天上の音楽が幸福をもたらすなら 悪魔の歌声は破滅でも呼ぶのだろうか。 Hakenkreuz W.悪魔 ガ 歌ウ 詩 地上で2日目の陽が沈もうとしている。神威は赤い空を見上げながら、ため息を零した。 膝の上にはスバル。左肩には封真。両者ともよく眠っている。 (邪魔はしないとか言ったくせに・・・いきなり『寝る』だもんな・・・) 悪魔は光が苦手らしい。神がこの世界に最初に創りだした物。 人が作り出す光ならともかく、太陽の光は、浴びるだけで体力を消耗するとか。 長時間浴びているのは辛いから、昼間は日陰で眠ると。 昼間眠る事に関しては、スバルも賛成したので文句は言わないが。 (『お前も寝ろ』って言われてもなあ・・・) 自覚はないが、エデンから出ると、天使も体力を消耗するらしい。 回復のために眠れと言われたが、エデンでは普通睡眠は取らない。 あそこはいつも光に満ち溢れていて、夜の闇とは無縁だ。 眠り方が分からなくて、神威は結局丸一日、一人でぼんやりと、悪魔になる方法を考えていた。 場所は、今朝と同じ、病院の裏の木の上。 ふと首を回すと、東の空はもう暗かった。 地獄の空は、いつもあんな色なのだろうか。 考えていて、思いつく。 「・・・地獄に行って見ればいいんじゃないかな・・・」 「誰が?」 誰も聞いていないと思って呟いたら、意外にも声が返ってきて少し驚いた。 「あ・・・起こしたか・・・?」 「丁度起きたところだ。」 封真が体を起こすと、その気配でスバルも目覚めた。 「もう行くのか?」 「いや、完全に陽が沈んでから。それまで、餌でも探してきたらどうだ。」 「・・・ああ。」 スバルが驚いた顔をしたのは、悪魔がそんなことに気が回るとは思わなかったのだろう。 神威も驚いた。 (そうか・・・地上の生き物って食事するんだ・・・) 危うく飢え死にさせるところだった。 スバルが行ってしまってから、封真は改めて神威に問う。 「で、誰が地獄に行くって?」 「あ・・・お、俺が・・・」 踏み込んでみれば、体が適応して変わるのではないかと思ったのだ。 「今朝の俺の話を聞いていたか?天使が入れば体が灰になるぞ。」 歴史上の天使がそうだったように。 「でも・・・もしかしたら・・・って事も・・・」 「命懸けで試すほどの名案だと思うか?」 「それは・・・・・・・」 言葉に詰まった。 成功する根拠はない。成功しない前例はある。 けれど確かめもせずに無理だと決め付けるのは―――― 「手を出せ。」 「え・・・?」 顔を上げた神威の前に、封真は何かを差し出す。 石のような物でできたそれは、神威の両手になんとか収まるほどの大きさの、鍵。 「地獄の鍵だ。」 「えっ・・・」 「天使と悪魔は、住む場所は違えど、作られ方はほぼ同じ。お前にも使えるだろう。 開けてみるといい。入らなくても分かるはずだ。あそこがどんな場所か。」 「・・・・・」 恐る恐る鍵を受け取って、すぐに神威は手を引いた。 「熱っ・・・」 冷たく見えたそれは、触れるとかなりの熱を持っていた。 「地獄の鉱物だからな。触れる事もできないか。」 落ちた鍵を拾って、封真は神威を膝に抱く。 「ふ、封真っ!?」 「翼をしまえ。羽根が燃えるぞ。それと、扉が開いている間は、出来るだけ息を吸うな。」 そう言って神威を片手で強く抱きしめて、封真はもう片方の手で、鍵を、正面に突き出した。 そして耳のすぐ側で囁く。 「僅かな間だ。よく見ておけ。」 まるでそこに鍵穴があるかのように、鍵をゆっくりと回した。 その回転に押し開かれるように、空間に亀裂が生じた。 神威はその光景を凝視した。 亀裂の向こうに、漆黒の闇が見えた。 そこが、限界だった。 「っ・・・!」 亀裂から吹き出した熱風に、目を灼かれそうになった。 思わず目を閉じて顔を背ける。 息を吸うなと言われるまでもなく、呼吸などできない。 それでも口を押さえなければ、体の内から燃え上がりそうで。 (熱い・・・苦し・・・・・) 助けを求めて封真の服を握り締める。 封真の腕にこもる力が増した。 「大丈夫だ。もう閉まる。」 その言葉通り、不意に呼吸が楽になった。 大きく息を吸おうとして、失敗してむせ返る。 封真が、背中を撫でてくれた。 「大丈夫か・・・?」 「は・・・はっ・・・・あ・・・」 やっと目を開くと、黒光りする翼が、守るように自分を包んでいた。 地獄の空気を、遮ろうとしてくれたのだろう。 それでもなお、あれほどの。 「あ・・・れが・・・?」 「ああ。地獄だ。無理だと分かっただろう。」 「・・・うん・・・・・・ごめん・・・」 「・・・何を謝る?」 「え・・・あれ・・・?何でだろ・・・」 ただなんとなく、あれが地獄だと言った時の封真の顔が、少し悲しそうに見えて。 「・・・うん、解った・・・他の方法を探す・・・。」 そう言い直した時、寝床にしていた木の根元に、スバルが帰ってきた。 「陽が暮れた。そろそろ行くか?」 「あ、うん。」 舞い降りようと翼を広げて、宙に浮いた途端。 体の力が抜けた。 「っ・・・・」 「神威!!」 スバルが叫ぶのが聞こえた。 落ちている事に気付いて羽ばたこうとするが、翼が動かない。 地面が近づく。 天使でもやはり、ぶつかると痛いだろうか。 そんなことを考えたとき、体がふわりと浮いた。 いや、抱きとめられた。 「だから眠れと言ったんだ。」 「ふ・・・ま・・・」 「地獄の空気に触れて、余計に体力を消耗したんだろう。今夜は休め。」 「でも・・・行かなきゃ・・・明日は眠るから・・・」 「お前は俺たちとは違う。昼間は光を浴びて、夜眠ったほうがいい。」 「でもそれじゃっ・・・俺たちはどこへも行けないじゃないかっ・・・!」 「・・・・・・どこに行っても、悪魔になる方法なんてないんだ。」 「っ・・・・・・」 パンッ・・・ 夜闇に乾いた音が響いた。 「・・・・・・天使が他者を攻撃していいのか?」 神威を抱いたままではぶたれた頬を抑える事もできないが、封真は口元に笑みを浮かべる。 ぶった神威の方が目に涙を溜めて、封真を怒鳴りつけた。 「帰れっ!願いを叶えるまで帰れないなら、扉が開くわけない!本当は帰れるんだろっ!!」 封真は地獄への扉を開いた。開けられるなら、通れるはず。 「なんだ・・・案外鋭いな。」 封真はあっさり嘘を認めて、神威をやっと地面に降ろした。 支えてくれる腕を振り切って、神威はふらつく足で歩き出す。 「どこへ行く?」 「探しに・・・。付いて来るな。」 「嫌だ。そんな状態で放っておけるか。今日は休め。」 「うるさいっ!願いを叶える必要がないなら、もう悪魔といる理由はない!地獄に帰れ!」 「・・・・・・理由なら、俺の中にある。」 そう言って封真は、乱暴に神威の手を引いた。 倒れこむ体を抱きとめてあごを掴む。 そして顔を上向かせて。 唇を、重ねた。 「っ・・・・・!」 神威はもがく事も忘れて目を見開いた。 封真は、薄い皮膚と皮膚が触れ合うだけのものに留めてすぐに手を離す。 支えをなくすと、神威は呆然とした顔で、その場にがくりと崩れ落ちた。 「神威!」 スバルが膝に飛び乗って、心配そうに神威を見上げる。 封真は屈んで、スバルごと神威を抱き上げた。 はっと我に返って、神威はその腕から逃れようともがく。 「降ろせっ・・・」 「上まで運ぶだけだ。隣にいられるのも嫌なら俺は下にいるから、今夜は休め。」 「嫌っ・・・」 「神威、無理はしなくていい。今夜は・・・」 「・・・・・・・スバル・・・・・・」 スバルにまでそう言われては、どうしようもない。神威は抵抗をやめた。 けれど一つ、訊かねばならない事がある。 「何・・・さっきの・・・」 「キスか?」 さらりと返されて顔が火照った。特別な感情ではなく、単なる行為への羞恥。 封真は神威を木の上に降ろしながらにやりと笑って、 「悪魔の言動をいちいち真に受けるな。」 そう言い残して、離れた。 怒りと安堵が入り混じったような妙な気分で、神威は静かに目を閉じた。 下で、封真が囁くように、何か歌を歌っていた。 歌詞は聞き取れなかったけれど、終わりの世界で誰かへの愛を詠うような。 哀しく優しいラブソング。 なぜかそんな気がした。 その音色を聞きながら、神威はいつしか眠っていた。 BACK NEXT |