山も砕けりゃ塵となる




「黒むーの嘘つき!大っ嫌い!!」
ファイの怒鳴り声に、ユゥイはびっくりして、読んでいた本から顔を上げた。時間は午後10時半。近所迷惑だからと注意しなければならない時間だろけれど、それよりも何よりも、彼らでも喧嘩なんてするんだと、そんなことばかりが驚きで。
「どうしたの?ファイ。」
「聞いてよ、ユゥイー!!」
受話器を叩きつけるように電話を切ったファイは、涙声でユゥイに抱きついた。
「今度の日曜日に、二人で映画に行こうって約束してたんだー。しかも2ヶ月前からだよ!?絶対公開初日に見るんだって言って、わざわざ予約までしたのに!」
「いけなくなったんだ?」
「大会前だから、練習見て欲しいって生徒に言われたんだって・・・」
「良い先生だね。」
「仕事とオレとどっちが大事なのー!!」
ユゥイは苦笑してファイの頭をなでた。こんな台詞を恋人に言わせるなんて、先生としては良い奴かもしれないけれど、男としては駄目な奴だ。でも、ファイもちゃんと分かっているんだろう。部員から頼まれたら、黒鋼が断れない性格だってことも、そんな彼を、自分は好きになったんだってことも。だから、電話中にはこんな台詞ははかなかった。今はただ少し、理解よりも落胆の方が大きいだけだ。
「今度の日曜日に行かなかったら、その後はしばらく大会で潰れるから、全然遊びに行けなくなるのにー・・・」
「学校では会えるんだから、そんなに嘆かなくても良いんじゃない?」
「そんなんじゃ全然足りない!!」
駄々っ子みたいに叫ぶファイが微笑ましくて、ユゥイは笑みを抑えきれない。
ファイは、もう完全に黒鋼にとられてしまったものかと思っていた。こんな形でも、時々返してくれるなんて、嬉しい事だ。
「良かった。まだ、割って入る隙があるんだね。」
「え?」
黒鋼のせいでファイは予定があいたらしい日曜日、二人で楽しく過ごして、月曜日に黒鋼に自慢してやろうか。
「じゃあ、映画はオレと行こうか。」
「・・・・・・」
意気揚々と誘ってみたら、期待は外れてファイは戸惑いの表情を浮かべた。
「ファイ?」
「あの・・・でも・・あの映画、黒むーも楽しみにしてたし・・・その・・・」
残念ながら、今度の日曜がだめでも、映画は彼と一緒に見たいらしい。
「そっか。じゃあ仕方ないね。じゃあ、久し振りに家で二人でのんびりする?」
「う・・・うん・・・。あ、オレ明日、一時間目の前に実験の準備しなくちゃいけないんだった!朝早く出るから、お風呂入ってくるね!」
ファイは急に席を立って、慌しく浴室に向かった。
(気にさせちゃったかな・・・?)
映画を断ったくらい、気にしなくても良いのに。ファイの一番は黒鋼。ちゃんと理解しているし、心の整理ももう付いているんだから。

ファイが風呂からあがったら、自分もすぐに入ろう。そう思って、ユゥイが入浴準備をしようと立ち上がると、こんな時間に電話がなった。
「はい、もしもし。」
『あ・・・ユゥイか?』
「黒鋼先生。ファイに用事?」
声だけで分かるのかと感心しながら、ファイは今入浴中だと告げる。
「どんな用事?上がったら伝えとくよ?」
『あ、いや・・・映画の穴埋めに・・・日曜の晩、クラブが終わってから、飯でもと思ったんだが・・・』
「へー。結構良いところあるんだ。」
恋人に最悪の台詞を吐かせる最低な男のレッテルをはがして、案外気の効く奴に貼りかえる。その日のうちにフォローを考えてくるとは思わなかった。
「断る理由はないんじゃないかな。良い店予約しときなよ。」
そう言って、ユゥイは受話器を置いた。
きっとファイは大喜びするだろうと思うと、なんだか気分がウキウキしてきた。日曜の夕飯は一人きりになりそうだが、大好きな人は、やっぱり笑顔でいてくれるのが一番嬉しい。
けれどそんなユゥイとは反対に、ファイは黒鋼に気を使わせてしまったことに申し訳なさを感じたのか、それほどテンションは上がらなかった。


そんな気分が体に影響したわけではないだろうけれど、約束の日曜日には。
「頭が痛いって・・・」
「ごめん・・・ちょっと風邪引いちゃったみたい・・・。」
ベッドの中で辛そうに表情を歪めるファイ。顔色はそれほど悪くないから、熱はなさそうだが。ひき始めに無理をするのも良くないだろう。
「じゃあ、黒鋼先生には断りの電話をいれとこうか。」
「あ・・・それは・・・!」
「無理して行ったら、黒鋼先生は怒ると思うよ?」
「分かってる・・・だから・・・ユゥイが・・・行ってきて・・・?」
「・・・・・・」
そう来るとは思わなくて、ユゥイは目を丸くする。
「でも、せっかく黒鋼先生が・・・」
「だから・・・!せっかく予約してくれたのに・・・無駄にするの悪いから・・・ユゥイが行ってきて・・・?」
「病人を一人にしてきたなんていったら、オレが叱られるよ。」
「オレ一人で平気だから・・・。ちゃんと大人しく寝てるし・・・おなかすいたら冷蔵庫の中のもの適当に食べるから・・・」
「うーん・・・」
でも、自分と黒鋼が二人で食事って、なんだかおかしくないだろうか。しかしファイも退きそうにないことだし、この機会に一度ゆっくり、他愛もないことを話しあってみるのも、ありなのかもしれない。

と、思ったのだけれど。
「あ、黒たーん!!」
「・・またてめらはそういうくだらねえ真似を!」
「第一声がそれ?せっかくファイっぽく呼びかけてあげたのに。」
「騙されるか!あいつはどうした!」
「風邪引いちゃったみたいで。君がせっかく予約してくれたのに、無駄にするの悪いから、代わりに行ってきてって。いくら言っても退かないから、来ちゃった。」
「来ちゃったってな・・・」
黒鋼は眉間の皺を2本ほど増やして頭を抑えた。
「小姑と行くような店じゃねえぞ・・・」
「あはは!小姑ねー。オレも黒鋼先生とフランス料理なんて嫌だな。一緒に居ると恥ずかしいくらいナイフとフォークの使い方が独創的だって聞いたし。」
「またあいつか・・・」
ユゥイは、更に皺を一本増やした黒鋼の顔を上目遣いで覗き込んだ。
「黒鋼先生にも教えて欲しいな。オレが知らないファイの事。まあ、そんなのあるとは思ってないけど。」
「・・・・・・」
「ファミレスで良いよ?」
「よし。ちょっと待ってろ。」
黒鋼はコートのポケットから携帯電話を取り出して、予約のキャンセルの連絡を入れた。
黒鋼が先日ファイに伝えていた店名は、最近このあたりにできた少し高価なフランス料理店のもの。堀鐔学園の教師はそこそこ給料は良いとは言え、やはり少し思い切らなければ入れない店だ。
(デート専用だろうね。)
黒鋼もファイも、大切な場所は、お互いのための場所。なんだか微笑ましいではないか。


その頃、留守番を申し出たファイのほうには、予想外の来客が在った。
「こんばんはー!ファイ先生、ユゥイ先生、遊びに来てあげたわよー!」
「侑子先生・・・」
チャイムも鳴らさずにドアを開けて、侑子はまるで自分の家ででもあるかのような勢いで上がりこみ、テーブルの上に提げてきた酒の袋を置いた。
「あら、一人?残念、二人を侍らせて飲もうと思ったのに。」
なんだか突っ込みどころのありそうな台詞だが、突っ込む気力は今のファイにはなかった。
「・・・ユゥイは黒りん先生とデートです。」
「え?ファイ先生じゃなくて?」
「オレは今日は留守番です・・・。」
「・・・・・・」
侑子は少し頭の整理をするための間をおいて、袋から取り出した缶ビールをファイに渡した。
「面白そうなことになってるじゃない!これでも飲みながらゆっくり聞かせてちょうだい!!」
「・・・・」
缶ビールを受け取ったファイはしばらくその間を見つめていたが、突然目から大粒の涙を零す。
「ゆ、侑子先生・・・オレっ・・・」
「あらあら、どうしたの?」
「オレ・・・ユゥイが・・・黒みゅーの事好きだなんて知らなくてっ・・・今までずっと・・・ひどいことを・・・」
「え?」
これには流石の侑子も驚いた顔をする。
「ちょっと待ってファイ先生、何があったかゆっくり話してくれる?」
「・・・この前・・・オレと黒むーがちょっとケンカしたときに・・・ユゥイが・・・」

そう、あの時彼は、とても意味深な言葉を発した。
『良かった。まだ、割って入る隙があるんだね。』
あれは、まだオレにも黒鋼を手に入れられる可能性があるんだねという意味に違いない。つまりユゥイも、本当は黒鋼の事が好きだったということだろう。映画の予定が流れて、なんだかウキウキしていた。自分がお風呂に入っている間に黒鋼と電話して、上機嫌だったように見えた。
ユゥイのことだから、余程の事がない限り、自分が居るのに黒鋼に手を出したりはしないだろう。それでも、いや、だからこそ、好きな人が別の人間と、しかも、見た目は自分と同じ双子と親密な中にあるのを見ているのは、どんな気分だっただろうか。

「だから、今夜も一緒に食事なんて行けなくて・・・それで・・・仮病使って、ユゥイをっ・・・」
「・・・ユゥイ先生と黒鋼先生がくっつけば良いと思ってるの?」
「よく、分からないんです・・・。でも、ユゥイにこれ以上悲しい思いはさせたくない・・・」
「ファイ先生・・・」
どうしよう、言ってやるべきだろうか。それ多分勘違いよと。しかし侑子は悩んだ。シナリオ分岐型ゲームで、これ明らかにゲームオーバー直通だろと言う選択肢を目にしたとき、人は分かって居るのに何故かそれを選びたくなってしまうもの。ここは、そんなことはないとファイを諭して慰めてやるのが人として正しい選択肢なのだろうけれど、黙って見守るという選択肢が実に捨てがたい。
結論。
「侑子先生・・・オレ・・・どうしたらっ・・・」
「大丈夫、貴方は強い子よ☆」
意味不明な励ましの言葉により、ラブ・トライアングル成立。





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