第一王子の葬儀が盛大にとり行われた。
暗い表情で参列するファイの後ろで、黒鋼はきょろきょろと葬儀の様子を見回す。
「人間ってのは理解できねえな。死んだ奴のために、どうしてこんなでかい祭りが必要なんだ?」
「死神は仲間が死んでも悲しまないの?悲しい生き物だね。」
わざと棘のある言い方をしたが、黒鋼は気に留めた様子もない。
「俺達はノートで殺した人間の寿命を貰って生きてる。死んだってことは、そいつが怠けてたってことだ。嘲笑われるだけだな。まあ他にも、死神を殺す方法はあるが。」
ファイはちらりと黒鋼を振り返って、また前を向いた。音量には気をつけているが、あまり人前で彼と会話しない方が良いとアシュラに言われている。ノートに触れた人間にしか、黒鋼の姿は見えないのだから。

死神を殺す方法があるのなら彼を。
そんなことを考えて、ファイはふるふると頭を振った。
そんな事をしても、死んだ兄は帰ってこない。それにきっと彼にも、彼の死を悲しむ仲間が居るだろう。
死ぬ事は悲しい。失うことは悲しい。だから、
(オレは誰も殺したくない・・・)
以前、一番上の兄にもそう言ったことがある。兄が、勝利を収めてきた戦の話を、興奮気味に話してくれていたときだった。話の腰を折ったファイに怒りもせず、数々の戦で勝利を収めてきた彼は、『お前にだけは勝てる気がしない。』と言って、困ったように笑った。

そんなことを思い出すと、また目の周りが熱くなった。こんな公の場で泣いてはいけない。ファイは俯いて、きつく唇を噛み締める。すると、ぽんと右肩を叩かれた。はっと顔を上げると、隣に座っていた一つ上の兄が、気遣いの眼差しを向けていた。
「辛いなら、少し休んでおいで。式の最後までに戻れば良いから。」
「兄上・・・」
四人兄弟と言っても、王の妃は多く、王子たちの母親は皆違う。しかし第一王子とこの第三王子は父親に似たのだろう、微笑んだ目元が良く似ている。そんな兄の顔を見ると、いよいよ涙が堪えきれなくなった。
「ごめんなさい・・・少し、外します・・・」
「うん、行っておいで。」
ファイは人に顔を見られないように、俯いたまま式場を離れた。

人気のない廊下に蹲り涙を流す。こんな時くらいそっとしておいてくれれば良いのに、頭上から無粋な声が降ってくる。
「よくまあそんなに、一人の人間のためにいつまでも泣いてられるもんだな。」
「・・・君は・・・大切な人を・・・亡くしたことがないんだね・・・」
涙のせいで声が詰まる。こんな無様なところ、この死神には見せたくないのに。
けれど、黒鋼の声には、一欠片の感動も感じられない。
「大切な奴なんて、出来たことがねえからな。」
「寂しい人・・・死神って皆そうなの・・・?」
「知らねえよ。俺ははみ出し者だったからな。大切な奴どころか、仲間らしい仲間すらいなかった。」
「はみ出し者・・・?」

ファイが顔を上げたとき、廊下を足早にこちらへ向かってくる足音が聞こえた。
「ファイ、良かった、ここに居たか。」
「兄上・・・」
アシュラは最後は小走りにファイに近寄ると、ファイの頬の涙を手で拭った。
「大丈夫か?」
「・・・はい・・・」
心配して来てくれたのだろうか。いや、今回は違うようだ。
「この後だと、なかなか二人きりになれる機会がなさそうだから、今のうちに話しておこうと思ってね。こんな時になんだが、北隣の国の動きが怪しい。近いうちに、戦があるかもしれない。」
「戦・・・」
「私が軍を率いることになるだろう。」
「っ・・・」
第一王子が死んだのだ。後任が第二王子である彼に回るのは当然のこと。しかし不安げに表情を曇らせるファイに、アシュラは優しく微笑みかける。
「そんなに心配しなくて良い。戦というのは、敵の頭を叩けば案外簡単に終わるんだ。ノートを使う。」
「ノートを・・・?」
思わず眉を顰めてしまうファイ。アシュラは苦笑して、
「そんな顔をしないでくれ。剣で戦えば、より多くの犠牲が出る。ノートなら、確実に、より少ない犠牲で勝利を収められる。その方が、両国のためだ。分かるね?」
「・・・はい。」
確かにそうかもしれない。どうせ戦わねばならないのなら。
「でも、ノートで殺すには、顔と名前が必要なんじゃ・・・」
「顔は、遠眼鏡で何とかなるだろう。問題は名前だが・・・死神、」
「あ?」

アシュラはこれまで存在を無視していた黒鋼に呼びかけた。
「お前達もノートで人間を殺すのだろう?名を知る方法があるはずだ。どうしている?」
「俺の目には、お前達の顔の上に、名前と寿命が見えている。」
黒鋼の答えに、アシュラはやはりなと満足気に笑んだ。
「戦場で、人の名を教えてはくれないか。」
「悪いが、それはタブーだ。だが、」
黒鋼は、ファイに視線を移す。
「死神の目の取引なら許可されている。勿論、ノートの所有者とだけだが。」
「目の・・・取引・・・?」
「人の名前が見えるようにしてやる。取引は一瞬で終わる。痛みもない。外見の変化も全くない。ただし、対価は残りの寿命の半分だ。」
「寿命の・・・」
「それと、お前達は、ノートの所有権を移す話をしていたが、所有権を手放すと、目の力も消える。これは所有権を取り戻しても戻らねえ。再び取引するには、また残りの寿命の半分が必要になる。」
「成る程・・・」

アシュラは数秒沈黙しただけで、決断は早かった。
「では、ノートの所有権を私に移し、私と目の取引を。」
「兄上っ!」
余命の半分。その対価はあまりにも重い。一体何のために、そこまで死神の目を欲するのか。戦は、ノートがなくても出来るのに。
「ファイ、君は戦が嫌いだろう?」
「は・・・はい・・・」
「いつか君が国を治める日が来るかもしれない。それまでに、戦のない世界にしてあげたいんだ。君の幸せのためなら、命の半分なんて惜しくはないよ。」
「兄上・・・」

黒鋼が、ファイに問う。
「どうするんだ。今の所有者はお前だ。お前お言葉がなければ、所有権は動かねえぞ。」
「・・・・・・」
ファイは俯いたまま黙り込んだ。アシュラが促すように肩に手を置く。ファイは顔を上げると、真っ直ぐに黒鋼を見た。
「目の取引はオレと。」
「ファイ・・・」
戸惑った様子を見せるアシュラに、ファイは迷いのない視線を返す。
「兄上がいなくなった世界で生きていくなんて嫌です・・・。国は兄上が治めれば良い。死神の目はオレに。オレが、戦場で名前を読みます。」
戦は嫌いなのに。共に戦場へ赴くと言う。決意は固い。
アシュラはファイの頬に手を添えて、長く、唇を重ねた。そして、ファイの体をぎゅっと抱きしめる。
「約束しよう。出来るだけ早く、君が幸せに生きていける世界にする。」
「・・・はい。」


目の取引は一瞬で終わった。視力が上がったのか、これまでより遠くまで見えるようになった気がするが、世界の光景は、そう変わったようには見えない。唯一つ、人の頭の上に、その人の名と、寿命を示すらしき数字が浮かんでいる以外は。
アシュラはまた式場に戻った。皇位継承第一位になった第二王子が、長く席を外すわけには行かないのだろう。黒鋼は、遠ざかる背中を見送りながら、彼の言葉を思い返す。
(こいつが国を治める日のためか・・・第三王子とやらまで殺すつもりか?)
ファイの治世のために命を賭けなければならないほど、ファイの皇位継承の可能性は高くはないはずだが。
(人間ってのは、何が幸せなんだか。)
結果的に、ファイが寿命を差し出した今となっては、その言葉すら、薄ら寒く聞こえるのは、死神の感覚が、人間のそれとはズレているからだろうか。そう言えば聞いたことがある。ノートを使った人間は、大抵幸せにはなれないと。
(まあ、あくまでも名前はあいつが書くらしいし、こいつは幸せになれるのかもな。)
そう考え直してファイを見ると、ファイは窓ガラスに映る自分をじっと見つめていた。

「どうした。見た目にも違いはないだろう?」
「あ・・・うん・・・何かちょっと・・・変な感じだなって・・・」
自分の頭の上にも、自分の名前が見える。だが、寿命は見えない。
「所有者の寿命は見えねえ。死神からは見えてるけどな。」
「君の名前も見えないね・・・」
「その目で見えるのは、ノートで殺すのに必要な名前だ。死神は殺せねえよ。」
「誰かが、書いてみた事があるの?」
「俺は何度も書かれた。こんな姿だからな。」
「・・・・・・?」
ファイは黒鋼の姿を上から下まで眺めてみた。
異様に大きな手と鋭い爪。そして背中の翼。十分恐ろしい姿なのに、他の死神は、もっと違う姿をしているのだろうか。

「死神には、色んな姿をした奴がいる。だが普通は、人とはかけ離れた姿をしてるものだ。俺みたいに、人間みてえな姿の奴はいねえ。」
「だから・・・はみ出し者・・・?」
「・・・・・・」
紅い瞳が、少し寂しそうに細められた。
「”ニンゲン”。そう呼ばれて除け者にされてきた。死神ってのは、そんなにつるむ連中でもねえんだが・・・。ニンゲンなら、ノートで殺せるかもしれねえって、目の前でノートに名前を書かれる。死ぬわけがないと思っていても、40秒後を、少し恐れる。そのうち、自分から、距離を置くようになった。」
仲間はいない。大切な人もいない。ずっと、独りきりだ。
「・・・君、何でここへ来たの・・・?」
「ノートを拾ったんだ。誰かが落としたか、あるいはそこで死んだんだろう。そのノートを人に渡せば、人の側にいられる。本当の人間がどんな生き物なのか、観てみたかったんだ。」
「・・・・・・仲間が欲しかった・・・?」
「あ?」
「寂しかったの・・・?」
「・・・・・・」
黒鋼は何か言おうとして、けれど口を噤んだ。少し癪だが、ファイの言葉は恐らく的を射ている。
寂しかったのだ。ノートと言う手段を使えば、誰かの側に居ることが許される。
死神でも人間でも、相手は何でも良かった。

「・・・・・もっと、身勝手で冷酷な人なのかと思ってた・・・」
悪戯に人間界にノートを持ち込み、ノートが引き起こした結果など知った事ではないと笑い飛ばす。そんな生き物なのかと。
本当に知らなかったのだ。大切な人を失う悲しみ。
ただ願っていたのだ。一冊のノートに誰かとの絆を。

「人間は・・・君の仲間になれそうかな。」
「・・・お前達の行動は、理解できねえことばかりだ・・・。お前達が言う幸せってのも、どんなもんなのか分からねえ。」
「幸せ・・・分かってると思うよ・・・?」
「あ?」
「大好きな人の側にいられるのが、一番幸せだよ。」
そういってファイは、出会って初めて、黒鋼に微笑みかけた。
「・・・・・」
誰かに、こんな風に笑ってもらえたのは初めてかもしれない。じわりと、胸の奥が熱くなる。
どうして良いのか悩んだ黒鋼は、とりあえず、アシュラを真似て、顔を近づけてみた。
「え、ええっ!?ちょ、ちょっと待って!!」
明らかに何かを間違えている行動に、ファイは思わず黒鋼を突き放す。そして、傷つけてしまったかと少し慌てる。
「あ、違うんだ、嫌とかじゃなくてっ!でも、いきなりこんな・・・!」
「こうするもんじゃねえのか?」
「そ、それは一番大切な人とするもので・・・あ、軽いキスは家族でもするけど、オレ達そこまでの関係でもないし・・・」
「ああ、初めて見た日に、花園でもしてたな。」
「ええー!見てたのー!?」
流石にあのアシュラと言えども、空から見られる事までは想定していなかっただろう。そういえば、あの時見た黒い飛行物体、今考えれば、黒鋼だったのかもしれない。
「家族なんだから、良いんだろ?」
「いや、家族ではあるんだけど・・・いくら家族でも流石にあそこまでは・・・」
死神って、生殖行動はしないのだろうか。疑問に思ったものの、それを訊くのはあまりにも恥ずかしすぎる。

「じゃあ、俺はどうしたら良いんだ。」
「・・・・・・握手!握手しよう!とりあえず、友達になろうよ。」
「握手・・・?」
「お互いの手を握り合うんだ。ほら、手を出して。」
ファイは黒鋼の手を取った。触れてみると、やはりその掌は人間のものより遥かに大きい。
「気味悪くねえのか。」
手だけが、人の姿からかけ離れている。自分がどんなに人を想っても、人に触れる事は禁ずるかのように。それでもファイは、その手を握った。
「大きいなーとは思うけど・・・別に悪いことじゃないと思うよ?たくさんのものを包めるでしょー?ほら、握り返して。」
黒鋼は、恐る恐る、力を入れすぎないように、爪でファイの手を傷つけないように、そっと握り返した。
「よろしく、黒鋼。」
「・・・ああ。」
知らなかった。人の肌は、温かい。




「殿下!どちらにいらしたのですか!陛下がお捜しです!」
席に戻ろうとしていたアシュラを、血相を変えた兵が呼び止めた。
「少しね。何かあったのかな。」
「先ほど、式に参列しておられたノーマン卿が、突然胸を押さえてお倒れになり、その場で息を引き取られました。」
彼は国内で最も政治に影響力を持つ有力貴族だ。しかし王族とはよく意見が割れる。正直、歓迎すべき訃報だ。しかし、ここは悲しげな表情を取り繕う。
「そうか・・・悪いことは重なるものだね。分かった、すぐに戻るよ。」

アシュラは兵を帰すと、懐から一枚の紙切れを取り出した。今朝、ノートから破いておいた一ページだ。そこに書かれているのは、先ほど死んだと告げられた人物の名。
「破いたページでも効果は変わらない、か。なかなか便利だな。」




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ノートを人間に拾わせて人間の側にいようとする死神の姿勢にひどく萌える。
ノーマン卿のノーマンは no man の意。特にモデルはおりません。 




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