どうして貴方は何一つ答えてはくれないのですか? 喪神舞7 雨は上がっていた。 店の裏口を出ると、人目につかないように輿が止まっていた。 数人が一度に乗れる大きさのそれには、すでに先客がいた。 「・・・・・・王子・・・」 「今はもう国王だ。」 「っ・・・・・・」 輿から降りた桃矢が訂正を入れる。その台詞に、ファイは体を強張らせた。 今の国王は桃矢。それは、自分を求めたために、王がこの世を去ったから。 そう、思ったのだろう。 しかし、黒鋼が聞く分には、桃矢の言葉にそんなニュアンスは含まれていなかった。 少し冷たい雰囲気はあるが、それはおそらく彼本来のもので、ファイに対する憤りや嫌悪の念は感じられない。 引きずっているのはファイだけなのかもしれないと、そんな気がした。 「神殿には・・・戻りません。」 桃矢を見据えてファイが口を開く。 痛々しいほどの虚勢に、桃矢はわずかに眉を顰め、そしてふと、ファイの後ろに立つ黒鋼に目を向けた。 「そっちは?」 「・・・黒鋼だ。」 「・・・・・・事情は知っているようだな。」 「ああ。こいつから聞いた。」 国王に対してあまりにも倣岸不遜な態度だが、桃矢は気にする様子もなく、二人に輿に乗れと命じる。 「王っ、オレは・・・!」 「乗れ。行き先は神殿じゃない。」 「え・・・・・・?」 「お前に会いたいと言う者がいる。黒鋼といったか、そっちも、事情を知っているなら来ても構わないが、当事者ではないからお前の判断に任せる。」 黒鋼はファイを見下ろした。同時に見上げてきた青い瞳が、縋るように揺れる。 「行きたくねえのか。」 「・・・・・・・・・・・・」 ファイは黙ってうつむく。あるいは、頷いたのかもしれない。 行きたくないというなら、それを叶えるのは簡単だ。しかしそれでは何の解決にもならない。 そもそもの始まりは、いつまでも過去の遺影に縛られているファイを、それから奪いたいと願ったことだったはず。 「・・・連れて行け。俺も当事者だ。」 「く、ろ・・・」 「逃げるな。殺しに行くんだろ?神とやらを。」 3人を乗せた輿は、静かに浜辺を行く。屋根から垂れ下がる布で中は見えないようになっている。王族専用の輿だ。黒鋼は、ファイはともかく、自分乗っていいのかと思ったが、王が乗れと言うのだからいいのだろう。少し距離があるというどこかに向かう輿の中、ふとファイが口を開いた。 「雪兎は・・・どうしていますか・・・。」 黒鋼は、雪兎はたしかファイの神子仲間だったなと、心の中で確認する。 過去の話を聞かされた中に何度か出てきたから、よほど仲が良かったのだろう。 桃矢は、感情の見えない表情で静かに答えた。 「・・・変わりない。ただ、舞っても雨が降らないことを、悩んでいた。」 「・・・そうですか・・・。」 あの雨を降らせたのはファイだということ、桃矢も知っているようだ。 「サクラちゃんは、お姫様ですね。」 「ああ。俺の妹姫だ。知世もな。知世は、第二王妃の子だが。王族は顔が知られていないから、潜入させるのはうってつけだろう。どうせ危険のない国だ。他にも何人か、一応姫の護衛ということでつき従わせている。神子達の舞が、神に届かなくなった頃から。」 「それはいつ・・・?」 「お前が神殿を出てすぐだ。サクラ達があの店に入った日を考えれば分かるだろう?」 「・・・オレの居場所が分かっていたなら、どうして今まで・・・?」 「・・・お前、戻りたくないんだろ?」 最後の答えにとうとう黒鋼が口を挟む。 「神子は必要なんじゃねえのか?」 その問いに、桃矢は平然と答える。 「俺も神は嫌いなんだ。」 その時、輿が止まった。 「ここからは徒歩だ。そう遠くはない。」 そう言って桃矢はさっさと輿を降りる。 少しは警戒したらどうだと思いながら黒鋼も後を追うと、そこは一度見た場所だった。 心配せずともこのあたりに人気などない。 砂浜が、岩場に変わるポイント。 ファイにとっては、もう何度も通ってきた道。 朝日の中に死者の魂が姿を現す、あの遺跡に通じる道。 「オレに、話があるという人は・・・?」 「この島に住むものをすべて挙げられるか?」 「・・・動物と人と神・・・・・・人は、王族と民と神子・・・」 「それがなんなんだ。ガキでも言えるぞ。」 せっかちに結論を求める黒鋼を一瞥して、桃矢は遺跡へと足を向ける。 そして語りだしたのは、皆が一度は聞いたことのある、この島の伝説。 「もう一人、この島に住むものがいる。その姿を見た者は少ない。そして何処に住んでいるのかを知る者はいない。あるいは、この次元ではないのかもしれない。彼女は、強く何かを願う者の元にのみ現れる。そして対価と引き換えに、その願いを叶えてくれる。彼女を神の化身、もしくは神自身だと言う者もいるが、多くの者はこう呼ぶ。」 「魔女・・・・・・。」 「そうだ。」 「伝説の魔女が、現れたのか!?」 「ああ。そしてある願いのために、お前に会いたいと言う。」 「願い・・・・・・?」 「ここから先は、本人に聞け。俺は、道案内だけだ。」 そう言って、桃矢はたどり着いた遺跡を指した。 今はもう使われなくなった舞台の上に、一人の女が立っていた。 長い髪と、服の裾が風にはためく。 この島の気候の中、全身を黒で覆う彼女の姿はそれだけで異様で、そしてその黒の中に、肌の白さだけが不気味なほど際立つ。 「はじめまして。」 女は艶然と微笑んで、 「それじゃあ、はじめましょうか。」 そういって、地に向かって手をかざした。 舞台に現れたのは、大きな魔方陣。それは女の足元から、黒鋼とファイの足元まで広がる。 そこに乗らなかった桃矢の姿は、いつの間にか消えていた。 「何だ・・・これは・・・」 「結界よ。依頼人は、この中でしか姿を見せられないから。」 「依頼人?」 「まだ言っていなかったわね。私は侑子。貴方と話しをしたいと依頼されたの。」 結界により外界から隔絶された空間の中に、ファイにとっては見慣れた姿が浮かび上がる。 「アシュラ王・・・!」 ファイは思わず駆け出した。また、いつものように、一瞬で消えてしまうのではないかと。 しかし、王の姿はファイが彼を抱きしめても消えることはなく、ただ抱きしめた腕だけが彼の体をすり抜けた。 「っ・・・!」 「触れることは出来ないわ。彼にはもう実体がないから。」 「・・・・・・アシュラ王・・・」 「ファイ」 王が口を開いた。 たとえ触れることは出来なくても、数ヶ月ぶりに聞くその声に、忘れたはずの涙が溢れた。 「すまない、苦しい思いをさせた。」 「・・・違います。悪いのは・・・」 「神ではない。これは、私が選んだ道だ。」 「・・・・・・?」 言葉の意味が分からず、不安げな表情で見上げるファイに、王はあの日のことを話しだした。 「あの日、私はお前に会いに行く途中、魔女に会った。」 『ここは・・・?』 『貴方達の島では、伝説の魔女の居城と言われていたかしら?』 『では・・・ここが・・・。』 驚愕の表情を浮かべる王に、魔女は妖しい笑みを向ける。 『ここに来たということは、何か強い願いがるのね。』 『・・・・・・願い』 一度も口には出さなかったが、王には願っていたことがあった。 『殺したい・・・者がいる。』 『・・・不穏な台詞ね。相手は?』 『・・・神。』 「ちょっと待て、神は死んでねえぞ。」 「ああ。死んだのは私だけだ。」 「どうしてですか、そんな・・・!」 「・・・この世界に、神などいない。」 「え・・・?」 『神がいない?』 『ええ。神などこの世には存在しない。』 『では、誰があの島を守っていると。』 『雨を降らすのも災害を退けるのも、あの島を守るのもすべて、神子と呼ばれる者たちの力。あの力は神が与えたものではなく、神子達が生まれながらに持っていた力よ。』 『・・・・・・では、神子と交わると死ぬというのは・・・?』 『それもまた、神子の力。』 「そ・・・んな・・・・・・」 ファイの顔から血の気が引く。 確かに、王のときと黒鋼のときでは、明らかに状況が違った。 黒鋼のときは、自分はもう神子ではないのだからと、きっと彼は死なないという確信めいたものがあった。けれど、王のときは。 自分と交わるものは死ぬという思い込みが、無意識に力を働かせたのだとしたら。 「オレが・・・殺したんですか・・・・・・」 「それは違う。私は、私の願いのために死んだのだ。」 「どういうことだ。それに、神がいないなら、どうして今、神子は力を失ってる。」 「それが・・・私の願いだったからだ。」 『それでは、神子の力を消す・・・というのは?』 『・・・それは貴方に何の得があるの?』 『得など。ただ、神子達を、その運命から解き放つためだけに。』 『神子から奪った力は、貴方が引き受けてくれるのかしら?』 『ああ。』 『人の身には不可能よ?』 『死ぬということか。』 『そうなるわね。』 『・・・・・・構わない。』 「どうしてですか、そんな・・・!!」 「・・・それが、神を殺すということだからだ。」 「命を懸けて叶えるほどの価値が、その願いの何処にあると!」 「・・・神子を想う者は私だけではない。お前の知るものの中にも、存在しない神の支配に苦しむものがいる。」 「・・・・・・?」 ファイよりも黒鋼の方が思い当たった。 「さっきの国王か。」 「・・・ああ。」 彼は、神は嫌いだと言った。 そういえば彼は一度も、ファイに罵倒の言葉を浴びせることはなかった。 「だから、今このときだけではなく、未来に及ぶまで、すべての神子を神の支配から逃れさせたいと思った。私が死んでも新たな出会いがあろう。その時、お前が苦しまずにすむように。」 「じゃあどうしてさっき、こいつが舞った時に雨が降ったんだ?」 「・・・・・・ファイだけは、まだ、力を奪えていない。」 「・・・あ?」 「勘違いがあったのね。神子なら、死んだ後でも話が出来ると思っていたでしょう。」 初めて侑子が口を挟む。 「死者と話せるのは一部のものだけ。神子が生まれながらの持つ力は、顔と同じく人それぞれ。」 「雪兎という神子は話せるといっていた。だからきっとファイも、と。」 「だから、すべてを話すことより、想いを遂げることを優先させた。」 「身勝手な願いだ。自分は死ぬと分かっていても、せめて一度だけでもなどと。」 「力を受け取る体がなければ神子の力は奪えない。一度とり損ねた力は、後からは奪えない。」 「だから最後の願いだ。ファイを、解き放ってやって欲しい。この島に神などいない。だから、神子はただ己の愛するもののために。」 「アシュラ王・・・・・・。」 縛ることは愛ではない。ただ愛するものの幸せを祈ること、それが愛だと言うのなら、きっとこれ以上の形は。 「でも・・・オレはただ・・・側にいて欲しかった・・・・・・・・・」 「・・・・・・すまない」 それだけはもう、叶えることは出来ないけれど。 「では、対価を頂くわ。」 「ああ。何をすればいい。」 どんな対価でも支払う覚悟はある。そう答える王に侑子はこう告げた。 「最後の神子の力を奪い、貴方が神になりなさい。」 その場の侑子を除く全員が、驚愕を表情に表す。 「・・・・・・神を殺したいと願ったことから転じた願いを、神を作ることで終わらせるのか?」 「神子がいなくなればこの島を守るものはいないわ。だから神子の代わりが必要。貴方なら、神子を縛ることはしないでしょう?それに、本当に神がいるのなら、本当は神子など必要ない。」 「・・・・・・分かった。」 王は最後に眼差しをファイにすえた。 こうして、向き合うのはきっとこれが最後。 「桃矢に伝えてくれ。もう神子を縛るものは何もないと。そしてファイお前も、どうか自由に。」 「アシュラ王・・・・・・」 「愛している。」 王が手を伸ばす。 ファイもそれに応える。 足元の魔方陣が輝く。 その光の中で。 ファイが感じた触れることの叶わぬ彼の腕は 最期の抱擁より温かかった。 BACK NEXT |