分からなくなった事が一つある。
罪を犯すことは絶対に悪で、悪である事は絶対に罪なのだろうか。



Hakenkreuz Z.天使 ガ 泣ク 夜




この家に来てから2日目の昼下がり。神威は庭の木の上で、小さく溜息を漏らした。
封真は隣で眠っている。スバルは室内で。
彼は主である自分の願いどおり、人間の子供の飼い猫を続けてくれている。
悪魔になる方法は、見つかるはずもなく。

「このままで・・・いいのかな・・・。」

呟くと、封真の体が傾いで、肩に頭が乗った。
励まされている気がして、その頭に自分の頭を凭せ掛けると、意外に柔らかい毛先が頬をくすぐる。

(気持ちいい・・・)

悪魔のくせに。そんなことを考えながらその感触を楽しんでいると、空から声が降ってきた。

「神威さーん!!」
「っ!」

はっと顔を上げると、青空の下に広がる白い翼。

「護刃・・・?」

エデンにいたとき、仲の良かった天使だ。神威もしまっていた翼を広げようとして、しかし思い留まる。
こんな黒い翼、見られたくない。
だが、悪魔と一緒に居るところを見られるのも。

「大丈夫だ。」
「封真・・・?」
「翼、見られたくないんだろう?飛ばなくていい。」
「・・・・・・・・」

どうしてこの悪魔は。
或いは悪魔だから、人の心を読むことに長けているのだろうか。

「でも・・・」
「大丈夫だ。悪魔の姿は、普通天使には見えない。」
「え・・・?」

疑問を口にする間はなく、護刃が眼前に舞い降りてきた。

「神威さんっ!お久し振りです!!」

封真に気付いた様子はない。本当に見えていないのか。

「護刃・・・どうしてここに・・・?」
「神威さんが戻ってこないから、神様にお許しを頂いて会いに来たんです。」
「神様が・・・許可を・・・?」
「堕天使に、会っちゃいけない決まりはないですよ?」
「あ・・・」

知られていた。罪を犯したこと。
それなら、翼を隠す必要はなかったかもしれない。

「神様に・・・聞いたのか・・・?」
「はい・・・。堕天したとだけですけど・・・。でも、神威さんの事だから、きっと何か理由があったんでしょう?
 神様だって、特に怒ってらっしゃる風でもなかったですし!」
「怒って・・・なかった・・・?」
「はい。神威さんの罪が赦された時は、教えてくださるって約束してくださいました。
 そのときは、私が神威さんを迎えに来ますね!」
「え・・・?」

赦しと言う言葉に虚を突かれた。そういえばあの日神は言っていた。罪が浄化されるその日までと。
悪魔になると決めてから、天に戻る事など考えもしなかったが。
肩の上で封真がくすりと笑った。

「あ、赦しについても教えていただきましたよ!
 罪が赦されるには、犯した罪の重さに相当するだけの時間を、地上ですごさなければならないんですって。
 でも、その重さに相当する善行を、その時間に代えられるんです。
 だから、善いことをすればすぐに戻って来れます!」
「・・・善行って?」
「あ・・・それは・・・ごめんなさい!」

護刃は視線を泳がせた後、がばっと頭を下げた。

「私、大切な事聞き忘れてましたね・・次に降りて来るときは聞いてきます・・・」
「あ、別にいいんだ。」

スバルと約束した。悪魔になると。
赦しの道があるとしても、今は必要ない。
むしろ知りたいのは、悪魔になる方法。
しかし、天使にそれを聞くわけには行かない。

不意に、封真が口を開いた。

「穢れなき人の魂を、地獄へ落す方法があったな。」

護刃には聞こえていない。神威は身じろぎを堪えた。

「試してみるか?天使も、地獄に堕ちられるかもしれないぞ?」
「っ・・・」
「神威さん?どうしたんですか?」

思わず顔を強張らせた神威を、護刃が心配そうに覗き込む。

「な・・・なんでもない・・」
「何を躊躇う?絶好のチャンスだろう。難しいことじゃない。手を伸ばせ。この天使を・・・使え。」
「っ・・・」

悪魔の囁きは、天使の微笑みより、強く、激しく、胸を揺さぶる。

「神威さん・・・?」
「・・・・・」

神威は小さく首を振った。

「なんでもないんだ・・・大丈夫。」

それは、悪魔の囁きに耳をふさぐ言葉。
封真はやはり小さく笑って、無言で神威から離れた。
窓ガラスをすり抜けて室内に入り、スバルの隣に舞い降りるとそこで横になる。
確かに、向こうの方が静かに眠れるだろう。
神威は少しほっとした。



「喧嘩でもしたのか?」

突然室内に入ってきた封真の気配に、スバルは首をもたげた。彼には、護刃の姿は見えない。

「天使が来てる。神威の友人らしい。」
「友人・・・?」

隣で横になった封真に代わるように、スバルは起き上がって外を覗く。
そんなことをしても、神威以外の天使の姿が見えることはない。
けれど、不思議でたまらない。

「じゃあどうしてあいつ・・・あんな悲しそうな顔してるんだ・・・?」
「・・・・・・犯した罪を、思い出してるんだろう。」
「・・・・・・」

スバルは窓に背を向けて、封真の傍らに腰を下ろす。

「前から、気になっていたんだ・・・」
「神威が犯した罪か?」
「お前は・・・知ってるんだろう・・・?」
「ああ。」

目を閉じたまま、封真は薄く笑む。

「ずっと見てたからな。初めから全部。」

スバルが僅かに目を細める。

「あいつは天使だ・・・。その・・・羽の色とかそういう問題じゃなく・・・」
「とても綺麗で、罪や穢れとは無縁の存在に見えるのに、と言う事か?」
「俺にはあいつが・・・罪を犯すようには思えない・・・」
「だが犯したからここに居る。あの黒い翼がその証だ。」
「神威は・・・天を追われるほどの何をしたんだ・・・?」
「・・・・・・」

封真はゆっくり目を開けて、スバル越しに神威を見つめた。



「神威さん・・・あの・・・聞いていいですか・・??」
「ん?」
「罪って・・・何を、したんですか・・・?」
「・・・・・・」



「世にも邪悪な、悪魔の所業だ。」

封真はそう答えるとまた目を閉じた。



「ごめん・・・言えない・・・」

神威は答えて目を伏せた。
天使には言えない。こうして地に堕とされてもなお、あの罪が間違いだったとは思えないから。




護刃は日暮れ前にエデンに戻った。
封真は部屋から戻ってきて、神威の前に舞い降りる。
神威は立てた膝に顔を埋めていた。
なんと声を掛けようかと考える前に、神威の方から口を開いた。

「・・・・・・俺にはお前が見えた。」

呟くようにそう言っても、顔は上げない。
白い翼の天使との再会は、彼には決して楽しいものではなかったようだ。

「前にも言っただろう。天使は高等な生き物だから、必要なものしか見えない。
 天使に悪魔は必要ない。
 それでもお前が俺を見たのは、お前が、悪魔を求めたときだろう。」
「悪魔に・・・天使は見えるのに・・・?」
「俺には、お前しか見えてない。」

互いの姿など見る必要はない。決して互いの想いが相容れる事はないのだから。
それでも強く求めれば、愛しい姿は目に映った。
遠回しな告白は、伝わらなければいいと思う。

「泣いてるのか。」
「・・・・・・スバルに・・・言った・・・?」
「天使が来てる、とは言ったが。」

神威の声が震えていた。
隠したいのは、悪魔になれたかもしれないのに、試さなかった事。
できなかった事はスバルへの裏切り。
咎められはしないだろう、それでも。

「言わないで・・・」
「・・・悪魔に願うなら、代価を。」

顎を掴んで強引に上向かせる。
両の目から溢れた涙が、神威の頬を濡らしていた。

「天使の涙は、どんな酒より美味だと聞く。」
「・・・・・・」

言葉の意味する所を解して、神威は静かに目を閉じる。
顔に吐息が近付いて、頬を柔らかい感触が舐めた。



涙を拭う温もりは、悪魔のものでも酷く優しい。






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