花は
月に焦がれて昼開き
月を恐れて夜閉じる
本当は、花の目に月は映らない



月想花



「ファイ」
ひどく遠くから聞こえた気がした声に顔を上げると、声を発した人間はすぐそこにいた。
焦点が合わないけれど誰なのか分かる。とても、恋しくて、哀しい気配。
怖い。
足元の感覚がない。自分が立っているのか浮いているのかも分からない。
めまいがする。視界が白濁する。
「さあ。」
彼が示す先に、ゆっくりと顔を向ける。
白の世界の中に、はっきりと、赤。
(黒・・・鋼・・・)
名前を呼びたいのに、声は渇いた喉に貼り付いて、唇まではたどり着かない。
「さあ、どうする?」
(何・・・を・・・?)
彼はせかす。
戸惑って、見上げると、彼はやわらかく微笑んで、残酷な質問を投げつけた。
「誰から殺したい?」


「っ・・・・!」
がばりと上半身を起こして、ファイは荒い呼吸を繰り返す。
そして、現実への帰還を確認するように、そっと呟く。
「夢・・・」
窓から外を見ると、遠くの空がうっすらと白んでいる。まだ時間は早いが、かろうじて朝。
(嫌な汗・・・シャワー浴びて大丈夫かな・・)
別室で眠る旅の仲間たちを起こさないよう、ファイは静かに部屋を出た。

最近、同じ夢ばかり見る。
仲間が囚われて、自分はその前に立たされて、誰から殺すか選べと迫られる。
その夢の中で、視界がだんだん曇っていくのだ。
最初はいろんなものがはっきりと見えたのに、今ではもう、彼の姿しか見えない。
まるで、彼を選べと言わんばかりに。
「黒鋼・・・」
彼もまだ、この夢を見ているだろうか。

「じゃあ。今日はオレと小狼君で昨日ゲットした情報を確かめに行こうかー。サクラちゃんと黒様は引き続き情報収集で。」
「はい。」X2
この国はそれなりに危険もある国で、戦闘力のバランスを理由にすればこの組み分けは決して不自然ではなく。
黒鋼は何か言いたげにじっとファイを見つめただけで、不満気ではあったが無言で席を立った。
あからさまに避け続けるのも、そろそろ限界かもしれない。



「ファイさん。」
「・・・・・・あ、え、何―?」
考え事をしながら歩いていると、隣から声をかけられた。
反応が遅れたのを、この少年が見落とすはずがないのだが、あえて直接的な指摘は避けてくれる。
「最近元気ないですね。大丈夫ですか?」
「え?そ、そうかなー。」
「あなたが無言で歩いてるなんて、珍しいですよ。黒鋼さんともしばらく口利いてないみたいだし。」
「あ・・・えーと・・・うん・・・まあ・・・」
この少年は、どこまで見抜いているのだろうか。
「原因も知ってるのかなー。」
「黒鋼さんが『あんな夢くらいで』ってぼやくのは聞きましたけど。」
「あー。黒りんって時々独り言大きいよねー。」
「何考えてるかわからないより、扱いやすくてよくないですか?」
「・・・・・・」
どこから突っ込むべきだろう。あるいは触らぬ神に祟りなしだろうか。
「えっと・・・何の話だったっけ・・・」
「どうして夢なんかをそこまで気にするんですかっていう話です。」
「・・・そんな話だったっけ?」
「はい。」
小狼にしては珍しく、直球で踏み込んできたことに少し驚くが、小狼にならいいかと口を開く。
本当は、自分もかなり参ってきていた。
「夢の内容は聞いてないよね・・・?」
「はい。」
「・・・凄く、怖い夢を見たんだ。怖くて苦しくて、本当になったらとても悲しい夢。」
「黒鋼さんが見たんですよね?」
「ううん・・・オレ・・・。」
「え?でも・・・」
「同じ夢を見たんだ。というか・・・たぶんオレの夢が・・・黒むーに移ったんだと思う。」
「夢が移る・・?」
「移るっていうか・・・引きずり込むって言うほうがいいかなー。夢って繋がってるから・・。」
その現象は言葉では説明しづらいものの、ファイは何とか言葉をつむぎ続ける。
一言一言、心に閉ざした不安が、解消されればと。
そのためには相手を間違っている事、良く分かっているのだけれど。

「オレ、魔力があるでしょー。自分でも無意識に、近くにいる人を、自分の精神に巻き込むことがあるんだ・・・。」
心が激しく揺れたとき。助けてと、声に出せずに叫んだとき。
心の悲鳴は制御不能な魔力の嵐となって、外に放出されるか、そばにいる誰かを心の中に引きずり込む。
「あ、近くにって言っても、隣歩いてるくらいでは影響ないから大丈夫なんだけど・・」
近く。もっと近く。触れ合う肌よりもっと内側。あの日、二人で過ごした夜みたいに。
「でも、ただの夢なんでしょう・・・?」
「・・・予知夢とかではないと思う。オレにそういう力はないから。でも・・・」
「でも・・・?」
「・・・何度も、同じ夢を見るんだ・・・。オレは・・・その夢の中で・・・きっといつか、とても残酷な選択をする・・・。覗かれたくないんだ・・・。」
だから、側にはいられない。

「少し急ごー?今日は食料の買出しにも行かなきゃいけないし、早めに済ませちゃわないと。」
小狼に何か言われることを恐れて、ファイは歩を早める。しかしそんなファイの背に、小狼はやはり言葉を投げた。
「花は・・・」
「え?」
あまりにも予想外な単語に、ファイは足を止めて振り向く。
「花は、月に焦がれて昼開き、月を恐れて夜閉じる。昔旅した国で聞いた物語の一説です。」
静かに語られるその物語に、ファイは耳を傾ける。
「花は月の下では俯くから、月の目に花は映らない。花の想いは成就することはなく、最後に花は枯れてしまいます。
それでも月は、そこで一輪の花が枯れていることにも気づかない。」
「・・・じゃあ、その花のことは誰が知ってたの・・・?」
「・・・花が、月を想いながらも見つめ続けたものが。」
「・・・」

本当は、花の目にも月は映らない。
いつも昼に空を見上げ続けた花が、確かにその目に映していたもの。
朽ちるその寸前に、花はそのぬくもりに気づくのだ。

「・・・オレが花だって言いたいのかな。」
「ミスキャストではないと思いますけど。」
「じゃあ・・・黒みゅーが・・・」
「月の役は似合わないでしょう。」
「・・・そっか・・・そうだね・・・」
夢が、日々不明瞭になっていく。もやがかかったように白濁して。
それでもただひとつ、はっきり見えるのは、何よりも、暖かいと思っていた色なのだろう。

確かに見つめてくれていたのに。

「まだ間に合うかな・・・」
「枯れる前に気づけたでしょう?」
「・・・うん。」
今夜、一度話そう。




「黒みゅー」
部屋の前で名を呼ぶと、凄い勢いで扉が開いた。尻尾を振って飼い主に飛びつく犬みたい、なんていったら、こんな状況でもさすがに怒鳴られるだろうか。
「お茶入れたんだ・・・。少し、話しない?」
「あ・・・ああ・・・」
戸惑った表情で部屋の中に入れてくれる。何日も拒んだのに、受けいれられる。きっと、こんなところも、暖かいのだろう。
ベッドに並んで腰掛けて、香りのいい紅茶に唇を濡らしながら、小狼に話したことを、黒鋼にも伝える。
黒鋼は、くだらねえと吐き捨てて、それでも優しく肩を抱く。
「あんなくだらねえ夢、気にすんなって何回言や分かるんだ。」
「・・・君は、まだあの夢を見る?」
「あの一夜きりだ。」
「オレはあれから毎晩見てる・・・。また隣で寝て、また夢を見せたらどうしようって思う。いつも、あの質問に答えられなくて目が覚めるんだ。
でも、いつか答えてしまうんだと思う・・・。その選択を・・・聞かれたくない・・・。」
ファイの痛切な告白に、黒鋼は怪訝そうな顔をする。
「あ?オレの夢の中では、答えてたぞ?」
「え・・・?」
「だからあの朝、『やめろ』って言ったんだ。」
「・・・・・・」
ファイは驚愕に目を丸くして、そして次に、おびえて唇を震わせた。
「オレ・・・なんて答えたの・・・?」
怖かった。目の前に立つ者の恐ろしさに、愛しい名を、残酷な質問の答えにしたのだろうかと。
「・・・・・・お前は・・」
少し悩んだようだったが、黒鋼は、自分が聞いた言葉を、ファイに伝えた。




その夜、また同じ夢を見た。
しかし今日は、初めてその夢を見たときのように、全てがはっきりと見えた。
寒い牢の中。旅の仲間たちが囚われた前に立たされて、選択を、迫られる。
「さあ、殺す順番を決めさせてやろう。」
声の主は、おそらく自分が、わずかでも彼らに心を移したのが気に入らないのだろう。
とても優しい声音で、残酷な台詞を、ひどく暖かな笑みで吐く。
「さあ、」
答えるべき言葉を知っていた。彼は、怒るだろうけれど。
けれど心はとても安らかで。
自然に、心の底から微笑めた。



「では・・・オレから。」



今夜を最後に、この夢から、逃れられる気がする。もし彼がまた隣で同じ夢を見ていたら、起きて早々叱られるんだろうけれど。
でも答えを教えてくれたということは、ひとしきり叱った後、抱きしめる気でいてくれると思うから。




花は
月に焦がれて昼開き
月を恐れて夜閉じる

けれど
太陽の下でだけ笑うのだ



明日の朝は、日の光の中で思い切り笑おう。
愛しい腕に包まれて。





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