哀韻恋歌 時は鎌倉だか室町だか戦国だか。この時代に名がつくのはおそらく数百年後の事なので、今はただ『この時代』としか表しようがないが、武士は所々で戦を起こし、貴族は館で優雅に遊び、平民は日々農作業に明け暮れつつ、季節の祭りに精を出す。そんな風に、誰もがある程度自由奔放に生きていたそんな時代。 黒鋼という名の僧がいた。 彼自身は僧になりたかったわけではなく、親に捨てられ死に掛けていた所を、拾って育ててくれた人が僧だっただけ。勤行にいそしむのは性に合わないと、寺を出て行脚の日々を送っている、少し変わり者の僧だった。勿論黒鋼も付き従い、彼の死後も、一人行脚の生活を続けている。 遠方でヒモスドリ(※)が二度鳴いた。黒鋼は頭上を仰ぐ。 今朝から薄暗い山道を歩き続けていたので気がつかなかったが、随分日が落ちてきたようだ。 (近くに村があるか・・・) 耳を済ませて再び鳥が鳴くのを待つ。野宿も慣れたものではあるが、夜はまだ少し冷えるこの時期、出来れば屋根の下で眠りたい。しかし、もう巣に帰ってしまったのか、声は三度は聞こえなかった。 (仕方ねえ・・・) 諦めて先に進もうと、前に向けた目は其のまま見開かれた。何時の間に其処に現れたのか、幼い少女が自分を見上げている。 (何時の間に・・・) 否、此の場合、いつ現れたかは問題ではない。此の手の輩は、何が目的かが問題なのだ。 「何の用だ。」 声に凄みが利いてしまうのは意図的なものではなく、此れが黒鋼の素だ。声を掛けられた少女はそんな柄の悪い僧侶相手に怯える様子もなく、むしろ相手にされたことで顔を輝かせて 「あのね、あっちだよ。」 そう言って、道も何もない林の方を指す。 「あっち?何が・・・・・・」 其の指の先を追った視線を少女に戻すと、其処に彼女の姿はもう見えない。 「・・・・・・・・・・・・」 悪戯好きの狐かそれとも親切な山の精か。 とりあえず黒鋼は示されたまま、草木を掻き分けることにした。 物には想いが宿るという。 長年使った家財道具が変化する九十九神などは、有名な部類ではないだろうか。先刻の少女もきっと其の類。 一般には『魂が宿る』と言われるが、魂とは輪廻の輪の中に存在するもの。過去の偉人の生まれ変わりだと名乗る者はいても、九十九神の生まれ変わりだと言う者は見たことがないので、彼らに宿るものは魂ではない。彼らを動かすのは思念の力だ。と言うのはあくまでも黒鋼の持論。 リン――― 腰に下げた刀が木の蔓に引っかかって、下げていた鈴が大きく鳴いた。その拍子に、僅かに白い刃が覗く。 (おっと・・・) 誰が見ている訳でもないが、黒鋼は慌てて刃を鞘に仕舞った。 殺生を禁じられた僧侶が、腰に刀。此れが、師が変わり者だったと言う最たる点。変わり者と言うよりは、異質と言うべきか。しかし、彼の死後は黒鋼が受け継いだ其れは、人を殺傷する為のものではなく、破魔の刀だ。 自らの法力と此の刀で、魔、つまり妖怪を倒す。黒鋼の師はそんな特殊な僧だった。そして、彼に育てられた黒鋼も。 其れも別段なりたくてなったと言うわけではないが、力は生まれつき持っていたし、他に行く当てもなく。それに戦闘は読経より性に合うし、武家社会のような堅苦しい主従関係もないので一応は気に入っている。 ちなみに妖怪とは、先に述べたように、物に想いが宿り自我を得たもの。だと思っている。 しかし、本当に想いが宿るのは物にではなく人にではないか。 人は皆、誰かの想いを背負って生まれ、誰かに想いを託して死ぬ。託しきれなかった想いが物に宿り変化と化す事はあれど、本来は人から人へと受け継がれるもの。 誰もが、誰かの想いを背負って生きている。 『黒鋼・・・・・・』 「っ・・・」 嫌な事を思い出した。 人の最期の想いは、時として生者には重過ぎる。想いそのものではなく、背負っているのだという意識が。 黒鋼は、ぎりと歯を鳴らすと、刀に絡んだ蔓を乱暴に引き千切った。 少女の正体が何であったにせよ、どうやら黒鋼を気に入ってくれたようだ。木々の間を数分歩くと、突然開けた場所に出た。山間の小さな村。夕飯時らしく、何軒かの窓から煙が上がっている。 (何でこんな所に村が・・・) 刀に絡まった蔓を払いながら辺りを見回すと、村の外に繋がるらしき道が見えた。どうやら、一筋道が違えばすぐに辿り着けていたようだ。一体何処で道を誤ったか。 とりあえず、手近な家の戸を叩く。顔を出したのは中年半ばの男性。其の後ろには、妻らしき女も見える。此れは、今夜は酒にもあり付けるかもしれない、と僧侶らしからぬ期待を抱きながら、一夜の宿を求めた。 「旅の者だ。悪いが今夜・・・」 「お坊様でございますか!」 「あ?ああ、そうだが・・・」 どうやら予想以上に歓迎されたらしく、すぐさま家の中に通される。 嫌な流れだ。今までの旅を思い返して、黒鋼は溜息を噛み殺した。 そして、黒鋼の予想を体現するかのように、夫婦は黒鋼の前に手をつく。 「お願いでございます、お坊様!村外れの古寺に、人を喰う妖怪が住み着いて、村人一同、頭を悩ませているのです。どうか、奴を退治しては頂けませんか?」 怪談話のお約束のような話だが、お約束になるにはそれなりの理由がある。村の真ん中に寺があるなら寺が寂れることはない。村外れにあるから寺は荒れて古寺になり、人があまり寄り付かないから妖怪が住む。そしてお約束の怪談話に慣れてしまった村人は、当然のような顔をして旅の僧侶を妖怪の住処に送り込むのだ。 そしてもう一つお約束。 「何でお前らは妖怪がいる村にいつまでも住んでるんだ。」 「は?何故と言われましても、奴は寺から出ては来ませんから。」 妖怪が人を襲うのは、多くの場合、人が彼らの領域を侵すからだ。 (くだらねえ・・・) しかし、嫌だと言えば今宵の食事が危うい。此の村のどの家に行っても、同じ話が待ち受けているだけだろう。それならもう、其の古寺に泊まるしか道はないのだから、妖怪退治を引き受けて食料を施して貰った方が建設的だ。それに、たとえ気が向かなかったとしても、一応本職なのだから。 「うーん・・」 旅の僧侶が寺に向かった後、男は顎に手を当てて唸った。 「どうしたんだい、あんた。」 「否、さっきの坊さん、坊さんのくせに刀なんか下げてたからな・・・」 「きっと護身用だろうさ。どうせ竹光だよ。」 僧侶が刃物など持ち歩く筈がない。持ち歩いていたとしても自分達には関係ない。それに、妖怪と戦うなら刃物でも持っていた方が安心だ。妻はそう笑ったが、男はまだ冴えない顔。 「それに、左手に坊さんらしからぬでっかい傷があったんだ・・・」 まるで刃物で貫かれたような。 そんな不穏なことを言う夫に、きっと盗賊にでも出くわしたんだろうと、妻はまた軽く笑い飛ばした。 古寺、と言われて想像するほどには、その寺は荒れてはいなかった。聞いた話によると、数ヶ月前までは住職がいたらしい。例の妖怪の最初の餌食だ。僧侶のくせに、と黒鋼は思うが、世間一般のお坊様は、読経しか能がない普通の人間なので、妖怪と戦うこと自体無理な話。それに、 (こいつは・・・大物だな) 強敵の気配に思わず口元が緩んだ。 寺の中に入り腰を下ろすと、黒鋼はすぐ夕食にありつく。蝋燭でも探そうかと思ったが、見知らぬ寺の中を歩き回るよりは、飯を食う方が簡単だ。食事が終わると特にする事もないので、そのまま床の上に横になった。隙だらけの体勢ではあるが、気だけは鋭く研ぎ澄ませて。破魔刀は、いつでも抜けるようにすぐ脇に寄せて。 妖怪が動くのは、草木も眠る丑三つ時、と言うのが怪談話の常道だ。そして、常道だと言うからには、大抵の妖怪はその時間に動く。今はまだ、何処かから此方を伺う気配だけが漂う本堂の中、黒鋼はじっと其の時を待った。 しかし。 「・・・・・・いい加減にしやがれ、人喰い妖怪!今何時だと思ってやがる!」 待ち続けて待ち続けて、時刻は既に卯の刻になろうかと言う頃。未だ現れぬ妖怪に業を煮やして、黒鋼は見えない相手を怒鳴りつけた。 「こっちはテメエがかかって来るのを待ってんだよ!出て来ねえなら力尽くで引きずり出すぞ!」 叫ぶだけ叫ぶと、しん、と静まり返る堂の中で、じっと相手の反応を待つ。外はそろそろ空が白み始める頃だが、戸を閉め切った堂の中には光は差し込まない。その暗闇の中に。 「っ!」 不意に浮かび上がったのは、ぼんやりと白く光る球体。否、しゃれこうべだ。流石に黒鋼も少々ぎょっとする。しかし、すぐに其れを抱く腕と、其処に続く全身が現れた。 「人の住処に勝手に入り込んでおいて、随分な言い様だねー」 そう言って艶然と微笑む妖怪は、どうしても怪談話の常道にはまりたくないらしい。こんな寺に住むのは蜘蛛などの変化が多いが、其れは人の形をしていた。少しくすんだ薄色の小袖に、薄衣で作られた上着を羽織り、闇の中に静かに佇む其れは、髪から瞳、肌の色にまで貫かれる不気味なほどの色の薄さと、腕に抱いたしゃれこうべ、そして何処までも妖しい中性的な微笑だけが、人ならざるものである証であるように。 「・・・何者だ」 「今自分で言ったでしょー。この寺に住む人喰い妖怪だよ。それよりそっちこそ、お坊様にしては、物騒なものを持ってるねー。其れ、普通の刀じゃないでしょー?」 黒鋼の脇にある刀を指して妖怪が笑む。此れが分かると言うことは、やはりかなり強力な。しかも、破魔の刀を警戒する様子もない。 「・・・・・・今日は満腹か?」 しかし一向にかかってくる気配のない妖怪に、冗談めかして尋ねると、 「坊主は嫌いなんだ。」 と、思いもしなかった答えが返ってきた。 妖怪にも好き嫌いがあるとは。否、女子供の方が美味いと言うのは聞いたことがあるが。それにしても僧侶と言うのは別格で、食べると寿命が伸びるとかで普通は好まれるものだが。 「でも此処の住職は喰ったんだろうが。」 「うん。此の人。」 そう言って妖怪は手にしていたしゃれこうべを指す。 「不味かったから、坊主は嫌い。」 一人の味が悪かったくらいで、坊主全員不味いと決め付けられては堪ったものではない。かといって、じゃあ試しに二人目を、と言われても其れは其れで困るが。 「オレを倒さなくていいの?其の為に来たんでしょー?」 自分はかかって来ないくせに、僧侶には普通であることを求める妖怪に、黒鋼は拍子抜けして戦意が削がれてしまった。 「妖怪が人を喰うことを、悪いとは思わねえ。聞いた話じゃ、お前は村に余計な危害を加えることもないらしいし、俺に向かって来ねえなら、俺がお前を倒す理由がない。」 勿論村人からの依頼はあったが、それだけで彼を此処から追い出すのは人間の利己だという気がする。 彼はただ、此処で生きているだけ。 こんな仕事をしているからだろうか、時々、妖怪の方が気の毒に感じることがあるのだ。 「オレが妖怪で君が僧侶ってだけで、理由は十分だと思うけど。変わった人だねー。」 「お前もな。」 風変わりな怪談話は此の辺りで十分だ。黒鋼は刀を持って立ち上がると、本堂の戸を開けた。清浄な朝の光が差し込んでも、妖怪は平然としている。 「・・・てめえが此処が気に入ってるなら無理にとは言わねえが、村人に随分嫌われてる。山にでも引っ込んだ方が平和だと思うぞ。」 「出てけって事ー?」 「無理にとは言わねえ。好きにしろ。」 そう残して黒鋼はさっさと庭に下りる。その背を、妖怪が呼び止めた。 「ねえ、君の名前は?」 「名前?黒・・・」 深く考えずに答えかけて、しかし黒鋼は口を噤む。 「・・・化け物に名前を教えたら取り殺されかねねえ。」 こういう職に就くものは、名前・生年月日・出身地などはあまり人に明かさない。情報を握られることは時として命を握られることとなる。 「わあ、用心深いねー。じゃあいいよ。」 「じゃあな。」 今度こそ黒鋼は、其の古寺を後にした。 村を出てしばらくの間、無言で山道を歩き続けていた黒鋼は、不意に立ち止まって背後を振り返った。先ほどの妖怪がいる。 「何の用だ。」 「んー、とりあえず忠告に従って寺を出たんだけどー、行く処もないから君に付いて行こうかなーと思って。」 そう言ってへにゃんと腑抜けた顔で笑う。そうしていると妖怪の雰囲気は消えるが、それでも薄い色素と手に抱いたしゃれこうべは其のままだ。 明るい場所で、と言っても、山の中なので薄暗いが、改めて見ると、彼の肌は本当に血が通っているのかと思うほど白い。(妖怪なのだから通っていないかもしれないが。)瞳は空の蒼に、そして髪は、月の光の色に似ている。 「お前、何の変化だ?」 「さあ?生まれた時から此の姿だから、前のことなんて知らないよー。大体そういうのって人間の観念だからさー。たわしの妖怪が『俺はたわしだー』って、思ってると思うー?」 「・・・いや。」 それに、妖怪が全て何かの変化と言う訳でもない。例えば思念だけが集まって、自我を持つこともある。そういう類のものはむしろ神に近い気がする。そもそも神と妖怪の違いなど、崇められるか嫌がられるかくらいのものでしかない。というのも、あくまでも黒鋼の持論だが。 「とにかく、俺はお前を連れて歩く気はねえ。寺を出たならてめえの行きたい場所に勝手に行け。」 「だから、其れがないから君に付いて行くんでしょー?大丈夫、迷惑はかけないよー。」 「一緒にいる事が迷惑だ。大体、そんな怪しいなりで、街道を歩けるか。」 「どうしてー?オレ人型じゃない?」 「そういう問題じゃねえ!」 しゃれこうべを抱いていることの異常さが分からないなら、説明しても意味がない。こうなったら無視して先を急ぐことにしよう。山を越す頃には、諦めていなくなるだろう。 そう決めて黒鋼はまた山道を歩き出した。 ざくざくと、木々の間に土を踏みしめる音が響く。其れは黒鋼一人だけのもので、後ろに続く彼は足はあるようだが音が立たない。それでも気配だけは感じるので、振り向かずとも付いて来ているのは分かる。 「・・・・・・・・・・・」 少し苛ついて、黒鋼は歩幅を広げる。妖怪は平然と付いて来る。 足を速める。妖怪は平然と付いて来る。 終に耐え切れなくなって、黒鋼は全速力で駆け出した。 「あー、待ってよー。」 後ろから呑気な声が聞こえようがお構いなし。行脚で培った体力に物を言わせて、上り坂を駆け上がる。それでも妖怪はしばらく追いかけてきていたが、 「・・・・・・やったか・・・。」 何時の間にか、背後に気配は消えていた。 ほっと息をついて、黒鋼は速度を元に戻した。見ると、もう頂上がすぐ其処だ。これなら、今日中に山を越せるかもしれない。そんなことを考えながら辿り着いた頂上。山の神でも祭ってあるのか、小さな祠がある横に、 「・・・・・・・・・・・!!!!」 「あ、いらっしゃーい、遅かったねー。」 「な、おま、何で・・・!!」 「何言ってんの。黒むー、妖怪の専門家でしょー?これくらいで驚かないでよー。」 平然と言い放つ彼の言葉の中に、聞きなれない単語があった気がした。 「黒むー?」 「黒むー。だって君、『黒』しか名乗らなかったでしょー。」 つまり其れは自分の事か。 理解した途端、果てしない脱力感に襲われた。 きっと彼を振り切るのは無理だろう。地の果てまでも追いかけてくるに違いない。 それならもう、しばらく付き合って、飽きて勝手に消えてくれるのを待つしかないのか。 「どうしたの、黒むー?」 「どうもしねえ、もう勝手にしやがれ!!」 自棄になって叫んだ黒鋼を馬鹿にするように、木霊が其の言葉を真似ていた。 ※ヒモスドリ・・・カラスの異名 木霊はこだまって読みます。ここではやまびこのこと。 BACK NEXT |