月の下の祈り人〜1〜 さて、どうしたものか。 「何考えてやがんだ、あの白饅頭!」 怒りに任せて黒鋼が怒鳴れば、聞きなれない言葉でファイが応えた。 「u‰Б£ДйнсИvー」 「だー、くそっ!!」 言葉すら通じない。さっきまで二人がいた陣社では、会話だけはできていたのに。 小狼たちとは随分離れてしまったようだ。 そもそも此処は何処だ。見渡す限り広がる荒れた大地。人が生活している気配はないが、微かに血の臭いがする。 「・・・とりあえずどこか人がいる場所へ・・・」 と言っても通じないだろうから、腕でも引っ張ればついてくるだろうかと黒鋼が振り向くと、いつの間にかファイはその場にへたり込んでいた。 「・・・何やってんだお前。」 「uлзЕа€шБー」 今のなら何となく分かった。歩きにくいーとかそんなこと。初めて履く草履にファイが不平を言っていたのは前の世界での話。置いてきてしまった服はどうしようかという不安も確かにあるが、今はそれどころではない。 「行くぞ、さっさと立て!」 これも、伝わったと思う。しかし、ファイが立ち上がったのは、突然辺りに満ちた殺気のため。 「っ!!」 「なんだっ!?」 とっさに刀を握る黒鋼。武器を持たないファイも、僅かに身構える。 そんな二人の周りに現れたのは、黒い服をまとった無数の人間。少し異形ではあるが馬のような動物に跨り、手に武器を持っているところを見ると兵士か何かのようだが。 「こいつら何処から出てきやがったんだ!?」 刀を抜こうとする黒鋼の手をファイが押さえる。言葉が通じないので無言で指差す先を見ると、そちらには白地に赤の衣を纏うもう一つの軍。 満ちる殺気は、二人に向けられたものではない。 「戦か・・・!」 黒鋼の言葉を肯定するように、両軍から雄たけびが上がった。続く蹄の音と、金属のぶつかり合う音、断末魔と血の臭い。 その中で、一人の男が馬で二人に歩み寄る。その顔を見て驚いた。陣社で見た夜叉像そのもの。違いといえば、右目の傷がないことくらいだろうか。 「お前達、何者だ?何故こんな所にいる。」 「!・・・俺達は・・・旅の者だ。」 言葉が通じた。黒鋼が答える。 この軽装でこんな所にいて、旅人というのも苦しいかと思ったが、ほかに良い言葉も思い浮かばない。ファイの方を見ると、どうやら彼の方は言葉が分からないらしく、小さく首を振られた。 黒鋼だけでも言葉が通じたのは不幸中の幸いだが、会話は苦手だ。敵軍の回し者とも誤解されかねないこの状況。小狼のように上手い嘘を思いつかないのなら、当たり障りのない程度に真実を話したほうが得策だろう。 「こんな所を旅とは、変わった者たちだ。名は?」 好きでこんな所にいるんじゃねえ。そう言いたい衝動を抑えて、黒鋼は二人分の名を名乗る。 「俺は黒鋼。こいつは・・・・・・・・・ファイ、だ・・・。」 思いもよらずこんな所で彼の名を口にすることになるとは。恐らく初めて呼んだであろう異国の響きは、思ったよりも唇に心地よかった。―――――妙な敗北感を感じる。 「大体テメエらこそ何なんだ。突然現れやがって。」 八つ当たりで態度に不遜さがました黒鋼に、相手は気分を害した様子もなく、 「我々は夜魔ノ国の夜叉族。私は夜叉王。」 「王・・・」 通りで、人目で一介の兵士とは違うと分かる威厳。それに、強者の臭い。 「強いな・・・」 敵だと確定していない相手に突然斬りかかったりはしないが、それでも戦闘本能が疼くものだ。夜叉王もそれを感じたのか、唇が笑みの形を作る。 「戦闘を好む獣の目だな。旅の目的は?」 「今は、はぐれた連れを探してる。ガキ二人と・・・小動物一匹。」 一行の旅の目的となると、一言では言い表せないので、とりあえず目下の目標を。情報は期待していなかったのだが、夜叉王は確信めいた口調でこう言った。 「ここには居ないだろう。」 「?居場所を知ってるのか?」 「嫌・・・しかし、月が昇りきれば、全ての者は此処より還される。」 「あ・・・?」 言葉の意味が分からず怪訝な顔をした黒鋼の反応に、夜叉王はまた小さく笑みをこぼした。 「旅人という割には何も知らないな。どうやって此処に来たかは知らんが、どうやら阿修羅族の手のものでもなさそうだ。」 「阿修羅・・・?」 黒鋼ははっとファイの方を見る。しかし幸い、その単語すら聞き取れなかったらしく、困ったような笑みが返された。初めて、この状況に感謝した。『あしゅら』が何かも知らないのに。 「月が昇る・・・」 不意に夜叉王が呟く。その視線の先を追って、月の大きさに驚いた。どうりで明るいと思ったら。 「何なんだ此処は・・・。」 「我々は、月の城と呼ぶ。」 思わず漏らした一言に返された答えは、疑問の解決にはならなかったが、 「共に来るか旅人よ。良ければ我が城に招待しよう。」 夜叉王の言葉に、敵意や悪意は感じない。 黒鋼は殆ど迷う事無くファイの腕を引いた。 出来れば夜叉王に手合わせ願おうなどという不謹慎な目論見は、今はまだ心の奥深く。 モコナでの世界移動とはまた違った感覚で世界が変わり驚きはしたが、今度は夜叉王が詳しい事情を説明してくれた。月の城で永きに渡り繰り返される、夜叉族と阿修羅族の戦闘の話は、言葉の通じないファイに伝えるのは困難かと思われたが、もともと奇怪な現象には慣れている魔術師は、今は遠くなった月と、その下に浮かぶ不思議な城の姿を見て、自分なりに理解したようだ。 ファイの言葉の事は、何と説明しようと悩んでいたら、夜叉王の方から「口が利けないのか?」と言ってきたので、そういうことにしておいた。別に長いお付き合いをするわけでもない。小狼達とサクラの羽根が見つかるまでの間くらいなら、誤魔化せるだろう。 そんな話をしながら3人で酌み交わすこの国の酒もなかなか美味で、どこか陣社で飲んだ酒の味に似ていた。 「連れとはぐれたと言いながら、よくそれだけ酒が進むな。」 不安も遠慮も感じさせないペースで杯を傾ける二人に夜叉王は苦笑する。 「まあな。」 心配が必要なほど頼りない奴でもないしな、と黒鋼は心の中で呟く。小狼一人でサクラとモコナの世話をするのは多少は骨が折れるかもしれないが、まあ何とかするだろう。剣の腕はまだまだだが、精神面での強さはそれなりに認めている。 「明日は、町に探しに出てみるか?ああ、ここで待っていれば、向こうがお前達の情報を得て尋ねてくるかも知れんな。その連れの特徴を伝えておけば、町のものも協力してくれるだろう。」 「特徴・・?」 こういう説明は恐らくファイの方が向いていると思うのだが。 「二人とも茶髪で・・・男の方は目も茶色・・・女の方は緑・・・だったか。」 黒鋼では『翡翠』や『琥珀』といったしゃれた表現など出てくるはずもなく、しかも目の色などうっすらとしか覚えていない。それでも一応努力したつもりなのだが、 「瞳は・・・この国では皆黒く染まる。」 「・・・・・・皆?」 思わず隣を見る。その動きに反応して黒鋼を見返したファイの瞳は、いつもの青空を映した様な蒼ではなく、今は夜の闇の色。人の瞳の色など覚えていないとはいえ、ファイだけは別だ。何度見つめたか分からないあの色を、忘れるはずがない。 「どういうことだ・・・。」 言葉が通じないファイも、少し遅れて驚いた顔をした。気付いたのだろう。黒鋼の瞳も黒いこと。 理由は定かではないが、この国に居る間は誰もが黒い瞳になる。月の城で散った者達の悲しみが宿るのだという言われもあるが・・」 「じゃあ、そんな戦争やめちまえ。」 黒鋼はそう言い捨ててファイの頬に触れた。黒は嫌いではないはずなのに、何だろう、この不快感。 こいつの瞳は、蒼がいい・・・。 「明日は町に出る。馬を貸してくれ。」 「捜しに行くのか。」 「ああ。」 さっさと小狼たちを見つけて次の世界へ。だから、小狼たちを捜すついでに、 「もう一つ、探し物をな。」 その時、ファイが黒鋼の袖をくいと引いた。なんだと見下ろすと無言で前を指差す。その先を追うと、夜叉王を越えて少し離れた壁際、室内の装飾品かと思って目も留めなかった透明のケースの中に、 「あ・・・。」 もう一つの探し物――サクラの羽根が入っていた。 「ん?あれか。少し前につきの城で拾ったものだ。お前達のものか?」 「あ、ああ・・・。」 黒鋼は、予想外の展開にやや呆然と夜叉王の問いを肯定して、自分達のものでもないかと言い直す。 「いや、例の連れのもんだ。」 「そうか、では返そう。」 「は!?」 「いらないのか?」 「いや、いるが・・・。」 あっさり返された返事に思わず瞠目してしまった。 今までは、羽根を探すのに苦労するか、取り戻すのに苦労したのに。 「何か強い力を秘めているものだとは分かるのだが、どう使うものか分からなくてな。持ち主の元に帰るなら、それが一番良い。」 「そ・・うか・・・。そうだな。そうだよな。」 何処の世界にもこんな人間ばかりだと苦労しないのだが。 ケースごと羽根を運んできた侍女が、夜叉王に命じられるままそれをファイに渡した。ファイは少しそれを見つめてから、黒鋼に視線を向けて頷く。本物に、間違いないと。 しかし、こんなに上手く行って良いものだろうか。 ううん、きっとまだ何かあるよー。 言葉は違えど心は同じ。黒鋼の胸のうちにも、同じ予感が渦巻いた。 赤が黒鋼さん、青がファイさんの心情なんですが・・どうしよう、黒鋼さんがすっごい馬鹿っぽい気がする・・。 言葉が通じないファイさんの台詞を書くわけにも行かず、かといって( )内だけは日本語なんておかしい気がしたので、こういう書き方で行きます。心情は色で書く。 話が原作と違いますが、裏ツバサ言うからにはちゃんと原作に繋がりますのでご安心を。 夜叉王はこのときはまだ生きてます。 CLAMPさんが描かれなかった半年間を描こうと思ったら全四話にもなっちゃって、しかも一話(これ)が一番短いんですが、どうか気長にお付き合い下さい。 BACK NEXT |