誰の幸せを願いますか?
喪神舞6
その後、二人は言葉を交わさぬまま、季節は乾季に入った。
涙を忘れた踊り子のように、空は何日も雨を降らさない。
そして今年は例年よりそれが長く続いている。
日中の日差しが強く気温も高いこの島では、この季節が長引くと水不足などの深刻な問題が起こる。
が。
「まったくよー、これだけ雨が降らねえと、せっかく今年から作った畑が全部やられちまうぜ。」
「畑って言ったってたいしたもんじゃねえだろーが。家庭菜園のレベルだろ?」
「だからってこのまま枯れて行くのを黙ってみてられるか!」
平和な島の住民の悩みはどこか平和だ。
皆知っているのだ。
乾季が長引けば、神子が神に祈りを捧げること。
「それにしても、今年は長いよなあ・・・。」
「そろそろ神子が舞うんじゃねえか?」
「そうそう、心配することなんてねえよ。この島は神に守られてるんだから。」
「いや、それがな、神子はもう随分前から祈りを捧げてるって言う噂だ。」
「あ、それ、俺も聞いたぜ。どうもこの島は神に見放されたんじゃないかって。」
「あー?誰が何したってんだよ。」
「・・・・・・・。」
ちなみにこの島で一番涼しい建物は、もともとは外国人観光客向けに作られた大衆食堂。
なのでこの時期は、自然と人が集まってくる。
「てめえら!ここは避暑地じゃねえんだぞ!!!」
「けち臭いこと言うなよ、黒鋼ー。俺たちは客だぜ?ちゃんと注文もしてるじゃねえか。」
「7人でワイン一本しか頼まねえで何が客だ!」
「でも漁は朝だし狩は夕方からだし、昼間は暇なんだよー。」
「外は暑いしなー。」
「それにもうすぐショーの時間だろ?今日は外人もいないみたいだし、別に良いじゃねえか。」
ショー、という言葉に黒鋼の眉間にしわが増える。
彼らの目当てはファイだ。以前は神聖なものでも見るかのような目でファイを見ていた島民たちは、今ではすっかりファイに馴染んで、ショーの最中に歓声が飛ぶこともある。
「もう一曲!」などと軽い調子で声をかける者もいるが、しかしファイの過去を知るものはいない。
だからこそ、この島は神に見放されたなどと、不穏なことを噂話のノリで話せるのだ。
「駄目だ・・・また・・・・・・」
舞いを終えた神子は、舞台の上で空を見上げた。
雲一つない青空は、決して晴天のみを表現する言葉ではない。
「気にするな。お前のせいじゃない。」
舞台の下から声をかけるのは、新しく王位を継いだ者。
神子は、彼に向かって言う。
「神は、ファイをご所望なのかもしれない・・・・・・」
神子でありながら、神を拒絶した者を。
舞台の方で拍手が起こった。ショーの時間だ。と言っても、今日はやはり観光客はいないようなので、島民ばかりが観客の気楽な雰囲気だ。どこかから口笛も聞こえる。
それでもファイが優雅な仕草で礼をすると、店内は一旦静まり返る。
その静寂を狙って、舞台の近くに座っていた男が、ファイに声をかけた。
「踊り子さん、雨乞いの舞って踊れるかい?」
先ほど、畑がどうのと騒いでいた男だ。
突然のリクエストに、ファイは困惑した表情を見せる。
「雨乞いって・・・神楽神子が舞うものですか?」
ぴくり、と、最近聞いたばかりの単語に黒鋼は反応する。
ファイは平生を取り繕ってはいたが、声音に僅かに動揺の色。
しかし、男はそれには気づかない。
「そーそー、踊ってみてくれよ。」
「でも、オレじゃ雨は降りませんよ?」
「いや、あんた色白いし、案外いけるかもしれないぜ?まあ、駄目元で。」
「・・・・・・分かりました。」
客との会話を終え、顔を上げたファイの目が、一瞬だけ黒鋼を捉えた。ほんの一瞬。ぶつかった視線に驚いて、黒鋼が一度瞬く間。
すぐに視線はそらされる。まるでその一瞬などなかったかのように。
そしてあの一夜さえ。
『どうして君は死なないの』
今二人の間にあるのは、あの一言だけだ。
「死ねば満足するのか」
あんな顔で起こしたくせに。死んだら死んだで、また泣くくせに。
せめてあの行為だけでも罵倒してくれれば言いと、そう思うことさえ、贅沢なのだろうか。
舞が始まる。いつもの音楽は今日はなく、ただファイの足についた鈴の音だけが響く。神楽の舞いに音楽は要らない。神は神子以外を求めない。
神にのみ捧げられるその舞は、目に見えぬ神より神秘的で、そして神ですら触れることを許さぬほどに神聖で、そして指先や流れる髪の一筋まで彼が神のものであるのだと思うと、神に憎しみすら覚えるほどに、それは何処までも美しく。
彼もそうだったのだろうか。
神に憎しみを覚え、奪いたいと思ったのだろうか。
命すら、惜しくはないと思えたのだろうか。
互いに求め合った彼と、無理やり奪った自分では、立場が違いすぎるけれど。
舞は静かに続く。
舞台の上の踊り子は、きっと雨が降らないことを祈っている。
それでも、神の怒りは何処までも無情に、彼の祈りを引きちぎる。
ザアッ・・・・・・
「っ!!」
不意に鈴の音をかき消した音に、黒鋼が天井を見上げたのと、数人が店の入り口に走ったのはほぼ同時。そして、歓声が上がる。
「雨だ!!」
わあ、と歓声は店中に広まって、そして皆、周囲の者達と喜びの言葉を交わす。
その瞬間踊り子を見たのは、黒鋼一人だった。
屋根に当たる雨の音にただ呆然と、青ざめた顔で天井を見上げた彼は、突然はじかれたように舞台を後にする。
「っ!おい!!」
反射的に黒鋼は舞台へ飛び乗り、ファイの後を追いかけた。
「きゃ、黒鋼さん!?」
舞台の袖で出番を待っていた少女の肩に体がぶつかる。
「悪い!大丈夫か?」
「ええ、どうなさったんですの?」
やけに丁寧な言葉遣いの少女の名は、確か知世といった。
ここは舞台に出るものが出番を待つ場所。給仕である黒鋼が入ってきたことに驚いているようだ。
何でもねえ、と誤魔化しておいて、ファイが何処へ言ったか尋ねる。そこにある矛盾に気づかないわけではなかったが。
「ファイさんなら、控え室の方に走っていかれましたけど・・・」
「そうか、悪いな。」
短く礼を言ってその場を後にする。
だから、その後その場でどんな会話が交わされたかなど黒鋼は知らない。
「知世ちゃん、」
黒鋼の背を見送る知世に、さくらが声をかけた。
「さくらちゃん、何かあったんでしょうか。」
「・・・雨が、降ったんだって。ファイさんが舞ったら。」
「・・・まあ・・・・・・それは・・・・・・」
「・・・・・・ファイさんはまだ、神の愛し子・・・・・・」
「おい、開けるぞ!?」
控え室の扉を叩いて黒鋼がそう叫ぶと、彼が開けるまでもなく扉は内側から開いた。
真っ青な顔をしたファイが、縋る様な目で黒鋼を見上げる。
「・・・大丈夫か。」
明らかに大丈夫ではない彼に、それはなんとも間抜けな質問だ。
「・・・オレ・・・どうしよう、神が・・・・・・」
口元を押さえた手が震えていた。
どうしていいか分からず、とりあえず黒鋼は、室内に入って戸を閉めた。こんなことで、彼を神から隠せたらいいなどと、馬鹿なことを考えながら。
「とりあえず座って・・・落ち着け。こんなもん、単なる偶然だ。」
「でもさっきまで、雲なんて一つもなかったのに・・・」
「じゃあ、ちょうど他の神楽神子が舞ってたんだ。」
「違う、舞の時間じゃない・・・」
黒鋼が提示する可能性をすべて否定して、ファイは自分で自分を追い込んでいく。
神の力が自分のために働いたと言う確信があるのだろう。それはきっと何か、神子だけが感じる特殊なもの。それなら、否定の言葉など、何の意味も持たない。
「もう嫌・・・愛するって、こんなことじゃ・・・・・・縛ることじゃない・・・ただ、相手が幸せであるように・・・それが、愛するってことじゃないの・・・?」
「・・・・・・。」
それは所詮理想論だ。本当にそう思うなら、ファイは王を求めてはいけなかった。
王はファイを求めてはいけなかった。
相手が死ぬことを知りながら。
相手を残すことを知りながら。
「・・・・・・・・・助けて・・・」
震える唇が言葉を紡いだ。
どうやって。
言いかけた言葉は、そのまま飲み込む。
そんなもの、ファイにも分からない。だからこそ、助けてとしか言えないのではないか。
「助けて・・・・・・助・・・・」
うわ言の様に同じ言葉を繰り返す唇を、思わず引き寄せて塞いだのは、あの夜とは違う感情の元。
「くろ・・・」
一度離すと彼は驚いたような声が漏らしたが、それに静止の言葉が加わる前に、再び深く求めた。
「ん・・・・・・」
ファイは、黙って受け入れる。それも、あの夜のようなただ受動的なものではなく、かすかに反応を返しながら。
抱きしめる腕が誰のものであろうと、神はそれを許さないことはよく知っているのに。
「あ・・・」
腰に回された手と、同時に首筋に落ちた唇にびくりと身を竦めると、ファイはそこで初めて抵抗を見せた。
「駄目・・・やめて・・・・・・」
細い腕に押し返されて、黒鋼は体を離す。
ファイが怯えるのは、自分より大きいからだと力強い腕ではなく、姿さえ見えない神の脅威だ。
「でも、オレは死なねえんだろ?」
「そんなの・・・・・・分からないよ・・・。死んでからじゃ遅い・・・・・・」
神がまだ自分を愛しているのなら、これ以上は黒鋼を殺すことになると。
「じゃあ、あの時はどうして死ななかった。」
「・・・・・・あの行為に、特別な感情なんてなかったでしょ・・・?」
「・・・・・・」
それは確かに。ファイにも黒鋼にも。互いを求める気持ちなどなかった。
けれど二回目を求めてしまった今は。
相手が死ぬことを恐れてしまった今は。
状況が違う。
たとえそれが、愛などと言う大層な感情ではなかったとしても。
「・・・じゃあ・・・どうすればいいんだ。」
「・・・分からない。」
「どうして欲しい。何をしたい。」
「・・・・・・・・・・・・神を・・・」
それは、裏切るよりももっと激しく、拒絶するよりももっと鋭く
神を深く深く憎む言葉。
「殺したい・・・・・・」
たとえ、吐き出した言葉の恐ろしさに、声が震えたとしても。
黒鋼は、流れた涙ごとファイを抱き寄せた。
神さえ殺せる気がした。
「願いを叶えるためには対価が必要よ。」
女は腕を組んで相手を見据える。
「しかも貴方は一度、契約を破っているわ。少し重くなるけれど、それでもいいのかしら?」
「ああ。」
相手は静かな表情で頷く。
「どうか、解き放ってやってくれ。」
コンコン・・・
扉が控えめにノックされる。
黒鋼は、抱き寄せた体を離した。
扉を空けると少女が二人、神妙な面持ちで立っていた。
「サクラちゃん、知世ちゃん・・・?」
「ファイさん、迎えが来ています。どうか、神殿へお戻り下さい。」
「・・・・・・君達は・・・」
何処か苦しげに、言い放つサクラの声は、いつか聞いた姫の声と似ていた。
そういえば、あの日王子が呼んだ名は―――
「ああ・・・そういうことだったんだ・・・・・・」
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