう言ったのか。』
どこかで頷く気配がした。王子はそれが蝶だと知りながら、それでも想いを伝えたのだ。
『じゃあ、何でお前は消えたんだ。』
『もうそれだけで良かった。』
何のことはない。蝶の想いは成就した。少なくとも蝶は、満足していた。
『それだけで良かった・・・・・・』
そう繰り返す蝶は、『愛している』、そんな一言に、何を見出したのだ。
暗闇に耳を澄ますと、水滴が滴るような音がした。きっと蝶の涙だと思った。
『じゃあ、何でお前はまだ泣いてるんだ。』
『・・・・・泣いているのは彼なのです。』
『王子か?』
『確かめ合った愛は二人を繋ぐ切れる事のない絆になるのです。』
『お前は、何も返さなかったのか・・・?』
『彼には戻るべき場所に自分を繋ぐものがないのです。』
『・・・・・・』
この蝶はどうして、いつの間にか話をすりかえるのだ。もう少し分かりやすく話せばいいものを。
けれどそう、黒鋼とファイは、一時期の安らぎや快感を求めるような触れ方しかしてこなかったから。そこに絆など、生まれていなかったのかもしれない。
創れ、ということなのだろうか。戻るべき場所を教えるだけではなく、そこに繋ぎとめてやらなければならないのだろうか。ファイもそれを、望んでいるのだろうか。
『あいつは・・・俺を待ってるか?』
『切れない絆がほしいのです。』
『じゃあ、待ってるんだな。』
彼がそう望むなら、繋ぎとめに行こうではないか。もう、こんな暗闇の中で、一人で泣かせたりはしない。
確かめ合った愛が二人を繋ぐ絆になる。
これが本当に、最後の手段だ。
『35:遠い日の記憶』
黒鋼が消えた後もファイは呆然とそこに立ち尽くしていた。彼が最後に見せたあの瞳が頭から離れない。
(どうして・・あんな顔・・・・・・)
泣きたいのはこっちの方だ。あんな事、王に知られたら。
『ファイ、何処に居る?』
『っ!こ、ここに!』
頭上から降ってきた声に、ファイははっと我に返った。
『そんなところで何をしている?風邪を引くぞ。』
『あ、あの・・・月が、綺麗だったので・・・』
『月・・・?ああ、確かに、見事な月だ。』
とっさに思いついた言い訳に王が空を見上げている間に、ファイはふわりと体を宙に浮かせてテラスに戻った。床に足が着くと同時に冷えた体を抱き寄せられる。
『ああ、こんなに冷えて。寒いだろう?』
『いえ・・・平気です。』
不思議なほどに寒さは感じない。夢の中にでも居るかのようだ。
(本当に夢ならいいのに・・・)
そうすれば、あの男とのキスもなかったことに出来るのに。王と重ねる唇に罪悪感など抱かずにすむのに。
王のキスは優しい。深くはなっても、何処かあの男とは違う。あんな、貪る様なキスは
(あ、れ・・・・・・?)
『・・・ファイ・・・・・・?』
(オレ・・・あの人、知ってる・・・?)
何度も何度も、あんなキスを交わした気がする。全てを忘れるような激しいキスを。
そんなはずはない。会った事すらない男とそんな。
(違う、会ったんだっけ・・・?何処で・・・・・・?)
『っ・・・・・・』
『ファイ!?』
思い出そうとすると、頭に痛みが走った。
(会ってない・・・会ってない・・・・でも、何処か遠い・・・)
過去の記憶を探っても、彼の姿は見当たらない。それは遠い未来の記憶。いくら過去の日の中に求めても、その姿が見つかるはずがない。それなのに、
「く・・・ろ・・・・・・」
唇が、無意識に知らぬ名をつむいだ。
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