ただ一人を思い続けることを、愚かだと嘲笑いますか?



喪神舞 1



ここは南の小さな島。
あるものといえば、海と砂浜と林と、宮殿と神殿と遺跡と、いくつかの集落と唯一のホテルと大衆食堂。
住んでいるのは人間と動物と、そして神。
神に名は無く、ただ神という称号だけが贈られた。
動物は、小さな島ながら様々な種類が生息しているが、島民にとっては可食・不可食の区別だけで事足りる。
人は、3種類に分類される。
王族・この島を治めるもの。
平民・この島に住み、治められる立場にあるもの。
神子・神に愛され、神の為に祈りを捧げるもの。
平民達は、大半が狩猟で生計を立てているが、一部それに属さないものもいる。一つは王宮に仕える者。狩猟を生業とするものたちからは、エリートと称される部類だ。そして、それほどではないが、少しエリートと見られるのは、ホテル・大衆食堂で、観光客を相手に働くもの。
 
今日からこの男も、その少しエリートの仲間入りである。
 
「お待たせいたしました。白身魚と木の実の・・・あー・・・っと?」
メニュー名を忘れたらしく首を捻る店員に、客からフォローが入る。
「白身魚の木の実ソース和えだろう?私だ。」
「ああ、はい。」
ガシャン
「・・・・・・」
客は、英国風の紳士。その高級感溢れるスーツに、ソースのしみが広がる。
「・・・・・・申し訳ありません。」
「いいいいいいいいいから早く何か拭くものを持って来たまえ!!」
「あ、はい。」
「申し訳ありません、お客様。新人が大変失礼をいたしました。これをお使いください。」
客に怒鳴られて店員が踵を返すより早く、別の店員が布巾を差し出す。
その様子を見ていた別の客――こちらは島民の様だ――が、二人の店員を冷やかす。
「よお、黒鋼ー、早速やってんなー。やっぱり給仕なんて無理なんじゃないかー?」
「そーそー、人間には向き不向きってもんがあるんだ。お前にゃ漁師がお似合いだぜー。」
「それに比べて小狼は、よく働くよなー。出来が違うぜ。」
「てめえら・・・」
「黒鋼さん、抑えてください・・・!」
 
新人店員、黒鋼。客への無愛想ぶりといい、血の気の多さといい、接客業に向いているとは思えない男だ。
フォローに入ったのは小狼。黒鋼に比べると幼く、まだ少年と呼ばれる年頃だが、この島では子供が働いているのは普通の光景だ。
この大衆食堂、もとはホテルと同様、観光客向けのレストランとしてオープンしたが、観光客などたいして訪れないこの島で、現在の客は殆どが島民である。
小さな島、島民は殆どが顔見知りだ。
そういう客相手なら、多少の失敗も笑って許されたのだろうが、運の悪いことに、今回の相手は外国人観光客。
 
「この店は新人の教育もできていないのか!」
「お許しください。彼は本日入ったばかりで・・・」
「やはりこんな島に来たのが間違いだったな。全く持って不愉快だ。」
「申し訳ありません。あ、もうすぐ、当店自慢の踊り子の舞が始まります。ご覧になりやすい席にご案内いたします。どうかお怒りをお静めください。」
「舞などに興味は無いがな。」
「そうおっしゃらずに。あ、出てきました。」
この食堂、店の一番奥に、大きな舞台がある。島の伝統芸能である舞を、観光客に披露するための場だ。毎日二回、ショーが行われている。これは昼の部。
舞台の上に現われた踊り子の姿に、店内のあちこちからどよめきや溜息が聞こえる。今まで不機嫌極まりなかった英国紳士も、ほう、とその姿に見入り、黒鋼も思わず目を奪われた。
 
南国に住むものとは思えない白い肌。そして、色素を持たないかのようなその肌を飾る装飾品さえ、色あせてしまうような美しい金の髪。店内をゆっくりと見渡す瞳は、この島の海と同じ色。
「こちらの席へどうぞ。」
小狼が舞台に一番近い席に客を案内する。
踊り子が優雅なしぐさで頭を下げると、この国特有の弦楽器が音楽を奏で、舞が始まった。
店中が、まるで呼吸することさえ忘れたかのように静まり返る。
店内に響くのは、弦楽器の音と、そこに加わった打楽器の音、そして踊り子の足首についた鈴と、踊り子の動きにあわせて腕輪が奏でる澄んだ音色。
装飾がゆれ、腕に巻いた薄布が翻る。
優雅に舞う体は、その全て、髪に反射する光までが、観客を魅了するために存在するかのように、その姿から、視線をそらせるものなどいなかった。
性別を感じさせない姿態。
ただただ美しいと、それ以外の感想を抱かせない動き。
永遠のように感じる時は、実際は数分で終わった。
 
踊り子が、礼をして舞台の袖に戻っていくと、英国紳士が小狼に声を掛けた。
「彼は、この国の?」
「ええ。この国の生まれです。」
「素晴らしい・・・。もう一度、舞ってくれる様に頼んでもらえるかな。」
そう言って、紳士は小狼の手に紙幣を握らせる。
かしこまりましたと答えて、小狼は黒鋼に紙幣を渡した。
「呼んできて貰えますか?控え室にいると思います。」
「ああ。」
舞台では、群舞が始まっている。それも十分美しいのだが、先ほどの舞の後では、どんな舞も色あせてしまうようだ。集団で繰り広げられる華麗な動きを見ているものは、客の半数ほどだった。
 
控え室の扉を開くと、中には先ほどの踊り子だけだった。
「おい。」
「はいー?あ、今日から入った人だよねー。よろしくー。」
舞っているときと随分雰囲気が違うんだなと思いながら、黒鋼は預かってきた紙幣を差し出す。
「もう一曲、所望されてるぞ。」
「はいはーい。じゃあ、いってきまーす。」
踊り子は、すっと黒鋼の横をすり抜けた。差し出された紙幣を受け取らずに。
「おい、これはどうするんだよ。」
「んー、あげるよー。」
「あげるって・・・」
「海外紙幣でしょー?この店とホテルくらいでしか使えないんだー。」
なるほど、使えない紙幣はただの紙切れというわけか。
(そんなもん、俺が持っててもしょうがねえだろ。)
踊り子の背中を見送りながら、休憩時間に返そうと、黒鋼は紙幣をしまった。
 
しかし休憩時間にあの踊り子の姿は無く。
「ファイさんですか?昼間は仕事が終わるとすぐ帰っちゃうんです。夜の舞台の時間になったら、また来るはずですけど。」
たまたま控え室にいた、踊り子姿の少女二人に聞くと、そんな答えが返ってきた。あの踊り子、名前はファイと言うらしい。
「夜か・・・。」
「今日から入った人ですよね。黒鋼さん、でしたっけ?私、サクラっていいます。こっちは知世ちゃん。」
「よろしくお願いします。」
「あ?ああ。」
サクラは明るい感じの、知世は逆におっとりした雰囲気の、しかし利発そうな少女だ。そういえば、先ほどの群舞の中にいた気がする。こんな子供も舞うのかと目が留まっただけで、舞はしっかり見てはいなかったが。
「ファイさんに何か用事ですか?」
サクラに尋ねられて、黒鋼はさっきの紙幣を取り出した。
「渡したいものがあってな。さっきの舞の報酬だ。」
「渡しておきましょうか?」
「・・・・・・一度断られてるしな・・」
「じゃあ、お酒か何かに変えて渡したらどうでしょう?この店でなら使えますし。」
知世に勧められて、黒鋼は店の在庫のワインを一本、その金と交換した。あの客の国とこの島の物価の違いなど知らないが、なかなか良質のものが手に入った。
 
 
そして一度家に帰って、閉店時間間際に再び店に来た黒鋼は、その日最後の舞台でファイが舞っているのを確認すると、従業員専用口の前で彼を待つことにした。店の片づけが終わればここから出てくるだろう。そこを捕まえて渡せばいい。
しかし、2時間待ってもファイは出てこない。
(仕込みの手伝いでもやってんのか?)
店員が次々と帰っていく中、さすがにいらいらして帰ろうとしたところに、小狼が店から出てきた。
「あ、黒鋼さん。ファイさんですか?」
「ああ、何やってるんだ、あいつは。」
「・・・夜は、最後まで残ってるんです。」
「ああ?」
それならそうと早く言え。分かっていれば、こんなところで何時間も突っ立っていることも無かったのに。
「・・・渡しに行きますか?もう、ファイさんしか残ってませんし。」
店内に戻る小狼の後について、黒鋼も従業員専用口から中に入る。
そしてふと、気になることがあった。
「アイツは踊り子だろ。こんなに遅くまで何やってるんだ?」
そういえば、調理り場担当の店員達は、さっき帰って行った。もう、仕込みも終わっているはずだ。残ってするような仕事が、踊り子にあるとは思えない。
問われた小狼は、少し言葉に詰まって、ただ一言だけ。
「舞を・・・」
 
小狼は、控え室の方ではなく、店内へ黒鋼を案内した。もう電気が消えた店の中、舞台の上にだけ、灯りがともっている。その光の中で、ファイが一人、舞っていた。
「・・・・・・あれは、なんだ?」
その舞は、昼間の舞とは随分違う。音楽が無く、鈴と、装飾品がすれる金属音しか聞こえないせいか、優美さはそのままだが、もっと、静かな雰囲気の。
魅了されるというより、胸が痛くなるような。
「鎮魂の舞です。」
舞台から離れた場所から、隠れるようにしてその舞を見詰める二人の声は、ファイには届いていないだろう。
「鎮魂?」
「はい。葬送の儀に舞われる舞です。最近では、簡略化されていることが多いですが、ファイさんが舞っているのは本格的な物ですから、3時間かかります。」
「3・・・!?」
なるほど、2時間やそこらでは出てこないわけだ。
「ちょっと待て。あいつはこれを毎日やってんのか?」
先ほどの小狼の話から推測すると、そういうことになってしまう。毎晩3時間、いくら職業が踊り子とは言え、これはあまりにも。
けれど小狼はあっさりと頷いた。
「はい。ファイさんがこの店に入ったのが一ヶ月ほど前。それから毎晩、一日もかかさず。」
「・・・・・・鎮魂ってことは、誰かが死んだってことか?」
「そうでしょうけど、そこまでは・・・。」
黒鋼が思わず溜息を漏らすと、手に持っていたワインがちゃぷんと鳴った。
「どうしますか、それ?」
「・・・・・・明日渡す。」
厳かな舞は、とても止められる雰囲気ではない。明日の夜、この舞が始まる前に渡してしまおう。
そう決めて、黒鋼は小狼と店を後にした。




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