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『23:幸せ』
いっそ一人で先に目覚めてやろうかと思ったのだが、それでは二度とファイに会えない様な気がした。少し、時間が欲しかった。
気が付くと、日本国に居た。白鷺城の屋根の上。目立つということさえ覗けば、昼寝にはもってこいの場所だ。
(ここが・・・俺が戻りたい過去か・・・?)
日本国で特に幸せだったと言う記憶はない。いや、刀を握って戦っていればそれで幸せという考え方をすれば、ここでは敵に困ることはなかったから、満ち足りていたとは言えるが。しかしここに来てしまったのは、蝶を見ようというファイとの約束が、頭をよぎったからかもしれない。そもそも、幸せな時間が必ずしも戻りたい時間だとは限らないのではないか。
ファイは、あの時間がいつか壊れることを知っていて、それでもそこにいたいと望むのだろうか。あれが、彼にとっての幸せなのだろうか。
『黒鋼、またそんなところでサボって。』
「あ?」
懐かしい声に見下ろすと、若き君主の姿があった。
「知世、テメエっ・・・」
いきなり異世界に飛ばされた事への文句を言ってやろうかと思ったが、ここは夢の中だと思い直す。知世は過去の黒鋼と何か話したらしく、これまた懐かしい嫌な笑顔でぽんと手を打った。
『休憩時間なら、少し手伝っていただきましょうか。』
「あ?」
普通、手伝わない時間を休憩時間と呼ぶのではないのだろうか。
『24:籠の中の小鳥』
知世が黒鋼に命じたのは、商人が届けた荷物を部屋まで運ぶことだった。
(忍者の仕事じゃねえだろ・・・)
そう思いながら付いていくと、過去の自分も同じ事を言ったらしく
『あら、立ってる者は親でも使えと申しますでしょ?』
とくすくす笑われる。しかし黒鋼は寝ていたはずだが。
『鸚哥という鳥ですわ。』
不意に知世がそう口にする。一瞬何のことだと思ったが、どうやら荷物は何だと過去の自分が聞いたらしい。そういえば、かなり前に、知世が鳥を飼っていた記憶がある。
『羽が美しい鳥だそうです。人によく懐いて、人語も覚えると。』
そう、知世が面白がって『黒鋼』という言葉を覚えさせたから、朝から晩まで『黒鋼ー、黒鋼ー』と嫌な鳴き声を発していた。その鳥は、どうしたのだっただろうか。死んだ記憶はないが、旅に出る随分前にはもういなかった気がする。
(逃げた・・・んだったか・・・?)
しかし、室内で飼う鳥は普通、風切り羽を切って飛べないようにするものではないのだろうか。姫巫女が飼っていた鳥に、そんな処置が施されていなかったとは思えないのだが。
そんなことを考えているうちに、黒鋼は商人の待つ部屋に到着していた。知世は商人らしく口達者な女と長い挨拶を交わしてる。そして一段落着くと、女は大きな籠を取り出した。
『こちらがその鸚哥という鳥でございます。』
『まあ、本当に美しい羽ですわね。』
知世の言う通り、体の割りに大きな籠の中に入れられた小鳥の羽は空を映したような淡い青色で、おそらく美しいとしか表現しようのないものだったが。
黒鋼は、その籠の中の鳥の姿に、彼の姿が重なった気がした。
『25:祈り』
籠の中の鳥は大きすぎる籠の中をぐるりと飛んで、止まり木の上に乗ると小さな目で黒鋼を見上げた。何かを訴えかけられているような気がした。
籠の中の鳥は、籠の外に何を祈るのだろう。青空を飛ぶ場所だとも知らぬまま、しかし外敵もなく食にも困らないこの場所に、幸せを感じるのだろうか。
『オレはずっと待ってたからなあ・・・連れてってくれる誰かを・・・』
そんな言葉がふと耳によみがえる。
(自分で行けばいいだろ・・・。)
あのときのように胸の内でそう返した。
女が籠の中に手を入れてて鳥を掴む。
『では、風切り羽を切っておきますね。』
女は慣れた手つきで羽根を広げさせ、右手に鋏を取った。
鳥がか細い声でピイと鳴いた。
思わず叫んでいた。
「やめろ、切るなっ!!」
女の手が止まる。二人がこちらを見る。
(声が・・・?)
『意外に優しいんですのね、黒鋼。』
知世がにこりと微笑む。そんなはずはない、声が届くはずがないのに。
『知世姫様・・・』
『では羽はそのままで結構ですわ。確かに、籠の中に閉じ込めた上に飛ぶ手段さえ奪っては、この子が可哀想ですから。』
(・・・そうか・・・俺が・・・・・・)
このとき、過去の自分も羽根を切るのを止めたのだ。その時はただ何となく、鳥から飛ぶ自由を奪うのがひどく嫌で。鳥であることさえ奪ってしまう気がして。
籠の中の鳥は、籠の外に何を祈るのだろう。
きっと飛び立つことを知らなくても、飛び立てる力だけは。
彼だって、きっと自分の力で飛び立ったからこそ。
『では黒鋼、逃げたら貴方が捜しなさいね。』
「あ?」
『はじめて飛ぶ空は広すぎて、自分が何処まで飛べるのかも、何処へ行っていいのかも分からないでしょうから。ちゃんと自分の居場所を決めるまで、きっちり守ってやらないと。』
「・・・・・・。」
彼も居場所を決めかねていたのだろうか。はじめて飛んだ空の広さに何処へ行っていいか分からずに、帰れない事など分かっていながら戻りたいと願うまで。
捜しに行かないと。
行って、戻るべき場所を教えてやるのだ。
『26:初めて』
しかし、最後のチャンスはもう過ぎていたのだ。
ファイの夢は黒鋼の夢と時間の流れが違うのか、別れの夜はもうとうに明けていて、ファイはチィと二人で部屋にいた。
「おいっ!」
急に部屋に入るとファイは驚いた様子で黒鋼を見上げた。
構わずその手をとる。
「帰るぞっ!ここはもうお前の居場所じゃねえだろっ!」
『え?ちょ。ちょっと待って・・・』
力尽くで引っ張っていこうとする黒鋼に戸惑った声を上げるファイは、
『君、誰?』
本当に、ワケが分からないという顔でそう口にしたのだ。
「・・・な・・・に、言って・・・・・・」
『何ってー・・・初めて会うよねー?あ、新しく入った人ー?』
「違う俺だ!黒鋼だ、分かんねえのか!?」
『黒鋼ー・・・?じゃあ黒みゅーだー。』
「・・・・・・・・・・・・」
本気で言っているのか。黒鋼は言葉も忘れ、呆然とそこに立ち尽くした。
『27:ため息』
魔法具の店から帰ってきた小狼は、玄関の扉を閉めると暗い表情でため息を漏らした。
「小狼君、お帰りなさい。・・・どうだった・・・・・・?」
「・・・・・・2、3日で・・・起きるだろうって・・・。」
サクラのその質問が、まだ二人が目覚めないことを告げていた。本当に、帰ってくるのだろうか。
軽い落胆を覚えながら小狼は部屋に上がる。何も出来ないことはわかっていたが、足が二人の部屋に向いた。二人が眠る枕元では、モコナが二人を見守っていた。
「小狼・・・」
「大丈夫だ。2,3日って言ってたから、明日か明後日には・・・」
「本当にそれだけ?」
「姫・・・・・・」
小狼の台詞を遮って、サクラが小狼に詰め寄る。
「他にも何か言われなかった?小狼君、すごく辛そうな顔してる。」
「・・・・・・・・・」
どうして分かってしまうのだろう。本当に彼女には、昔からため息一つで全て見抜かれる。
小狼は眠る二人に視線を落とした。ファイの首筋にやはりくっきりとイレズミが。きっと、背中全体に浮かび上がっているだろう。黒鋼に、目に見える変化がないのがせめてもの救い。
しかしまだどうなるか分からないから、下手なことを言って、心配させたくないのだが、しかし一人で抱え込んでも、彼女が喜びはしないことは承知している。
「実は・・・」
『28:赦し』
離れてはいけなかった。置いて行ってはいけなかった。
あの時無理にでも連れて行けば、こんな事にはならなかったかもしれないのに。
『よろしくね、黒みゅー。オレはファイ・D・フローライト。ファイでいいよー。』
知ってる。そんなことは知ってる。
「思い出せよ、俺だ!何で分かんねえんだっ!!」
『何の事ー?前に何処かで会ったっけー?』
「ここは夢の中だ!お前の過去の夢なんだ!!」
『夢ー?そうなんだー。それで、そろそろ起きないと寝坊するのー?』
「ああ、今すぐ起きろ、でなきゃ・・・」
帰れなくなる。
やっと、あの女の言葉の意味が分かった。それなのに、
『んー、寝坊でいいからもうちょっとここに居るよー。本当に夢だったとしてもさ、すごく・・・いい夢なんだー。』
「・・・・・・・・・」
やはり離れてはいけなかったのだ。あの女は、同じ夢の中に居ろと言ったのに。
「・・・・・ファイッ・・・・・・」
何を言ってももう手遅れ。一度犯した罪に赦しが訪れることはない。
それはさながら、歯車が磨り減って二度と会えなくなったあの恋人達のように。
『29:本心』
「そんな・・・事に・・・・・・」
小狼から話を聞いて、サクラはやや呆然と、眠る二人に目を向ける。
「でも・・・黒鋼さんが一緒だからきっと・・・」
それでも、小狼の表情は晴れない。
「・・・他にも、何かあるの・・・?」
「いえ・・・そんな、たいした事じゃ・・・」
「小狼君!」
「・・・・・・・・あの・・・」
サクラに隠し事は通用しない。
それに・・・今は少し、聞いてほしい気分だった。
「・・・・・・ファイさんは・・・いつも優しくて温かくて・・・すごく、側にいてくれる感じがしたのに、ファイさんにとってはここは、そういう場所にはなれなかったのかなって・・・・・・」
ファイは殆ど本心を見せないから、笑顔の裏で、何を考えているのか分からない時はよくあるのだが。それでもここを、居てもいい場所くらいには思ってくれなかったのだろうか。
「・・・大丈夫、ファイさんだってきっと分かってる。」
そう言って、サクラは小狼の手をとる。優しく包み込んでくれるぬくもりに、少し不安が安らいだ。
「今はまだ無理でも、少しずつ、そういう場所になっていくんだと思うの。だから、大丈夫。」
「姫・・・」
「待ちましょう?信じて。」
「・・・・・・はい。」
ふたりは、まだ何も知らない。
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