殺したいほど憎い人が居ますか? 喪神舞-4- 「愛している。」 そう言われたのは、初めて出会ってから、たった2週間の事だった。 「・・・・・・こ・・・まります・・・・・・」 何とかそう答えたが、高鳴る胸を押さえるのに苦労した事を覚えている。 気持ちは同じだった。 初めて出会ったのは、宮殿で行われた感謝祭の夜。王族も出席する盛大な儀式だ。 ファイはその日、最も神に愛されるものとして、日ごろの感謝を神に伝える舞を舞った。 舞を終えて舞台を降りるとき、視線を感じてそちら向くと、黒い髪の男と目が合った。 装飾品から、かなり高貴な身分だと知れる。しかし、殆ど外界との接触を持たないファイには、それが誰であるのかは分からなかった。 男は、隣に座っていた青年―おそらく彼の息子だろう―に話しかけられてすぐ視線を逸らしてしまったがファイのほうはしばらく目が離せずに、同じ神楽神子の雪兎に声をかけられるまで、じっとその人を見詰めていた。 「ファイ?」 「え、あ、何ー?」 「どうしたの、ぼうっとして。疲れた?」 「ううん、そうでもないけどー・・・」 そう答えながらもう一度あの人を振り返ると、彼は丁度席を立つところだった。舞が終われば儀式も終わり。残って酒などを酌み交わす者も居るが、もうお帰りになるらしい。 「国王と王子だね。」 ファイの視線の先を追って、雪兎がそう口にする。 「国王・・・?」 「はじめて見る?あの髪の長い人がアシュラ王。その隣が第一王子、桃矢様。」 「アシュラ王・・・」 それはとても出会いとは呼べないものだったかもしれないが、一瞬交わした視線の先のあの瞳が忘れられなかったのは、きっと自分の中の変化の証と、おそらく何かへの予感だった。 再会はその翌日。 神子は、一日三度、神殿の舞台で舞を舞う。 一度目は早朝。まだ日も昇らぬうちに、その日一日の神の加護を願って。 神子は一人ではないが、早朝の舞は一日のうちで一番重要な舞。ファイが舞うことになっていた。 その日もたった一人、神殿で舞を終えたファイは、ふと視線を感じてそちらを振り向く。 昨日の瞳がそこにあった。 「ア・・・シュラ王・・・・・・」 「ああ、邪魔をしたか?」 「いいえっ!でも、あの・・・、こんなところで何を・・・?」 王族は神殿への出入りは自由だ。しかし王と此処で出会うのは今日が初めて。 「もう一度、お前の舞が見たくてな。昨夜の舞、実に見事だった。ファイ。」 「どうして名前を・・・」 「息子がたまたま知っていた。この時間なら、ここで会えることも。」 「そう・・・ですか・・・・・・」 王と神子に身分の差はない。というより、同じ身分制度では図れない。 神子は王の支配の外に存在するもので、王を敬う必要はない。 しかし、見下ろしているのもどうかと思い、ファイは舞台を降りた。 並んで立つと、王のほうが背が高く、逆に見下ろされる形になってしまったが。 「神の愛し子・・・間近で見るのは初めてだ。」 「そうですか。結構普通の人間でしょう?」 「いや・・・、神が愛するのも頷ける。色素を持たずに生まれてくると聞いていたが、これほどまでとは。」 「・・・・・・」 王の眼差しに居心地の悪さを覚えて、ファイはそっと目を伏せた。 今までにも、外に出ると好奇の視線を向けられることはあったが、これは、それとはまた違う感覚。 胸が苦しい。 「あ・・・の・・・・・・」 何か話さなければと、あてもなく口を開いたとき、外から父親を呼ぶ少女の声がした。 「・・・姫だな。そろそろ戻らねば。」 声の主が分かるらしく、王は残念そうに外を向いた。 いつの間にか、日が完全に昇っていた。 「また来ても良いか?」 「え?はい、いつでも・・・。」 帰るという王に少しほっとして、けれどまた来るという言葉に感じたのは、 (・・・嬉しいの・・・・・・?) 自分の感情に気付いて、ファイは悪寒に震えた。 罪を、犯すことになるかもしれない。 神を、裏切ることになるかもしれない。 「神に愛されし神子よ、ただ神だけを愛し、神のためだけに舞え。」 王の姿が見えなくなった後、ファイは自分に言い聞かせるようにそう呟いた。 それは、神子として引き取られた子供たちが最初に教わる言葉。 神に愛されし神子は、神以外を愛することは許されない。 生涯、ただ神のためだけに舞い続けるのだ。 そうすれば神は、絶対的な愛を与えてくれるのだから。 それなのに他の誰かに惹かれるなんて。 翌日から毎朝、王はファイの元を訪れた。そしていつも少しの会話を交わして帰って行く。 王の中に自分と同じ気持ちがあること。気付いたのは決して思い上がりではない。 その日は朝から雨だった。 「珍しいなあ・・・」 舞を終えたファイは、神殿の中から外を眺めた。スコールのような激しい雨。ここに来るときは、全く降っていなかったのに。 自室に戻るには外に出なければならない。 しかしこの島では、朝の雨は不吉とされているのだ。 「やむまで待つしかないなあ・・・。」 呟いた言葉に嘘があること、自分が一番良く分かっている。 自分が祈れば神は雨をやませるだろう。 これは、ここに居ることに正当性を与えるための言い訳だ。 今日はまだ彼が来ない。 (来るわけないか・・・) この雨だ。 けれど今降りだしたばかり。近くまで来ていたら、宮殿に帰るよりも、こちらに向かった方が。 そんなことを考えながら、舞台の上に座って神に問う。 「だからもうちょっと降らせててください、なんて言ったら怒りますかー?」 それは神を裏切る願いなのに。 後になって思えばその雨は、彼の訪れを、神が拒むためのものだったかもしれないのに。 神はただ、愛するものを護るために。 「突然降り出したな」 「アシュラ王、」 数分後、待ち望んだ声に、ファイははっと顔を上げる。神殿の入り口に立つ王は、髪から雫を滴らせていた。 「濡れてしまった。こちらの方が近かったから何も考えずにこっちへ来たが、この雨では宮殿に戻れないな。雨宿りさせてもらえるか?」 「ええ。オレも、止むのを待ってるところです。」 遠くで、雷の音がしていた。 神の怒りとも取れるそれに、今は、二人で過ごせる時間がいつもより長くなることだけを感じていた。 「朝の雨とは、珍しい。」 そう言いながら、王は舞台に歩み寄る。服から滴る水滴が、王が通った後に道を作った。 「あ、何か拭くものを・・・」 此処には何もないのだけれど。 何か探そうとして舞台を降りたファイの手首を王が掴んで引き止める。 「アシュラ王・・・?」 見上げた瞳に、いつもとは違う静けさを感じた。 「愛している。」 どくんと、胸が大きく鳴った。 時が止まったような感覚。いつか、こんな日が来るとは分かっていたが。 「・・・こ・・・まります・・・・・・」 嘘だ。きっと、嬉しくてたまらないのに。 本当に困るなら、この手を振り払って雨の中に飛び出せば良い。不吉な雨とは言え、神が降らせているもの。愛する神子に不幸を呼ぶはずがないのだから。 「困るのは、お前が神子だからか。」 「は・・・い・・・。」 「神子を愛するとどうなる?」 「・・・わ、かりません・・・。」 神以外に、愛されたことなどないのだから。 けれど、人に愛された神子の話なら知っている。この島に無数に伝わる神話の一つ。 「神話では、神子を手に入れようとした男は神に・・・・・・」 「その話なら私も知っている。あれは、力づくで奪おうとしたからだろう?」 「それは・・・・・・」 戸惑い、俯いたファイの頬に、王はそっと片手で触れた。 見上げると、いつか惹かれたあの時のままの、静かな瞳がそこにあった。 静かだが、その中に確かな意志を秘めている。 この人は神さえ恐れないのだろうか。 「ファイ、お前の意志は?」 「・・・・・・・・・」 口に出そうとしている言葉の恐ろしさに手が震えた。その手を握る王の手に、力がこもった。 その瞬間神に捧げた祈りは、神を裏切るものだった。 (神様、どうか・・・・・・) 「愛しています・・・・・・」 告げると同時に抱き寄せられて、深く唇を重ねると神を裏切る恐怖は消え、ただ相手を求める熱だけに体が支配された。 何度か、髪から滴った雫が頬を濡らした。 泣いているのかと思った。 侵した罪は、雨にさえぎられてきっと誰にも知られない。 もしかしたら神にさえも。 繋いだ手が総てを許してくれる気がした。 それは神の手ではないのに。 一度も手を離さなかったのは、きっと彼も、罪に怯えていただけだったのに。 神様、どうか許してください オレを愛してくれるなら――― BACK NEXT |