月の下の祈り人〜2〜 世の中上手くはできていない。期待したことは大体外れて、悪い予感ほど良く当たる。羽根はあっさり見つかったのに、2日間二人で町中を探し回っても、小狼たちを見たという情報さえ入ってこなかった。 3日目、今日は小休止だ。本来の目的・・・ではなく、もう一つの期待くらい、叶えられてもいいではないか。 「おい。」 玉座に夜叉王の姿を見つけて、黒鋼は王を王とも思わぬ態度で声をかけた。後ろをついてきたファイは、言葉は解せずともその態度の悪さは分かる。思わず苦笑を浮かべた。夜叉王も全く気にした様子はなく、 「何だ。」 と言葉を返した。むしろこの不遜さが気に入っているらしい。 「人捜しばかりで体が鈍りそうだ。手合わせしろ。」 「・・・・・・断る。」 お前の態度は人に物を頼む態度じゃないから、というわけでもなさそうだ。 「理由は。」 「今夜も戦だ。お前は容赦がなさそうだからな。下手に怪我でもさせられては困る。」 「真剣でやり合おうとは言ってねえ。木刀でも竹刀でも構わねえし、防具でも付けてりゃ大した怪我はしねえだろ。」 それは防具を付けていても、大した事のない怪我ならするという意味だろうか。夜叉王は小さく笑みを浮かべた。 「嘘だな。」 「何がだ。」 「人を斬りたくて仕方がないという目だ。竹刀などでは満足できまい?」 「・・・・・・。」 見抜かれている。人を斬りたいとは言わないが、やはり命を懸けた戦闘でないと物足りない。 「黒鋼、戦に出るか?」 「戦に?」 「刀は持っていたな。鎧はこちらで用意しよう。手柄を立てれば報奨金も出す。それに、お前の連れは、この国に居ないならもしかすると・・・」 「!修羅ノ国か。」 「一人は男子なら、向こうもその可能性に気付いて出てくるかもしれない。」 「確かに・・・。」 小狼なら、それくらいの発想はするだろう。それに、羽根がこちらにあるから、モコナが何か感じているかもしれない。最初に落ちたのは月の城、沙羅の国でのように少し離れて落ちたのだとしたら、彼等があちらの軍の中に落ちたということは十分考えられる。 「ファイはどうする。何か得意な武器があるなら用意させるが?」 話をふられてファイは黒鋼のほうを見た。何を言われているか分からないから、返事も判断も任せている。 「こいつは・・・置いて行く。」 しかしそれは、一種の支配だ。 「戦場には、俺だけで行く。」 行かせられない理由があった。 立ち込める湯気の先に月の城を見上げて、ファイはそこに居るであろう黒鋼を睨みつけた。勿論、彼の姿まで捉えることはできないが。 こんな事になるなら、何もかも任せきりにするのではなかった。置いてけぼりなんてあんまりではないか。戦に行くと、黒鋼が鎧を身に着けるまで気づかなかった自分も自分だが。 運良く言葉が通じた彼には、言葉が通じない不安が解らない。側に居るのに、一人取り残されているような孤独。 それに、黒鋼が居ないと、侍女たちがやたらとファイに構いたがる。秀麗の旅人は、いつの間にか注目の的になっていたらしい。 「ファイ様、お菓子はいかがですか?」 「音楽をお聞きになりませんか?」 「湯殿の用意が整いました。どうぞお入りなさいませ。」 何を言われているのか分からないから、何を言われても首を振って遠慮する振りをしていたのだが、最後のお姉さんはちょっと強引で、半ば無理矢理に風呂に押し込まれた。此処は客人用の湯殿。慌てて一番風呂しなくても、ほかに入るのは黒鋼しか居ないのに。 鬼の居ぬ間になんとやら。黒鋼が居ると近寄りがたいのは分かるが。 それとも、戦場で黒鋼が浴びるであろう返り血で(本人の血は流れないと思う)、湯が穢れる前にという配慮なのだろうか。 これから、小狼たちが見つかるまで、毎日こんな夜を繰り返すのだろうか。 不安だ。 言葉の事だけではない。きっとこの旅を始めてから、こんな風に一人になるのは初めてだから。そして―――あそこに、彼がいるかもしれないから。 腕を、伸ばしてみる。少しにごった不思議な湯が、肌の上を流れた。 指の間に白く輝く月。届きそうだなんて馬鹿なことを言ったのは何処の誰だろう。届くものなら、こんなに不安にはならないのに。 あそこには、『あしゅら』の名を持つ何者かが居る。この世界と、沙羅ノ国との関係は分からないが、夜叉に対立するものは阿修羅。言葉など通じなくても、それくらい容易に想像できた。 だからもう一度、月の城に行きたいと思っていた。 だから黒鋼は、連れて行ってくれなかったのだろう。 けれど彼は間違っている。 確かめることが怖いんじゃない、確かめないから怖いんだよ―― 居るか居ないかも分からない影に怯え、しかも彼まで側に居ない。確かめることは怖くない。きっとそのときは、側に居てくれるだろうから。 「ЮФ€Бй・・・・・・」 届くはずのない声で、伝わるはずのない言葉で、ファイは彼の名を呟いた。 帰ってきたら思いっきり引っ叩いてやろうか。ああ、でもその前に――― 黒鋼の体からは血の臭いがしたが、ファイは構わず抱きついた。否、しがみ付くと言った方が正しいかもしれないその抱擁に応えながら、黒鋼は後ろ手に扉を閉めた。 「何だよ、心配でもしたか?」 きっと置いて行った事を責められるだろうと覚悟していた黒鋼にとっては、ファイのこの行動は予想外のもので、とりあえずいいように解釈してみる。けれど見上げてきた瞳に、無事の帰還を喜ぶらしき色はなかった。 思わず零れそうになった舌打ちを、とっさにキスに代える。 触れたのは黒鋼からで、深めたのはファイの方。 絡める舌が、異国の言葉より雄弁に、孤独の恐怖を伝えてきた。 指で梳いたファイの髪は少し湿っていて、風呂にでも入ったのだろうと分かっているのに、まるでファイが泣いていたように思えた。 これなら、責めてくれた方がよほど良い。悪いことをしたというのは、よく分かっているのだから。 けれど、 「・・・他に、どうしろってんだ・・・。」 「・・・?」 首を傾げたファイの頬にそっと手を添えて、もう一度深い口付けを。そしてそのまま、ファイの首筋へ、肩へ、鎖骨へと唇を落としていく。まだ着けたままだった鎧の紐は、ファイの指が解いた。 そこへ 「邪魔するぞ。」 「っ・・・・・!!」 突然開かれた扉に、二人はとっさに体を離したが、紅潮した頬と僅かながらも乱れた衣服、誤魔化しきれたとは到底思えない。 「テメエな!開ける時は一言断りやがれ!」 「断ったぞ?」 心外だという顔をして部屋に入ってきたのは夜叉王一人。 「本当に邪魔をしたか、悪かったな。善戦祝いの酒でもと思ったのだが。」 「・・・・・・・・・。」 確実に気付いたに違いないのに、こうもあっさり流されてしまうと返す言葉が見つからない。仕方なく続きは後でということにして、二人は酒宴に付き合うことにした。 「正直、あれ程までとは思わなかった。」 夜叉王自ら酌をしながら、今夜の黒鋼の功績を称える。 「正式に兵として雇いたいくらいだ。」 「それはお断りだ。」 杯になみなみと注がれた酒を、黒鋼は一口で煽った。 「君主はただ一人に決めてる。あいつ以外の下にはつかねえ。」 「ほお。では、敵に止めを刺さないあの戦い方は、その君主の教育の賜物か?」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まあな。」 敵兵は何十人と斬ったが、呪の事を思い出して命まではとらなかった。だから少々不完全燃焼で、しかしそれはきっと、ファイが解消してくれる。一人にしてしまったわびも含めて、今夜は溶けるほどに―― 「それで、滞在中は毎日、戦に出てくれるのか?」 「ああ、それは・・・」 快諾しかけて途中でやめて、黒鋼はファイに視線を落とす。すぐに見返してきた今は黒い瞳が、縋るように揺れたように見えたのは、思い上がりが過ぎるだろうか。 「・・・一人で置いておくのは心配か?」 「・・・そういうわけでもねえが・・・。」 「お前はすぐ顔に出る。」 「はあっ!?」 初めての指摘を受けて眉を吊り上げた黒鋼に、夜叉王はこぶし大に膨らんだ袋を差し出した。中からジャラリと金属の音がする。 「・・・何だ。」 「報奨金だ。今夜は良くやってくれた。明日町にでも行って、これで暇潰しになるようなものでも買ってやればどうだ。」 「暇潰し・・・。」 そういう問題でもないのだが、確かに何か、気が紛れるようなものを。 受け取った袋の中身を見ると、この国の貨幣を知らない黒鋼でも、結構な金額だと分かる量の金貨が入っていた。 しかし何を買えと。本の類は字が読めないだろうし、他に暇潰しになるようなものも思いつかない。 「何か欲しいもんあるのか?」 金の袋をファイの手に乗せてそう問えば、何を聞かれているかは分かるだろう。ファイは少し考えて、黒鋼が脇に置いていた刀を指差した。 「刀・・・?」 「共に月の城へということか。」 黒鋼より先に夜叉王が理解したその答えに、黒鋼は即座に駄目だと返そうとした。しかし、今度こそ本当に縋られる。行かなければならない、そんな切羽詰った、願いとも義務とも取れない眼差しに。拒む権利などない、これはファイの問題。 「武器は、刀でいいのか?」 出陣の確認の意味も込めて、夜叉王は黒鋼に問うた。 「・・・いや、こいつは刀なんか使えねえ。」 使える武器など知らない。棒術のようなものなら体得しているかもしれないが、戦場に棒を持っていっても。 後ファイが使ったことのある武器といえば、桜都国でのダーツくらい。 「・・・弓・・・弓が良い。」 射撃系ということで、ダーツに少しは似ているかも知れない。 「使ったことはねえだろうが、明日教えて、扱えないようなら置いていく。」 矢を番える。引く。放つ。 ヒュン・・・ 鋭く空を切る音を響かせて、放った矢は的と的の真ん中へ。つまりは何もないところへ。 「・・・・・違うっつってるだろーが、この下手くそ!!どんどん遠くなってるじゃねーか!!」 「〜〜〜〜」 言葉など通じなくとも怒られているのは分かる。しかし当たらないものはしょうがない。ファイはめげずにもう一本。今度は的の遥か上空を打ち抜いた。 「形は悪くないがな・・・。」 少し後ろから二人を見守っていた夜叉王が、歩み寄りファイから弓と矢を受け取る。 「撃てるのか。」 「少しはな。あまり慣れてはいないが。」 軽く応えながらきりきりと弦を引く。ファイより長く狙いを定めて矢を放つと、言葉を裏切り矢は的の中央に突き立った。 「焦らなくていい。とりあえず当てることが先決だ。ゆっくり狙いを定めてから撃ってみろ。」 言葉の内容は何となく理解できたのか、ファイは返された弓を今度はゆっくりと構える。 狙いを定めて、一呼吸。今度は当たるのではないかと、少なくとも見ている二人はそう思った。けれど、 ヒュン・・・ 小気味いい音を立てて飛んだ矢は、的まで一歩届かずに地面に突き刺さる。 「威力も悪くないが・・・」 「・・・左手が動いてんのか・・?」 狙いは定まっていたはず。撃つ瞬間に乱れているとしか。 いやそれより、集中そのものが乱れているような。 「・・・おい、構えろ。」 何なのだろうと疑問に思いながら、黒鋼はファイの背後に回った。弓を構えるファイの手に、自分の手を重ねる。矢を放っても狙いが乱れないように、力強く。 「よく狙え、あの的が敵だ。最後まで集中を切らすな。外したら殺されると思え。」 暗示のように紡ぎ出す言葉はファイには伝わらなくとも、的を敵だと思う、それはもう何度も試みている。 鏃を向ける先が敵だ。的の上に敵の姿を重ね見る。 あれが敵。 あれが―――『あしゅら』。 「・・・・・・!」 黒鋼の手の中で、ファイの手が震えた。 見下ろしたこめかみに、汗の玉が光る。 理由を察知できないほど、共に過ごした時間は短くはない。 「・・・・・・やめだ。」 矢を放つ前に、黒鋼はファイの手を放した。 「黒鋼?」 「やっぱり駄目だ。こいつは置いていく。使い物にならねえ。」 「まだ時間はあるぞ?」 「無理だ。」 会話の内容を察してファイが目で縋ってくる。普段は人の目を見返すことを嫌うくせに。感情を読み取られることを恐れてさりげなく視線をそらすくせに。こんな時だけそんな目をするなと、言葉が伝われば怒鳴ってやる所なのに。 「もう少し続けてやったらどうだ。一度コツを掴めば、後は何とかなる。」 「・・・なんでそんなに連れて行きたいんだ。」 気になって黒鋼は夜叉王に尋ねた。足手まといを戦場に連れて行っても、軍全体の邪魔になるだけだ。夜叉王は、ファイに目をやった。 「ほんの一時でも・・・愛しい者と離れているのは辛かろう・・・。」 「いと・・・」 思いがけない単語に黒鋼は思わず言葉を失う。けれど、ふと。 「それは・・・俺の事か?」 「違うのか?」 「・・・・・・・さあな。」 そんなこと、ファイに聞かなければ分からない。側に居たいから共に行くのか、ただ会いたいから共に行くのか。 きっと、一時離れるのが辛いのと同様に、ほんの一時でも、愛しい者に会えるのは喜びだと思うから。 声を聞きたい。名を呼んで欲しい。 そして好きだと、愛していると。 口先だけでもいい、嘘でも誇張でも構わない。 そうでもしなければ、こんなに近くに居るのに、どんどん離れていくようで。 知らない言葉で紡がれるのが誰の名前なのか分からない。 だから、連れて行きたくなかったのに。 「戦場では、狙いが外れても何かには当たるだろう。とりあえず今夜は・・・」 「・・・味方に当たってもしらねえぞ。」 戦場に立つとすぐに、ファイが問いかけるような目で見上げてきたので、黒鋼は敵の長を指差してやった。 風になびく黒髪は記憶の中の彼よりさらに長く、とがった耳に、性別を感じさせないどちらかというと華奢な肢体。 阿修羅王と呼ばれる彼の姿を見てファイは一瞬呆けたような顔をしたが、人違いに安心したのか、その日ファイの矢はほぼ100%の命中率を誇った。 ―――分かりやすすぎだ、馬鹿野郎。 もしかするとファイ以上に安心しているかもしれない反面で、黒鋼はなんともいえない不愉快さを噛み締めた。 『指で梳いたファイの髪は少し湿っていて、風呂にでも入ったのだろうと分かっているのに、まるでファイが泣いていたように思えた。』 お姉さんは確信犯。グッジョブ。 戦場夫婦誕生の軌跡です。アシュラ王の侵略を受けた気がしますがまだ黒ファイって主張できる・・・かな。 阿修羅王は初出作品では無性別ってことになってますが、とりあえず彼って書いてみます。 次回、夜叉王ご逝去編。 BACK NEXT |