「セレス国には魔女がいる。」

近隣諸国で流れ始めた噂は、商人や旅人を通して国内にも聞こえてきた。二人の王子が率いる軍の異様な強さを神の加護によるものと信じて疑わぬ者もいたが、魔女の正体を探り始める者もいた。
『魔女』というのは、理解し得ない奇異な力を使う者たちの総称であり、必ずしも、魔術を使う女性を指すものではない。過去、魔女として処刑された者は女性が多かったものの、男性も男の魔女として裁かれた。
彼らが真に魔術を操る者だったかどうかは、裁判ですら明確にされていない。或いは単なる異教徒、少数民族、何の罪もない一般市民であったかもしれない。
ただ確かな事は、『魔女』は排除されるべき対象であり、疑わしきは罰するべきであるという事。
魔女と疑われた者にかけられる慈悲はない。裁判に掛けられれば、多くの場合命はない。それが、この国の魔女裁判だった。


「訴えられたらどうしましょう・・・」
「・・・ひょっとして、ファイが魔女なの?」
「え?い、いえ・・・違いますけどー・・・」
「分かってる。冗談だよ。」
そういって、年が近い方の兄は小さく笑った。
今は二人でお茶の時間だ。アシュラは、仕事が忙しいのかまだ姿を現さない。二人は、お菓子を口にしながら、魔女の噂について話していた。

人々は噂している。
『王子が魔女かもしれない。』

セレス国軍の不思議な勝利は、第一王子の死後始まった。第二王子、あるいは第四王子が人外の力を持っていると推測する者がいても、なんら不思議はない。
「僕は、神様のご加護だと思うけど。兄上なら、あの手腕で神様でも従えられそうだし、ファイなら神様でも魅了しそうだ。」
「あ、はは・・・そうですかー・・・?」
あながち間違いでもないのが怖いところだ。何か見抜かれているのだろうか。ただ、ここにいる神は、神は神でも死神だが。
まさか、黒鋼の姿が見えていたりしないだろうか。
黒鋼も同じことを考えたらしく、兄の目の前で手を振ってみるが、これといった反応はない。思い過ごしのようだ。
「それに、疑惑は兄上の方に向いているらしいよ。」
「・・・・・・はい・・・聞いてます・・・」

魔女疑惑は、アシュラの方に向けられている。
主な理由は、第一王子の死。そして、ここ最近続いている、政治に発言力を持つ有力貴族の死。彼は王の座を手にし、独裁政治を行うことを目論んでいるのではないかと。
しかし一部では、魔女はファイの方で、アシュラがその力を自分の為に使わせているのではないかという説もあるそうだ。
「兄上はファイばかり可愛がるからなあ。戦にもファイしか連れて行かないし。」
「あ、あの・・・それは・・・」
慌てて言い訳を考えようとするファイに、兄はにこりと微笑みかけた。
「理由なら前に兄上に聞いたよ。ファイに言ってるのとは違うかもしれないけど。」
「え・・・?」
「自分の留守中に、僕にファイを取られるのが嫌なんだって。本当に兄上は、ファイが可愛くて仕方がないんだね。」
「・・・・・・そう、ですか・・・」
その言い訳は、もう一つの秘密がばれはしないだろうか。一国の王子が、兄弟で恋仲だと。
「あの・・・もし兄上が裁判にかけられたら・・・どうなるんですか・・・?」
「さあ・・・でも王族だし、よっぽど疑わしい事件でも起きない限り、それはないと思うけど。」
「たとえば・・・?」
「んー、近日中に父上が胸を押さえて御倒れになりご逝去とか?」
最近、魔女の仕業だと疑われた者達は、皆そうして死んでいると言う。ノートに、名前だけ書いたときの死の状況だ。しかし、今も普段はファイが持っているノートには、戦で使われた形跡しかない。最近死んだ貴族に関しては、アシュラが殺しているのではない筈だ、とファイは信じている。

「君達は、何を物騒な話をしているんだ?」
不意に、会話に乱入した声は、丁度今話題になっていたアシュラのもの。
「兄上・・・」
「私が魔女だと疑っているのかな?」
「そんなっ!捕まっちゃったらどうしようって・・・話してたんです・・・」
「そんなに心配しなくていいよ。」
アシュラはファイの頭をなでながら、ファイの隣の席に着いた。
「庶民を裁くときは、何の調べもなく処刑のパターンも多いらしいが、流石に王族相手では、明確な証拠になるようなものが必要だろう。神の加護だと言う者も多いようだしね。」
「証拠・・・」
ノートは証拠になるのではないか。ファイは視線で訴えたが、アシュラはにこりと微笑み返すと、軽い口調で続けた。
「大丈夫、もし捕まっても上手くやるよ。あまり危なそうなら、裏で手回しして助けてくれ。」
魔術などというものを、証明する方法などないのだ。裏で裁判官に賄賂を渡せば、助けてくれる場合が多いらしい。ただ、庶民には賄賂として払うほどの財産がないので、実例は多くないが。魔女裁判など、所詮その程度のもの。
民の信頼を得るためにも、きちんと調べを受けて無実を証明するのがベストではあるのだが。無実ともいえないところが厄介だ。

「私より、ファイが捕まったときの方が心配だよ。取調べが厳しくても、嘘の自白なんてしないようにね。」
「わ、分かってます・・・」
そんなに軟弱に見えるのだろうか。そんなことになっても、ノートの事は絶対に喋らない。
下手をすれば、アシュラまで巻き添えにしてしまう。最悪の場合、自分一人で罪をかぶってでも。
そんなことを考えていると、テーブルの下でアシュラに手を握られた。すこし、難しい顔をしてしまっていたようだ。

「ところで、」
アシュラが年の近い方の弟に顔を向ける。
「明後日に予定されてる国境での会談なんだけれど、代わりに行ってもらえないか?どうしても調整がつかなくて。」
「僕は構いませんが・・・」
毎年この時期に開かれる、同盟関係にある南隣の国とのこの会談は、互いの友好を確認しあうだけで、さほど重要な話し合いは行われない。一種の儀式のようなもの。
「兄上はいいんですか?あの国の美姫にアピールするチャンスを逃しても。」
「私はファイさえいればそれで良いよ。」
「え、ええっ!?」
突然のカミングアウトにファイはうろたえたが、そういう反応をするからからかわれるんだよと、年の近い兄は笑った。知らないというのは、幸せなことだ。
「さて、それじゃ、何の準備もせずに行くのは流石に失礼ですね。あちらの最近の情勢くらいは調べておかないと。」
そういうと、彼は席を立つ。
「悪いね。後で私のところにある資料も届けさせるよ。」
「お願いします。ああ、でも、お茶の方はごゆっくり。」
ファイと二人で、というニュアンスを感じ取って頬を朱に染めるファイににこりと笑うと、兄は部屋を後にした。

「ごゆっくりだって。」
「え・・・えっと・・・」
「おいで。」
「・・・・・・・・」
アシュラに手招かれて、ファイは立ち上がってアシュラに歩み寄った。立ち止まったところで腰を抱き寄せられて、膝の上に乗せられてしまう。
「あ、兄上・・・」
「黙って。」
指先で唇を押さえられて、その指が離れると同時に唇が重ねられる。眩暈がするくらい甘いキスに、さっき食べたお菓子の味すら忘れてしまいそうだ。
(黒みゅーが見てるのに・・・)
けれど、そう思うと逆に、気持ちが昂ぶるような気がするのはどうしてなのだろう。ドキドキしすぎて、息の仕方が分からない。息苦しさに、涙が滲んだころ、やっと唇が開放された。ファイは荒い呼吸を繰り返しながら、くたりとアシュラに体を預ける。アシュラはゆっくりとファイの背を撫でた。
「そういえば、しばらく君に触れていなかった。」
「っ・・・こ、こんな場所じゃ・・・!」
「ああ。流石に人が来ない保証はないし、それに、君のあんな顔を、その死神に見せてやるのも癪だしね。」
「あ・・・あんな顔・・・?」
「自覚がない?」
「え・・・?」
戸惑うファイをくすりと笑うと、アシュラはファイを膝から降ろした。
「今はここまでにしておこう。続きがしたいなら、後で一人で私の部屋においで。」
「は・・・はい・・・」
なんだかうやむやにされてしまったが、問い詰めると自分が恥ずかしい思いをするだけのような気がして、ファイは追究をやめた。それよりも今は、自分に憑いている死神が、一時間ほどだけでも自分を解放してくれるかどうかのほうが重要な問題だった。
ファイが、アシュラの胸中に、気付ける筈もなかったのだ。



その夜、アシュラはファイに内緒で破り取り、隠し持っていたノートの一ページに、もう一人の弟の名を書いた。

死因は事故死。
日付は、今日彼に頼んだ会談が終了し、彼が帰路につく日。
会談から帰る途中、落石にあい死亡。

そんなことはつゆ知らず、彼は笑顔で出立し、そしてノートに記されたとおり、二度とその笑顔を兄弟達に見せることはなかった。
一番上の兄に続き三番目の兄まで亡くした事で、ファイは食事も喉を通らないほど塞ぎ込んだが、そんなファイの様子にはお構い無しに、噂は非情な方向に流れ始める。


「第二王子が魔女なら、第三王子を殺す理由がない。」

「末の王子が魔女なら、第三王子が死ねば自分が皇位継承第二位に。」

「魔女はどんな方法でも人を殺せるに違いない。」

「第一王子の戦死も魔女の仕業では。」

「このまま放っておけば、第二王子と王まで殺される。」

「末の王子が魔女に違いない。」


「末の王子を裁け!」



「末の王子を殺せ!!」






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