幸せ風味の特製ケーキ
「せっかく綺麗な四角関係になってたのに、もう解けてしまうんですね。」
保健室でお茶を飲みながら、星史郎が残念そうに溜息をつく。
「いっそのこと、僕が参戦してみましょうか。」
「やめておきなさいな。」
お茶菓子を口に運びながら、侑子が止めた。
「おや、珍しく消極的ですね?」
「私はもともと平和主義者よ?」
侑子はそう言って悪戯っぽい笑みを浮かべて、それに、と付け加えた。
「絡まった糸は、諦めさえしなければ必ず解けるの。あと少しというところまで来てるのに、わざわざ新しい糸を絡める必要はないわ。」
そういって、侑子は窓から外眺めた。そこからは、化学準備室が良く見える。
「ああ、ファイ先生、窓から飛び出しちゃいましたよ?」
「窓から出入りしても良いって、服務規程に定めておいたでしょ?」
「生徒との恋愛もOK。まるで、何もかも見越していたかのような規程ですね。」
「買いかぶりすぎよ。私はただ、この学園がいつも、楽しみに満ちていれば良いと思っているだけ。」
「それは時に、平和主義に反する事態をもたらして居ると思いますが?」
そういえば、事態がここまでややこしくなった一因は、確かこの人にあった。けれど侑子はお茶をすすり、ゆったりとした一言で会話を締めくくる。
「結果よければ全てよし、よ。」
『会いたい。』
どうして走っているんだろう。あんな一言だけのメールのために。
行ってはだめだ。だって彼は今ユゥイの恋人で、自分は小龍の恋人なんだから。
けれど、理性とは裏腹に、脚は全速力で体育館へ向かう。それでもなお、この距離が、この時間がもどかしい。
求められて初めて気付く。手放した存在が、こんなにも愛おしかったなんて。いや、本当はずっと気付いていた。気付いている事に気付かないようにしていた。
「黒むー!」
やっと角を曲がって、体育館の前で待っていた黒鋼の姿が視界に入る。
ファイは、そのままの勢いで黒鋼の胸に飛び込んだ。
「黒むー、オレっ・・・オレ・・・黒むーに会いたかった・・・!」
「それはこっちの台詞だ、馬鹿。」
「ごめ・・・ごめんね・・・」
別れるのは、二重結合が一重結合になるだけだと思っていた。けれど、距離が元に戻るだけだったとしても、切れた結合は傷になる。だから、傷口を誰かとムリヤリつないでも、痛くてたまらないだけ。
「ちゃんと説明しろ。何でこんなことになったんだ。」
ファイが落ち着くのを待って、黒鋼はそもそもの発端を尋ねた。
「オレ・・・ユゥイに幸せになってもらいたかったんだ・・・」
「ユゥイに?」
「うん・・・ユゥイが黒様の事好きなら、黒様と幸せになって欲しいって・・・」
「・・・・・・何の話をしてるんだ?」
「へ?」
話の流れが全く見えずに黒鋼が質問すると、ファイのほうもきょとんとした顔をした。
「え?だって、黒様、今ユゥイと付き合ってるんじゃ・・・」
「そんなわけねえだろ。ユゥイは、惚れてた相手をお前に取られたとかで、顔を合わせづれえからってうちに転がり込んできただけだ。」
「惚れてた相手って・・・え?あれ?」
それじゃあ、ユゥイの好きな相手は、小龍と言う事なのだろうか。
「ど、どうしよう、オレ・・・ユゥイに酷いことしちゃった・・・」
勝手に思い込んで、小龍にまで刷り込んだ。
「とりあえず落ち着け。そもそも、何でそんな勘違いになったんだ。」
「なんで・・・だったっけ・・・あ、そう、確か、この前、オレと黒様が電話でケンカしたときにユゥイが・・・」
『まだ、割って入る隙があるんだね』
「・・・・・・それは、オレじゃなくてお前の事じゃないのか?」
「え?」
「普通、大事な双子をしばらく会わないうちに見知らぬ男に取られてたら、悔しいくらいは思うだろ。」
「・・・・・・そうなの・・・?」
ユゥイを取られた事がないから分からないというファイに、黒鋼は盛大な溜息をつく。
「お前ら、一度ちゃんと話し合え。双子でも、ちゃんと口に出さねえと伝わらねえことなんて、いくらでもあるだろう。」
何でも分かると思っていた。口に出さなくたって、相手のことが何でも分かると。だって、双子なんだからと。
「ユゥイ・・・今、どこにいるんだろう・・・」
「まだ調理実習室に居ると思うぞ。行って来い。それと、今夜はうちに泊まれ。」
「っ・・・うん!」
「それから、お前日曜の予定は?」
「・・・黒様の応援に行くよ。いつものケーキ持って。」
「よし。」
黒鋼に背中を押されて、ファイは調理実習室に向かって駆け出した。
謝って、そして伝えたい事がある。
君の好きな人は、ちゃんと、君のことが好きなんだと。
そして、日曜日。
小龍は、ファイと待ち合わせた場所に10分ほど早く着いた。5分ほど待つと、自分に小走りに駆け寄る足音が近付いてきた。
「お早うございます、ファイせんせ・・・い・・・」
振り向いて、そして目を疑う。そこにいたのは、約束した相手と同じ顔だけれど、それは本当に来て欲しかった方の――
「ユゥイさん・・・どうして・・・」
「やっぱり、オレだって分かってくれるんだ。」
ユゥイは走ったせいで乱れた息を整えながら、嬉しそうに笑った。
「ファイに代わって貰っちゃった。びっくりさせようと思って、小龍君には内緒にしてもらったんだ。」
「じゃあ、ファイ先生は・・・?」
「黒鋼先生の応援に行ったよ。向こうも、今日クラブの試合だから。」
「だって・・・それじゃ、ユゥイさんが・・・」
「あの時もそうやって、オレの幸せを願ってくれたんだよね。」
ファイから全て聞かされた。小龍は本当は自分のことを想ってくれていて、そしてそれ故に、ファイに手を差し伸べたのだと。
「でもオレ、ここに来たかったんだ。小龍君のほうに来たかった。」
「ユゥイさん・・・」
「オレ、君が好きだよ。黒鋼先生じゃなくて、君が。」
「・・・」
予想もしていなかった告白に、小龍は驚いて目を丸くする。
「おれで・・・良いんですか・・・?」
「君が良いんだ。君はファイのことが好きなんだと思って、諦めようと何度も思ったけど、やっぱりできなかった。」
ユゥイは、小龍に手を差し出す。
ずっと望んでいた。自分を、『双子の片割れ』から、ユゥイと言う『個』にしてくれる人。だから、ファイと離したこの手は、小龍と繋ぎたい。
「オレと付き合ってください。」
「・・・・・・絶対、おれから告白しようって決めてたのに・・・」
小龍は困ったように、けれど嬉しそうに笑うと、ユゥイが差し出した手を取った。
「よろしくお願いします。」
「お早う、黒たん!」
こちらは黒鋼とファイの待ち合わせ場所。ファイの声に黒鋼が振り返ると、ファイと一緒に見たくもない姿まで見えてしまった。
「お早う、黒鋼先生。」
「おまえ・・・なんでここに・・・」
「いやーね、理事長として、各クラブの応援に行くのは当然のことでしょ?ファイ先生が差し入れのケーキを分けてくれるって言うし。」
「あ、ちゃんと余分に作ってきたから大丈夫だよー。」
「ファイ先生は気が利くわねーvバレンタインボーナスは楽しみにしておいてv」
「わーいv」
この学園では、理事長から愛を込めて、バレンタインにボーナスが出る。ちなみに生徒には、宿題皆無デー。
「試合なら、バスケ部だって今日試合だろうが!」
「新婚夫婦のケーキを食べに行くほど、無神経じゃないわ。」
「結局ケーキが目的なんじゃねえか!」
「まあ、否定はしないわ。」
あっさり認められては逆に返す言葉もなく、黒鋼は溜息をつくと会場に向かって歩き出した。いつまでも彼女に構っていては、試合に遅れてしまう。しかし、
「ああ、そういえば、」
ふと思い出して、黒鋼はファイを振り返った。
「そのケーキ、どうやって作ってるんだ?本職のユゥイが再現できねえってことは、相当変わったもんを入れてるのか?」
「えへへ、内緒ー。」
ファイは、そう言ってふにゃりと笑った。
「ユゥイにも聞かれたけどね、これはオレだけの秘密のレシピだから。オレと別れたらもう食べられないよ黒様v」
「まあ、ファイ先生ってば小悪魔ねv」
「だってこれはオレが黒みゅーの好みに合わせて作ったケーキで、オレと黒みゅーが過ごした時間の象徴だから、それで良いんですよー。」
「お前・・・」
「んー?」
「俺がお前と別れると思ってるのか?」
ファイは一瞬きょとんとして、そして控えめな答えを返す。
「別れなかったらいいなあと思ってる、かなー?」
「じゃあ安心しろ。お前が今回みたいにふらふらしても、俺は揺らがねえよ。」
「黒様・・・」
「まあ、黒鋼先生ったら、こんな所でプロポーズなんて大胆ねーv」
「・・・・・・てめえっ!!」
せっかく良い雰囲気になっていたところを侑子にぶち壊されて、黒鋼は赤面しながら侑子を怒鳴りつけた。
「黒鋼先生ったら、照れちゃって可愛いーv」
「うるせー!」
「ねえ、小龍君。」
「はい?」
「オレ、ケーキを焼いてきたんだ。甘いものは平気だったよね?」
「はい、大好きです。」
「良かった。」
でも、まだそれしか知らない。
「今回は、時期的にチョコレートケーキにしてみたんだ。でも、小龍君の好みとかあったら教えてね。」
ファイにあのケーキのレシピを聞いたら、内緒だといわれた。そして、ユゥイは小龍君と、二人だけのケーキを作れば良いよと。
「オレ、君だけのために、特製ケーキを作るから。」
「はい、楽しみにしてます。」
これから出来上がる二人だけのケーキは、きっと、幸せの味がする。
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と言うわけでハッピーエンドです。
この後番外編が続くかもしれませんが、メインのお話はここまで。
お付き合いいただきありがとうございました!
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