生きてるって何ですか?



喪神舞 2



翌日、その日はラストまで入っていた黒鋼は、ファイの舞を昼と夜の二度見ることになった。
昨夜見た鎮魂の舞の静かな雰囲気など微塵も感じさせない、人を魅了するための舞だった。
(よくあれだけ使い分けられるもんだな。)
感心して、そういえば、話すときの雰囲気も全く違うのだと思い出した。
どれが本当の彼なのだろうと、少し気になった。
 
営業が終わってすぐ、ファイをつかまえてワインを渡そうとした。
営業は終わっても、給仕係は店内の掃除があるので、あまりゆっくりと話している時間はないのだが。
「何これー?」
「昨日の金だ。酒なら飲めるだろ。」
「あー・・・オレ、お酒駄目なんだー。」
「・・・・・・。」
聞いてから買えば良かったか。いや、殆ど見ず知らずの踊り子のために、そこまでする必要があるか?
(ん?見ず知らず・・・?)
そういえば、この店に入るまで、黒鋼はファイの存在を知らなかった。
小さな島、島民の殆どは顔見知りというこの環境の中で、これまで全く顔をあわせずに育ってきたというのも不思議な話だ。
「お前、この国の生まれだったよな?」
「え、そうだよー?」
いきなり何を言い出すのだというような顔で答えた後、ファイはワインを黒鋼に返した。
「やっぱりあげるよー。君が飲んで?皆で分けてくれてもいいしー。」
「・・・全く飲めないのか?」
「うん、全然ー。グラスに一杯くらいなら何とかなるけどー。」
そんなものは飲めるうちには入らない、が。
不思議な存在。気になって仕方が無い。
素性も本性も見えない。
聞けば話すだろうか?
「帰る前に時間取れるか?」
「帰る前・・・?あの、オレ・・・」
「待ってる。酒もあるしな。」
そう言うと。ファイは少し驚いたような顔を見せて
「知ってるんだー、舞のこと。」
けれどそれ以上は何も言わない。
知られて困るものではないらしい。それとも、知られたならしょうがないという諦めなのだろうか。
「昨日見た。・・・あれは、誰のための舞なんだ?」
「・・・・・・愛してる人がいるんだ。」
そう答える彼の顔は、昨夜の舞の雰囲気のように、静かな悲しさに満ちていた。
 
他の店員が帰った店内、一人、舞台から少しはなれたテーブルでワインを口にしながら、黒鋼は鎮魂の舞を見詰めていた。そして、さっきの会話を思い出す。
薄暗い光の中に浮かび上がるファイの姿は、じっと見詰めていると胸が締め付けられるような。
ただ一人の為に、いつまでも捧げられる舞。鎮魂の舞とは本来、葬送の儀の際にだけ舞われる物。死後、いつまでも舞うようなものではない。
一ヶ月、舞い続けているということは、舞を捧げる相手は一ヶ月以上前に死んだということ。
それでも、愛してる人がいると、ファイは現在形で語った。
(死んだ人間をってことか・・・)
なんて無益な。愚かしい。どんなに想っても、その人が帰ってくることは無いのに。
それでも、ファイは舞台の上で舞い続けている。舞い出したのは、皆が帰ってから。そろそろ一時間か。
これは、皆には見られたくない顔らしい。つまり、これが素顔。
普通に会話するときの柔らかくつかみ所のない雰囲気は、これを隠すための仮面と言ったところか。
 
「くだらねえ・・・。」
「他人から見たら、そうなんだろうねー。」
呟いた声が届いたらしく、ファイが静かに笑った。舞っている最中でも、言葉は交わせるらしい。
鎮魂の舞を舞いながらの会話は、笑顔の仮面がはがれていた。
「何のための舞だ。」
「鎮魂だよ。迷える魂を冥府へ送るための舞。」
「・・・迷ってるのはお前に見えるぞ。」
「オレは死んでませんー。」
しゃらんと、ファイの腕を飾る金属の輪が鳴いた。昼間聞いたときはただ澄んだ音色としか思わなかったのに、こうして聞くとなんと悲しい響きか。
「・・・・・・くだらねえ・・・」
「他人から見たらそうなんだよ。オレにしか分からない。それでいいんだー。」
「・・・・・・。」
理解を求めるつもりなど無いということか。誰を想っているのかは知らないが、見ていていらいらする。
生きているくせに、死んだものに縛られている。
死んでいないから生きているだけの器のような。
「生きてて楽しいか?」
「・・・別に、生きたいとも思ってない・・・・・・」
そう答えられて、黒鋼は口を噤んだ。
 
グラスに残ったワインを一気に飲み干すと、喉の多くが焼けるような感覚。
それでも踊り子は舞台の上で静かに舞い続ける。
腕輪が触れ合う金属音の中に、耳を澄ますとさざ波の音が聞こえた。
じっと舞を見詰める。見惚れると言ってもいいかもしれない。
舞にあわせてひらめく薄布が、光を通してきらきらと輝く。
暗闇は、彼が立つ舞台を浮かび上がらせるためのもの。
さざ波と鈴と腕輪が奏でる交響曲。
まるでこの世界の全てが、彼の為に存在するかのような。
けれど彼の中にあるのはただ一人の面影だけ。
まるで世界さえ、自分の周りには存在していないかのように。
 
ざわり、と、胸の奥がざわめいた。
いらいらする。
こんな無益な。死者に縛られてなんになるというのか。
彼を縛っているのは彼自身。いつまでも続くこの舞だ。
こんな舞、やめてしまえば、きっとそこにある世界に気付くことも出来るのに。
 
なんて、それはそんな単純な感情ではなかったけれど。
いや、ある意味、もっと単純な感情だったかも知れない。
 
静かに立ち上がると、黒鋼は舞台に足を掛ける。
そして、ファイの腕を掴んで力任せに抱き寄せると、強引に唇を奪った。
「っ・・・・・・!」
驚愕に一瞬硬直した体は、すぐに我に返って黒鋼の腕の中でもがく。突き飛ばしたつもりが、重量負けしたファイの方がしりもちをついた。
そのままおびえた瞳で黒鋼を見上げる。
舞を中断させられたことや行為自体に対する怒りはそこにはなく、ただ恐怖だけが見て取れる。
過剰なほどのそれに、しかし構ってやれるだけのゆとりは黒鋼にはなかった。
「何・・・酔ってるの・・・・・・?」
「さあな。」
自分でも、扱いきれない。こんな感情は初めてで。
一つだけ分かるのは、この感情を後押ししているのは酒の力だったとしても、これは自分の意思だ。
細い体を押し倒すと、薄布が翻り、ファイの体を飾る装飾品が大きな音を立てた。
「やっ・・・離し・・・・・・」
「じっとしてろ。」
ファイの両手を片手で軽く押さえつけて、黒鋼は大きく割れた腰布の裾に手を入れた。
ただそれだけで、まだどこにも辿り着かないうちに、ファイの体がびくんと反応する。
それはただ、行為への怯えの表れだったが。
「なんだ・・・男、知ってるんじゃねえのか?」
薄く笑みを浮かべて、からかう様にそう口にする。まさか、肯定されるとは思わずに。
ただ怯えるだけだったファイの瞳は、その冷たい言葉に不意に静けさを取り戻して。
 
 
「・・・・・・知ってるよ・・・」
 
 
まるで凪の海のようだ。
何処までも静かで、けれど、危険に満ちている。
風も波もない海は、船が移動することを許さない。
見つめた相手が、動くことを許さない。
(・・・・・ばかばかしい)
ぎり・・・と奥歯が鳴ったのは、一瞬とは言え身動きを奪われた自分の不甲斐なさか。
それとも―――
 
奪ってやる。ただそう思った。
ファイの腕に巻きついていた薄布で、両手首を縛り上げる。
腰布を剥ぎ取ると、陽の光を知らない内股の白さに喉がなった。
 
快感を求めることはしなかった。
快感を与えることはしなかった。
ただ、無理矢理に自分の物にしてしまおうと。
ファイはもう抵抗することをやめ、黒鋼の為すがままに。
身を引き裂かれる痛みに悲鳴を上げることはあっても、涙すら見せなかった。
まるで、人形でも抱いているかのような。
気味の悪さを覚えて黒鋼が体を離したとき、ファイはすでに意識を手放していた。
 
 
一気に熱が冷めた。正気に戻ったというべきかも知れない。
どうしてこんなことになったのか、自分でも良く分からない。
両手を縛っていた柔らかい布を解くと、傷にはなっていないまでも、布が肌に食い込んだあとがくっきりと残っていた。
ぐったりしたファイの体を従業員控え室の椅子の上に横たえて、体の汚れを拭く。少し体を動かしただけで痛みに歪む顔に、自分の所業を思い知らされた。
舞台の上に残った行為の痕跡を消して戻ってくると、初めてファイの目に涙が浮かんでいた。
無意識の中でも一人のことしか見えていないのなら、何をしても無駄なのだろう。
虚しさに襲われて、椅子の横に座り込む。
ファイを帰さないと、家族がいたら心配するだろうななどとくだらないことを考えているうちに、黒鋼も眠りに堕ちていた。






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