月の下の祈り人〜３〜 黒鋼とファイが戦場に出るようになってから十日程がたった。本来の目的を忘れたわけではない。だから、少々焦り始めている。 小狼たちは何処にいるのだろう。夜魔ノ国で見つけたサクラの羽根を二人が所有している限り、いつかは再会出来ると思うのだが、よくよく思い出すと、モコナの羽根感知能力はいまいち当てにならない。 修羅ノ国の兵士にでも尋ねてみようかと試みたことは何度かあったが、二人の最強伝説は敵軍中に広まっていて、黒鋼を前にしただけで皆さん決死の覚悟で斬りかかっていらっしゃるので、とても会話どころではない。まあ、逃げ出さないだけ大したものだが。そして言葉が通じないファイは端から問題外。 そんな時、夜叉王が戦場で負傷した。いつものように、敵の長と激しい打ち合いを繰り広げていた時、その一太刀を、右顔面に浴びたのだ。 「！！」 気付いたファイが矢を射る。阿修羅王がそれを避けるために馬を数歩下げた所へ、黒鋼が二人の間に割り込んだ。振り下ろした蒼氷を修羅刀が受けると、金属音と共に火花が飛び散る。 「黒鋼！」 不意に夜叉王が鋭く叫ぶ。 「手を出すな。」 「手ぇ出すなってお前・・・」 「私の相手だ。」 顔の右半分を押さえる手からは、ぼたぼたと紅い液体が滴る。手では間に合わない。珍しく慌てた表情を見せるファイが、駆け寄ると衣を裂いて傷口に当てた。 丁度その時、幸運にも月が昇りきる。互いの姿が消え始める中で、黒鋼は阿修羅王を見た。 「・・・？」 呆然とした表情。敵の長に傷を負わせたのだから、もう少し喜んでも。いや、あからさまな喜びは見せないにしても、あんな戦意すら喪失した顔を見せるなんて。そういえば、一度黒鋼の太刀を受けたきり、彼からは一撃の反撃もなかった。 理由を探る前に世界が変わる。阿修羅王の姿は完全に視界から消えた。ホッとするまもなく後ろを振り返ると、落馬したのか降ろされたのか、地面に横たわる夜叉王の上半身をファイが支えていた。血の気の失せた顔からそれでも止まらない出血が、傷口を押さえるファイの袖口まで濡らしている。 「おいっ！医者連れて来い！！」 周りの兵士にそう叫びながらふと、そういえば沙羅ノ国にあった夜叉像には、右目に大きな傷があったことを思い出した。 「お目覚めになられました。」 夜叉王の部屋の前で待っていた二人に、中から出てきた医師が声をかけた。開かれた扉から中へ入ると、夜叉王はもう寝台の上に体を起こしていた。顔の右半分に巻かれた布が痛々しいが、顔色は大分よくなったように見える。 「起きていいのか。」 「ああ、すまなかった。」 「右目は。」 「・・・直に慣れる。」 暗に告げられる失明の事実に、黒鋼は眉を顰めた。 「何やってんだ・・・お前なら、避けられねえ攻撃でもなかっただろ。」 攻めるような口調は、黒鋼なりの心配の表れだ。分かっているのだろう、夜叉王は小さく苦笑する。そして、 「体が、思うように動かないのだ。」 「あ・・・？」 「この身は病に侵されている。もう長くはない。」 「・・・・・・・・・・・・」 淡々と、まるで台本でも読むかのように告げられる真実に、黒鋼は返す言葉すら見つけられない。助けを求めるようにファイを見たが、それはこの場でもっとも無駄な行為だ。 「・・・・治らねえのか・・・。」 もうすぐ死ぬといっている人間に、それはあまりにも愚かな問いだ。 「医者がさじを投げた。もう助からないと。」 それでも、月の城での戦いの勝者は、城の力で願いを叶えられるというではないか。 「月の城の願いで・・・」 「阿修羅を倒してこの命の継続を望む、か・・・？」 夜叉王の笑みに自嘲が混ざった気がした いまの『阿修羅』は阿修羅族全体を指したのだろうか。それとも王一人を指したのだろうか。 判断がつかずに困惑する黒鋼から視線をはずすと、夜叉王はファイに目を向けた。 「ファイ・・・一度その髪に触れてみたいと思っていたのだが・・・構わぬか・・・？」 突然話しかけられて、ファイは戸惑った表情で黒鋼を見る。黒鋼は無言で、ファイを夜叉王の前に押し出した。 夜叉王が差し出した手にファイがおずおずと自分の手を載せると、それを許可とみなして王のもう一方の手がファイの髪を梳く。 「美しいな・・・月の光の色だ。」 眩しそうに、切なそうに、自分を見つめる眼差しに居心地の悪さを感じたのか、それとも黒鋼の怒りを案じたのか、ファイは夜叉王の腕から逃れぬまま、黒鋼に視線だけを送る。黒鋼はかなり不機嫌な顔はしていたが、引き剥がす気はないらしい。 そんな必要はねえ。その目なら痛いほど良く知ってる。 目の前にいる人間を通して、遠い誰かを想う目だ。 「月の城を取ったら何を願うつもりだったんだ。」 少し気になって聞いてみる。答えはもう予想していたが。 「・・・戦の哀しみにも黒く染まらぬ金の瞳を。」 夜叉王はそう応えて、遠い月を見上げた。 翌日からの出陣は流石に医師に止められて、夜叉王は軍の指揮を黒鋼に任せた。 「俺の好きにしていいんだな。」 「・・・ああ。」 それなら、聞かなければなるまい。いないだろうという予感はあるのだが。 月の城に着いて敵軍と向かうと、夜叉王を欠いているのを見て阿修羅王の顔が曇ったように見えた。 流石の黒鋼でももう気付いている。敵同士の二人の王が互いに抱く想い。ファイにおいてはもう少し前から気付いていたようだ。 「阿修羅王、」 突撃しようとする兵を止めて、黒鋼は敵の長を見据える。 「聞きたいことがある。」 「・・・・・・」 阿修羅王は怪訝そうな顔をしたが、馬を前に進めた。付き従おうとする側近は短い言葉で制止する。 黒鋼も一人で前に出た。静かな空気の中、両群の間で二人の馬が並ぶ。 「・・・夜叉軍の者と言葉を交わすのは初めてだな。」 「そうなのか。」 「ああ。永き間・・・我々が交えるのは刃だけだ。」 言葉も想いも、交えることは叶わずに。 「夜叉王は・・・？」 自分が傷つけた夜叉王の身を案ずる、阿修羅王の瞳は確かにファイの髪に似た金色。 「・・・命に別状はねえ。」 あの傷に関する限りは、だが。 「もう右目は開かねえらしいが、傷さえ塞がればここにも出てくる。」 「・・・・・・・・病の方は・・・？」 「知ってたのか。」 「少し前にな・・・。」 きっと、毎日刃を交えるからこそ、分かることもあるのだろう。そしてその表情なら、かなり重いことも知っている。何と答えたものか。 しかし、黙り込む黒鋼を見て答えは察したのか、阿修羅王は小さく笑んで、それ以上の追求はやめた。 「聞きたいことというのは？」 本来の話題に戻ったことで黒鋼はほっと胸をなでおろす。 「俺たちは、旅の仲間とはぐれて捜してる。ガキが二人と小動物一匹、そっちの国に行ってねえか。」 できれば早く再会して次の世界へ移動したい。ファイも一所に留まる事は喜ばないだろうし、それにこの国は―――ひどく哀しい。 しかし、期待よりも予想の方が当たり、阿修羅王は首を横に振った。 「いや、異人が来たという情報は入っていない。しかし・・・・・・俺たち、と言ったな。後はあの金の髪の男か？」 「ああ。」 「その子供達が見つかれば、お前達はまた別の場所へ行くか。」 「ああ、そのつもりだ。」 「では、こちらでその子供達が見つかればここへ連れてこよう。お前達は強い。いなくなってくれたほうが、こちらには都合がいいからな。」 戦力削減を口実に協力を申し出られる。種族を超えた個人に対しては、憎む理由などありはしない。 『じゃあ、こんな戦争やめちまえ。』 いつか、何かの拍子に夜叉王に吐き捨てた言葉が、今になって正しいものだったように思えた。 いないだろうと予想したのは諦めからではない。 この世に偶然はなく、全てが必然の元に動いているのだとするなら、自分達はこの戦の結末を、見届けなければならないような気がしたのだ。 顔の怪我で寝込んだことがきっかけになったのだろう、夜叉王の病は急速に悪化し、一度も戦場に戻れぬまま、もう回復の兆しすら見えずに。 軍全体の士気は黒鋼が何とか保ったが、一番沈んだ顔をしているのはなぜかファイだった。最近は、暇さえあれば夜叉王の側で過ごしている。何をするわけでもなく、ただ寝台の横に座って、最近は殆ど一日中眠っている夜叉王の顔を、哀しそうに見つめている。 黒鋼は最初、『元いた国の水底で眠ってる人』とやらに重ねているのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。時々振り返って黒鋼を見るファイの目は、遠いどこかではなく黒鋼を見ていた。 良い傾向、と言っていいのだろうか。ファイの黒い双眸が、不安げに揺れていても。 話したい。今何を考えているのか、何に怯えているのか、どうして欲しいのか。 互いに抱く叶わぬ願いに胸が締め付けられた時は、二人はその場で唇を重ねた。そしてファイは思い出したように、短い言葉をポツリと漏らす。何度も繰り返されたそれが愛を伝える言葉だと、黒鋼が気付くまでそう時間はかからなかった。 そして結末が訪れる。戦から帰って自分達の部屋で眠りについた黒鋼とファイは、明け方に医師に起こされた。 「夜叉王様が、先ほどお亡くなりに・・・」 「死・・・んだ・・・・・・？」 長くはないと覚悟はしていたが、心のどこかでは、今日明日の事ではないと思っていた。人の死とは、こうもあっけないものだっただろうか。 「・・・最後の、言葉とかは・・・。」 「いえ、眠りからお目覚めになられないまま。」 「そ・・・うか・・・・・・。」 すぐそっちに行くと約束して、黒鋼は医師を帰した。 この世に偶然はなく、全てが必然の元に動いているのだとするなら、自分達はこの戦の結末を、見届けなければならないような気がした。 これが、結末だろうか。 少し落ち着くと、阿修羅王に、夜叉王は戦場に戻ると言ったことが思い出された。 嘘になってしまった。彼には何と伝えたものか。 いやその前にファイに、王が逝った事を理解させなければ。そう気付いて黒鋼がファイを見ると、張り詰めた瞳が自分を見上げていた。 もう分かっているのだろう。伝わらない言葉で長々と説明するよりも、小さく頷くだけでよかった。 「・・・・・・・・・・」 ファイは僅かに目を見開き、そして突然身を翻す。 「？おい、何を・・・」 ファイが棚の奥から取り出したのは、初めてこの国に来た日に、夜叉王から渡されたサクラの羽根。 「どうするつもりだ！？」 駆け出そうとするファイの手首を掴んで引き止める。そして黒鋼は、振り向くファイの目に溜まった涙に息を呑んだ。 「何・・・泣いてんだ・・・・・・」 決して、こんな場で涙を見せる人間ではないはずなのに。 「なんでお前が泣くんだ！！」 ほんの数週間、世話になった人間が死んだくらいで。 びくりと閉じたファイの目から、こらえきれずに涙が零れ落ちる。 「зA・・・зкёЙЬлкдЖк-・・・」 一筋二筋、止まらない涙に袖を濡らしながら、ファイが口にした言葉を黒鋼は理解することができない。 だから、ただ抱き寄せる。せめて、この涙が止まるまで。 黒鋼の胸に顔を埋めて、ファイはずっと、愛を伝える言葉を繰り返していた。 だってオレは知ってる 愛しい人を遺して逝く事がどんなに辛いことなのか ごめんね 伝える言葉があったとしても、君には伝えないかもしれないけど――― ファイの涙が止まってから、二人は夜叉王の部屋を訪れた。 少し羽根の力を借りるだけ。きっとサクラも小狼も、許してくれると思った。 ファイが夜叉王のむくろの上に羽根をかざすと、目映い光の後に、生きていた時と全く変わらない夜叉王の姿がそこにあった。いや、顔の傷が消えてしまったのは、変わってしまったと言うべきなのだろうか。 「こんな事もできるのか・・・」 息を呑む黒鋼と、まだ目が赤いファイを交互に見て、夜叉王は――それは彼の魂を宿した影身に過ぎなかったが――永い眠りから覚めたような表情で呟いた。 「願いが・・・叶った・・・・・・」 あれをやったのがファイさんだったらいいなーと思ったわけですよ。 ・・・・・・・・・・・・だ、駄目・・ですか・・・ね・・・？ 原作は歪めてないつもりなんですが（こんなの書いてる時点で歪んでる） 黒ファイを起こしに行ったお医者さんはどんな光景を見ちゃったんだろうかと心配でなりません。 またちょっとへたれ度上がってきてる黒鋼さんは、ラストはびしっと決めてくれるのか。 次回最終回。 BACK NEXT |