哀韻恋歌




「よし、今日は此処に泊まるぞ。」
「えー。やだー。」
「・・・・・・・。」

思わず殴り飛ばしたい衝動を黒鋼は必死で抑えた。
代わりに怒鳴る。
「ぐだぐだ文句言ってんじゃねえ!嫌ならその辺で古寺でも探して来いっ!」
「もー、古寺古寺って、其れって偏見じゃないー?別に古寺が良いって言ってる訳じゃないのにー。」
「俺だってこんな洞窟で寝たい訳じゃねえ!」
「じゃあ泊まる場所探せば良いのにー。布団で寝たいー。」
「妖怪が贅沢言うな!誰の所為で毎晩毎晩こんな人気のない所で寝てると思ってるんだ!」
「・・・・・・・・オレの所為だって言うのー?」
「当たり前だ!」

ファイの容貌は目立ちすぎる。街道を歩いている時は笠が有るからいいが、人家に泊まるとなると、金の髪を曝さない訳には行かない。だから黒鋼はファイと旅を始めてから、人家に泊まることを避け、洞窟や無人の家屋などを宿にしているのだが。

「それは濡れ衣もいいところだよー。」
「あ?」
「オレこう見えても結構力持ってますからー、10人や20人、幻術かけるくらいどうってことないのー。この前の悪者さん達だって、オレの容姿に関しては何も言わなかったでしょー。」
「・・・・・・・・・・・・・・」
そう言われてみれば確かに。
「じゃあ俺以外には、お前は人間に見えてるのか?」
「ついでに言うと、設定どおり女に見えてます。」
成る程、妖怪というのは便利なものだ。

「じゃあ明日は宿を探すか。」
「わーい♪」
「でも今日は此処だ。」
「えー。」
「しょうがねだろ。もう遅いんだから。」
彼は意外と常識人だ。




しかし岩壁に凭れて眠る其の寝心地はお世辞にも良いものとは言えず、黒鋼は夜中に目を覚ました。そして、向かいに居た筈のファイの姿が無いことに気付く。
(何処行きやがった・・・)
しかしよくよく考えてみると、妖怪は本来夜に活動するものだ。そして妖怪の活動といえば、
(人でも喰ってんじゃねえだろうな・・・)
慌てて気配を探す。彼の強大な妖気を見つけるのは実に簡単だ。気配は洞窟の奥の方から。
(喰ってるなら兎か熊くらいにしてくれ・・・)
そう祈りながら気配を辿っていく。洞窟は随分深かった。少し奥まで入るともう光は届かない。気配だけが頼りだ。
しばらく行くと、前方がぼんやりと明るく見えた。
(隧道(*)になってんのか・・・?)
どうやら外に通じていたようだ。人の手が加えられたようには見えないので、おそらく自然に出来たものだろう。
抜けると、其処は絶壁に囲まれた広場になっていた。月明かりが其の全体を照らし出す。
其の真ん中で、ファイがしゃれこうべを抱いて立っていた。


其れはまるで、無音の舞踊でも見ているかのような光景だった。
白い腕がしゃれこうべを掲げる。
月の光が纏わりついて自ら光を放つように見える其れを、今度は顔前に引き寄せると、ファイはその額にそっと唇を寄せた。
そして骨の輪郭をなぞるように唇で辿って、本来なら其処に唇が在ったであろう場所へ。
しかし今其処に在るのは冷たい歯列だけで、ファイは哀しげな眼差しで二つの眼窩を見つめ、そして胸に抱き寄せる。

(舞踊よりは情事か・・・)
本来なら、重なる唇や、抱擁に応える腕があったはず。

『其の人に触らないで!』

あの首の持ち主は、よっぽど、大切な存在だったようだ。

(ん?あれはあの寺の住職の首じゃねえのか?)
初めて会った夜、ファイはそう言っていた筈だが。
しかも彼はファイ自身が喰ったはずだ。
(どういうことだ・・・?)

「黒むー?」
不意にファイが此方を向く。気配で気付かれたようだ。別に隠れていたつもりもなかったが。
「どうしたのー?まだ夜中だよー?」
そう言って歩み寄ってくるファイには、先程の名残は全くない。だからこそ、訊いてみたくなった。
「その首は、誰の首だ?」

ファイの瞳が揺れる。晴れた日の空の色だと思った。

「前にも言ったでしょー?オレが居た寺のお坊様の首だよー。」
「持ち歩くほど抱き心地が良いか?」
「オレ、妖怪だからー。」

俯いた拍子に髪が零れ落ちる。月の色だと思った。

「・・・・・・・どんな奴だった?」
「・・・・・・・聞きたいのー?」

口元に妖しい笑みが浮かぶ。思わず、魅入られそうになった。





「黒たんの眼って赤いねー。」
「それがどうした。」
「此の人が、嫌いだった色なんだー。」
そんな所から、ファイの思い出話は始まった。


此の世に生まれた時は、ただ意識だけの存在だった。
誰にも見えない、誰にも聞こえない。
空気のような存在だった自分に、其の人は気付いた。
「何か居るな。生まれたばかりの妖怪か?」
(妖・・・怪・・・・・・?)
「まだ其れも知らぬか。」

其の人に教えられて、自分が妖怪なのだと知った。
其の人に教えられて、自分も体が持てる事を知った。
けれど、どんな形をとればいいのか分からなかった。

「何でもいい。自分が思うままに。形も色も、好きに決めればいい。」
(色・・・何色が好き・・・?)
「私か?そうだな・・・晴れた日の空の色と、夜の月の色。ああ、お前と私とでは、見え方は違うのか?」
(・・・?分からない・・・)
「じゃあ、太陽は何色に見える。」
(太陽は・・・赤・・・)
「そうか。私には、光が強すぎて白く見える。白は好きだが、赤はあまり好まないな。」
(じゃあ、月は何色・・・?)
「金色だ。何処までも白に近い金色。空は、優しい青色だな。」

形はもう決めていた。あの人と同じがいい。
色は、あの人の好きだと言った色を。
肌は太陽の光の色。
髪は夜空の月の色。
瞳は晴れた空の色。

其の姿で会いに行くと、彼は驚いた顔をしていた。
「これは・・・美しく化けたものだ。」
「美しい・・・?」
「ああ、魅入られてしまいそうだ。」


其の後しばらく、彼と共に過ごした。色々な話をした。色々なものを見た。
彼と見え方が違うのは、太陽くらいなのだと分かった。人の形をとっても、自分の目には太陽は赤に見えた。
「どうして赤は嫌い?」
「血の色を思い出すだろう?」
「血・・・?」
其の時はまだ血を見たことがなかった。
初めて見た其れは本当に、太陽と同じ色をしていた。




「・・・・・・なんで、喰ったんだ。」
ファイの話を聞く限り、其の人物をファイが喰う理由が見つからない。
しかも、まだ形さえ持たなかったファイの存在を感じ取ったと言うなら、彼はそれなりの力を持っていた筈。
大人しく食べられるとは思えないのだが。
それとも、此の強大な力相手には、手も足も出なかったのだろうか。

(こいつの力は・・・)
今の話を聞いて分かった。
肌は太陽の光の色。髪は夜の月の色。
形を決めた時に、ファイは太陽と月から力を得ている。
強い、筈だ。
其れだけの力を持ちながら、僧侶を喰って新たに力を得ようとでもしたのだろうか。
訊くと、ファイはただ哀しげに笑って答えた。
「ほら、オレ、妖怪だから。」
其れが、宿命だとでも言うように。



夜風が二人の耳元で音を立てた。ファイが腕をさする。妖怪でも、寒さは感じるのだろうか。
黒鋼は、墨染の上着を脱いでファイに投げた。
「明日は宿を探してやる。風邪引くんじゃねえぞ。」
そう言って隧道の入り口に戻っていく黒鋼の背を見送って、ファイは受け取った衣に視線を落とした。
妖怪が風邪を引くとでも思っているのだろうか。
「これじゃ、黒みゅーの方が風邪引くんじゃないの・・・?」
彼は自分と違い、脆くて弱い人間なのだから。

しかし、ファイは其の衣を肩に羽織った。まだ温かい。けれど、
「寒いなあ・・・」
欲しいのは、衣でも布団でもないのだ。
外側から与えられるぬくもりでは、此の寒さはどうにもならない。
衣を貸してもらっても、此の震えは止まらない。
「寒い・・・」
何とか震えを止めようと、墨染めの衣ごと自分の体を抱きしめる。


欲しいものを欲望のままに口に出して欲しいと言えば、彼はどんな反応を示すのだろうか。


言ってはいけない。きっと、まだ側に居たいのなら。



「お二人様ですか・・うちではちょっと・・・」
「そうか、邪魔したな。」
軽く詫びて黒鋼はその家を後にした。七軒目も駄目。どうも二人連れは泊まり難いらしい。かと言ってファイと別々に泊まるのも。翌朝見に行ったら家人は全員喰われてました、などという事になったら申し訳が立たない。
(参ったな・・・)
「あ、また駄目だったのー?」
「・・・ああ。ちなみに此の辺りには古寺もねえ。」
「別にいらないよー。ねえ、どうして宿に泊まらないのー?」
「金がねえ。宿は商売だからな。坊主でもただでは泊めてくれねえ。」
「けちなんだー。」
「そうだ。」
珍しく意見が一致した。
しかしそんな事に喜んでいる場合でもない。そろそろ日が暮れる。
「・・・・・お前、女に見えてるんだったな。」
「うん?別に自在に変えられるけどー?」
「否、いい。・・・・・・上手く捕まると良いが・・・。」
「?」

宿場町で宿以外の商売を営む者達がいる。土産物屋などは勿論だが、どちらかと言うと裏の商売と呼ばれるものも。以前街道脇の古寺で出会った男達のように、人身売買の商品を探す者。旅人の金品を狙う者。そして時には、夜の相手を求める女。
「おっ、女って!!黒むー、お坊様でしょ!!?」
「坊主の前に男だからな。向こうは職業なんか気にしねえ。」
確かに僧侶とは言え若いし体格も良いし、顔もそれなりに整っているので、男としては悪くないとは思うが。
「え、で、その・・・御要望にお応えした事は・・・?」
「泊まった事はあるが、女人戒を破った事はない。毎回毎回断るのが面倒だがな。少し離れてろ。女連れだと捕まり難い。」
「はーい・・・・・」
毎回って、何回位泊まったんだろう、という疑問は口には出さず、ファイは黒鋼の指示に従った。

2軒程、宿を回る。予想通り見事に門前払いをくらった辺りで、目的の相手に巡り逢えた。少し盛りを過ぎた、化粧の派手な女。昔は色町ででも働いていたのだろうか。誘い方が物慣れている。連れが居るんだが、と言うと少し嫌な顔をされたが、それなら二部屋用意してくれると言う。
(すっごい、あからさまー)
初めて見る人間の生態に、ファイは感動すら覚えた。


ファイの幻術は上手くいっているらしく、女はファイの容姿に関しては何も言わなかった。二人の関係に関しては、いつもどおり詮索されたが。
後に何が待っていようとも、久々の温かい夕食と風呂は有り難い物だ。布団は襖一枚を隔てた二部屋に、一枚ずつ敷かれた。
(やっぱり布団は落ち着くな・・・)
久しぶりの柔らかい寝床に、黒鋼はほっと息をつく。此の後、あの女が忍んで来るだろうから、まだ眠るわけにはいかないが。しかし長く続いた野宿で自覚以上に疲労を溜め込んでいたらしく、気を張り詰めていた筈なのに、黒鋼は戌の刻にはうとうとと夢の淵を彷徨っていた。
ごそり、と、何者かが寝具に忍び込んだ気配で目が覚める。
「っ!・・・おぃ」
「しー。夜はお静かにー。」
怒鳴ろうとしたら口を塞がれ、其の正体に目を見張る。其れは女ではなくファイだった。
「お前・・・何やってんだ・・・。」
「先客が居たら彼女も諦めるでしょー。どうせ二度と会わない相手なんだから、変な誤解されても困らないしー。」
「・・・そりゃ・・・確かにそうだが・・・」
言われて見れば、長々と断らなくて良い分、此方の方が楽かもしれない。少し、其れらしい真似をするだけで良いのだから。
「来たよ。其れらしくね。」
ファイに言われるままに、黒鋼がファイの体を自分の体の下に組み敷くと、入り口の襖が一寸ほど開いた。室内を窺う気配がする。しかし其れらしく、と言われても、其れ以上どうすれば良いか分からない。視線で訴えると、ファイがすっと両手を伸ばした。細い指が頬に触れる。ひやりと、不気味な程の冷たさが、背筋を震わせた。腕がゆっくりと首に回され、抱き寄せられる。間近で見る白い首筋に、ごくりと喉が鳴った。
「・・・行っちゃったね・・・」
「っ・・・」
不意に耳元で囁かれた言葉に、はっと我に帰る。見ると、僅かに開いていた襖はもう閉じられていた。そんな事にも気付かない程、動揺するなんて。
(・・・・・・・情けねえ・・・)
「じゃあね、お休みー」
激しく自己嫌悪に陥る黒鋼の下から抜け出して、ファイは何事もなかったかのように隣の部屋に戻って行った。

女は部屋に戻って怒りを枕にぶつけていた。
(何よあれ!どういう事っ!?坊主のくせに、坊主のくせに、坊主のくせに!)
「ごめんねー、お楽しみを潰しちゃってー。」
「っ!?」
突然背後に現れた気配に振り返って目をい見開く。其処には、暗闇に白く浮かび上がる人影。金の髪、青白い肌、薄色の着物。何処を見ても、闇の色をまとう部分は見つからないのに、其れは闇の中が良く似合った。一目見れば、人ならざる物だと判る出で立ち。
「今夜は寒くてさー、また震えが止まらないんだー。」
其の腕の中で、白い球体が震えていた。しゃれこうべだ。
「ひっ・・・よ、妖怪・・・」
女は腰を抜かして後ずさる。
「助けっ・・・誰かっ!」
「駄目だよー。夜はお静かに。」
其れは艶然と微笑んだ。

翌朝、黒鋼が起きた時には女は既に居なかった。昼は昼の仕事があるらしいと、聞いたのはファイから。女が用意してくれたと言う朝食を食べて、一夜の宿を発つ時、ふとした拍子に触れたファイの手は、昨夜より随分暖かかった。





*隧道・・・山腹や地中を穿って通した穴。トンネル。





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