酒の肴の恋物語
「じゃあ盛り上がってきたところで、そろそろ恋バナでも始めましょうか。」
星史郎に酒を注がせながら、侑子はそう切り出して、誰の返事も待たずに話し出した。
「思いが通じたはずの恋人が、期待していたほどいちゃいちゃしてくれません。原因は何?1.純粋、2.理性、3.無関心、4.チキン。」
「チキンってなんだ。」
「臆病すぎて手が出せない、もしくは、手を出されたのに逃げちゃうってことよ。黒鋼先生には無縁かしらね。」
「それよりも、付き合ってるのに無関心なんてことがあるんですか?」
「無関心というよりも、求めているものが違いすぎたのかしら。まあ、お互いの事を理解し合えないってことは、結局は関心が薄かったっていう事なんでしょうけど。じゃあ、星史郎先生は3を選んでみる?」
「そうですね。少し、気になります。」
「OK。主な登場人物は、黒鋼先生とファイ先生、それとファイ先生の元彼の三人ね。」
「ちょっと待てー!!!」
これから起ころうとしている事態を察知して黒鋼は声を張り上げたが、侑子にいまだかつてなかった鋭さの眼光で射抜かれて声を詰まらせる。
「こんな月夜に無粋な声を上げるものじゃないわ。聞くのが嫌なら、理事長室から次のお酒を持ってきてちょうだい。」
「プライバシーが堂々と侵害されようとしてるのに黙ってられるか!」
「プライバシーの侵害じゃないわ。ファイ先生を口説き落としたときの黒鋼先生の伝説的なかっこよさを語ろうとしてるのよ。白雪姫やシンデレラが、ディズニーに対してプライバシーの侵害を訴えると思う?」
「それは・・・確かにそうだが・・・」
「それじゃあ始めましょう。あ、それでも黒鋼先生はお酒とって来てねv」
「なんか話の展開に無理がねえか?」
「気のせいよ、気のせい。」
好きな瓶あけていいわよ、と付け加えられて、黒鋼は意気込んで理事長室へと向かっていった。あそこには理事長秘蔵の超高級酒が何種類も貯蔵されている。その背中を見送って、星史郎が呟いた。
「容易いですねえ。」
「ええ。本当に。」
侑子はくすりと笑って酒を飲み干すと、空になった杯を静かに置いた。
「さあ、今度こそ始めましょう。2人の物語は、2人が一緒にこの学園に採用されたところから始まるの。」
黒鋼は広い校舎内を彷徨っていた。方向感覚は悪くないつもりなのだが、初めて訪れるこんな広い建物内、しかも目的地への説明は不親切とくれば、迷うのも仕方がない。
「あんの女・・」
黒鋼は周りに人が居ないのをいいことに、今朝突然の電話で
『採用してあげるわ。今日の11時までに理事長室に来なさい。』
と命じてきた理事長に悪態をついた。
しかし、この春から就職することになったらしい堀鐔学園は、規模の大きさもさることながら、多種多様な分野で数々の逸材を輩出することでも名の知れた、いわゆる名門校だ。ユニークな校風になじんでいけるかは少し不安だが、ついこの間大学を出たばかりの新米教師が、こんな立派な私立校に勤められるのだから、感謝しなければ。
「それにしても・・生徒の一人くらい・・・」
春休み中とはいえ、クラブ活動に来ている者が居ても良いのに。校庭には何人か生徒の姿が見えたが、廊下には人の気配もない。仕方がない、一度校庭に出て、生徒を捕まえて理事長室とやらの場所を聞き出そう。そう思って黒鋼は今来た道を戻り始めた。しかし角をひとつ曲がったところで、初めて人に出くわす。
「あ、こんにちはー。」
「あ?ああ。」
ぺこりと頭を下げたのは、どうやらここの教師らしい、金の髪の男性。ちょうど良かった、理事長室の場所を、
「あのー、すみませんが、理事長室ってどこにあるんですかー?」
「・・・・・・」
これはもしかすると、理事長室にたどり着けた者だけを採用するとかいった類の試練なのだろうか。
結局二人で校庭に出て、生徒を捕まえて理事長室まで案内させた。その道すがら彼の名を聞きだす。
「ファイっていうんだー。ファイ・D・フローライト。」
「英語教師か。」
「ううんー。こんな顔だけど英語はぜんぜんだめでさー。化学担当です、よろしくねー。」
体育教師の自分が化学教師の彼に何をよろしくするのかは不明だったが、とりあえず「ああ」と返事をしておく。付き合いやすそうな男だ。上司には恵まれて居なさそうだが、同僚に関してはそうでもないらしい。それなりに仲良くやっていけるだろう。
その後、2人で無事に理事長室に辿り着き、服務規程なんかを渡されたついでに、採用理由について聞いてみた。ここに就職を希望した教師は山ほど居る。採用倍率を聞いただけで気分が萎えるほどだったのに、その中で自分が突出した人材だったとは思えない。ファイも少し興味が在るという顔をしたから、内心は似たようなものだろう。けれど理事長は、意味深な笑みを浮かべてただこう答えた。
「運命を感じたからよ。」
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