愛するってなんですか?



喪神舞-5-

 
二人の熱が冷める頃、外の雨音も止んでいた。
けれどどちらも帰る気になれず、舞台にもたれて肩を寄せ合っていた。
きっと誰かが迎えに来る。それまでは、こうしていたい。
それは、これが最後になると、どこかで予感していたのではなかっただろうか。
 
「ファイ。」
「・・・・・・はい、」
「もし私が死んだら」
「やめてください!!」
自分でも驚くほど、声を荒げていた。
「これは・・・、オレが望んだんです。貴方は何も悪くない。誰も・・・何も・・・・・・!」
「・・・・・・。」
王はただ静かに、ファイを抱き寄せた。
 
神を裏切った。
 
ただ愛し合っただけ。そんな人間の言い分を、神が認めるかどうか。
口に出さない分、王のほうが恐怖は大きいのかもしれないと、そんなことを思いながら、ファイは王の胸に顔を埋めた。
「ファイ・・・、ではもしお前が神だったら、神子が誰かを愛することを許せるか?」
「・・・許します。それが神子の幸せなら。」
「私もだ。」
けれどそう語る二人は、神ではない。
王の腕に力がこもった。
「だから、お前が私一人に縛られることは望まない。」
「・・・どういう意味ですか?」
「・・・・・・・・・。」
腕の中から見上げると、優しいキスが降ってきた。
受け入れたそれは、まるで静かな儀式のような。
唇が離れると、ファイは再び王に、
 
抱き寄せられたと思った。
 
「・・・王・・・・・・・・・?」
 
ずるり、と。
一度密着した体が、そのままファイの横に堕ちる。
そして初めて気付くのだ。抱き寄せられたのではなく、支える力をなくした体が、ただ倒れこんだだけだったのだということ。
 
「ア・・・シュ・・・・・・・・・アシュラ王!!」
ぞくりと、背筋を悪寒が駆け上がる。
「嘘・・・・・・どう・・・し・・・・・・」
さっき、確かに熱を分け合ったはずの体が、どうして今はこんなにも冷たい。
 
「アシュラ王!アシュ・・・」
「父上・・・?」
不意に聞こえた第三者の声にはっと顔を上げると、神殿の入り口に、王子である桃矢と、その後ろに雪兎の姿。
桃矢が駆け寄って王の首筋に手を当てる。さっと顔色が変わった。
「サクラ、人を呼んで来い!」
背後に向かって叫ぶと、いつか聞いた姫の声がした。
 
「父上!父上!!」
王は、息子の声にも応えない。ぎり、と歯をかみ締めて、桃矢はファイに視線を向けた。
「何があったんだ!?」
「っ・・・・・・」
びくりとファイの肩が振るえ、見開いた瞳から涙がこぼれた。
混乱しているのを見て取って、雪兎がファイの両肩に手を置く。
「ファイ、落ち着いて。まだ大丈夫だよ。舞を。祈りを捧げよう。神に、王を助けてくださるように。」
「・・・・・・」
ファイは、ただ首を降った。
祈りなら、ずっと捧げていた。
許しならずっと請うていた。
それでも神は、王を殺したのに。
 
「お前・・・まさか・・・・・・」
桃矢が気付く。そして雪兎の手を押しのけて、ファイの肩を掴んだ。
「神子の身でありながら、父上と・・・!?」
「・・・・・・・・・。」
合わせられない視線と、震える肩が肯定だった。
何か――おそらく罵倒の言葉だろうと思った――言いかけた桃矢は、しかし何も言わずに、唇をかみ締める。
彼もこの国に生きるもの。神の力を、知っている。
神の愛し子を神から奪おうとした愚かな人間は、神の怒りに触れて死ぬ定め。神子が許しを請うてももう遅い。
肩を掴んだ手が離れた。
怒りと、諦めと、侮蔑と、そしてもっと、深い感情。
それは、ファイに向けられたものである筈なのに、まるで他人事のように見えた。
 
「だけど、まだひょっとしたら・・・。ねえ、ファイなら、神様だって・・・。」
それでも雪兎を映すファイの瞳はどこか虚ろで、
「・・・・・・何が・・・・・・」
「ファイ?」
「何がいけないの・・・?」
問いかける言葉さえどこか遠く、まるで神に話しかけているかのように。
「愛してたんだ・・・オレが望んだ・・・・・・王も・・・オレ達は、求め合っただけなのに・・・どうして・・・」
「ファイ、落ち着いて!今ならまだ・・・」
「こんな愛なんていらない・・・こんな神ならオレはいらない・・・!!!」
 
それは裏切りよりももっと激しく。
神を、拒絶する言葉。
 
 
 
 
 
 
「こうして神子は、神のために舞うことを辞めたのでしたー。」
「・・・・・・・・・。」
ファイの話が終わっても、黒鋼は身動きさえとれずにいた。
話している間、顔を見られたくないからと、古い舞台の上に背中合わせに座り込んで。
けれど触れる背中からは、何の感情も感じ取れない。
「・・・泣いてるのか?」
「涙なんて・・・涸れちゃったよ・・・・・・。」
嘘だ。昨夜、夢の中で彼を思って泣いていた。
ただ彼のためだけに泣いていた。
 
「ねえ、知ってる?神は、神子しか愛さないんだよ。」
「・・・どういう意味だ。」
「神子が祈らなきゃ、島のためには何もしてくれない。神が愛するのは神子だけ。神が奇跡を起こすのは、ただ神子のためだけ。世界は神と神子とそれ以外から形成されていて、神子に触れようとするものはみんな敵。神子の気持ちなんて関係ない。神は自分の愛の為にしか動かない。」
「・・・迷惑な話だな。」
「うん。そうだね。」
背中から、ファイの感触が離れる。
立ち上がったのが分かったが、まだ振り向けなかった。
 
「でも、ちょっとは救いもあってさ。」
「救い?」
「・・・オレは王に愛されたから、もう神に愛される資格はない。だから、自由の身になったんだー。」
海から風が吹いている。
きっと、彼の金色の髪が揺れている。
「でも皮肉な話じゃない?」
「・・・何がだ?」
「だって・・・君は生きてる。」
「・・・・・・。」
 
だから今朝、あんなに慌てた様子で、ファイは黒鋼を揺すり起こしたのだ。
王が死んだ瞬間が、フラッシュバックしたのだろう。
だからまた、神に奪われると。
「それは・・・お前がもう・・・・・・」
「神に愛されてないから。」
黒鋼の言葉を先取りするファイの声は、驚くほど静かだった。
いつしか、風がやんでいた。
波の音さえ消え、無音に包まれた空間を、ファイの声が静かに、けれど鋭く切り裂く。
「一番、大切な人だけ奪われた・・・・・・。」
その声は、何処までも深い憎しみに満ちて。
 
思わず振り返った黒鋼が見たのは、けれど何処までも深い、悲しみだけを宿した瞳。
予想に反して、涙は流れていなかった。
そういえば彼は、王のためにしか泣かないのだ。
 
「ねえ・・・」
 
不意に、風が戻る。
それは、ファイの問いに、黒鋼が答えることを禁ずるかのように。
 
 
 
「どうして君は死なないの」
 
 
 
言葉は虚ろなナイフのように、黒鋼の胸を突き刺した。
 
 
 



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