現実主義のシンデレラ






この学園に来て黒鋼が最初に話したファイは、しかし特別仲が良くなるということはなかった。機会があれば話もしたが、あくまでも同僚という程度のものであって、誰にでもにこやかに接するファイは、自分にも他と同じ態度で接してきたから。
むしろ仲良くなったのは、もう一人同期で入った歴史教師。野球の話で気があった。贔屓のチームは違ったが、そのチーム同士のゲームの夜はどちらかの家にビールを買い込んで集まったりもした。
しかしそれは夏のある日のこと。
「テレビが壊れた?」
「ああ・・・。それで今夜の試合・・・そっちで見てもいいか・・・。」
「今夜の・・・ああ、そっちは大事な一戦やなあ。」
歴史教師ご贔屓の虎の戦士たちは今日はオフだ。他に見るものがなければテレビはあいているはずだが、
「悪いねんけどなー、今日はデートの予約がはいっとってな。」
「・・・デート?」
「そや!隣町の女学院の古典の先生やねん。半年口説いてやっと取り付けたデートやからなーvそういうわけで、すまん!ビデオにでもとっとけv」
「・・・うちにビデオはねえ・・・。」
新米教師はまだまだ貧乏だ。
結果だけなら翌日の新聞で知れるだろうが、やはりリアルタイムでビール片手に応援したいものだ。他に誰か頼めるものは居ないかと見回すと、ちょうど向かいで席を立ったファイと目が合った。
「・・・今夜、見る番組とかあるか?」
駄目元で尋ねてみると、相手はこれまでの経緯を聞いていたのだろう、にこっと微笑むとこころよくOKしてくれた。
「いいよー、うちおいでよ。」

「野球は良く見るのか?」
「ううんー、全然。あ、そこの角右に曲がってー。」
助手席から出された指示に従ってハンドルを切りながら、黒鋼はちらりとファイを盗み見た。全然見ない野球を見せてもらっていいのだろうか。その視線に気づいて、ファイがこちらを向く。
「ん?あ、ほんとに良いってー。オレ、テレビもほとんど見ないしー。それに車にも乗せてもらえたし。帰宅ラッシュの電車って息苦しくてさー。」
車の免許は持っていないらしい。
後部座席では夕飯の材料と大量に買い込んだ缶ビールが揺れている。夕飯まで作ってくださるというので、材料費は出させていただいた。彼も一人暮らし、たまには一緒に食べてくれる人が居るのは嬉しいと言ってくれたが、さすがに何から何までお世話になるわけにはいかない。
ファイの家は、学園から車で約30分ほどの場所にある、一人暮らしには少し広いくらいのマンション。生活臭が感じられないくらいに綺麗に片付いた部屋は、住人が几帳面なのだろうと推察させた。

「その辺適当に座っててー。」
荷物を置いて手早く着替えを済ませると、ファイはエプロンをかけてキッチンへ入っていった。黒鋼は居間に腰を下ろす。まだゲームが始まるまでは時間があり、手持ち無沙汰にかばんから作成中の書類など取り出してみるが、集中できなくてやめた。キッチンから、包丁の音がする。
落ち着かない。空汰と二人、どちらかの家に集まるときは、皿に移せば終わりの出来合いのものか、空汰得意のお好み焼きでも作るのだが。こうして、誰かに食事を作ってもらうのを、じっと待つというのは。
「・・・何か手伝うか?」
「え?いいよいいよー、どうぞゆっくりしててー。」
「・・・・・・」
ゆっくりできないから訊いたのに、あっさり遠慮されてしまった。仕方なく、机の上にあったテレビのリモコンに手を伸ばす。夕方のニュースでもつけようかと思ったそのとき、黒鋼の背後の小ダンスの上から、どこかで聞いたラブバラードが流れた。
包丁の音がやむ。
「おい、携帯鳴ってるぞ。」
「・・・大丈夫、置いといてー。」
曲で相手はわかっているのだろう。キッチンからはまた包丁の音が聞こえ始めて、音楽はやがてやんだ。相手が諦めて切ったか、お留守番サービスにつながったか。ファイが良いと言うのだから、黒鋼が気にすることではない。
ゲームが始まるころ、テーブルの上には冷えた缶ビールと、ファイお手製の夕飯が並んだ。ファイの外見に反してメニューは和風で、味もなかなかよかった。しかし、楽しい夕食を邪魔するように、またさっきの音楽が流れる。
「あ・・・試合中になるとうるさいねー。電源切っとくよー。」
そういって立ち上がったファイは、電話が鳴りやむのすら待たずに電源を落とした。
「いいのか。俺なら別に・・・」
「気を遣ってるとかじゃないよ、大丈夫。ちょっと、気まずい相手だからー。」
「・・・?理事長とかか?」
「まっさかー!」
ファイは黒鋼の質問にひとしきり笑うと、気まずいといった割には軽い口調でさらっと答えた。
「昔の恋人・・・かな?」

 

「オレねー、黒様の前に付き合ってた人がいたんだー。」
ファイの告白に、ユゥイは驚いて目を丸くする。
「大学の研究室の教授で、すっごく頭が良い人で、オレの憧れだった。向こうもオレの事認めてくれて、それが嬉しくて、ずっとその人の下で研究しててもいいかなって思ってた。でも、恋愛となると上手く行かなくて、側に居るのも苦しくなっちゃって、逃げるように研究室を出て、堀鐔に来たんだー。」
「どんなふうに・・・上手く行かなかったの?」
「望んだ夢が見れなかったから、かなー。オレは、一緒にどこかに出かけて、手をつないで歩いたり、食事したり、そういうのが恋愛だと思ってたんだけど、どうしてだか全然そういうイベントが起こらなくて・・・。ホントにオレの事好きなのかなって、不安になっちゃったんだー。」








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