花は
月に焦がれて昼開き
月を恐れて夜つぼむ
そんな話を、聞いたことがあった




月想花




夢を見ていた。
寒い、牢の中に立っていた。
手は背中で拘束されて、刀を握ることもできない。
そう思ってから探したら、刀は腰にはなかった。
モコナの中にあるのか、それとも奪われたのか。
隣を見ると、小狼がいた。同じく拘束されて、動けない状態だ。
サクラとモコナは別の牢だろう。
そう考える余裕はあるのに、彼の行方だけには、何故か心当たりがない。
「あいつは・・・」
聞こうとして、耳に届いた靴音に口を噤む。
二人分の音。その一つが、彼のものだという確信があった。
やがて牢の前に、彼と、見知らぬ男が現れる。
「ファ・・・」
彼の顔色の悪さに、普段は呼ばない名を、思わず口走りそうになった。
しかし自分より早く、男がその名を呼ぶ。
「ファイ、」
肩をびくりと震わせて、彼は男を見上げる。
表情に喜びの色はない。それなのに何故か、その名はその声で呼ばれるのがふさわしいような気がした。

拘束されていることよりも。
あんな顔をする彼に手を伸ばせないことよりも。
ただそれだけが悔しくて、ぎりと歯を鳴らす。
しかし怒りは、男の次の一言に即座に霧散した。
「さあ、殺す順番を決めさせてやろう。」
彼が目を見開く。
柄にもなく、敵に懇願しそうになった。
命乞いではなく、彼に、そんなことをさせないでくれと。
死ぬことよりも、自分が、彼に傷として残ることが恐ろしい。
けれど声は、渇いた喉に貼り付いてただの一言も出てこない。
「さあ、」
「・・・・・・」
彼はしばらく俯いて、ゆっくりと顔を上げた。
そして、とても、穏やかな笑みを浮かべて。
「では・・・」

その唇は、とても残酷な選択を紡いだ。



「やめろっ・・・!」
「わっ!おはよう、黒様―。」
「・・・あ?」
目を開けると、朝の光の中に金の髪がまぶしかった。
「残念、なかなか起きないからちょっといたずらしようと思ったのに。」
人の心も知らずにそういって笑うファイは、どういうわけでか手に持っていたサインペンの蓋を残念そうに閉じる。
それは水でも落ちないタイプだったはずだが、いったい何をしてくれようとしていたのだろうか。
けれどそんな光景に、ほっと胸をなでおろす。
(なんだ・・・夢か・・・)
そういえばああいう状況に至るまでの記憶はまったくなかったのに、夢だと気づけないほどに、リアルな夢。
起き上がると、寝巻き代わりのシャツが汗で背に張り付いていた。
「すごい汗だねー。怖い夢でも見た?」
「ああ・・・少しな・・・」
「次元の魔女さんにからかわれる夢とかー?」
「いや・・・もっと・・・」
冗談めかした質問にいつもの戯れの怒りを返せないほど、まだ動揺していたらしい。
どこまで深刻な顔をしていたのか、ファイが笑顔を消して、頬に触れてくる。
その手から、かすかに甘い香りがした。
今頃になって、彼はもう身支度を整えていることに気づいた。
もう朝食の準備は終わっていて、今朝のメニューはまた甘いものなのだろう。
隣で寝ていた彼が、ベッドを抜け出したことにも気づかないほど夢に深く囚われていたのか。

「悪い夢は人に話したら本当にならないんだよ。」
ファイが促すように覗き込んでくる。
なぜそこで選択を誤ったのだろう。
きっと、ファイの顔が、夢の中と違って笑っていなかったから。
朝の部屋は夢の中の牢と違って寒くはなかったから。
今は、手を伸ばせばファイに触れることができたから。
そして、どんなにリアルでも、所詮夢だと軽く考えていたせいかもしれない。
あるいは、まだどこか夢見心地で、何も、考えていなかったせいかもしれない。
「俺達は囚われていて・・・男が・・・お前に・・・俺たちを誰から殺すか決めさせてやるって言って・・・・・・」
「・・・男・・・?」
「知らねえ奴だった・・・。背は高くて・・・髪は黒くて長い・・・金の瞳・・・の・・・」
どうして気がつかなかったのだろう。
ファイの瞳が驚愕に見開かれるまで、それが誰であったのか。
いや、無理な話だ。こんな予知夢のようなものを見る力は自分にはないはず。
夢に出て来た男が、たまたまファイの知る誰かの特徴に合致したことを、どうして予想することができただろう。
そしてすべては手遅れで、ファイの瞳には恐怖。

「・・・おい・・・たかが夢だろ・・・」
自分の発言を無効にしたくて、必死で言葉を探したがそんなありきたりなフレーズしか思いつかない。それでもファイは、
「そ・・・うだよねー・・・夢だよねー」
そう言って、いつもの笑顔を取り戻し――いつもどおり、本心を隠した。
「じゃあオレ、先に降りてるから。ご飯冷める前に降りてきてねー。」
「おいっ!」
呼び止めたのに、ファイは逃げるようにして部屋を出た。
「・・・くそっ!」
とんだ失態だ。黒鋼は額に手を当てた。額にも汗。そんなにあの夢に恐怖していたのか。
『では・・・』
ぞくりと背筋に寒気が走った。
彼の顔を見られないのは不安だ。
早く着替えて階下へ。そして今日は、できるだけ彼のそばにいよう。

ところが。
「じゃあ今日の情報収集は、オレとサクラちゃんが南、黒むーと小狼君が北ねー。」
「・・・・・・」
向こうからあからさまに避けてきた。


確かに何らかのフォローをしても、触れて欲しくない所に触れる結果になるだけだろう。
望むならばそれ以上口にする気などなかったのに。
ただそばにいたかっただけだ。いつでも、何があっても触れられる場所に。
それなのにこんな風に避けられては、話題にせざるを得ないではないか。



「おい、」
その夜、夕飯の片づけを終えて階段を上がるファイに後ろから声をかけた。
ファイは、ちらりと黒鋼を見て、そしてまた二階へ向かう。
「聞けよ!」
「聞いてるよ・・・」
聞きたくないと態度で示してはいるが。
「・・・あんな夢のことなんか気にすんな。」
「・・・・・・気にしてないよ。」
「してるだろうが。」
「してないってば。」
「じゃあどうして逃げる。」
「ずっと側にいなきゃいけない理由でもあるの?」
「・・・側にいないと不安だ。」
自分らしくない台詞だとは思いながらも黒鋼が発した一言に、ファイはやっと足を止める。
しかし発せられた台詞は冷たい。
「気にしてるのは黒みゅーのほうじゃないの?」
振り向いた瞳は、照明のせいか、いつもより暗い蒼に見えた。
「オレは・・・側にいられるほうが不安なんだ・・・」
ごめんね。
そう言ってファイは自分の部屋に入ってしまった。
「おい、待っ・・・」
とっさにドアノブを掴んで回したが、がたんと衝撃だけが手に残った。
鍵がかかっている。
「・・・くそっ」
大きく舌打ちして黒鋼はドアにもたれて座り込んだ。昨夜は二人で過ごした部屋に、今は一人で戻る気になれない。

側にいるほうが不安だなんて。
昨日までの時間のすべてを否定された気分だ。
確かに何度も、自分たちは互いの腕を求めたはずなのに。

(焦がれるのは月か・・・)
昔、誰かに聞いた言葉を思い出した。

花は
月に焦がれて昼開き
月を恐れて夜つぼむ

会いたくて会いたくてたまらないのに会うのは怖い。
会うことは恐れながらも今も彼が焦がれ続けるのはただ一人。
花の心は常に月だけのもの。
(じゃあ俺はなんだ・・・)
魔女は言った。出会いは必然だと。
だから、自分はファイの居場所になれると思っていた。そのために、出会ったのだとさえ。
手に入れてさえいなかったのに、失うことばかり案じて。
手を伸ばし損ねて、やっと気づく。
花が月だけを想うように、彼が想うのはただ一人だ。月になれなければ、彼の心には入れない。
(でも俺は・・・月になんかなりたくねえ・・・)
離れては焦がれられ近づけば恐れられる月が、花の心を知ることは決してないから。
気づかれなくても求められなくても、側にいることが許される存在でありたい。

黒鋼は立ち上がって、ファイの部屋の扉をこつんと叩いた。返事はない。待っても今夜、扉が開くことはないだろう。
何か言おうとして、思いつかなくて、黒鋼は静かに部屋に戻った。


花は
月に焦がれて昼開き
月を恐れて夜つぼむ

全てに心を閉ざした花は
その身を包む誰かの心に
いつになったら気づくだろうか






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