哀韻恋歌




妖怪の名はファイといった。
音から字が想像出来ない聞き慣れない名に、大陸から来たのかと問うと否定の答えが返ってきた。
「昔の知り合いが付けてくれたんだー。見た目がこんなだから、此の国に無い音が良いって。大陸には在りそうな音だねー。」
そんないい加減な名なら握っていても仕方が無いかも知れないと思いながら、それでも一応記憶に刻んだ。


そんな二人の旅の様子はというと。

「あ、黒みゅー、馬だよ馬!乗りたい乗りたい!!」
「あれは人を乗せる為の馬じゃねえだろ。」
「人も荷物も似たような物だよー。お金払ったら乗せてくれるんじゃないのー?」
「そんな金があるか。」
「じゃあその辺で恵んで貰っておいでよ。お坊様でしょー?」
「坊主と物乞いを一緒にするなっ!」

此の時代、当然自動車など存在しないので、陸上の交通手段と言えば馬か籠。しかし庶民の移動手段は主に徒歩だ。馬には荷物が詰まれ、都へ税を運んだりするのに使われる。
「乗りたいー!」
「うるせえっ!足があるならてめえで歩け!!」

ファイの髪は目立つので市女笠と垂衣で隠している。普通は女性が使うものだが、着物の色も薄色と、女性が好みそうな色なので違和感は無い。
しゃれこうべはどうしても捨てたくないと言うので、風呂敷で包ませた。
出来るだけ人目につかないようにと努力しているのに、こう言い合いが多くては嫌でも人目を集めてしまう。終いには人目だけでなく、同情まで集まってくる。

「お坊様お坊様、」
「なんだっ!!」
反射的に怒鳴りつけたのは、馬を連れた男だった。
「まあそう仰らずに。どうぞお乗り下さい。勿論、御代など結構ですので。」
「いいのか?」
「ええ。女性一人乗せたくらいで、へばる様な情けない馬じゃございませんで。」
「わーい、やったね黒みゅー♪」
「いちいち騒ぐな、餓鬼かてめえは!」

しかしこの二人に一番集まっているのは好奇の眼差しかもしれない。



はっきり言ってファイと共に旅をして良かったと思ったことなど未だ一度たりとも無い。あの辺りを離れた事が無かったらしく、初めて見る物があるといちいち騒ぐし、茶屋を見つけては何か食べたいと言うし、五月蠅いと怒鳴ってみても暖簾に腕推し、糠に釘。黒鋼はどちらかと言うと静かな一人旅が好きなのだが。

「はあ、そうですか。旅の途中で知り合って。」
「ええ、女の一人旅は何かと物騒でしょう?此れも何かの御縁という事で、ご一緒させて頂いているんです。」
ファイは一人で馬に乗り、馬の主の男と呑気にそんな話をしている。此の嘘は旅の最初に黒鋼が創ったもの。女の装束である市女笠を被らせる以上、女という事にしておいた方が都合が良いし、女連れの僧侶など不謹慎極まりないので、こういう事にしておいた方がややこしくなくて良いのだ。事実、余計な詮索をしてくる者は、此の数日で何人もいたから。
此の男も其の一人だ。直接的なことは訊いて来ないが、視線が二人を詮索している。気分が悪い。
不機嫌な顔の黒鋼を見てファイが小さく苦笑した。そして話題を変える。

「ねえ、黒たん。あそこに山が見えるでしょー?」
「ああ。」
「人の横顔に見えるから、横顔山っていう渾名が付いてるんだってー。」
「捻りのねえ名前だな。」
そう言いながら指された其れを見ると、成る程確かにそう見える。

「それでね、あっちに二つの山が並んでるでしょー。あれは元々一つの山だったんだけどー、昔木こりがあの山に古くから生えてる木を切り倒した時に、神様が怒ってー・・・」
「ほお、お詳しいですな。」
「何でそんな話知ってんだ。」
感心する男と訝しむ黒鋼。
ファイは男には「以前一度此処に来た事がー」と答えて、黒鋼にはこっそりと馬を指差す。
(馬に聞いてんのか?)
思いっきり眉を顰めると、肯定らしき笑みが返された。妖怪なので何と話せても不思議ではないが、馬までが此方を向いて鼻を鳴らしたのは気に喰わない。
「で、怒った神様が雷を落として、その時今の形になったんだー。」
「ほお。」
しかし、ファイの語る話は話題を逸らすには都合がよく、また内容もそれほどつまらなくもなかった。男も結局一里ほども乗せてくれた。
たまにはこんな語り部と一緒も悪くないかもしれないと、初めてそんな事を思った。


男と馬と別れてから二人は或る場所を目指した。馬が教えてくれた話の中に、一つだけ気になるものが。

『この先を半里ほど行くと、左手に細い分れ道が在る。その道を辿って行くと古寺が在って、其処に泊まった旅人は、二度と此の街道には戻って来ない。』

よく在ると言えばよく在る話ではあるが。
「それって、妖怪に喰われてるって事ー?」
「さあな。行って見なきゃ分からねえ。しかし、何でお前等は古寺が好きなんだ。」
「静かであんまり人が来ないしー、でもある程度は餌が来るからー。」
餌と言わずに人と言って欲しい。話の相手は人なのだから。

そんな黒鋼だが、今回は自ら妖怪退治に踏み切る事にした。馬に聞いた話を男に詳しく訊いた所、被害の多さが尋常ではない。多い日は一日五人、団体が丸々消えてしまう事もあるらしい。
「食事の範囲は超えてると思うよー。人間って結構栄養価高いから、どんなに強大な妖怪でも精々一日一人で十分だと思う。」
「じゃあ五人も消えるってのは何なんだ。」
「うーん・・・食い溜めかー・・・保存食にしてるかー・・・じゃなきゃ快楽殺人?」
恐らく最後の可能性が濃厚だ。今回の相手はファイとは違う。人との共生の均衡を崩すのなら、闘わねばなるまい。

ところでファイは何の迷いもなく付いて来るが、
「・・・お前、妖怪退治中も側に居るつもりか・・・?」
「え、当然でしょー?そういえば黒ぽんが実際に戦うの初めて見るねー。楽しみ♪」
「その・・・仲間意識とかはねえのか・・・?」
「なんで?知らない妖怪だよー?」
「・・・・・・・・・・・そうか。」
他人は所詮他人。妖怪社会も人間社会とそう変わらないらしい。此の様子だと戦闘の最中にファイが妖怪側に寝返る事はなさそうだ。
(仲間になった覚えもねえがな・・・)

そんな事を話していうる内に、問題の古寺に着いた。ファイの時とは違い、いかにも古寺な感じの古寺だ。庭には草木が生い茂り、外れかけた扉が風にがたがた鳴っている。少し離れた場所に鐘突きの堂があるが、盗まれて銭にでもされたか鐘はなく、棒だけが半分落ちた姿で、辛うじてぶら下がっていた。
「やっぱりこれくらいでねえとな。」
「悪かったねー、うちは年季入ってなくてー。」
そんな冗談を交わしながら、二人は古寺に足を踏み込んだ。


「で、どうするのー?」
寺に入った途端そう尋ねたファイに、黒鋼は「とりあえず寝る」の一言。
「妖怪が動くのは夜中だからな。少し早いが、今日は食料も持ってねえし。」
「えー、ご飯無いのー!?」
「こんな寺で誰が出してくれるんだ。腹が減ったならその辺に茸でも生えてねえか探してみろ。」
「古寺で茸狩りする妖怪なんて聞いたこと無いよー。」

それでもファイが辺りをぐるりと見回したのは、本当に茸を探したのではなく、この寺の主の気配を、探ろうとしただけ。
此処は、少しおかしい。
(妖怪なんて・・・居ないんじゃないかな・・・?)
黒鋼は、何か感じているのだろうか。自分に感じられないものを、所詮は人間の彼が感じられるとも思えないのだが。伺った背中は何も応えない。まさか本当に寝ている訳ではない筈だが。
(オレが来たから逃げちゃったとかー?)
弱い妖怪なら、自分よりも強いものが近付くと逃げる事もある。それにしても、妖気の残り香さえ感じ取れない。其れよりもむしろ、人の臭い。
(誰か居る?)

其の時、扉ががたんと鳴った。
風は無かった。人為的なものだ。
ファイは壊れた扉に近付いてみる。無警戒に、という事は無かったが、捕食者と被食者以上の関係を人と築いて来なかったファイには、彼等の行動は全くの予想外。ただ、人の力で自分を殺せるはずが無いという油断は多少あったかもしれない。

突然飛び出した影に、両手を背後で拘束される。耳元で不快な太い声が叫んだ。
「動くな!」
自分の手から転がった風呂敷包みが、黒鋼の膝に当たって止まる。
何時の間にか起き上がっていた黒鋼は、床の上に胡坐を掻いて、呆れ顔で事の成り行きを見守っていた。そしてとりあえず、こう言い放つ。
「阿呆。」
「ひっ、ひっどーい!!助けてよー!」

あまりの言い様にファイが騒ぐと、黒鋼は眉間の皺を一本増やして立ち上がった。しかし、助ける気はないらしい。
「てめえで何とかしろ。役人に突き出すから殺すなよ。」
「役人?」
「此の寺に住んでんのは妖怪じゃねえ。人を攫って売り飛ばしてる悪党だ。」
「へえー。」
どうりで、此の寺には妖怪の気配が無いわけだ。だから、『行ってみなきゃ分からねえ。』なのか。

「おい、お前以外は俺が相手してやる。さっさとかかって来い。」
黒鋼がファイを捕らえている男の後ろに声をかけると、男はいかにも悪人らしい下卑た笑みを浮かべた。
「話が早くて助かるぜ。こいつは高く売れそうだが、お前は役に立ちそうもねえ。せめて安らかに死なせてやる。此処の裏には墓場もある。ちゃんと打ち捨ててやるから安心しな。」
男がそう言い終えると同時に、男の背後に複数の人影。ざっと八人といった所か。手にはそれぞれ木刀やら短刀やら。
「弱い妖怪相手にするよりは楽しめそうだな。」
僧侶の台詞とは思えない一言を呟いて、黒鋼が鞘から抜かぬまま刀を構えると、男達は一斉に黒鋼に襲い掛かった。

しかし、其れは其れは攻撃的な妖怪相手に日夜刀を振るう黒鋼に敵う筈も無く、一斉攻撃だったにも拘らず、あっという間に半分以上が床に這う。勿論黒鋼は刀は抜いていない。殺生は仏道に反する。
「お、おい・・こいつただの坊主じゃねえぞ・・・・!!」
今までの勢いは何処へやら、男達はたじろいで後ろの男を振り向く。ファイは耳元にぎりと歯が鳴る音を聞き、その直後、首筋にひんやりとした金属の感触を覚えた。刃物だというのは展開的に予想できる。

「それ以上動くな!こいつの首と胴が離れるぞ!」
ファイの正体を知らない男はそんな無意味な脅しを掛けるが、もし万が一ファイの首と胴が離れたとしても何も困らない黒鋼は、あっさりと男を無視する。
「お前まだやってんのか。」
「だって、殺さない程度の力加減って分からないんだもんー。」
殺した事は幾度とあるが、生かした事は一度も無い。人は脆く簡単に死ぬものだ。
二人の会話の内容から、男は自分が捕えているのは実は此の僧侶以上に只者ではないのではと予感したが、今更引き下がるわけには行かない。それに。今は此の手を離す事の方が危険な気がする。

「しょうがねえな。じゃあちょっと待ってろ。」
そう言って黒鋼は刀を構え直す。ひっと短く声をあげて、男達が後ずざった。
其の時、

「あっ・・・」

男の一人の足が、ファイが落とした包みに当たる。
一瞬ファイが見せた動揺を男が見逃すはずが無い。
「おい!其の包みだ、何か入ってるぞ!」
其の声に反応してすぐさま包みを拾った男は、其れを盾の様に体の前に持つ。
「動くな!動けば此れをぶち壊すぞ!!」
「やめて、返してっ!」
「暴れんな!おい、何が入ってるか開けてみろ!どうやら余程の貴重品らしいぞ!」
「おう、いいか、動くなよっ!」
そう言って男は風呂敷の結び目に手を掛けた。しかし、其の中身を見る事はなかった。


「其の人に触らないで!!!」


ファイが叫ぶ。其の後に、ごとりと鈍い音が二つ、堂内に響いた。
ほんの一瞬。
其の間に包みはファイの手に戻り、ファイを捕らえていた男と包みを拾い上げた男の首が、床の上に転がっていた。
解けかけた結び目が其の衝撃で完全に解け、布がはらりと落ちる。現れた白い球体に、まだ意識のある男達の顔から一斉に血の気が失せた。
「ひっ・・しゃ・・・しゃれこうべ・・・」
「ば、化け物・・!!化け物だ!助けてくれえっ・・・!!」
一目散に逃げ出す男達。追う必要もないだろう。こんな光景を見たら、二度とこんな悪事は繰り返すまい。

「・・・おい、大丈夫か。」
気が立っている様なので近付くのはやめて、黒鋼は離れた場所からファイに声を掛けた。しゃれこうべを抱きしめたまま黒鋼を振り返ったファイの瞳に、次第に落ち着きが戻る。
「あ・・・オレ・・・・・・・ごめん、殺し、ちゃった・・・・」
殺すな、と言われていたのに。床の上に広がる血溜りに、ファイはやっと自分の所業に気付く。
「ごめん・・・・ごめんね・・・・・・」
「・・・もういい。別に此れは俺の仕事じゃねえしな。」
けれどやはり彼は妖怪なのだと、思い知らされた気がする。とっさに二人も殺してしまえるのだから。

「行くぞ。歩けねえなんて事はねえな?」
「あ、うん・・・え、何処行くの?」
「此れじゃ此処には泊まれねえだろう。」
「あ、そっか・・・そうなんだ・・・。」
(そうなんだってな・・・)
血溜りの上で寝るつもりだったのか。
でも、恐らく彼は今までそうやって生きてきたのだから。

妖怪と人間。

此の旅は、一体いつまで続くのだろうか。
そんな、終わりへの不安が胸をよぎった。






               BACK           NEXT