負の方向に全速前進
幸せってどこにあるのだろう。
理事長を除いては誰も波乱なんて望んではいないのに、気がつけば事態は実にややこしい方向に発展している。
「こういうのって、四角関係って言うのかしら?」
「さあ、どうでしょうねえ。」
理事長先生、3時間目の空き時間を利用して今日は保健室でお茶の時間だ。校医の桜塚先生は、良い茶飲み友達。いつも盛り上がる話題は、校内の恋のエトセトラだ。
「ユゥイ先生は小龍君が気になるけれど、小龍君は、ユゥイ先生が黒鋼先生に惚れてると勘違い。黒鋼先生はファイ先生一筋なのに、ファイ先生はユゥイ先生が黒鋼先生に惹かれてると思って距離を置いてる。ややこしい事態ですねえ。」
「予想以上の展開過ぎて流石の私もはらはらしてきたわv」
「顔は喜んで居るように見えますが。」
「本心が表情に出ないタイプなのよ。」
「おや、それは初耳です。」
桜塚先生がカップに注いだ紅茶の匂いが、保健室に漂った。幸い今は生徒もいない。おやつはバレンタインデーに向けて売り出された気の早いチョコレート。
「どうしてこんなに買いだめしてるの?」
「買いだめではありませんよ。好きな人には一番美味しいと思ったものを差し上げたいので、片っ端から味見しようと思って。」
「なーるほど。さすが桜塚先生、やることが違うわね。」
「恐縮です。」
侑子はオーソドックスなハート型のチョコレートをかじった。本音を言うと、その隣においてある芋焼酎入りのチョコに惹かれるのだが、流石にまだ三時間目。チョコレートとは言えアルコールは不味いだろう。
「想いは強ければ強いほど空回るのよねえ。」
「よろしければ差し上げましょうか?これは貴方用にどうかと思って購入してみたものですから。」
「あら、ホント?」
「ええ。お口に合うようなら、本番にもう一度お持ちしますよ。」
「嬉しいわーvでもどうせ貰えるなら、本物の芋焼酎が良いかしら。」
「なるほど。覚えておきましょう。」
星史郎は微笑んで紅茶のカップに口をつける。
「彼らも、こんな風に素直に思いを口に出せれば良いんですが。」
「全くね。」
「ユゥイさん、」
「!」
調理実習後、小龍に呼び止められて、ユゥイはびくりと体を強張らせた。弾みに、トレーの上に乗せて運んでいた菜箸が転がり落ちる。
「あ・・・」
「あ、おれが拾います。」
そう言って菜箸を拾い上げた小龍は、ついでにユゥイが持っていた調理器具を半分受けとる。
「あ、ありがとう・・・」
ユゥイは少し緊張を滲ませた声で礼を言った。
小龍が気が利くのは今に始まった事ではない。こんな風に片づけを手伝ってくれるのもよくあること。けれど、一度意識してしまうと、こんなことでさえ、気になってしまう。優しくしてくれるのはもしかして、自分の事を好きだからじゃないだろうかと。思い上がりだろうか。10近くも年の離れた自分を、好きになってなんてくれるだろうか。いや、もしかしたら期待かもしれない。本当は、苦しいくらい焦がれているのは自分の方。
「あ、えっと、何か用かな?」
呼び止められたことを思い出して、ユゥイは考えるのをやめて現実に意識を戻した。
「少し、聞きたいことがあって。」
小龍は、あまり見たことのない、神妙な面持ちでユゥイを見つめる。
「今日の実習で分からないところとかあった?」
そんな視線にもドキドキしている。
「いえ・・・授業とは関係のないことなんですけど・・・」
「じゃあどんな事?」
「・・・・・恋愛相談。」
「!」
飛び出した単語にびっくりして、持っていた器具を落としそうになる。けれど今度はなんとか踏みとどまった。
(あれ・・・でも・・・相談・・・?)
戸惑いと不安が、胸をよぎる。
「ど、どんな事?」
「・・・もし、ユゥイさんに好きな人がいて、その人が別の誰かに想いを寄せていたら、ユゥイさんはどうしますか?」
「え・・・?」
質問の答えよりも、それが誰の話題なのかという事ばかりが気になった。
「それは・・・小龍君の話・・・?」
「・・・はい。」
「・・・・・・」
自分には、好きな人なんていない。いや、居るとしたら、それはほかならぬ彼。
(あ、れ・・・?)
どうして、目頭が熱いんだろう。
「えっと・・・そうだね・・・オレだったら・・・」
もし自分だったら、小龍に他に好きな人がいたら。
「その人の恋が上手く行くように・・・応援する、かな・・・」
「本当に?振り向かせたいとかは、思わないですか?」
「えっと・・・どう、だろう・・・」
いや、今ここで、相手の恋を応援すると答えることは、小龍に、彼の恋を諦めろという事。つまり、自分の方を振り向いて欲しいという事になるのだろうか。現実の自分はただ、勝手に思い上がって期待した自分への嫌悪で彼の前から消えてしまいたいくらいなのに。
「ごめん、よく分からないや・・。でも、小龍君は小龍君の気のすむように、すれば良いんじゃないかな・・・」
少し投げやりに答えた。だって、確かな事実は、彼の想いは自分には向いていなかったという、それだけの事なのだから。
「・・・分かりました。ありがとうございます。」
小龍は、運んだ器具を調理準備室の机の上に置くと、ユゥイに軽く頭を下げて何処かへ小走りに去っていった。
一人になったユゥイは、ポツリと呟く。
「なんだ・・・やっぱり、勘違いか・・」
その可能性は十分考えた。けれど、それでも期待してしまっていた。
彼の好きな人は、他に想い人が居る別の誰か。こんな形で、期待を打ち砕かれるなんて。
小龍はこれからどうするのだろう。黙って相手の恋を応援するのだろうか。それとも、思い切って自分の想いを伝えるのだろうか。
ユゥイは、なんとなく、準備室から廊下に出た。そこの窓からは、中庭が良く見える。
(あれ・・・?)
少しはなれた木の根元に、ファイが座っているのが見えた。最近あまり昼休みに戻ってこないと思ったら、いつもあんな所で時間を潰していたのだろうか。
しかし今は声を掛ける気にはなれずに、ユゥイは準備室へ戻ろうとした。ここから呼んでもどうせ聞こえないだろうし、まだ前の時間の片づけが残っている。早く済ませないと。そう思ったユゥイはしかし、ファイに駆け寄る人影に、思わず足を止めた。
「ファイ先生、」
「・・・小龍君・・・?」
どこか大人びた真剣な表情は、小狼より小龍のほうが良く似合う。そんな理由で、ファイは目の前にたった少年の名を予想した。小龍は一つ頷いて、思いがけない言葉を口にする。
「おれと付き合ってください。」
「・・・え・・・?」
ファイは驚いて目を丸くする。何を言ってるのだろう。彼は、自分と黒鋼が恋仲にあることを知っていたはずなのに。
「どうして・・・?だって、オレは・・・」
「ユゥイさんが黒鋼先生を好きだから、わざと黒鋼先生と距離を置いてるんでしょう?」
「・・・・・・うん・・・」
「おれ、ユゥイさんが好きです。」
「ユゥイ・・・が・・・?」
「だから、ユゥイさんが黒鋼先生を好きなら、あの人の想いを応援したい。でも貴方がいたら、ユゥイさんはその想いを貫けないから。」
「ユゥイのことは諦めて・・・ユゥイのために、オレと付き合うの・・・?」
「はい。」
だってユゥイは言った。自分が好きな人に他に好きな人がいたら、その人の恋が上手く行くように応援すると。
「小龍君は・・・諦められるの・・・?ユゥイのこと・・・・」
「諦めます。あの人が、それで幸せになれるなら。」
「そう・・・君は・・・強いんだね・・・」
自分の想いも押し殺せるくらい、誰かを好きになれるなんて。
「オレにも・・・黒むーの事・・・諦めさせてくれる・・・?」
「はい。きっと。」
それが、ユゥイのためなら。
「・・・いいよ・・・」
ファイは、小龍に両腕を伸ばし、その中に小龍を向かえた。そして、数日前まで黒鋼にしていたように、強く、抱きしめる。
「お願い・・・忘れさせて・・・」
「はい。」
「おい!何だ、このメール、一体どういう・・・」
『ごめん、別れて下さい。』
放課後、ただそれだけ書かれたファイからのメールを受け取って、黒鋼はすぐに化学準備室に駆けつけた。しかし、そこにいたのは、膝を抱えて蹲る、ファイを同じ姿の別の人間。
「ユゥイか・・?」
黒鋼が側まで歩み寄ると、ユゥイはゆっくりと顔を上げた。その双眸から、涙が零れていた。
「お前・・・何・・・泣いてんだ・・・」
思わず差し伸べた腕に縋りつくようにして、ユゥイは黒鋼の胸に顔を埋める。
「オレのこと・・・判るって言ってくれたのに・・・」
その言葉を信じたから、あんな淡い夢を見たのに。
「どうして・・・オレじゃないの・・・!?」
その台詞を吐いた口で、ファイだけは選んで欲しくなかった。
想いは強いほど空回る。
誰もが幸せに向かっているつもりなのに、誰もその方向を知らない。
BACK NEXT
|