哀韻恋歌 熱が下がるまでは狐に世話になり、傷の手当ては人里ですることにした。ついでだから何処へでも送ってやると言われたので、少し遠い村を指定した所、遠すぎるということで、其の山の天狗に頼んでくれた。この職に就いてから様々な経験をして来たが、天狗に連れられて空を飛んだのは初めてだった。 そして現在黒鋼は、小狼の家に滞在している。 「あ、黒鋼さん、そろそろ包帯替えましょうか。」 「ああ、悪いな」 小さな村で医者も居ないが、本から得た知識で、小狼はたいていの事なら何とかできる。山で摘んで来た薬草で作った薬は良く効いた。勿論治療費の請求はなく、寝床と食事の提供付き。その代わり、時々読書に夢中になりすぎて、包帯の交換時間を忘れる先生だが。 刀は黒鋼の脇に立てかけられている。しばらく、此処でのんびりするつもりだ。妖怪退治を辞めるつもりはないが、少し休みたかった。旅の供が消えてしまったというだけで、歩く意味が見出せない。ファイに会う前の状態に戻っただけなのに、言いようのない喪失感。 「ファイさんを、捜す気はないんですか?」 黒鋼の傷に包帯を巻きながら。小狼がそう尋ねる。黒鋼は少し迷って、ただ一言だけ。 「捜して欲しくないだろう・・・」 本当は、迷っていた。捜して良いものかどうか。しかし、ファイが自分から去ったのだ。黒鋼の血を飲まなければ生きて行けない事を苦にしての事なら、捜し出してもまた一緒に旅をしようとは言わないだろう。 「心置きなく人を喰える所に行ったのかも知れねえしな・・。」 「じゃあ、何の本を探してるんですか?」 「あ?」 「本を、探してるでしょう?おれが見てない間に。」 「・・・・・・・」 ばれていたかと、黒鋼は苦い顔をして、そして諦めて白状する。此処に来たのは、其れが目当てでもあった。 「何かこう・・・妖怪全集みたいなの・・・ねえか・・・。」 「黒鋼さん、妖怪の専門家でしょう?」 「専門って言ったってな・・・倒す力があるだけで、詳しいわけじゃねえ。」 「ああ、成る程。」 包帯を巻き終えると、小狼は部屋の奥のほうへ入って行った。其処でごそごそと動いているのは分かるが、本の山に隠れて姿は見えない。しばらくすると、小狼は20冊ほど本を抱えて戻って来た。 「はい、妖怪関連の本はこんな所です。物語なんかも含むともっと在りますけど。」 「あ、否・・・とりあえず此れで良い・・・。」 若しかして此の本の山全て、何処に何が積んであるのか把握しているのだろうか。最初から訊いていれば良かった。 「何か調べるんですか?手伝いましょうか。」 「ああ。あいつ、背中に、鳥に似た特徴的な紋様があってな。あれから種族とか、本来の生息地とかを割り出せれば・・・」 「捜しに行けますね。」 「・・・・・否、其の紋様が気になるだけだ。」 捜しには行かない。きっと、望んでいないだろうから。 しかし、全ての本を調べ終えても、紋様は愚か、ファイに繋がりそうな情報は全く得られなかった。 「一口に妖怪と言っても、色々ありますから。」 数十年分くらいの本を一気に読んで、疲れ果てている黒鋼に、サクラがお茶を運んでくれた。 「鬼や天狗みたいに種族がはっきりしているものもありますけど、大多数は私みたいに、此れといった種族のないものたちです。想いの数だけ、種族があるといっても過言ではないくらい。」 妖怪の数は膨大だ。世界に一個体だけの、種族とは呼べないモノ達も多い。本に載るのは種族を持つモノが殆ど。あの文様が種族を表すものであればと思ったが、そうではなかったようだ。 (そういや、あいつも自分が何の妖怪か分からねえって言ってたしな・・・) 出会った頃の会話を思い出して、少し胸が痛んだ。 「あ、最初にファイさんと出会った場所はどうですか?」 「あ?」 心の内を読まれたかのような小狼の絶妙な問いかけに、少し驚いた。 そんな黒鋼の様子には気付かず、サクラも小狼に同意する。 「そうよね。生まれた村に戻ったのかもしれませんよ?」 「・・・・・・」 確かにあの村はファイの故郷になるのだろうが。きっとあそこはファイが帰る場所ではない。出て行けと言えばあっさり村を出た。執着があったのは村でも寺でもなく、結局最後まで手放さなかった、そしてきっと今も大切に抱えているであろうあのしゃれこうべ。それでも一縷の望みを託して。 「此処まで送ってもらった天狗に頼んで、見に行って貰ってる。」 「やっぱり捜してるんですね。」 「・・・・!!」 小狼の鋭い突っ込みに、黒鋼は持っていた湯呑を思わず落としそうになって慌てて持ち直した。しかし狼狽はもう隠せない。分かっている。言葉に矛盾する自分の行動。それでも口を開けば、また其れを誤魔化す言葉。 「あいつが・・・腹すかして行き倒れてねえか気になるだけだ・・・。」 其の時、突然天井から声が降って来た。 「僧侶殿、」 聞き覚えがある。 「天狗か。」 「如何にも。僧侶殿に教えられた村に行って参ったが、村にも途中の街道にも其れらしき姿は見えず。もう少し先まで飛んでみて、他の山の天狗に尋ねても何の情報も得られず。どうも逆の方向、京の方角に向かったのではないかと推測致し候。」 「・・・そうか。」 「お運び致そうか。」 「否、充分だ。」 「それでは某は山に戻ろう。此の辺りは鬼の領土ゆえ、長居は禁物。」 鬼と天狗は仲が悪い。 「ああ、世話になった。」 屋根の上の気配が消えた。 「・・・・・・戻ってはいないんですね。」 長く続いた沈黙を、サクラがそっと破る。 「・・・・・ちょっと出てくる。」 其れには何も返さずに、黒鋼は腰を上げた。 一応刀を持って外に出て、空を見上げる。風が、髪を揺らした。 「腹すかして・・・か・・・」 分かっている。ファイが飢えていたのは、自分に気を遣って人を断っていたから。離れた今は、思う存分喰っているだろうからきっと、此れで良かったのだと思うのに。 「・・・・くそっ」 足下の石を力任せに蹴ると、大きく飛んだ石は二、三度跳ねて、別の石に当たった。かつんという乾いた音の後に、柔らかい声が続いた。 「黒鋼さん、」 振り向くと、サクラが微笑を浮かべていた。其の後ろで、小狼が戸締りをしている。 「隣村に市が出るんです。一緒に行きませんか?」 勧誘の形を取ってはいるが、戸締りが既に完了した所を見ると、断らせないつもりなのだろう。確かに閉じこもっているばかりでは気が滅入るだけだ。世話になっていることだし、荷物持ちくらい手伝うべきかもしれない。 「そうだな・・・行くか・・・。」 市が開かれる村には、街道沿いに二十分ほど。以前ファイと旅立った方向とは逆の方向だ。 途中で出会った子供達が、サクラに声を掛ける。 「あー、サクラちゃん、何処行くのー?」 「市よ。お買い物。」 「先生とお坊様もー?」 「ええ。」 小狼は村で医者の役割をしている。時々子供達に字を教えたりもするので、村人の間では先生と呼ばれている。そんな小狼と一緒に暮らす者だ、サクラも子供達と親しい。むしろ小狼以上に、仲間として認識されているようだ。 「・・・仲が良いんだな・・・。」 「サクラは、よく子供達に混じって遊んでますから。」 ファイではこうは行かないだろう。一時的には仲間になれても、何時か子供たちを見る目が、食料を見る目に変わる。 (だから、消えたのか・・・?) 食べてしまわない様に。血では物足りなくなって、此の手に喰らい付いてしまわない内に。 などと言うのは、思い上がりだろうか。食べてしまえぬ程度には、情が沸いたなんて。 『何時かどちらかがどちらかを殺す』 共に在る事を望み黒鋼の血を受けた其の口で食い殺すと言うのか。 ファイを生かす事を望み刃を当てた此の手で斬り殺すと言うのか。 解らない。其のどちらの瞬間も、想像する事すら出来ない。 「考えて解らないなら、訊きに行けば良いのに。」 「・・・・・・其れも、あいつは言いたくなかったんだろう。」 自分に残された言葉は、別れを告げる言葉だけ。 だからもう、考える事さえ、止めるべきなのかもしれない。 市には、此の辺りでは取れない野菜や鉱石を始め、農具や包丁などの日用品、子供の玩具、女性の装飾品など、ありとあらゆる物が揃っていた。小狼は書物の店を見つけて立ち止まり、サクラは其の近くで髪飾りの店を覗いている。此れといって興味を惹くもののない黒鋼は、二人の姿を確認できる場所で二人を待つことにした。すると、 「お坊様、お坊様。」 背後から声を掛けられて振り向くと、高価そうな品ばかり並べた店の主人が手招いていた。 「なんだ。」 そんな質問は愚問以外の何ものでもなく、こんな場所で声を掛けられれば目的は一つしかない。 「何か買って下さいませんか。どうも売れ行きが悪くてねえ。」 「こんなもん、此の辺りじゃ売れねえだろうな。貴族の遊び道具じゃねえか。」 「しかし傷物や流行遅れの物ばかりで、御貴族様はもう見向きもしてくれないのでございます。なのでお値段はお手頃かと思いますが。」 「いくらお手頃でもな。坊主が金持ってると思ってんのか?」 「勿論、物々交換でも。」 「俺には用の無い物ばかりだ。」 「しかし先ほどお嬢さんと連れ立っておられたでしょう。娘さんですか?」 「坊主に娘が居るか。怪我をして世話になっただけだ。」 「では何か御礼をしたくて堪らない筈。此れなど如何です?少し傷が入っていますが、美しい櫛で御座いましょう?」 「・・・・・其れは?」 櫛はどうでも良かったが、其の隣に在った物に目が惹かれた。色とりどりの小石だ。其の中の、一際艶やかな蒼い石が、彼の目と同じ色だと思った。 「此れは御弾きという遊び道具でしてね、石を指で弾いて他の石に当てて遊ぶので御座います。見目も美しいし、女の子は喜ぶと思いますよ?」 「・・・・・此の、蒼いのだけ譲って欲しいんだが・・。」 「一つだけですか?そりゃあんまりだ、お客さん。やっぱり纏めて引き取って頂かないと。」 突然二人称がお客さんだ。 「お安くしときますよ?」 「そう言われてもな・・・」 何か引き換えに出来る様な物はないかと黒鋼は懐を探る。数珠が出てきたくらいだ。 「・・・・・此の数珠なんかどうだ。」 「数珠で御座いますか。」 「此れは俺の師匠から譲り受けた霊験あらたかな数珠で、此れを持って毎朝経を唱えれば、どんな人間でも必ず極楽に行ける。」 「ほ、本当で御座いますか!?」 しかし毎朝経を唱えるような人間は大体信心深い人間だ。放っておいても、極楽行きではないか。 「本来なら俺が持ち歩いて、此のご利益を出来る限り多くの人に振り撒くべきなんだろうが、何分、近頃の俗世は欲にまみれて実に醜い。嫌気が差して、行脚をやめ、山に篭ろうと思っていた所だ。しかし此の霊験あらたかな数珠まで、山に篭らせてしまうのは非常に惜しい。それならお前に譲るのも、悪くないと思うんだが・・・」 「そ、其れは有難い事で御座います・・・!!しかしその様な有難いお数珠にこのような石ころだけと言うのは・・・どうぞ他にも何かお持ち下さい!」 「否、出家と共に物欲を捨てた身だ。此れだけで充分。此れであの娘に礼も出来る。」 尤もらしい事を言ってみる。しかし残念ながら其の数珠はただの数珠だ。まあ御弾きは、蒼い石だけ貰って、残りはサクラに遣れば良いとは思うが。 しかし男は其の嘘を信じたらしく、受け取った数珠に手を合わせている。本当に毎朝経を唱えれば、其れで極楽への道が開けるかもしれない。極楽が在ればの話だが。 (信じる者は救われるってな・・・) 人を救うのは確かめ様もない壮大な嘘。師匠の教えを継いだだけだ。 結局小狼は本を二冊、サクラは日持ちのする食材を買い込んで帰路に着いた。往きと同じ道を、重い荷物を下げて逆に辿る。勿論荷物持ちは男性陣の役目だ。子供達はもう家に帰ったらしい。進行方向の空も、もうすっかり赤らんでいる。 「また本増やして、何処に置く気なんだ?」 「大丈夫です。まだ天井までは届きませんから。あ、どちらか先に読みますか?」 「・・・遠慮しておく・・・。」 そんな会話を交わしながら、村への道を半分ほど来た時、 「先生ー!!」 村の方から、子供達が駆けて来た。 様子がおかしい。酷く、慌てた顔をしている。 「先生!大変なの!」 「どうしたんだい?」 取りえず落ち着かせようと、小狼は駆け寄った子供達に笑顔を見せた。しかし、告げられた事態に、其れは一瞬にして崩れた。 「先生のおうち燃えてるの!」 「水を掛けても消えないの!!」 「っ!!」 どさりと荷物が落ちる。其の時既に小狼は駆け出していた。 「おい、小僧!」 「小狼君!」 二人も慌てて後を追う。 家の前に付くと、村人達が集まっていた。皆手に桶を持っている。消火しようとしてくれたのだろうが、火の勢いは激しく、収まる気配はない。 「先生!」 「先生、此の火、どんなに水を掛けても消えんのじゃっ!」 「・・・・・すいません、水を!」 丁度運ばれてきた桶が小狼に手渡される。小狼は中の水を頭からかぶって、家に向かって駆け出した。 「止めろ!死ぬ気か!」 其の腕を、追いついた黒鋼が掴んで止める。 「離して下さい!本が!!」 「本とてめえの命と、どっちが大事だ!!」 「他の本はいい!でも!サクラが!!」 「っ!」 サクラは、本に描かれた絵から生まれた妖怪だ。其の絵が燃えれば、サクラの体も。 黒鋼の手が離れた。しかしすぐに、サクラが小狼を抱き止める。 「やめて小狼君!」 「でもっ・・・!」 「いいの!」 「離し・・っ・・・!!」 火の粉が舞っているとは言え、燃え移るほどの距離ではないのに、サクラの着物の裾に、火がついた。 「サクラ!」 「大丈夫。大丈夫・・・」 しかし火は、まるで紙でも燃やすかのように、急速にサクラの体に回る。 「サクラ!!」 「触っちゃ駄目!大丈夫だから・・・」 小狼に火傷を負わせないように、サクラは少しずつ燃え盛る家の方へ後図さる。 「嫌だ、サクラ・・・!!」 「大丈夫、信じて。此の体は燃えるけど、私が消えるわけじゃない。」 そう言って、サクラは、微笑んだ。 「小狼君、大好き。だから、大丈夫・・・絶対・・・」 大丈夫。最後にそう遺して、サクラは炎に包まれた。一度全身を包んだ炎は次の瞬間には消えて、そして後には塵一つ残らない。 「サクラーーーーーーー!!!!!」 村人達と黒鋼は、此の別離の始終をただ見つめていた。誰も一言も発せられない。しかし、 「妖気が一つ消えたな。」 「!!?」 突然降ってきた声に振り向けば、いまだ燃え続ける屋根の上に、赤い鬼の姿。今まで気付かなかったのは、姿を消していたのか、それとも赤い炎に紛れていたのか。 「鬼!!」 「鬼じゃ!お坊様、お助けをっ・・!!」 村人達は其の恐ろしい姿に震え上がり、一部の者は一目散に逃げ出した。その場で腰を抜かしている者も居る。しかし黒鋼は本職、今更鬼相手に恐怖を覚える筈もなく。 「火を点けたのはお前か!」 鋭くそう叫んだ。 水で消えない火。確かに普通の火とは何かが違う。術だ。 「此の山の鬼か!?早く火を消しやがれ!!」 「出来ん、まだ臭いが消えぬ。奴等がいる可能性がある。」 「奴等!?」 「天狗だ。」 「・・・・・・な・・・」 「奴等100年ほど前にこっぴどく懲らしめてやったというのに、性懲りもなく我等の領地を狙って来おった。」 『此の辺りは鬼の領土ゆえ長居は禁物』 あんな短い時間で、臭いが残るものか。いや、家を燃やしてまだ消えぬと言うのなら、其れは恐らく此処まで運んで貰った時に、黒鋼に付いた移り香。 (俺の・・・所為か・・・?) 「其処の坊主、お前が臭うな。若しや天狗が化けておるのか?」 「っ・・・」 過った不安を肯定するように、鬼が鼻を鳴らした。 「此処は我等の土地ぞ。踏み入ったからには命無いと思え。」 鬼が屋根の上で身構える。黒鋼も咄嗟に刀を抜いた。しかし 「待って下さい!」 小狼が、黒鋼を背に鬼と向き合う。 「此の人は天狗ではないし、此処に、貴方方に危害を加えようとする者は居ません!」 「小僧・・」 「黒鋼さんも、刀を仕舞ってください。此の山は鬼の領土。鬼は彼一人ではありません。此処で戦って報復を受けたら、村がただでは済みません。」 「っ・・・・・」 確かに、此の一体だけならまだしも、複数で掛かって来られると、太刀打ちできるかどうか。此れ以上迷惑を掛けるわけには行かない。 「しかし天狗の臭いがするぞ。」 「確かに此処に天狗が来ました。でも、きちんと説明すれば納得して頂けると思います。だから火を消して下さい。」 「・・・人間の割には度胸のある小童だ。」 小狼の眼差しが気に入ったか、鬼は屋根から飛び降りて、小狼の前に着地した。村人の間から悲鳴が上がるが、小狼は鬼から視線を逸らさない。鬼は黒鋼を一瞥して、そして口元を歪めた。 「確かに天狗の残り香はあるが、天狗の気ではない。」 火が、消えた。 「聞かせて貰おうか。儂が納得できる理由とやらを。」 鬼が立ち去った後、小狼と黒鋼は焼け焦げた家の中に入った。 家の枠組みは何とか残ってはいたが、其れも何時崩れるか分からない状態で、中の本も、原型を留めている物はなかった。黒鋼の持ち物だった数点の仏具は焼け残ったが、側に置いていたファイの衣は跡形もなく。此れで、彼と出逢った証拠が何一つなくなってしまったと感傷に長く浸っていられるほど、罪悪感は小さくはなくて。 「小僧・・・その・・・」 自分が不用意に天狗を使わなければ、此の家が焼かれる事はなかった。サクラも―― 「すまねえ・・・」 謝って済む事ではないけれど。 けれど小狼は、大切な人を失ったとは思えぬ様子で。 「大丈夫です。気にしないで下さい。」 「だが・・・」 「家は鬼が建て直してくれると言ってたでしょう?鬼が家を建てたって言う伝承はいくつもありますけど、自分が其処に住めるなんて、わくわくしませんか?本も、彼らの力で集められるだけ集めてくれるそうですし。若しかしたら、燃えた分より多く集まるかもしれません。」 「それでも・・・」 消えたものは戻らない。 印刷技術など無いこの時代。本に絵が描いてあったというなら、其の絵は其の一点だけのものだ。同じ文章は存在しているだろうが、同じ絵はない。 サクラは、戻らない。 「あの絵を描いた絵師は、北陸に居るそうです。少し長い旅になりますけど。」 「同じ絵を描いて貰いに行くつもりか・・・?」 「はい。あの体は燃えたけど、土台さえあれば、きっとまた。」 「そんな・・・簡単に・・・」 「サクラは妖怪です。体は燃えたけど・・・想いは消えてない。死んだわけじゃありません。」 互いを想いあう気持ちから生まれたサクラは、其の気持ちが消えない限り、此の世から消滅することはない。たとえ体が消えても。 「此処に、居るから・・・」 そう言って、小狼は胸に手を当てた。 だから彼女は燃え尽きる間際、『大丈夫』と。消えるわけではない。また会えると。 「それなら俺が行く。此れは俺の責任だ。」 「いえ、おれが行かなきゃ、意味がありません。幸い、道中の本は、市で買った分がありますし。帰ってくるまでには、本と家も何とかなってるでしょう。黒鋼さんは・・・・」 其処で一度言葉を切って、小狼はしばらく黒鋼を見つめた。そして、思い切って口を開く。 「黒鋼さんは、ファイさんを、捜しに行って下さい。」 「な・・・」 「すいません、おれが言う事じゃないかもしれないけど。でも、黒鋼さん、会いたいんでしょう・・・?」 「俺は・・・」 「ファイさんは捜して欲しくないかもしれないけど。ファイさんは側に居たくなかったのかもしれないけど。黒鋼さんは、会いたいんでしょ?」 「そ・・・れは・・・・・・」 彼の気持ちは考えても分からなくても、自分の気持ちは、分かっている。いくら彼の気持ちを理由に誤魔化しても、本当は―― 「・・・ああ・・・。」 「じゃあ、会いに行って下さい。考えたって分からないし、其れは真実じゃないんだから。ちゃんとファイさんの気持ち、訊けばいいじゃないですか。納得できる理由があるなら仕方がないけど、納得できない理由だったら、何とか説き伏せてまた旅をして、此処にも遊びに来て下さい。」 「・・・・・・そうか・・・そうだな・・・。」 分からないなら訊けばいい。 そして、自分の気持ちも伝えればいい。 「・・・小僧、」 「はい?」 黒鋼は、懐から、市で手に入れたおはじきを取り出した。ファイの瞳の色を宿した一つだけを取り出して、残りを小狼に差し出す。 「礼にもならねえが・・・。」 「いえ、きっとサクラが喜びます。」 小狼は笑顔で受け取った。 翌朝、二人は別々の方向へ旅立った。 BACK NEXT |