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『16:たったひとつの』
「あの、すいません、昨日ここで・・・」
声をかけられて、女店主は小狼を見上げた。そしてにっと笑う。
「昨日の男の連れだね。箱は使ったのかい?」
「え、あ、はい。黒鋼さんとファイさんが・・・」
心を読まれたことに戸惑いながら、しかし相手は魔女なのだからと小狼は気を取り直す。昨日の黒鋼の話しから、やっとこの店を割り出したのだ。二人がまだ目覚めない。この女ならきっと何か。
「二人はいつ起きるんですか。」
「そりゃ、しばらくはねえ。戻りたい過去に戻ったわけだし、まあ、遅くても4,5日で目覚めるよ。」
「それだけじゃないんです。あの・・・なんていうか・・・・・・」
今朝、二人を起こそうとしたサクラが気が付いたのは、ファイの首筋に浮かぶ奇妙な模様。サクラには何か分からなかったが、小狼には見覚えがあった。
「イレズミが戻った・・・」
「!そ、そうなんです!」
あのイレズミは次元の魔女に差し出したもの。モコナで尋ねてみたところ、それは確かに彼女の元にあった。
「過去に捕らわれたね・・・」
「・・・どういう意味ですか。」
小狼に問い詰められ、女は傍らにあった煙管に火を入れる。
「あの箱が持つ、たった一つの危険性の話さ。解決法もたった一つ。誰かを連れて行くことだけ。二人でいったんだろ?」
「はい。」
「じゃあ、もう一人に任せときな。」
そう言って、魔女は長く煙を吐いた。しかし、そんな曖昧な説明では引き下がれない。
「危険性って?」
「・・・・・・残念ながら、それを知っても外からは何も出来ないよ。本人達が自分の意思で戻ってくるしか、目覚める方法はない。」
「それでもっ・・・」
「・・・・・・」
心の中を読む女は、小狼の考えまで見抜いて言葉を返してくる。そして、この話が何の気休めにもならない事も知っている。それでも、必死の眼差しに何か感じるものでもあったのだろうか。溜息をついて煙管を置いた。
『17:いつか来る未来』
「戻りたい過去ってのは、大体がその人にとって今より幸せだった時間だ。今に満足している人間は、過去に戻りたいなんて思わない。まあ、『親の敵の顔が知りたい』とか言うなら話は別だけど、あの二人はそんな感じでもなかったからね。そんな奴らにとって、夢の中はひどく居心地がいい空間だ。だからそれが夢であることを忘れてしまって、いつしか夢に捕らわれる。」
「・・・どうなるんですか。」
「もし抜け出せなければ、今の記憶を失って、その時間の中を生きることになる。でも過去は変わらない。奴らにはいつか来る未来が待っている。」
「いつか来る未来・・・・・・」
きっとそれは、幸せな時間の終わり。きっと、ファイが世界を渡るきっかけになった出来事。
「その後は?」
「その後も、そのままさ。夢の中の過去は変えられない。いつか来る未来が来た後は、それまでより幸せじゃない時間に満足しないまま生きて続けて、そしていつかまた箱に出逢う。奴らはまた箱を開けて、また過去に捕らわれる。ま、外から見る分には、永遠に眠り続けるだけだけどね。」
幸せな時間とそれが壊れる瞬間の無限ループ。
だから言ったのだ。誰か一人は連れて行け。一人でそんな夢を見たら帰って来れなくなる。
「どうしてそんな危険なもの!」
「危険?心外だね。たとえ夢でもあんたの連れには、戻りたい過去があったんだろ?」
「・・・・・・・・・。」
「いつまでもここに居たい。そう望むのは自分自身さ。箱は単なるきっかけに過ぎない。」
女の言葉に、旅の途中で何度も見た、ファイの笑顔が頭に浮かんだ。温かい瞳は、自分達を包んでいるフリをして、何処か遠くを見ている気がした。
「・・・起こす・・・方法は・・・・・・」
「何度も言ったはずだよ?一緒に行った奴が引っ張って帰ってくること。それ以外にはない。」
何も出来ない。自分の不甲斐なさに小狼は拳を握り締める。女は小さく溜息をつくと、再び煙管に口をつけ、でもね、と付け足した。
「魔法具を渡す相手はちゃんと選んでる。ファイってのは話してないからともかく、私が箱を渡した真っ黒い方の男は、過去に捕らわれるような奴じゃないと思ったよ。それに、あの二人には強い繋がりみたいなものも感じた。だからきっと、連れて帰ってくるだろうさ。」
信じて待ちな。
そういって、女はまた、ゆっくりと煙を吐き出した。
『18:置き去りにした過去』
『帰るって・・・何処へ・・・?』
『現実に決まってるだろ!ここは夢の中だぞ!?』
『・・・あ、そっかー、そうだよねー。何言ってるんだろ、オレー。』
(・・・・・・記憶が薄れてる、なんてことはねえよな?)
朝はあれだけで済んだが。
不安が大きくなる。黒鋼はまた部屋を出た。
今回はあっさりとファイを見つけることが出来た。庭で、王と話をしている。後ろにはチィの姿も。
(話・・・・・・?)
そんな馬鹿な。出来るはずがない。
ファイに気付かれないよう、ぎりぎりまで近づいて耳を澄ます。間違いなく、二人の会話は繋がっていた。
(どういうことだ・・・)
考えられるのは、ファイが王の台詞に合わせて過去と同じ言葉を喋っているということ。
(本当に・・・・?)
出来るのだろうか、そんなことが。
怖かった。
ファイが過去に溶け込んでいく。今が過去になっていく。自分をそこに置き去りにして、ファイはそのことさえ忘れていく。
(違う。そんなワケねえ。ここは夢の中だ。)
そう自分に言い聞かせて、黒鋼は再び息を潜めた。
大丈夫、今夜には二人で現実に戻るのだ。そうすれば全て、元に戻るに違いないのだから。
『19:刹那の美しさ』
『王様、明日が誕生日?』
黒鋼の気持ちなど露ほども知るはずもなく、チィはそんな呑気な言葉を発している。
誕生日。ファイはその日を待っていたのだろうか。その日、何かが起こるのだろうか。
『この年になれば、誕生日など嬉しくも何ともないがな。聖誕祭も、堅苦しいだけだ。』
「駄目ですよ、そんなこと言っちゃー。皆、貴方を祝ってくれるんですからー。」
『それは有難いんだがな。』
王と臣の割には打ち解けた会話をする。王は、誰に対してもそうだったのだろうか。
「じゃあ、オレからも何かお祝いを。欲しい物とかありますかー?」
『欲しい物か・・・そうだな・・・・・・』
一国の王は何を望むのだろう。金も権力も持ち合わせ、手に入らぬものなどないだろうに。
すると王は、意外な言葉を口にした。
『陽の光が見たい。』
その言葉に黒鋼も上を見上げる。曇り空に雪がちらつく重い空。ここに来てからこんな天気ばかりだ。
「そんなのでいいんですかー?」
『ああ。今ここで。出来るか?』
「はい。そこで見てて下さいねー。」
そう言うと、ファイは王とチィから少し離れて魔法具を構えた。そういえばあの魔法具もいつの間に。現実世界では、次元の魔女に差し出したはずなのに。
杖の先の宝石が光る。ファイの周りに風が巻き起こり、それが空へと吹き上げた。そして、頭上に重く垂れ込めた雪雲を貫く。雲に開いた穴から地上に光が差し込んで、その真下にいたファイの上に降り注いだ。
(・・・・・・・・・)
金の髪が陽に照らされてきらきらと輝く。それは光がまた雲で遮られるまでの、ほんの刹那の美しさ。
王が、陽の光を望んだ理由がやっと分かった。
『20:想い』
「お気に召しましたー?」
『ああ。』
駆け戻ってくるファイを王は満足げな笑みで迎える。それを見てファイも嬉しそうに笑う。そんな笑顔、旅に出てからは一度も、見せたことがなかったくせに。
『美しかった。』
何がだ。陽の光を所望しておきながら、ずっとファイしか見ていなかったくせに。
気付いてしまった。王もファイも、口にしないだけで想いは同じ。でも、どちらかがそれを口にすれば、
『ファイ、』
今再び、王に想いを伝えられたら、ファイはどうするのだろうか。
『話がある・・・・・。今夜、私の部屋へ。』
「・・・・・・・・・はい・・・」
ファイは何を待っていた?今日何が起こる?今日何を言われる?
大丈夫だ。今夜連れて帰るのだから。ファイが、その言葉を聞く事はないのだから。
余計な心配をするのはやめて、もう部屋に戻ろう。そう思い、黒鋼はその場を後にした。
愛しき君よ 眠りの中で
誰に抱かれる夢を見る?
呟かれる名に耳を塞いで
俺はお前を腕に抱く
『21:苦痛』
「お願い、もう一晩だけ・・・」
「・・・・・・・・・・・。」
そう言い出すのではないかという予感はあった。初めて訪れた泉の部屋で、黒鋼はファイを睨みつける。
「駄目だ。今すぐ帰る。」
「・・・・・・お願い・・・」
懇願されても、駄目なものは駄目だ。
自分がファイの中から消えていく。それを間近で見せられる事がどれほどの苦痛か。
昼間の笑顔で思い知らされた。彼の元を去った今も、ファイにとって彼がどれほど大きな存在か。
「残ってどうするんだ。今夜あいつの元へ行って、二度目の愛を囁かれて、一晩あいつのものになればそれで満足するのか!?夢の中で過去の腕に抱かれて何が満たされるんだ!!」
何も満たされるはずがない。それなのに、どうしてこんなにも、奪われるものは多いのだろう。側にいるのに、手が届かなくなっていく。
胸が痛い。もう、限界だ。
「俺がいる・・・それじゃ、駄目なのか・・・・・・」
それは懇願にも似た最後の説得。しかし、ファイの答えは変わらない。
「・・・・・・お願い・・・」
「・・・・・・・・・・勝手にしやがれ・・・」
黒鋼はそう残してファイに背を向けた。
求められてもいないのにそれでも側にいるなんて、滑稽で惨めで救いようがなさすぎる。
もう勝手にすればいい。自分が居なくても、この世界でファイが独りになることはないのだから。
「じゃあな・・・」
一度もファイを振り返らぬまま、黒鋼はそこから姿を消した。
『22:抱擁』
『ファイ、そんなところで何をしている?』
背後から声をかけられて、ファイははっと振り返る。
「アシュラ王・・・」
『ここは寒いだろう。何かあるのか?』
「いえ・・・・・・」
現実に帰ろうとしていた。結局、黒鋼だけが消えてしまったが。けれどまだ帰ったわけではないらしい。夢の中に気配がある。おそらく、自分の夢に行ったのだろう。
どうすればいいのだろう。追いかけたほうがいいのだろうか。でも・・・
「あれ・・・・・・?」
『どうした?』
「・・・オレ・・・今ここで、誰かと話してた気が・・・・・・」
『・・・誰も、居なかったが・・?』
そう、誰も居なかった。ここには誰も居なかった。
けれど、何か大切なものを、失った気がするのは・・・
『ファイ、部屋に戻ろう。』
「あ・・・」
そう、アシュラ王と約束があったのだ。それなのにどうして。こんなところへ来たのだろう。
『ファイ?』
『はい、今行きます。』
ファイは一度だけ泉を振り返って、王の後を追いかけた。
愛しき人よ 眠りの中で
貴方は誰を腕に抱く?
オレは今でも変わらぬ夢に
あの日のままの君を見る
その日、想いは通じたのに、やっと手に入れた抱擁に、なぜかひどく胸が痛んだ。
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