初恋
 
 
 
春はまた出会いの季節でもある。
 
 
「初めまして!今日から身辺警護をさせて頂きます、小狼といいます!よろしくお願いします!!」
「・・・・・・・・あ、ファイです。よろしくねー。」
高校生になった途端、黒鋼がバイトを始めたので、帰りはしばらく一人になると言ったところパパが早速ボディーガードを依頼した。その依頼先が星史郎の会社で、翌日、星史郎が連れてきたボディーガード君に、ファイと黒鋼はしばし唖然。
「中学生か?」
「はい!中等部2年Z組に所属しています!」
どう見てもボディーガードが務まる外見ではない。ちなみに星史郎はボディーガードではなくシークレットサービス(SS)と呼んでいる。本業ではなく、有り余った資財を投じて星史郎が作ってみただけのものらしい。
「実力は保証しますよ。うちは客の選り好みはしますが中途半端な仕事はしません。」
「客選ぶのかよ。」
「本業ならともかく娯楽みたいなものですからねえ。かっこよくないですか、シークレットサービス。」
星史郎の割には意外にありきたりなものに憧れたものだ。いや、作ってしまう辺りが規格外か。しかもシークレットサービス、私服要人警護の事だといわれても、星史郎が口にすると暗殺とかも請け負ってそうな響きを帯びるのは何故だろう。
「・・・左手のそれは真剣か?」
「いえ、木刀です!」
それでも十分人は殺せそうだ。
「ボディーガードって言うより弟が出来たみたいー。」
スキンヘッドと黒いスーツとサングラスが似合う黒人系のごついお兄さんが来るかと思っていた。
「ごついお兄さんは嫌だという注文だったので。うちは人材も豊富なんですよ。では早速帰りますか?僕達はクラブですけど。」
「はーい。」
星史郎に促されて立ち上がったファイは、ふと黒鋼を振り返る。
「あ、黒みゅー、今日からバイトー?」
「ああ。帰ったら声かける。」
「うん、待ってるー。頑張ってね。」
「おう。」
そんな夫婦みたいな会話を交わしてファイを見送った後、黒鋼は予想通り星史郎に茶化された。
「どうやって説得したんです?」
予想通りということは無論、返す言葉は決めていた。
 
「愛されてるからな。」
 
 
「・・・ねえ小狼君」
「は、はいっ!」
「電車の中も危険なの?」
帰りの電車に揺られながらファイは向かいに立つ小狼に訊いてみた。学生の帰宅時間のため周りはそれなりに騒がしく、誰も二人の話など聞いていないだろう。満員というほどではないが座席は全て埋まっていて、ドア部分にもたれたファイの前に小狼が直立不動の姿勢。守ってますという気合がひしひしと伝わってきて、しかしそれはこの場に不似合いで少し面白い。
「いえ、人目の多い所は比較的安全だと思います。でも何があるかは分からないので。」
教科書的な返事の後は沈黙。さっきからずっとこんな感じだ。会話が続かない。
「・・・小狼君、緊張してるー?」
「え・・・」
ファイの質問に小狼は少し驚いた顔をして、そして少し言いづらそうに
「ち、ちょっと・・・」
「やっぱりねー。もうちょっと気軽に話してくれていいよ?あんまり守ってます!っていうそぶり見せてると、逆に狙われそうだしー。普段はお友達かー、いっそ弟気分で、ね?」
「は・・・はい。」
軽く小首を傾げると小狼は何故だか俯いてしまったが、それで緊張がほぐれたのかその後はそれなりに会話が弾んだ。他愛もないことを話しつつ緊急連絡先や毎日の待ち合わせ場所なんかを決めて、気が付いたら家の前。
「あ、ここがオレんちー。隣が黒ぷーの家だよ。」
「はい。じゃあおれはここで。中に入ったら玄関の鍵はかけてくださいね。」
護衛は、帰り道だけということになっている。別に護衛自体要らないと言うファイと、むしろ常に付けたいと言うパパとの折衷案だったのだが、ファイの主張は家の中で護衛の人と二人っきりというのも耐えられないと思ったからであって、小狼みたいなのなら別に――というかもう少し付き合って欲しいくらいだ。黒鋼かパパが帰るまで暇でしょうがない。
「寄ってかないのー?お茶くらいなら出すよー?」
「いえ、これから毎日ご一緒するのに、気を遣わないで下さい。」
「そう?じゃあここでー。」
「あ、一人で出かけるときなんかも、呼んでくださいね。すぐ来ますから。」
「うん、ありがとー。じゃあ、また明日。」
「はい、失礼します。」
ぺこりと模範的な礼をする小狼に背を向けてファイは玄関の鍵を開けた。小狼はまだ後ろ。家に入るのを確認するまでは其処にいてくれるらしい。
(そういえば、昔弟か妹が欲しかったっけー)
一人っ子が誰でも一度は願う夢が、叶ったような気分だ。なんだか嬉しくて、ファイは家に入る前にもう一度小狼を振り返る。
「君で良かったよ。これからよろしくねー。」
「は・・・・・・はいっ!何があっても、必ず貴方を守ります!!」
夕方の住宅街に響いた誓いの言葉にファイは柔らかい笑顔を残して、家に入って戸を閉めた。
外に一人残された小狼の心境など彼は知る由もない。
(な、なんだろうこれ・・・)
小狼は胸に手を当てた。鼓動が早い。
電車の中で小首をかしげた仕草、振り向く瞬間の揺れる髪、最後の柔らかい微笑。全てが、脳裏に焼きついて消えない。
(ひょっとしてこれが・・・)
初恋、という奴だろうか。
 
まあそれはそれとして。
 
 
「オレもアルバイトしたいんですよ!」
また翌日の放課後、例によって教室に遊びに来た星史郎にファイが人生相談中。
「すればいいじゃないですか。ファイさんの場合収入が嬉しいかどうかはともかく、いい人生経験にはなると思いますよ?」
「ところがお父さんがっ・・!」
黒鋼がバイトを始めたので自分もやってみたいと言ってみた所、見事に却下された。
「慣れない労働で体壊したりしたらどうするんだって。」
「まあ一理あると言えばありますが。」
ファイは今でもあまり体が強いとは言えない。パパとしては心配だろう。
「でも体力づくりにも悪くないかもしれませんね。では隠れてやりますか。といっても・・・」
星史郎が珍しく困った顔をして腕を組む。
「お父上のお帰りになる時間は日によって違いますよね。夕方からのバイトは難しいですね。」
「じゃあ深夜に抜け出してー。」
「高校生は日本の法律では10時までしか働けません。朝の新聞配達くらいならできるかもしれませんが・・・」
(新聞配達っ!)
「やりますっ☆」
「何か新聞配達に憧れでもあんのか・・・?」
「何言ってるの黒りん!新聞配達って言えばアルバイトの王道じゃない!」
そうでもないと思う。
ちなみに隣で聞いている黒鋼は、ファイのアルバイトには反対派らしい。理由はパパと同様のものにプラスして、ファイが自分以外の不特定多数に笑顔を振りまくのが何となく嫌、といったものだが口には出さない。
(まあ新聞配達なら笑顔は振りまかねえか。)
それなら応援してやるべきだろうか。
「でも足はどうするんだ?原付免許も持ってねえだろ、自転車で配るのか?」
走って、という手もあるがファイには少々スタミナが足りなさそうだ。
「じ・・・自転車・・・かなー・・・」
ところがファイは突然元気をなくしてちらりと黒鋼を見る。
「?何だよ?」
「あ、あの、さー・・・自転車の乗り方、教えてくれるー・・・?」
「・・・・・・・・・はあ!?」
そういえばファイの家で自転車を見かけたことがない。
 
確かに考えてみれば小中学校は徒歩で通学したし、高校生になった今も駅まで歩いて通っている。ファイが普段買い物するスーパーは帰る途中にあるので買い物は学校帰りに済ませているし、荷物なんて黒鋼に持たせればいいので自転車に乗る機会はないと言えばない。少し遠いお出掛けになると車が迎えに来るらしい。金持ちは自転車なんか乗らないという意味だろうか。別にそんなことにムカッと来たわけではないが、
「夜まで帰れねえ。自転車なら貸してやるから勝手に練習しろ。」
そう答えるとファイは少ししょんぼりしていた。
「意外に冷たいですね、黒鋼君。」
ファイが待ち合わせ場所にした校門に小狼の姿を見つけて帰った直後、星史郎にそう言われて黒鋼は眉根を寄せる。
「無理なもんは無理だ。」
「まあ始めたばかりのバイトを休むわけにも行かないというのは分かりますが・・・」
そういいながら窓から外を覗くと、ファイが丁度小狼のもとに駆け寄った所。そしてなにやら話し込む。
「『小狼君、自転車乗れるー?』『え、はい、乗れますけど。』『じゃあ教えてくれないかなー?』『い、いいですよ』って所ですね。」
「・・・読唇術か?」
「ええ。役に立つんですよ色々と。」
何に役立つのかはともかく、ファイの自転車のコーチは小狼が務めることになったらしい。黒鋼は昨日一度話しただけだが、真面目で責任感の強そうな少年だという印象を受けた。恐らく大きな怪我もさせる事も無く、立派に乗れる様にしてやってくれるだろう。しかし星史郎はわざとらしくため息を一つ。
「黒鋼君、いくら愛されてるとは言っても、永遠に変わらぬ愛なんてないと思うんです。」
「それがどうした?」
「僕は別に構わないんですが、このまま行くとファイさん・・・」
「・・・何だよ。」
「寝取られますよ?小狼に。」
「っ・・・・・!!?」
 
与えられる愛の上に胡坐をかくのはやめましょう。
 
 
ファイとて運動神経が悪いわけでは決してない。持久力はあまりないが短距離走は早い方だし、泳ぎはいまいちだが跳び箱なら男子の全国平均より高く跳べる。腕力はないが高跳びなら黒鋼と張り合える。
「身軽なんですね。」
「・・・・・・優しいね、小狼君・・・。」
3時間練習して、いまだ乗れないというのはどういうことか。自転車を侮っていた。国民の大半が乗っているから、もっと簡単なものかと思っていたのに。
今日はパパの帰りは遅く、小狼はシークレットサービスなんてやってるだけあって門限はないというのでもう少し付き合ってもらうことにして、休憩を兼ねて夕飯を振舞いながらファイは深いため息をつく。しかし小狼としてはファイの手料理が食べられて感無量。しかも早朝の暗い道を新聞を配って走ると言うことは、護衛の自分がご一緒しないわけにはいくまい。朝からファイと二人きり。想像しただけでドキドキしてしまう。ここはなんとしても自転車を乗りこなして頂かなくては。
「きっとさー、小さい頃から訓練しないと駄目なんだよー。」
「そんなことないですよ。誰だって一日では無理ですよ。コツを掴めばすぐ乗れるようになりますから。」
「やっぱり三輪車から始めるべきなんじゃないー?」
「三輪車の方が乗りにくいんじゃないでしょうか・・。自転車の経験は全くないんですか?補助輪付きとかでも。」
「ううんー、移動は車がメインだったからー。あ、人力車なら乗せてもらったことあるよ、星史郎さんちの庭で。」
「はあ・・・。」
星史郎さんは人力車持ってるのか・・・なんて自分の社長の生態を知ってみたりしたついでに、小狼はファイの昔の暮らしぶりを想像してみる。実家の事や日本に来たいきさつはそれとなく星史郎から聞いていたが、気になることが一つ。
「前の家には戻らないんですか?そのまま残していると伺ってますけど。」
「ああ、うん。何回か帰らないかっていう話は出たんだけどねー、なんか居心地よくなっちゃって。友達も出来たし家事もやってみると楽しいし、それに・・・・・・」
「・・・?それに?」
「ううん、なんでもないー。じゃあそろそろ行ってみようか、特訓第二弾。」
「あ、はい!」
 
練習は家の前の道路で。少し狭いが車の通りは少ないのでもってこいだ。
「もっと肩の力を抜いて。ちゃんと持ってますから安心してこいで下さい。」
「頭では分かってるんだけどねー。行きまーす。」
ペダルに置いた足に力を込めると自転車がゆっくりと動き出す。最初はハンドルが揺れたが、ある程度スピードが出るとそれも安定する。ここまでくるのに夕飯からまた一時間程頑張ったのだが。
(これならそろそろ・・・)
「じゃあ離します!」
「えー!待って待って!!」
普通そういうことは口に出さずにするものでは。
とにかく小狼が手を離すと、ファイが乗った自転車はそのままのスピードを保ってまっすぐ前進。しかし、
「ファイさん、乗れてます!」
「無理無理無理!!」
本人の申告どおり徐々に前輪が左右にぶれだして
「肩の力を抜いて!下じゃなくて前を見て!!」
「駄目駄目、わー!!」
「ファイさんっ!」
 
ガッシャン
 
何故こける前に足をつかないのか甚だ疑問だが、何とか小狼が滑り込んで受け止めたので、ファイの体は地面との衝突は避けられた。多少の打ち身は免れなかったが。
「い、たた・・・。わあっ、ごめんね小狼君!大丈夫ー!?」
「は、はいっ!」
むしろファイの下敷きになっているこの状況は幸せ以外の何ものでもない。
と、重なる二人の上に、不意に黒鋼の声がふってきた。
「まだやってんのかお前等。騒がしいぞ。」
「あれ、黒みゅー早いねー。お帰りー。」
「おう。」
短く答えると黒鋼は倒れた自転車を起こして、そしてかばんからなにやら部品らしき物を取り出す。そして後輪の横にしゃがみこんで、車輪の中心部に何か取り付け始めた。
「・・・?何それー?」
「六角。」(二人乗りで後ろに立つ時に足場にするあれ)
片側が終わると次は反対側も。
「よし、お前ここに立て。俺がこぐ。」
「ふえ?あ、うんー。」
「しっかり掴まってろよ。」
状況がいまいちの見込めないファイを後ろに立たせて、黒鋼はペダルをこぎ始める。まっすぐな安定した走りに、後ろで立っていても恐怖感はなかった。そして黒鋼は20mほど走ると狭い道で器用に折り返して、また小狼の所まで戻ってくると、
「よし、これで乗れるようになったな。帰っていいぞ小僧。」
「え・・・」
それはあまりにも強引過ぎやしないか。後ろに立ったままファイが騒ぐ。
「オレまだ乗れてないよー!」
「乗りたいときは俺が乗せてやるって言ってんだ、それでいいだろ。」
「一緒に新聞配ってくれるのー?」
「朝刊は早けりゃ3時ごろに届いてるぞ。夜10時過ぎて帰ってくるのに、そんなもん体がもつわけがねえ。」
「じゃあどうするのー。」
「俺の帰りを待ってるお前も朝刊なんか配ったら体がもたねえ。よってバイト却下!」
「えー!」
「それとも朝刊配達に備えてさっさと寝るか?夜は会えなくなるな。」
「そ、それはー・・・」
横暴だ。そう思うけれど返す言葉が見つからなくて、顔を歪めたファイを黒鋼が振り向いて見上げる。
「クラブの後に弁当食ってからバイトに行くんだ。」
「うん、知ってるよー?」
そのままバイトではお腹がすくからと、お弁当で夕飯を済ませること、今朝黒鋼の荷物の大きさを不審に思って聞いたら教えてくれた。
「でもそれじゃ朝までもちそうにねえ。帰ったらそっち行くから、なんか食わせてくれねえか。」
「・・・蘇摩さんに言えば用意しといてくれるんじゃないのー?」
「・・・・・・口実だ!察しろ!!」
「口実ー?」
バイトをやめさせるための。そしてついでに、毎晩ファイの部屋を訪れるための。
「あ、そっか成る程ー。いいよ、何か作っててあげるー♪」
悪い話ではないと思う。帰ったら毎日夕飯とは別に黒鋼の夜食を考えるのだ。夜食だからそんなに量は必要ないだろうか。今はまだ寒い季節だから、暖かいものが嬉しいだろうか。勿論パパには内緒だ。新聞を配るよりも、0円のスマイルを振りまくよりも、きっともっとどきどきする。
 
「食費は毎晩の『ただいま』のチューで許してあげるよー」
なんて幸せいっぱいオーラを放つファイを眺めながら、小狼は胸を抑えたい衝動をこらえた。
昨日のファイの笑顔は今も目の奥に焼きついたまま。けれど、今目の前で笑うファイの顔は、昨日の笑顔には重ならない。
(この人には・・・こんな顔で笑うんだ・・・・・)
さっきの台詞の続きが分かった気がする。
『友達も出来たし家事もやってみると楽しいし、それに・・・・・・』
(それに・・・か。)
今は、彼の笑顔に胸が痛い。
「ファイさん、おれ帰りますね。」
「あ、はーい。遅くまでつき合わせてごめんねー。」
「いいえ、じゃあまた明日。」
手をふるファイに背を向けると小狼は駅に向かって歩き出した。そして一つ角を曲がった所で走り出す。
泣いているわけじゃない。護衛以上の関係を期待していたわけではなかったし、この事で、二人の間で何かが変わるわけではないのだから。
 
でも少しだけ、頬に当たる風をいつもより冷たく感じた。
 
 
 
 
=後書き=
初恋は敗れ去るもの。
小狼と星史郎さんはいいコンビだと思います。まあ対等というよりは、自分では気づいてないけど手駒的存在にされてる小狼って感じですが。きっと好みも全部調べられてて小狼なら黒ファイに人波乱巻き起こしてくれると信じて送り込まれたにもかかわらず意外に何も出来ずに引き下がっちゃって星史郎さんはがっかりしているよ、これから頑張れ少年。え、サクラ?誰ですかそれ。星史郎さんはどんどん変な人になっていくね。
黒鋼さんの生活リズムは雪流さんのお兄ちゃんがモデルです。(他に男の子知らないし)
自転車の二人乗りは何かで禁止されていますよ。六角は正式名称なのかどうか知りませんが、聞いたら皆六角って言うから六角で。荷台つけて座るより立ち乗りがいいんです、不安定感がいい感じ。
 
 
復習:今回の(雪流さん的)萌ポイント『必ず貴方を守ります』『寝取られますよ』『二人乗り』
予習:エリョ書いてみますが、跳ばして下さってもOKです。
 
 
 
            <18歳未満ですか?>      <愛に年齢は関係ないですか?>