月の下の祈り人〜4〜 「阿修羅に会った・・・。私が姿を見せると驚いた顔をして・・・顔の傷に触れて・・・ひどく、哀しそうな顔をしていた・・・。」 辛そうな顔で語る夜叉王を見て、黒鋼はやっとファイの真意を悟る。 置いていくことは哀しいから。遺していく事は辛いから。 ファイが夜叉王に重ねていたのは、故郷の誰かではなく自分自身。 ではあの時ファイはなんと言ったのだろう。伝わらない言葉で、たった一言ではあったが、自分の過去を話したのだろうか。 それは少し嬉しいようで、少し悲しいようで。 「この羽根は・・・借りていても良いのか・・・?」 「減るもんでもねえだろう。ガキどもが来たら返してもらうが・・・」 夜叉王にそう答えて、黒鋼はふと思う。これは、別れが先延ばしになっただけではないのだろうか。 「これで・・・良かったのか・・・?」 ファイにとも夜叉王にとも取れない質問に、ファイはただ黒鋼を見上げ、夜叉王は小さく笑んだ。 「私の願いはもう叶った。」 長い戦の哀しみにも黒く染まらぬ金の瞳は、夜叉王を映して涙に濡れた。 「私が消えれば新しい王が立ち、また戦は続くだろう。だから、この後の戦いは、阿修羅の願いをかなえるために。」 「殺されるつもりか・・・。」 と言ってももう死んでいるが。 「終わらせるつもりだ。」 そう訂正して夜叉王は、ファイに短い礼の言葉を告げた。 その夜、戦場に現れた夜叉王の姿に阿修羅王は当惑を隠せない様子だったが、対峙する振りをして告げられた真相には、哀しみと喜びが入り混じったような顔をした。 「その子供達が来るまでは・・・この戦いを続けても良いのか・・・?」 「終わらせるつもりはねえのか。」 横から口を挟んだ黒鋼に、質問の形で答えが返ってくる。 「別れが、突然でなければいいと思ったことはないか・・・?」 人はいつも、予想もしない別れに哀しみ惑う。ずっと側にいた黒鋼たちでさえ、夜叉王の死を突然だと感じたのだ。側にいることすら叶わなかった阿修羅王ならきっとなおの事。 「次元の魔女、と呼ばれる女を知っているか?」 「・・・ああ。」 予想外の名に憎しみに似た懐かしさがこみ上げる。 「夜叉王が消えた後に、夜叉王の蘇生を願った。」 「・・・叶わなかったのか。」 今にも涙に代わりそうな笑顔が、それを肯定する。 『死者を、蘇らせる事はできるか?』 『出来ない訳ではないけれど、大きな対価を必要とするわ。貴方には支払いきれない。』 「月の城にでも願ってみろ、と言われた。けれどきっと・・・」 叶わぬ願いなのだろう。それでも、望まずにはいられない。叶わぬなら叶わぬものとして、運命などと言うわけの分からぬものに引き裂かれるくらいなら、いっそ自分の手で終わらせた方が。でも、今はまだ――― 「覚悟を決めるまで、時間が欲しい。だから羽根は、私から返したい。」 夜叉王の幻を消して羽根を返して、ほんの少しだけ成就を夢見ながら、叶わぬであろう願いを月の城に願う。 それまでは少しでも長くその姿を。きっと、どんなに長くても、覚悟など出来ないだろうが。 「その子供達を見れば、決意も定まるかもしれない・・・だから、それまでは羽根が何処にあるかは・・・」 「しかし・・・ガキどもがこっちに落ちたら、羽根の事は気付く。」 「彼等はこちらでもてなそう。だから何も、知らない振りをしていてはくれぬか・・・?」 「そう上手くそっちに落ちるとも思えねえが。それに、いつ来るかもわからねえぞ?」 「・・・・・・」 思えば、このとき阿修羅王が静かにたたえた笑みが、すべての始まりだったのではないだろうか。 阿修羅王は、城に帰ると再び、魔女に連絡を取った。 「阿修羅王、新しい願いが決まったようね。」 姿を見せた魔女は、全てを見透かす瞳で妖艶に笑う。 「ああ、子供を二人、我が城に招きたい。名は小狼とサクラ。それに、モコナという生物も一緒らしい。」 「その二人なら良く知っているわ。次元を渡る旅をする者。彼等に何の用?」 「・・・羽根を、返そうと思う。その決意のために、会わなければならない。」 「・・・・・・・・いいでしょう。」 その願いは、魔女の気に召したようだ。 「彼等は今、貴方がいる世界の未来にいる。モコナを強制移動させて貴方のいる時代へ落とすわ。ただ、時間移動はそう簡単ではないから、正確にその瞬間へ送る事はできないでしょうけど・・・。」 「誤差はどれくらいだ?」 「そうね・・大きくても前後1年以内には。」 「前後・・?」 「ええ。」 「・・・そういうことか・・・」 小さく、笑みが漏れた。 「どうしたの?」 「いや、必然と言うものは、面白いものだと思ってな。」 「・・・そうね。」 黒鋼とファイがこの世界に現れ、ファイが夜叉王の幻を創ったから、阿修羅王は魔女にこれを願い、それゆえに黒鋼とファイはこの世界に現れた。 何処から始まったのか分からない必然のループ。魔女は知っているのだろう、阿修羅王に合わせてくすりと笑う。 「では対価は?難しいと言うからには、相当のものを要求されるのだろうな。」 「そうね・・・安くしておくわ。おいしいお酒を一本、なんてどう?」 「それで良いのか?」 「ええ。貴方の願いはこちらにも都合がいいのよ。貴方がいる世界に、モコナが着いたら渡して頂戴。」 「ああ、そうしよう。」 こうして、この時間の数週間前に黒鋼とファイが、その約半年後に、小狼・サクラ・モコナが落とされた。 この世に偶然などない。すべては必然の元に。 阿修羅王から小狼たちは遅れてくるらしいと聞かされて、ファイが随分落ち着いたので、黒鋼も残りの日数は穏やかに過ごせた。言葉が通じないのは相変わらずだったが、終わりが見えればそれもあまり不安には感じなくなった。人目を忍んでファイが囁く異国の愛の言葉にさえ、心地よさを感じるほどに。 そして、待ち望んだ瞬間は、月の城での戦闘中に、突然に訪れた。 「あ、」 「あ?」 喋れないと言う設定のはずのファイが突然口を開いた。何事かと黒鋼がすぐ後ろの彼を振り向くと、まだ黒い瞳と視線がぶつかる。 「小狼君達が来たかもー。」 「・・・お前、言葉が・・・」 「久しぶり、黒むー♪」 ずっと側には居たのだから久しぶりと言うのも奇妙な気がするが、それでも確かに久しぶりにファイの声で呼ばれる自分の名に、黒鋼は戦闘中にもかかわらず抱き寄せて唇を奪いたい衝動に駆られる。 しかし、小狼達が修羅ノ国に行くなら、夜魔ノ国に戻った後にも言葉が通じる保証はない。そう思うと、口をふさぐなどという無粋なマネはしたくなかった。 「もう一度呼べ。」 幸い、周りに夜叉軍の兵は居なかった。もし聞かれたとしてもこの喧騒の中、聞き間違いだろうと言い張ることもできるだろう。 「黒むー」 「もう一度」 「黒りん、黒たん、黒様・・・ねえ、こんなにロマンチストだったっけー?」 名を呼ばれるだけで嬉々とした表情を見せる黒鋼に、ファイは苦笑してそして迫り来る敵に矢を一本。黒鋼も目の前の二人を斬り捨てる。 「それで、いつも名前も呼んでもらえないオレは、どんな台詞で言葉が通じることを実感すればいいのー?」 「そうだな・・・」 もう一人、斬り捨ててから黒鋼は、 「今夜は寝かせねえぞ。」 「ひゅー・・・最高。」 夜魔ノ国に戻る直前に、夜叉王に呼ばれて高台に上った。そこから見下ろすと、小狼たちが阿修羅王と接触するのが確認できた。一瞬目が合ったが、知らないふりを貫き通す。羽根の事も、小狼たちの事も、何も知らない振りをして、全くの別人を装う。 見届けるべき結末は、そう遠くない。 「ついでだ、剣の稽古でも付けてやるか。」 「?」 夜魔ノ国に戻ると、やはり言葉は通じなくなってしまったが、きっとまた明日、月の城に行けば通じるはずだ。一応話せないという設定があるため所構わずというわけには行かないだろうが。 だから首を傾げたファイに、黒鋼は「明日言う。」とだけ返した。これもきっと、伝わってはいないだろうが、ファイも、明日また言葉が通じることは予測している。 だからファイにも、伝えたい言葉があった。 「ζD£ж・・・」 翌日、足元が戦場に変わる直前に、黒鋼だけに届くように、ファイはいつもの愛の言葉を囁いた。 景色が変わる。 もう一度、同じ言葉を繰りかえす。 「好きだよ」 訳の正解を告げるとファイは馬を走らせた。 黒鋼も慌てて後に続く。いい損ねた言葉は、もうどうでもいいように思えた。 言わなくても、伝わるか・・・ 訳の答えを、自分が知っていたように。けれどそういえば一つだけ、解読できない言葉があった。 言葉が通じても、ファイは教えてくれるだろうか。 もう少し時間がかかるかと思ったのだが、小狼たちが到着して3日目に、阿修羅王は夜叉王の幻を消した。 砂のように消え逝く夜叉王の姿と、それを愛しそうに最後まで抱きしめた阿修羅王と、現れた羽根と驚く小狼とを離れた場所から見守りながら、黒鋼はファイに声をかけた。 「おい、」 「んー?」 「・・・あの時、なんて言ったんだ?」 「あの時ー?」 「夜叉王が・・・死んだ時・・・。」 サクラの羽根を持って駆け出そうとするファイを、黒鋼が止めたあの時。愛を伝える言葉以外を、唯一黒鋼が聞いたあの時。 「あー・・・なんて言ったと思うー?」 伝わらない言葉で、たった一言ではあったが、自分の過去を語ったのだろうかと。 答えるべきか否か、珍しく迷いを見せる黒鋼に、ファイは困ったように笑う。 「そんなに深刻にならないでよー。ただなんて伝わったのか、気になるだけだからさ。」 「・・・・・・・・・『オレも、置いてきたから』・・・とか。」 知っている、遺していく辛さ、置いていく哀しさ。だから、見ていられなかったのかと。 「あー、そう取ったんだ・・・んー・・・」 「違うのか。」 「・・・『オレは・・・置いていきたくない』って・・・言ったんだよー・・・」 知ってる、遺していく辛さ、置いていく哀しさ。だから、できることならもう二度と。 それでも人はいつか必ず別れるなら 「黒むーとも・・・いつか離れるのかなって・・・」 それが哀しくて泣いていたのだと。 サクラの羽根を使ったことが正しかったかどうかなんて分からない。 それでも、何かしなければ、同調した痛みに心が引き裂かれそうで。 夜叉王に自分自身を重ねたのではなく、引き裂かれる二人に、自分達を重ねていた。 「喋れたらもうちょっとマシだったかもしれないけどねー、何も喋らないと、余計なことばっかりぐるぐる考えちゃってー。」 「・・・・・・じゃあ、」 「ん?」 「・・・・・・・・いや、いい。」 「えー、何ー?」 「いいっつってんだろ。」 それでも、月の城へ行きたがったのは、誰かに会いたかったからではなかったのかと。訊くまでもないことだ。少なくとも本当に撃つ気がなければ、的を狙う指先が震えるはずがない。ファイが自国の言葉で半年間、愛を囁き続けたのは黒鋼だったはずなのに、言葉が通じない不安にそんな事すら分からなくなるなんて。 月の城が揺れた。大きすぎる阿修羅王の願いを受け止めきれずに。 「行くぞ。」 「気になるよー。」 「うるせえっ!」 黒鋼がいつもの調子で怒鳴ってファイの馬に跨ると、ファイが後ろから問いかけた。 「ねえ、黒様ー、」 「何だ。」 「黒様も不安だったー?」 「・・・・・・・・・。」 ああ、と小さく答えてやると、不安にさせた張本人は、背後で嬉しそうに笑っていた。 小狼を回収して修羅ノ国へ。そこからモコナで沙羅ノ国へ。 初めて訪れた時とは全く違ってしまったその国に様子に驚きはしたものの、未来が変わったという自分達なりの結論を出して。 祝い酒に手を付けぬまま、モコナは次の世界への道を開く。 「ちっとは飲ませろ!」 「はいはい、落ち着いてー。」 放っておけばモコナに殴りかかりそうな黒鋼の襟を掴んで、ファイはもう片方の手を小狼の肩に置く。もう言葉が通じないのはこりごりだ。今度は離れて落ちる事などないように。 「小狼君はサクラちゃんを。離れちゃわないようにね。」 そう言って微笑むと、突然黒鋼に片手で腰を抱き寄せられた。 「およ、黒様ー?」 「・・・・・離れねえように、だ。」 愛している。 だから自分達は、遺すものにも遺されるものにもならないように。 「・・・うん・・・そうだね。」 答えてファイは、もう一度神々の像を振り返った。 そして祈る。引き裂かれる痛みを、誰よりも良く知る彼等に。 もしかすればそれは、月の城が叶えられなかった願いと同様、大きすぎるものかもしれないが。 ――――どうか、ずっと・・・・・・ 神々の返事は聞こえなかったが、次の世界への道の途中で、蒼に戻った瞳の上に、優しいキスが降りてきた。 そんな所でチューしとったら誰かには見られますよ。しかもお目目チュー・・・。 お目目チューといえば、『サクラ様は心が忘れても体が覚えてるほどのキス魔だったのか疑惑』は否定もされずにそのまんま。この国で一番気になるところですね。 ファイさんの台詞は、一回日本語で書いてから、右クリック→エンコード→キリル言語(Windows)に変換して文字化けしない所だけとってます。そして物足りない所は適当に記号を足してます。 というわけで全4話、無事終わりました。 お付き合いいただきありがとうございました。 BACK |