『5:雪の降る夜』

夜になって雪が降り出した。黒鋼は窓の外を覗く。一面に広がる雪野原。北の国だと言っていたか。少しも寒さを感じないのはやはり夢の中だから。あの後、30分ほどでファイは戻ってきたが、自分の部屋だというこの部屋に黒鋼を通して、またどこかへ行ってしまった。少し目が赤かった気がしたから、声をかけることも憚られた。
それからどれくらい経つだろう。いつの間にか日が暮れた。
「暇だな・・・」
知らない国の雪の夜。何もすることがない。酒の相手でも居れば話は別だが、あいにく黒鋼の姿は誰にも見えない。
暇をもてあました黒鋼は、ずっと壁にかかっている奇妙な機械を見ていた。長い針と短い針が付いた丸い箱のようなものに、一定のリズムで揺れる振り子が付いている。何か書いてあるが、この国の言葉なのだろうか、読むことが出来ない。しかし、時を刻むものではないかと思う。今まで旅した国で、何度か似たようなものを見たことがある。これ程、シャレた物ではなかったが。
文字盤の一番下、確か6時にあたる位置に、文字がなく美しい蝶の絵。機械自体が随分古く、その絵も少し薄くなっているが。
(一羽だけってのも微妙だと思うがな・・・)
広いも文字盤の中、一羽だけで舞う蝶は、何処か寂しげに見えて。そんな事を考えたとき、扉が開いてファイが戻ってきた。


『6:永遠』

「ゴメンね、一人にしてー。あちこち見て回ったら懐かしくてー。何見てるのー?」
黒鋼の視線の先を追って、ファイの視線は壁の時計にたどり着く。
「あ、懐かしいなー、この時計。仕掛け時計になっててさ、中にオルゴールが入ってて、12時になると音楽がなるんだー。」
「12時・・・」
「短い針と長い針が上を向いて重なる時間ー。ほら、もうすぐだよ。」
振り子が時を刻む中、12時までの残りの数分、二人は並んでベッドに座り、静かにそのときを待つ。
カチッと2本の針が重なる音がして、オルゴール特有の、どこか儚い音色が流れ出す。どこか寂しい曲だった。
その曲が流れる中、
「ん・・・?」
蝶の絵がくるりと回り、上を見上げる少女の人形が現れた。同時に針の指す先、おそらく12と書いてある部分もくるりと回り、少女を見下ろす少年の人形が現れた。二人はしばらく見詰め合って、時計の針がずれるとまた、蝶の絵と数字の下に隠れてしまった。
「・・・何だ今のは。」
「かわいいでしょー。」
「そんなことは言ってねえ。」
「・・・この時計には物語があるんだ。」
黒むー冷たいーなどと一通り騒いだ後、ファイはそんな話をし始めた。
「この二人は、永遠に結ばれない恋人達なんだ。」


『7:魔法』

昔々、美しいお姫様がおりました。お姫様はある日、悪い魔法使いに魔法をかけられて蝶にされてしまいました。蝶になったお姫様は悲しくて悲しくて、毎日泣きながら森の中を飛んでいました。ある日、お姫様は森の中で王子様に出会いました。お姫様は一目で恋に落ちました。
お姫様は王子様の姿を見るために王子様の城へ行きました。月の力で魔力が弱まる夜の12時だけ、お姫様は人間の姿に戻ることが出来るのです。お姫様は毎晩毎晩、王子様の部屋を見上げました。
ある晩、王子様は月を見ようと窓を開けて、お姫様の姿に気付きました。王子様もまた、一目でお姫様を好きになりました。

「俺はそういう話は無理だ。」
「あははー、苦手そうだよねー。」
「どうせ最後は魔法使いを倒してめでたしめでたしなんだろ?」
「ううんー?オレが聞いたのはここまで。時計の二人は毎晩12時、永遠に互いを見詰め合うのですー。」
「何だそりゃ。」
結末のない物語に、黒鋼は呆れた声を上げる。
「それじゃ、魔法使いは何処に居るんだ。」
「んー・・・時計の中には居ないよー?」
ここに居るのは、叶わぬ恋に胸を焦がす恋人たちだけ。魔法使いを住まわせると美しさが半減するとでも思ったのだろうか、この時計を作った職人は、倒すべき相手を作らなかったようだ。


『8:イレズミ』

「それで、いつまでここに居るんだ?」
時計の話はその辺にして、黒鋼は話題を変えた。
現実と夢の中では時間の流れ方が違う。しばらく夢の中にいても大丈夫だ、とあの女は言っていたが、こんな風に一人で何日も待たされてはたまったものではない。まあ幸い、夢の中では腹は減らないが。
「あ、うん・・・もうちょっと・・・駄目かなあ・・・」
「もうちょっとってのは。」
具体的な答えを求められてファイは言葉を詰まらせる。
「んー、と・・・もう、ちょっと・・・」
「・・・・・・。」
黒鋼は大きく溜息をつくと、ファイの腰に手を回して細い腰を引き寄せた。そして強引に唇を重ね、舌を絡める。
「あ、ちょ・・・ん・・・・・・」
ベッドに倒れこんで更に深く求めると、静かな部屋に大きく響く水音。
「ん・・・・・・こ、ここでするの・・・?」
一度開放してやると、既に頬を紅潮させ、目を潤ませているくせに戸惑った声。夢の中でも感じ方は変わらないらしい。喜ばしいことだ。
「付き合ってやるんだから、それなりの見返りがねえとな。」
「次元の魔女さんみたいなこと言わないでよー。」
「あいつほど悪徳じゃねえだろ。」
次元の魔女が聞いていたらその場で殺されそうな台詞を遠慮なく吐いて、黒鋼はファイの服に手をかける。少し手荒に上着を剥いで、そして暗闇の中に浮かび上がる見慣れた白い肌に、黒鋼は思わず動きを止めた。
「・・・・・・?黒むー?」
「お前・・・ちょっと後ろ向け。」
「え、何でー・・・?」
「いいから!」
黒鋼に転がされるようにしてファイが背を上に向けると
「これは・・・・・・」
そこには、次元の魔女に差し出したはずのイレズミが、くっきりと浮かび上がっていた。背中一面に描かれた大きな鳥。魔女の手に渡る瞬間は見ていたが、こうしてファイの背に直接見るのは初めてだ。
「過去に戻ったから、イレズミも戻って来たのかなー?」
「そんなもんなのか・・・?」
「だってここ夢の中だしー。」
所詮は夢。言われてみれば確かにその通り。魔術に関しては専門なはずのファイがそう言うのだから、おそらく間違いないのだろう。それでもやはり気にはなったが、再開した行為に没頭するうちに、そんなことは頭の中から消えてしまった。


『9:理由』

「・・・きっと、魔法使いが行方不明で、魔法を解く方法がないんだよー・・・」
「あ?」
「蝶になったお姫様の話ー・・・。どうしてただ見つめあうだけなのかなーって・・・」
またそれか。
「どうでもいいだろ。そんな理由は。」
そう言って剥き出しになったファイの肩を、毛布で包んで抱き寄せる。
きっとファイが知らないだけで、時計の二人にはちゃんとした結末があるのだから。
「うん・・・でも、何か気になってー・・・」
黒鋼の肩越しに見る蝶は、今はまた一人でひらひらと。次に王子に会えるのは、今から22時間後。
好きなら、王子はどうして降りてきて抱き締めようとはしないのか。蝶の魔法を解こうとはしないのか。
「・・・・・・実は王子は魔法使いに幽閉されてるとかどうだ。」
「あ、いいねそれー。」
(そうか?)
だんだん救いがなくなっていく気がするが。それに、これはファイがあまり気にするから、適当に言ってみた可能性で。
それにそれなら、魔法使いが何処かに居てもいいはずだ。それでも時計の中に居るのは二人だけ。
ようするに、考えるだけ無駄だということ。魔法使いは職人が作らなかっただけで。話の結末はファイが知らないだけで。
「じゃあそういうことにしとけ。もういいだろ。」
「んー・・・・・・」
眠気の差してきた声で小さく頷いて、そして目を閉じたままファイはふと呟く。
「そう言えばオレ・・・本物の蝶見たことないなー・・・」
確かに、こんなに寒い国には蝶は舞わないだろう。
「俺の国には山ほど居たぞ。なんなら帰りに見て行くか。」
「ん・・・楽しみー・・・」
そう言い残して、その日ファイは眠りに堕ちた。


『10:歯車』

次の日もその次の日も、王子と姫は一分間だけ見詰め合って、文字盤の裏に戻っていった。当たり前に繰り返される日常。しかし、終わりは突然にやってくる。
その日も、何処か寂しい音色が流れた。
「・・・おい。」
「んー?」
「姫が出てこねえぞ?」
二人を見ることが日課になりつつあった黒鋼が異変をファイに告げる。王子は12時の位置に姿を現したのに、6時の姫は蝶のまま。王子はじっと蝶を見つめて、一分立つと消えてしまった。
「あー・・・壊れたんだ・・・」
ファイにとっては、これも一度通ってきた過去。
「古い時計だからねー。歯車が磨り減って、蝶の部分が回らなくなっちゃったんだー。」
歯車が磨り減るまで、毎晩毎晩、二人は何度互いを見つめたのだろう。今日から蝶は蝶のまま、二度と姫には戻れない。
「・・・・・・おい・・・?」
ふと見ると、ファイの瞳から涙がこぼれていた。
「あ、れ・・・どうしたんだろ・・・。ごめ・・・何か、悲しくて・・・・・・」
溢れる涙は止まらない。黒鋼は見ていられなくてファイを抱き寄せた。
「ごめ・・・ごめんね・・・・・・前は、こんな事・・・」
「いい。どうせ夢の中だ。好きなだけ泣け。」
涙の理由は知っていた。


『11:運命』

愛しき人よ 眠りの中で
貴方は誰の夢を見る?

オレは今でも変わらずに
毎晩貴方の夢を見る


愛しき人よ 壊れた時計に
誰の運命重ねて泣いた?

俺は何にも知らないままに
お前と誰かの今を見た


悲しい運命に引き裂かれた恋人達が住まう時計は、翌日には新しいものに取り替えられた。
今度は一時間おきに音楽が流れ人形が踊るだけの、何の物語もない仕掛け時計。
それを見て、ファイは少しほっとした様だった。



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