哀韻恋歌





数日間の一人旅を経て、黒鋼は京の都へやって来た。何度訪れても、此処は好きになれない町だ。賑やかな大通りと華やかな内裏。しかし其の一方で、辻を一つ違えば道端に死体が転がっている。
そんな中を、彼の気配を探しながら情報を集めて回って早3日。金の髪の妖怪の話は、一向に耳にしない。京に情報が入って来ない程、遠くへ行ってしまったのだろうか。
(蝦夷地か・・・それとも大陸か・・・)
海を隔てた土地を並べて、それより何処かの山奥にでも隠れ住んでいることを願った。
そして3日目の夜。

宿をとる気にもなれず、黒鋼は夜の京を歩いていた。この町は、夜の方がいくらか落ち着く。人間は皆寝静まり、月明かりが照らす夜道は、己の足音が響く以外はどこまでも静かだ。
ふと道端の死体が目に付いて、傍らに膝を付いた。この町の人間は冷たい。
(人も妖怪も変わらねえな・・・)
以前ファイが、知らない妖怪に加勢したりしないと言った事を思い出しながら、死者の冥福を祈り経を唱えた。
しかし経の途中で、奇妙な生き物が目に入った。小鬼だ。
掌程の大きさの其れは、死体によじ登り、読経を続ける黒鋼の顔を興味深げに覗き込む。自分の姿は見えていないと思っているのだろう。どうするつもりかと知らない振りをしていると、今度は黒鋼の真似をして、死体の上に膝間付いて両手を合わせ、経のつもりなのだろうか、虫の羽音に似た声で何やら唸り始める。其の姿があまりにも滑稽で、思わず小さく笑ってしまった。
すると自分の姿が見えていると気付いたのか、小鬼は突然身を翻して、築地を跳び越え其の向こうに隠れてしまった。
(ちっ、つまらねえ。)
もう少し見て居たかったのだが、、残念な事をした。しかし長く悔やむ間は無く、不意に背後から声を掛けられた。
「立待月の出る頃に、此の辻に待ち人来ると出たのですが、貴方の事でしょうか?」
「あ?」
振り向くと、白の直衣姿の青年が居た。世闇に浮かび上がる其の姿に、一瞬妖怪かと疑うが、すぐに気配から人であると悟る。青年はにこりと人当たりの良さそうな笑みを浮かべた。
「ただのお坊様ではないようにお見受けしました。もし宜しければ、僕の屋敷で少し相談に乗って頂けませんか。」
「相談?」
「ええ。少し、悩んでいる事があるんです。妖怪の事で。」
そう言った青年の足元に、先程の小鬼が居た。それを見てやっと気づく。其れは妖怪ではなく、術者が操る式神だ。
「お前・・・何者だ。」
「陰陽師、桜塚星史郎と申します。」



「花を、美しいまま摘み取る術を探しています。」
星史郎は、邸の中を案内しながらそう告げた。そして、黒鋼の素性を知って喜ぶ。
「妖怪専門のお坊様ですか。それは助かる。」

“花”は妖怪。
とても、美しい妖怪だと言う。

「陰陽師も術は使うんだろ。」
「一応退治できる程度のものは心得ているんですが、求めるものは手に入らなくて。」
「残念ながらそんな特殊な術、こっちだって知らねえぞ。」

妖怪が死ぬと、その形は残らない。動物などの変化なら、元の姿に戻ることはあるが。
それでも残したいと言う。美しい姿のまま、殺したいと言う。

「趣味が良いとは言えねえな。」
「あれを見れば、貴方にも解るかもしれませんよ。」
「・・・姿を残したいなら、生きたまま飼えばどうだ。」
「此方もそうしようと考えたんですが・・・」
「何だ。」
「まずは、ご覧頂きましょう。どうぞ。」
星史郎は、邸の最も奥まった場所にある一部屋の中へ、黒鋼を導いた。
月明かりも届かぬ奥の方に、微弱な妖気を感じる。
「灯りを。」
星史郎が命じると、二匹の小鬼が蝋燭を持って進み出た。頼りなく揺れる明かりの中で、妖気の主の姿が明らかになる。
その姿に、黒鋼は息を呑んだ。

赤い光に照らされて輝く髪。
照らされて尚白い肌。
静かにあげられた瞼の下に、本来の色より深く沈んで見える蒼。
“花”は、その瞳に黒鋼を映し、ゆっくりと目を見開いた。
「どうして・・・」
呟いたのは一体どちらだったのか。

“花”は妖怪。
とても、美しい妖怪だと言う。

こんな再会でも、断たれてはいなかった縁を、喜ぶべきだろうか。

「知り合いですか?」
星史郎の声で、はっと我に返る。
「あ、いや・・・」
空の色を映した瞳が瞼の下に隠れてしまったのを見て、黒鋼は二人の繋がりを否定した。
「ファイというそうです。美しいでしょう?」
「あ・・・ああ・・・。」
軽く顔を伏せ固く目を閉じて、背筋を真っ直ぐに伸ばし正座したその姿は、先程わずかに動いたのを見ていなければ精巧に作られた人形のような。
そういえば、何時も抱いていたしゃれこうべはどうしたのだろう。膝の上で綺麗に重ねられた手には、何も抱かれていはいない。部屋を見回すと、隅に無造作に転がされた風呂敷包み。なぜ拾わないのか。疑問に思って視線を戻すと、ファイの周りに、畳二畳ほどの大きさの長方形を作るように突き立てられた、四本の短刀に気が付いた。
「結界か。」
「ええ。妖怪は通り抜けられませんが、人には効きません。中に入って頂いても構いませんよ。攻撃の意思も無いようですし。」
「・・・どうして・・・・・・」
「さあ。最初のうちは言葉を発することもありましたが、最近は何も喋りません。食事も口にせず、このままでは死んでしまうので、力の消耗を抑える結界に閉じ込めています。まあ、余命が少し延びるだけで、根本的な解決にはなりませんが。」
だから、生かしたまま飼うよりも、この姿のまま殺すと。
「言葉・・・何て言ったんだ・・・」
淡く、期待した。ほんの一言でも、自分を想う言葉が発せられた事を。けれど。
「『殺して』と『返して』。」
「っ・・・」
期待を大きく外れたその言葉の冷たさに、黒鋼は息を詰めた。しかし星史郎は大した事ではないかのようににこりと笑う。
「さて、申し訳ありませんが、これからまだ仕事があるので出掛けます。詳しいことは明日はなしましょう。部屋は用意させてありますから、今夜は休んで下さい。」
「あ・・・ああ・・・」
都の陰陽師は、何かと忙しいらしい。或いは、通う姫君でもいるのかもしれない。
部屋を後にする星史郎を見送ると、袴の裾をくいと引かれた。見ると、彼の式神だ。部屋に案内してくれるのだろう。
「・・・いや、後で良い・・・。もう少し此処に居る。」
そういうと小鬼は小首を傾げたが、一応了承したらしく部屋を出て行った。二人きりになったのを確認して、黒鋼は結界の前に腰を下ろす。
「・・・何やってんだ・・・こんな所で・・・」
ファイは、何も答えない。
「如何して何も言わずに消えた。如何してこんな所に来た。」
畳み掛けるように続けた質問のたった一つにさえ
「・・・『殺して』って何だ・・・」
固く閉じられた瞳が黒鋼の為に開かれる事は無く。
「・・・・・・何か言えよ・・・」
拒まれる理由も分からないまま、黒鋼は祈るような気持ちで項垂れた。
するりと、耳に衣擦れの音が届いた。はっと顔を上げると、白い指先が、部屋の隅の風呂敷を指す。
「・・・取って・・・」
やっと開かれた瞳には懇願の色。ファイが、星史郎に聞かせた言葉は『殺して』と『返して』。
(『返して』はこれか・・・)
黒鋼は立ち上がり、その包みをそっと拾い上げた。そして結界の中へ差し出す。腕を入れる時、一瞬結界に稲光に似た青白い光が走ったが、星史郎が言った通り人に害は無いらしく、痛みは感じなかった。
ファイは包みを受け取ると、膝の上で結び目を解き、表れた白い球体を愛おしそうに抱きしめた。
『返して』が彼のための言葉なら、『殺して』は誰のための言葉だろう。
聞くまでもない事だ。ファイが目を開いたことさえ、全ては彼だけのため。
「・・・そいつの所へ、逝きたかったのか・・・?」
口を付いて出た質問にファイは少し驚いた顔をして、そして嘲る様に笑う。
「逝けないよー・・・オレ、妖怪だから・・・。」
人と妖怪では、輪廻の輪も違うのだろうか。
「じゃあ、何で殺せなんて・・・」
「・・・本当は・・・君に殺されようと思ったんだけど・・・」
「あ・・・?」
「どうしてかなあ・・・君には・・・殺されたくないって・・・思っちゃって・・・」
「何言って・・」
殺す理由など此方にはないのに。共に生きたいと、願って此処まで来たのに。
それでもファイは一人、酷く悲しい目をしている。
「誰か他の人にって思って、あの人を見つけた。この辺りでで一番高名な陰陽師・・・向こうに有利になるように名前まで教えてあげたのに・・・彼はオレを殺さずに、こんな所に閉じ込めた・・・。でもこのまま待ってればいずれ飢えて死ぬから・・・これでも別に良いかと思ってたのに・・・まさか君が来るなんて・・・」
黒鋼は手を伸ばしてファイの手に触れた。冷たい。まるで凍りでも掴んだかの様な、痛い位の冷たさ。
「・・・何時から食ってねえんだ・・・」
「あれから一度も・・・。こんな所に入ってるから・・・なかなか死ねなくて・・・」
「如何してそんなに死にたいんだっ!」
繰り返される悲しい言葉に苛立ちを覚えて声を荒げると、ファイは切なそうに目を細めた。
「・・・オレ・・・妖怪だから・・・」
何の答えにもならない其れが、唯一絶対の理由だと。
黒鋼は懐から短刀を取り出して、もう完全に塞がった傷跡に向けた。
「やめて。」
ファイが、静かに制止する。
「切っても飲まない・・・。お願い・・・死なせて・・・。」
そして再び目は閉じられて、其の夜はもう、開く事は無かった。

夜が明けると、其の部屋から見える庭の光景が明らかになった。桜塚という名の通り、季節を無視して桜が乱れ咲く、不思議な光景だった。幻覚なのだろうかと庭に下りて触れてみたが、どうやら本物らしい。邸の主には不穏なものを感じるのだが、邸そのものは清浄な気に満たされている。
桜の花にも、微弱ながら清らかな気が宿っていた。
(ファイに・・・)
傍に置くだけで、少しは命の足しになるだろうかと。
「彼には向きませんよ。邪悪な彼の気には反発します。」
手折ろうと手を伸ばした所を、邸の主に見咎められた。
「やはりお知り合いだったんですね。朝まであの部屋に居たとか。どういう御関係ですか?」
「・・・ちょっとした奇縁でな・・・」
「随分深い縁のようですが。」
「否・・・もう切れたらしい・・・。」
少なくとも彼の中では。
「そうですか。それなら良かった。あれは、僕の物で構いませんね。」
「・・・・・・」
終わったのだ。ファイは自ら黒鋼の元を離れ、いまや永遠の別れを望んでいる。
其れでも星史郎の言葉に苛立ちを覚えるのは何故だろう。
「妖怪は花じゃねえ・・・。殺して飾るなんざ・・・」
「彼は殺してくれと望んでいます。互いの望みが叶うなら、それで良いじゃないですか。まあ、今のまま時間を止められるなら、それに越した事は無いですが。この桜の様に。」
星史郎はそう言って桜の幹を撫でた。
「今のまま・・・?」
彼は知っているのだろうか。ファイの肌の、あの悲しい冷たさを。
「桜ほど・・・良いもんじゃねえだろ・・・。飢えて死に掛けてる・・・。」
「いいえ、変わりませんよ。」
星史郎の手が、桜の枝に伸びる。
「お坊様、如何して桜が美しいのか知っていますか。」
「・・・?」
「花の命は短い。しかし短いからこそ美しいのではない。植物は子孫を残すため、虫や鳥を呼ぶために、命の殆どを、花を咲かせるために使います。彼らは一年で最も美しい其の瞬間、同時に死に掛けているんです。」
星史郎が指に力を入れると、枝は為す術も無く手折られる。ぱきんと響いた小さな音が、悲鳴に聞こえたのはこんな話を聞いている所為か。
「死に掛けだから美しいってのか・・・」
問うと、春の花を背に、其の花の名を戴く陰陽師は、真冬の木枯らしに似た眼差しで微笑んだ。
しかし、次の瞬間には、其の冷気を隠し、背景相応の笑顔を見せる。
「どちらにせよ、このままでは彼は消えてしまいます。手伝って頂けませんか。職業柄、文献は大量に所有しているのですが、一人ではとても間に合わなくて。」
「姿を残したまま殺す術か・・・」
「其れが気に入らなければ、食事を拒否する妖怪を生かす様な術でも構いませんよ。このまま死なせてやりたいなら、探している振りをしていればいい。或いは彼を看取らずに、此処を出て行くのも貴方の自由です。」
「・・・生かす術を探す・・・」
ファイの中では終わっていても、自分の中ではまだ終わっていない。

死なせたくない。

「滞在中、邸の中の物は自由に使って下さい。困った事があれば近くに居る式神に。ああ、それと、良かったらこれを。」
星史郎は、先程手折った桜の枝を黒鋼に差し出した。
「彼に渡したいなら、どうぞ。」
「気が反発するんじゃなかったのか。」
「抜いておきました。今はもうただの、季節外れの桜です。彼でも触れれる代わりに、2、3日で枯れますよ。」
「・・・・・。」
黒鋼は無言で桜を受け取ると、ファイの部屋に戻った。膝にしゃれこうべを乗せた以外は、ファイは昨日と同じ姿勢で目を閉じている。
「・・・此処に居ることにした。お前を、生かす術を探す。」
前に座っても目を開かないので、桜は結界の中、ファイの前に置く。
「お前にどんな理由があろうと・・・俺はまた、お前と旅がしたい。」
返事は無く目が開かれることも無かったが、ファイの睫が微かに震えた。




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