貴方と二人で間違い探し
午後の一時間目が終わったとき、ポケットの中で携帯電話が震えた。黒鋼が画面を確認すると、メールが一通届いていた。
開いてみると、ユゥイからの着信。放課後、調理実習室で待っていると。
(またケーキか・・・)
今度の日曜、部の試合の応援に来ないかと誘った。そのときに、いつもファイが作ってきてくれるケーキの事を話した。それからユゥイは、そのケーキを再現しようと奮闘している。
別にファイが作るままの物を作って欲しいといったのではない。部員達は、あのケーキではなくても、差し入れがあるだけで喜ぶだろう。今回はファイが都合がつかなかったから、代わりにユゥイが来てくれたといえば、納得してくれるはずだ。ユゥイに、ファイになって欲しいわけではないのに。
ケーキ作りそのものは、苦にはなっていないようだが、誰かの振りをして生きるなんて、辛いだけだろうに。
「待たせたか?」
「あ、お疲れ様。」
調理実習室の扉を開けると、ふんわりと甘い香りがした。その中でくるりと振り返るのは、ファイと同じ顔の別人。
「コーヒー淹れるよ。ちょっと待ってて。」
そう言ってユゥイは、黒鋼の前に皿に乗せたケーキを置いた。
見た目は、ファイが作ってくれたものとそう変わりない。けれど――
黒鋼は、コーヒーを待たずにケーキを一口口に入れた。市販のケーキよりはかなり甘さを抑えてはいるものの、やはりファイのケーキよりは少し甘い。
不思議なものだ。料理は本職なはずのユゥイが、ファイが作った料理を再現できないなんて。そんなことを思いながら、ファイが初めてあのケーキを作ってくれた頃のことを思い返した。甘いものが苦手な自分でも食べられるようにと、いくつも試作品を重ねて、細かい注文まで聞いてくれて、そしてやっと出来たケーキだ。甘味はかなり抑えているけれど、それでも苦にならない程度に、優しい甘さを残していた。
黒鋼もそこまで味覚が鋭いわけではないから、隠し味に使われた調味料まで当てることは出来ない。甘すぎるとかそんな抽象的な感想しか言えないのでは、いくらユゥイといえども、一週間足らずでは再現は無理なのではないだろうか。
ファイに会いたいと思った。
あれから一度も、直接会話していない。化学と体育の教師では、お互いに合おうと思わないと、校舎内でも顔を合わせる機会がない。朝の職員集会ではなんとか同じ室内には居るものの、避けられて会話は叶わない。
ユゥイはその後、黒鋼の家に居座っている。まだ、ファイと向き合えるほど、心の整理がつかないらしい。それならそれで良いと思う、ただ、もしかしたら自分達以上に、彼らには会話が必要かもしれないとも思う。
「どうかな?ファイのと似てる?」
「あ・・・いや・・・」
ユゥイに声を掛けられて、黒鋼ははっと我に返った。いつの間にかコーヒーをケーキの脇に出して、ユゥイが黒鋼を覗き込んでいた。
「やっぱり・・・あいつが作ってたのより、少し甘いな。」
「これでもかー。砂糖は随分減らしたんだけどね。」
ユゥイは溜息をついて黒鋼の前に腰を下ろした。
「別に、あいつが作ったままのものを、再現する必要なんてねえんだぞ?」
「分かってるよ。でも・・・どうせなら、君が美味しいって思って食べてくれるものを作りたいから。」
「・・・・・・」
それで、ファイのケーキか。
彼には、再現できるのだろうか。いや、本当は自分は、再現して欲しくないと思って居るのかもしれない。あれはいわば、ファイと自分が過ごした時間の象徴だから。
でもユゥイだってわかって居るのだろう。彼なら、甘さを押さえたケーキなんていくらでも作れるはずだ。それでも、ファイのケーキに拘るという事は、結局、黒鋼が好んで食べた思うケーキなんて、ファイが作ったものしかないと分かっていると言う事なのだから。
ユゥイの側にいると、彼の気持ちも痛いほどに伝わってくる。彼はファイになりきる事で、自分の気持ちを忘れたいのだ。
だからこそ、彼がファイになりきろうとすればするほど、二人の違いが浮き立つ気がする。
ファイに、会いたい。
「何してるんですか?」
「っ!」
化学準備室でパソコンに向かいながらぼうっとしていたファイは、声を掛けられてはっと顔を上げた。けれど見上げた場所に相手の顔はなくて、ファイは視線を下方修正する。新しい恋人は黒鋼より背が低くて、慣れた角度で見上げようとしていつも失敗する。
小龍は気付かない振りをして、ファイに学級日誌を差し出した。そういえば、今日は彼が日直だったか。礼を言って受け取って、彼の質問に答える。
「これは、上の学年の授業用プリントを作ってるんだー。」
「見ても良いですか?」
「うん。でも、まだ分からないでしょー?」
そういいながらも、ファイはパソコンの画面を小龍の方に向ける。
「そうですね。でも、面白そうです。」
「君もいつか、勉強することになるよー。この辺りは苦手にする子がちょっと多い分野だから、頑張ってね?」
「ファイ先生に教わるなら大丈夫です。」
小龍はそう言って微笑むと、パソコンの画面をファイに戻した。
言葉の選び方が上手い子だと思う。ほんの短い会話でも、人を喜ばせる台詞を知っている。最初はどうなる事かと思っていたけれど、二人きりの空間は、決して居心地は悪くない。時には、恋をして居るかのような気にもさせてくれる。
一緒に話しているときは、確かに黒鋼とユゥイのことを考えずにすんでいる気がする。けれど、さっきみたいにふとした瞬間に、痛感してしまう。悲しいくらいに、彼は黒鋼と違いすぎる。二人でいたって、黒鋼はこんなに自分から言葉を発したりしない。
どうして、忘れようとすればするほど、思い出してしまうのだろう。どうして、似てないと思えば思うほど、重ねてしまうのだろう。
「ファイ先生?何考えてるんですか?」
「え?あ、ううん、なんでもない!」
慌てて誤魔化すと、ファイはパソコンの電源を落とした。
「さて、日誌も来たし、オレそろそろ帰るねー。」
最近ずっと、黒鋼と顔を合わせないように、早く帰っている。前は、彼の部活が終わるまで待つ事もあったのだが。
「小龍君はクラブだよね?」
「はい。一緒に帰れなくて残念です。」
「そ、そうだね・・・。でも、試合前なんだし、しょうがないよ。頑張ってね。」
「はい。」
ドキリとさせられるような台詞に、気持ちが後ずさってしまうのは何故なんだろうか。
黒鋼に会いたい。
(駄目だ。忘れるって、決めたんだから。)
でも、もう少しここにいたら、黒鋼が、クラブの前に少し、顔を出してくれるんじゃないかなんて。以前と同じ生活を期待している自分が、確かに居る。
「ファイ先生、」
「な、何ー?」
「キスして良いですか。」
「・・・・え・・?」
「だっておれ達、付き合ってるんでしょう?」
「・・・・・・」
小龍の突然の申し出にファイは戸惑う。口では付き合おうと言ったけれど、今までそんなことまで考えもしなかった。という事は、結局黒鋼の事ばかり考えていたという事なのだろうけれど。
小龍の手が肩にかかる。必死で、逃れる口実を探していた。
「で、でも・・・あんまりここにいたら・・・黒たん先生が来るかもしれないし・・・」
もう別れたんだから、見られて困る事なんて、何もないはずなのに。
「黒鋼先生なら、さっき調理実習室の方に行くのを見ました。今頃ユゥイさんと、お茶の時間じゃないですか?」
「そ・・・そう・・・あの二人・・・上手く行ってるんだ・・・良かった・・・」
嘘だ。言葉と裏腹に、目の奥が熱い。
「ファイ先生・・・」
「あ、あれ・・・?なんで・・・」
自分から、そうなるようにと望んで身を引いたのに、どうして、涙なんて。
ファイは小龍の視線から逃れるように両手で顔を覆う。
「ご・・・ごめん・・・オレ・・・や、やっぱり・・・まだ・・・」
「・・・・・分かりました。すみません。」
謝って、小龍はファイから手を離した。
小龍が去った化学準備室で、ファイはぼんやりと天井を見上げる。夕日が差し込んで、部屋の中が赤い。体育館の方から、クラブにいそしむ生徒達の声が聞こえてきた。きっと、黒鋼ももう、監督に行って居るだろう。ここには、来ない。
「黒様・・・」
口に出して呼んでみた。たった一言がきっかけになって、次々と想いがあふれ出す。
「黒様・・・黒るー・・・黒たん・・・」
呼びたい。彼に向かって。
「会いたい・・・君に会いたい・・・」
そのとき、震える心にシンクロしたように、机の上で携帯電話が震えた。
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