誰かの為に死ねますか? 喪神舞 3 翌朝、まだ日も昇らぬ頃、黒鋼は何やら必死な様子のファイに揺り起こされた。 「・・て、起きてっ!!」 「何・・・・・・どうし・・・・・・」 何とか瞼を押し上げて、最初に見たファイの顔に、寝起きにはきついだろうと思われるほどの勢いで目が見開かれる。 「お前・・・何泣いてんだ・・・?」 「・・・・・・・・・・・た・・・」 「あ・・?」 「よかった・・・」 そう呟いて、ファイは明らかにほっとした様子で、黒鋼の肩に顔を埋める。 ワケが分からない黒鋼は、とりあえずファイの背に手を添えた。 まさか昨日の、というよりつい数時間前のことを覚えていないわけでもあるまい。あんなことをされて、どうしてこんな。 いやその前に、話のつながりが見えない。 「何があったんだ。」 「・・・・・・・・。」 ファイはしばらく無言を貫いて、不意に体を離した。まつげは涙で濡れていたが、もう新しく零れる雫はない。 何か言うのかと思ったが、ファイはそのまま立ち上がった。 「どこ行くんだ?」 「・・・行かなくちゃ。」 答えになっていない。 それでも歩き出そうとしたファイの顔が、苦痛に歪んだ。昨夜の行為で出来た傷が、動きを拒むのだ。 「まだ夜明け前だろ?家に帰るなら日が出てからの方が・・・」 こんな島だ。一応野生動物も生息している。人に牙を向けるような、獰猛なものも。こんな時間に出歩くのは危険だ。 「でも、夜明けまでに行かなきゃ・・・あの人に会えなくなる・・・・・・」 「あの人?」 「・・・お願い・・・」 一度しゃがみ込んだファイが、黒鋼の腕に縋りつくようにして見上げてくる。 「連れてって・・・・・・」 夜の砂浜は、まるで眠っているように、月明かりに包まれて、波の音に揺れていた。 黒鋼が歩くたびに、ファイの足が揺れてそこにつけた鈴が鳴る。 昨夜は、何度も外してやろうかと思った。ファイの体を揺するたびに大きく鳴り響くそれは、黒鋼の行為を攻め立てているようで。けれど結局外さなかったのは、少しでも、ファイの声を掻き消してくれればと。 今は、同じ鈴とは思えないほど優しい音で鳴いている。 結局、こんなものは聞く者の心理状態によるのだ。 「おい、まだ先なのか?」 「うん、もう少し・・・。ごめんね。」 「・・・・・・俺の所為だろ。その・・・悪かった・・・・・・。」 そんな言葉で、許されるとは思っていないけれど。 こうしてファイを抱きかかえて、望む場所へ連れて行くことで、少しでも罪が軽くなる気がした。 それほど、ファイにとっては『あの人』と会うことが重要なことだと感じたのだ。 「あの人ってのは誰なんだ?」 「・・・・・・。」 答えたくないのだろうか。ファイはしばらく目を伏せて、そしてふと月を見上げた。 「オレは・・・」 それはきっと、黒鋼が本来知りたかったこと。 ファイは、何者なのかと。 「オレは、神の愛し子だったんだ・・・」 「神の愛し子・・・?」 「知らない?何年に一度の割合で、色素の薄い子が生まれるんだー。その子は神の寵愛を受けてて、神殿で神子として修行をする。」 「神楽神子(かぐらみこ)か。」 「そうとも言うねー。」 神に祈りを捧げる神子がいる。男も女も関係なく、まるで色素を持たないかのような色で生まれてくる子供たち。彼らは神の愛に守られているために、日の光の影響を受けないのだという。そして彼らは生まれてすぐ神殿に引き取られ、神聖な存在として育てられ、舞によって神に祈りを捧げる神子の修行を積むのだ。 彼らが舞えば神は雨を降らせ豊作をもたらす。荒れる海をなだめ、病を治める。 そして神聖な存在ゆえ、彼らが一般人の前に姿を現すことは殆どない。目に出来るのは王族と王家に仕える者くらい。 島のものは皆、子供の頃から語って聞かされる神子と神の物語で、その存在だけを知るのだ。 (だから知らなかったのか。) これで、この狭い島でファイを知らずに育った理由がわかった。 しかし、 「どうして神楽神子がこんなところにいるんだ?」 そう、神楽神子は外界から隔てられた神聖な存在。大衆食堂で舞を見世物にしているなど考えられない。 訊くと、ファイは黙って前方を指差した。 「・・・・・・神殿の遺跡か。」 いつの間にか砂浜は岩場に変わっていて、ファイの指差す先に大きな影が見えた。今はもう使われていない古い神殿。数本の柱と舞台しか残っていない。 神殿とは神楽神子が祈りを捧げる場所であり、舞台があるのが普通だ。 「伝説があるんだよ。あの神殿の舞台の上に立つと、夜明けの光の中に一瞬だけ、死者の魂が姿を現すって。」 「死者の・・・?」 ではファイが会いに来たのは、死してなお彼の心を離さない誰か。 「丁度、夜が明ける・・・。」 黒鋼は、このままファイをつれて引き返したい衝動に駆られたが、腕の中から見上げてくるファイの眼差しがそれを許さなかった。 舞台の上にファイを降ろす。 ほぼ同時に、水平線から光が差した。 その光の中に。 「・・・!!」 姿を見せたのは、黒髪の男性。 ファイが、手を伸ばす。男はそれに答えるようにファイを包み込み、抱きしめたと思った瞬間、掻き消えた。 水平線から、太陽が顔を出した。 本当に一瞬。 つめた息を吐く暇もないほどの。 こんな一瞬の逢瀬の為に、彼は毎日此処に来ているのだろうか。 いや、そんなことより。 (いまのは・・・) さっきの男。見覚えがあった。 「おい、あれは・・・」 「今日も駄目だったねー。まあ、最後まで舞ってないから、無理だろうとは思ってたけど。」 そういって振り返ったファイは、悲しそうに、けれどどこか安心したような笑みを浮かべる。 「駄目だった・・・?」 「送れなかったね、ってこと。」 死者の魂を。 鎮魂の舞で無事冥府に送られた魂は、もうこの場所に姿を現すことは無い。こうして姿を見れるということは、まだ彼はこの世で迷っているということ。 彼のための舞は今日も無駄に終わり、けれどそれ故に、まだ彼はファイの側に居る。 「・・・あれは・・・」 「先代国王、アシュラ王。」 黒鋼が確認する前に、ファイが答えた。 「不思議じゃないでしょー?王族は神子に会えるんだから。例えば国王と神子が恋仲にあって、死んだ王の為に神子が鎮魂の舞を舞い続けてたとしても。」 「・・・・・・王が死んだのは、一ヶ月ちょっと前だったな・・・。」 突然の死だった。原因は発表されぬまま、数日間、島全体が喪に服した後、新しい王が就いた。 「何が、あったんだ・・・?」 陽の光を背に、ファイは澄んだ瞳で黒鋼を見詰めた。 夜明けの風が、ファイの足首の鈴を鳴らしていく。 それは、本当に聞く覚悟があるのかと、問うているような気がした。 黒鋼はそこを動かなかった。聞きたくなければ逃げ出せばよかったのに。 聞く覚悟ではなく、立ち去る勇気が持てなかった。 「オレ達は・・・神の怒りに触れたんだ・・・・・・」 <BACK> <NEXT> |