「ごめ・・なさい・・・ごめんなさい・・・・・・神様・・・」



Hakenkreuz X.天使 ガ 見ル 夢 




朝の光の中で目が覚めた神威は、自分の現状にぎょっとした。
木の上で眠ったはずなのに、いつの間にか下に降ろされて、封真に横抱きにされている。

「ななな・・何これ・・・!」
「地面の上じゃ寝苦しいだろうと思って抱いてやったのに、不満だったか?」
「そうじゃなくてっ・・・何で降ろされてるのかって訊いてるんだっ・・・!」
「俺が降ろしたんじゃない。お前が落ちてきたんだ。」
「・・・・・・う・・・嘘だっ・・・!」
「天使が人を疑うな。お陰でぐっすり眠れただろう?一日半。」
「え・・・そんなにっ!?」
「嘘だと思うなら使い間に訊いてみろ。」
「っ!スバル!!」
「あ・・・いや・・・その・・」

強い味方の使い魔も、今回ばかりは目を逸らす。

「さて、助けてやったワケだから、代価でも頂くか。」
「えっ!頼んでないのに!?」

しぶしぶ負けを認めたところに追い討ちを掛けられて上げた抗議の声は、いともあっさりと封じられた。

「使い魔には頼まれたぞ?お前が払わないなら、こいつの命を貰う。」
「わ、分かった・・・払う・・・」

自分の寝相の尻拭いを、可愛い使い魔にさせるわけには行かない。

「じゃあ、俺はこのまま夜まで眠るから」
「・・・うん・・・」
「今日は一日このまま抱かれてろ。」
「・・・な・・・何それっ・・・!」
「嫌なら使い魔の・・」
「分かった!分かったから!」
「よし。」

要求が通った事に満足の笑みを浮かべて、封真は神威の体を抱き寄せた。

「じゃあ、お休み。」
「お・・・・・お休み・・・」

天使と悪魔って宿敵じゃなかったっけ。神威がそんなことを考えていると、スバルが膝の上に乗ってきた。
喉を撫でてやると、ごろごろと音を鳴らしながら、申し訳なさそうな顔。

「悪い・・・」
「え?」
「悪魔に・・・頼んだ事・・・。代価まで要求されるとは思わなかった。」
「そ、そんなっ!スバルは何も・・・っていうか・・・ごめん・・・ありがと・・・」

こんな風に気を遣わせるなんて、主人として失格だ。

「大丈夫。一日こうしてれば良いだけだし。スバルの命に比べたら。」
「・・・脅しただけで、本当に殺す気はなかったと思うが・・・」
「そんな事ないって。悪魔なんだから。」
「・・・そんなに・・・悪い奴か・・・?」

根拠があるわけではない。神威が眠っている間も、2、3言葉を交わしただけで。
けれど、一日抱いていたいなんて、とても、優しい願いではないだろうか。
猫はそう思うのに、天使は思わないらしい。心底不思議そうに、呟く。

「でもこいつ・・・こんなことして何が嬉しいんだろう・・・」
「・・・普通、抱きしめたいのは・・・大切だからじゃないか・・・?」

スバルがそう言うと、神威はきょとんとした顔をして。

「それは、地上の生き物の話だろ?」
「・・・そうか・・・」

スバルは困った様子で尻尾を揺らすと、神威の胸に顔を摺り寄せた。
神威は、その頭を撫でてから、スバルの体を胸に抱く。
地上の話は、エデンにも通用するらしい。

その場所から見上げると、封真はまだ起きていて、スバルと目が会うと、小さく苦笑して見せた。
鈍くて困る、という意味だろうか。
これではあまりにも可哀想だ。
しばらく待って、封真が眠りに落ちてから、スバルは神威に、少しだけ真実を告げた。

「神威・・・本当は・・・・・」




昼になって太陽が昇ると、建物の裏になるこの辺りにも日が差した。
今は、スバルも傍らで夢の中。
神威は抱かれたまま、封真の寝顔を見つめてみた。
起きているときは常に凶悪な笑みを浮かべている気がするのだが、今は、安らかに眠っている。

(凶悪・・・でもないのかな・・・)

少し、自分の価値観に自信がなくなってしまった。

ふと、近付いて来る足音を耳にして顔を上げる。
小さな女の子だ。
ここは病院の裏だから、見舞い客だろうか。
生身の人間を、これほど近くで見るのも珍しい。彼女にこちらは見えないが。
しかし、それが油断を生んだ。異界の存在と過ごすうちに、本来用心深いはずの猫にまで。

「ミーア!」

そう叫んで、少女がスバルを抱き上げた。
スバルが素っ頓狂な悲鳴を上げる。

「スバル!」

神威は奪い返そうと手を伸ばす。しかし、後ろから抱きしめられて叶わない。

「待て。」
「離せ、封真っ!スバルがっ・・・!」
「向こうにお前は見えないんだ。お前が抱いたら、猫が浮いたとかって大騒ぎになるだろう。」
「あ・・・」
「害を加える気はなさそうだ。少し様子を見るぞ。」

しかし少女はスバルを抱いたまま走って行ってしまう。
そして一人の女性を見つけて、ぱっと顔を輝かせた。

「ママ!ミーアがいたの!」

母親らしき女性は、スバルを見て、少し顔を歪める。

「霞月、この子は男の子よ?ミーアは女の子だったでしょ?」

どうやら、昔飼っていた猫に似ているらしい。少女はまだスバルをその猫だと言い張る。

「間違いないもん、ミーアなの!」
「でも霞月、野良猫って言うのは・・・」
「野良猫じゃないもん!ミーアだもん!」

スバルが神威を見上げる。瞳で逃げて良いかと聞いていたが、神威は首を振った。
爪で少女を傷つけたりしたら申し訳ない。家まで行けば、少女の方から離すだろう。その隙に。
結局母親が根負けして、人間二人はスバルを連れて家に向かう。
翼を持つ二人は、空から追いかけた。

「本当のミーアはどこへ行ったのかな・・・」
「さあな。猫は死期が迫ると姿を消すというから、もしかすると・・・」
「凄く可愛がってたみたいなのに・・・」

自分の愛猫が誘拐されているというのに犯人に同情しだす天使に、悪魔は密かにため息をついた。
この後の展開が目に見えるようだ。



少女の家は、日当たりの良い庭のある一軒家で、神威と封真はその庭の木の枝に舞い降りた。
丁度その木の正面に当たる二階の部屋に、スバルを抱いた少女が現れる。

「もう逃げちゃ駄目だよ!」

そういってスバルを部屋に残すと、少女は母親に呼ばれて階下へ降りていってしまった。
早速二人は少女の部屋に侵入する。

「なんだ。もう首輪までつけられたか。」

そういってスバルをからかう封真の横で、神威は室内に飾られていた写真に目を留めた。
少女が今より幼い頃のものから、成長に合わせて何枚か。
全てに同じ猫が写っている。
綺麗な黒い猫。
きっと、姉妹のように育ったのだろう。

「・・・・・・・・・神威、」
「っ・・・あ・・・」

スバルに呼ばれて、思わず動揺してしまった。
そうだ、今は情に流されている場合ではない。
自分達には目的がある。スバルをここに置いておく訳には行かない。
けれど―――

「・・・・・・・・俺はお前の使い魔だから、お前が望む通りにするぞ?」

全て見透かして、スバルが言う。
しかしその隣から封真が惑わす。

「だがお前は悪魔になるんだろう?そんな甘い事でいいのか?」
「・・・・・・」

神威はしばし悩んで、

「・・・・・・少し・・・ここに居よう・・・」

そう、告げた。


封真はつまらなさそうに部屋を出て、庭の木の上に戻ってしまった。
もう少し、眠るつもりらしい。
これで良かったのだろうか。まだ迷いが残るが。

「冷たくしたからって・・・悪魔になれるわけじゃないと思うから・・・」

そう呟くと、スバルが同意するように、尻尾の先を揺らした。




本当は、うなされていたのだという。初めて眠った夜の事。
見かねたスバルが封真に告げると、封真は神威の体を静かに抱いて、
幼子をあやす様にゆっくりと背をさすりながら、大丈夫だと繰り返したと。
それが、スバルが今朝、神威に告げた真実。




「猫の側に居なくていいのか?」

部屋を出てきた神威に封真が尋ねる。

「今日は・・・一日抱かれてる約束だから・・・」

気恥ずかしそうに神威が言う。
封真が両腕を広げると、神威は素直にその中に納まった。
そして、小さく。
本当に、風でも吹けば聞き逃してしまうほどの音で、呟く。

「ありがと・・・」
「・・・何が?」

猫が余計な事を言ったなと察しながらも、一応理由を聞いてみた。
神威は更に小さな声で。



「一昨日の夢は覚えてないけど・・・
 
 昨夜は・・・・・・

 優しい夢を見た気がするんだ・・・」





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