目が覚めると室内にいた。家具の配置が、自分の部屋と少し異なる。
(兄上の部屋だ・・・)
ファイはそろりと体を起こした。僅かに体が痛むが、動作に支障はなさそうだ。
窓の外が赤い。いつの間にか夕方だ。
「お早う。といっても、昼食は食べそびれたけど。もうすぐ夕食の時間だ。」
はっと声のしたほうを振り向くと、アシュラが机の前で例のノートを開いていた。
「お腹がすいているなら、軽く何か運ばせようか?」
「あ・・・いえ、大丈夫です。兄上・・・そのノート・・・」
「ああ。一応ね。兄上にしては、色々と細かく考えてある。なかなか面白いよ。ほら。」
そう言って、アシュラはノートをファイに渡す。
「このノートに名前を書かれた人間は死ぬ。名前の後に40秒以内に死因を書くとその通りになる。死因を書かなければ、40秒後に心の臓が止まり死ぬ。死因を書けば、更に6分40秒、詳しい死の状況を記載する時間が与えられる。殺すには、相手の顔と名前が頭に入っていなければならない。よって、同姓同名の別人には効果はない。」
ファイは渡されたノートを開き、そしてぎょっと目を見開いた。
ルールが書かれた表紙の裏面の隣、ノートの一ページ目に、よく知っている名前が書かれていた。
「あ、兄上・・・これ・・・」
「ん?ああ、ためしにね。」
それは、兄、第一王子の名だった。

死因は戦死。時間は今日の正午。敵軍の放った矢が喉に命中し死亡。

「こ、こんな事書いて・・・本当に死んじゃったら・・・!!」
「ファイ、こんなノートで人を殺せるはずないだろう?兄上へのちょっとした仕返しだよ。何も心配することはない。」
「でもっ・・・」
「大丈夫、正午に死んでいたら、もう知らせが入って良い頃だ。便りがないのは無事な証拠。数日後には、何事もなかったような顔で帰ってくるよ。」
そういって、アシュラはファイの頭を撫でる。
「そんなに心配なら、そのノートはファイが持っていると良い。これ以上私が誰の名も書かないように、ね?」
「・・・・・・」
ファイは不安気な顔でノートを閉じた。そのとき、部屋の扉を誰かがノックする。
「っ!」
ファイは咄嗟にノートを布団の下に隠した。アシュラが入れと命じると、侍女が扉を開ける。
「殿下、ああ、ファイ様もこちらにいらしたのですね。ご夕食の用意が整いました。」
「分かった、すぐ行くよ。」
アシュラは侍女を返すとファイの肩を軽く叩いた。
「さあ、ノートをしまっておいで。私は先に行っているから。」
「・・・はい。」

ファイは一人で自室に戻った。そしてもう一度、ノートを開く。
そこにはやはり兄の名。
手が震える。

そのとき不意に、窓の外を黒い影がよぎった。
はっと振り向いたが、そこにはすでに何もいない。ファイは気味が悪くなって、ノートを机の引き出しに押し込むと、兄達が待つ広間へ急いだ。



(あれが所有者か・・・?)
黒鋼は再び窓から室内をのぞいた。
さっき見た金髪の青年は、出て行ってしまったようだ。窓をすり抜けて室内に入り、机の引き出しを開けてノートを確認する。
一ページ目には、誰かの名が書かれていた。
「死因までしっかり書いてやがる。びびってたように見えたが、案外殺る気じゃねえか。」
黒鋼はにやりと笑い、ノートを元に戻すと、再び部屋を出た。接触は、彼が一人になったときが良いだろう。もう少し、外で待っていよう。



「すみません、遅くなりました。」
ファイが広間に入ると、父王と二人の兄が待っていた、父王が優しい言葉をかけてくれる。
「ファイ、具合はもう良いのか?}
「え・・・?あ、はい・・・」
昼食に出なかった言い訳で、そういうことになっているのだろう。適当に話をあわせておく。
「まだ少し顔色が悪いな。あまり無理はせぬようにな。」
「はい・・・ありがとうございます・・・」
顔色は確実にあのノートのせいだろう。あまり表情に出してはいけない。無理に笑顔を作りながら、ファイは席に着いた。

皆で神の祝福に感謝し、第一王子が軍を率いている国境の戦の勝利を願ってから夕食が始まる。メーンディッシュが終わり、このまま何事もなく食事が続くかと思われたとき、突如一人の兵士が広間に駆け込んできた。
「国王陛下にご報告申し上げます!国境付近で行われていた隣国との戦、数刻前に敵軍が撤退し、我が軍の勝利となりました!」
「ほお、そうか!」
朗報に国王は満面の笑みを浮かべ、近くにいた従者に祝いの酒を命じる。しかし、兵の報告はまだ続く。
「もう一つ、申し上げねばならない事がございます。殿下が、本日正午ごろ、敵兵の放った矢を喉に受けられ・・・お命を落とされました。」

ファイの手から、フォークが滑り落ち、床に当たって大きな音を立てる。
「兄・・・上が・・・」
今日の正午、矢を喉に受けて戦死。ノートに書かれたとおりだ。
「嘘・・・嘘だ・・・」
あんなノート、誰かの悪戯のはずなのに。
ふらりと立ち上がったファイは、しかし平衡感覚が保てずそのまま倒れそうになる。アシュラがすかさず立ち上がって支えた。
「ファイ、落ち着きなさい。」
「兄上・・・兄上が・・・どうして・・・」
顔色が真っ青だ。アシュラはファイを抱きしめて、周囲からファイの顔を隠した。あのノートの存在を、知られてはならない。しかしこの状態では、いつノートのことを口走るか。
「少し部屋で休もう。父上、少し失礼いたします。」
父王にそう断って、アシュラはファイを抱きかかえるようにして部屋を出た。
王も第三王子も呆然とした顔をしていた。アシュラだけが、この中でただ一人冷静だった。



「兄上・・・兄上・・・」
ベッドに突っ伏して、もう二度と戻らない人間を呼び続けるファイの横で、アシュラは机の引き出しから見つけたノートから、一ページ目を破りとる。
「・・・やっぱり・・・そのノートの・・・」
「そんなわけないだろう、偶然だよ。でも万が一、このノートのせいで面倒な事になるといけないから。」
この国は、人外の力に対しての畏怖が強い。少しでも疑わしいところがあればすぐに魔女裁判。普通は庶民の間で行われるものだが、それなりの人物の進言があれば、王族といえども。
アシュラは照明の蝋燭でノートの切れ端に火をつけた。死のノートの切れ端は、静かに燃えて灰も残さず消え失せた。
「さあ、私は一度父上たちのところへ戻るよ。また後で様子を見に来るから。」
そういってファイの頭をなでると、アシュラは部屋を出て行った。
「・・・兄上・・・」
ファイは一人涙を零し、枕に顔を押し付けた。堪えきれない嗚咽が部屋に響く。
優しい兄だったのに、戦を好まないファイとはあまり話は合わなかったけれど、剣を教えてくれたり、出かけた国の話をしてくれた。少し悪戯好きだったけれど、大好きだった。
「兄上・・・」

「自分で殺しておいて、何泣いてやがる。」
不意に頭上から声が降ってきた。はっと顔を上げると、見知らぬ黒い髪の男。
「だ、誰・・・?」
「黒鋼。死神だ。」
「死・・・神・・・?」
「デスノートの落とし主だ。使い心地はどうだった?」
「・・・!」
あんなノート、誰かの悪戯のはずなのに。或いはこの死神も、ただの演技なのだろうか。背中の翼と、鋭い爪を持つ異様に大きな手以外は、人間と何も変わらないように見える。ただ、悪戯にしてはあまりにも趣味が悪い。
「出て行って・・・悪戯に付き合う気分じゃない・・・人を呼ぶよ・・・」
「信じねえのか?呼ぶなら呼んでみれば良い。俺の姿は、デスノートに触れた人間にしか見えねえがな。」
そう言って、死神と名乗る男は、腰から下げていたノートを手に取った。ファイが拾ったものとは違う。もう一冊の死のノート。
「信じねえなら、今ここで一人殺してやる。庭にいるあの兵士で良いか?」
「っ・・・やめて!」
ファイはノートを奪おうと黒鋼に手を伸ばした。けれど、届いたはずの手はそのまま黒鋼の体をすり抜ける。
「!?」
「俺は死神。異界の存在だ。この世界の物体は、触れることも通り抜ける事もできる。」
男はファイの顎を掴んだ。今度は確かに感じる、冷たく硬い異様な皮膚の感触。
「信じる気になったか?」
「っ・・・」
ファイは息を呑んだ。
本当に、死神なのだ。絵画に描かれるような、髑髏の顔に大きな鎌を持った姿でなくても。

「オレを・・・殺すの・・・?」
「あ?俺はノートの所有者になった人間に憑くだけだ。あのノートは、お前が拾って使ったんだろう?」
「ち・・・違う!あれは、二番目の兄上が書いたんだ・・・。オレが持ってろって言われたけど・・・」
「ああ?」
そういう場合、所有権はどちらにあるのだろう。ややこしい事しやがって、と黒鋼は小さく舌打ちする。
ファイは黒鋼に縋りついた。
「ねえ、取り消して!本当に死んじゃうなんて思わなかったんだ!きっと、兄上の悪戯だと思って・・・それで、仕返しくらいのつもりで・・・!お願い、兄上を返して・・・!」
「ノートに書かれた名前は、何があっても取り消せねえよ。」
黒鋼は、そんなことはどうでも良いとでも言うようにファイを突き放すと、ぐるりと室内を見回す。
「それで、ノートを使った兄上とやらはどこに居るんだ?さっきの黒髪の男だろう?」
所有権の所在をはっきりさせなければ。このままでは、どちらに憑けば良いのか分からない。しかし、ファイは震える声で黒鋼に命じる。
「・・・えて・・・」
「あ?」
「消えて・・・ノートを持ってオレの前から消えて!あんなノートなければ・・・兄上は・・・!」

「待ちなさい、ファイ。」
静かな声でファイを制止したのは、いつの間にか部屋の扉を開けたアシュラだった。アシュラは、黒鋼に向けて問う。
「死神か?」
瞬時に見抜いたアシュラにファイは驚き、黒鋼はにやりと口元を歪めた。
「話が早くて助かる。俺はノートの所有者になった人間に憑かなきゃならねえ。所有者はどっちだ?」
「ノートのルールには、所有者以外が使っても効果は変わらないとあったな。」
「ああ。」
「では、所有権はファイに。」
「兄上っ・・・!」
ノートを肯定するかのようなアシュラの言葉に、ファイは驚愕し抗議した。
「オレ、あんなノートいりません!それに、あのノートさえなければっ・・・」
「ファイ、兄上が死んだのは、私のせいだ。」
「っ・・・・」
名前を書いたことに罪悪感を感じているのだろう。表情を曇らせるアシュラに、ファイはそれ以上何も言う事ができない。

「私は過ちを犯した。しかしあのノートに、使い道はある。正しく使えば、この国のためになる。」
「・・・でもオレ・・・あんなノート・・・使いたくありません・・・」
戦は嫌いだ。人を殺さねばならない。剣もあのノートも同じだ。直接的にか間接的にかの違いだけであって、人を殺す道具である事に変わりはない。
「オレ・・・人を殺すなんて嫌です・・・」
「ファイは優しいね。」
アシュラはそっとファイを抱きしめる。
「大丈夫、ノートは私が使う。だが、四六時中こんなモノに付き纏われたのでは、公務の邪魔になるだろう?だから、所有権だけは君に。それでも嫌か?」
末っ子であるファイは、王子とは言えどもそれほど政治に関わってはいない。しかし、第一王子が死んだ事で、第二王子であるアシュラの仕事は増えるだろう。
「変わったペットを飼っていると思えば良い。一人になりたいと思ったときは、一時的に私に所有権を移すことも出来るから。」
「・・・・分かりました。」
ノートをどう使えば国のためになるのかは分からなかったが、この兄が言うのだから何か考えがあるのだろう。死神とノートへの嫌悪を兄への信頼が上回り、ファイは首を縦に振った。
「ではとりあえず、ノートはファイが持っていてくれないか。絶対に、誰にも見つからないように。それと、兄上の遺体が明日の昼頃にお戻りになる。葬儀の準備で忙しくなるだろうから、今夜はゆっくり休みなさい。」
「はい・・・」
アシュラはファイの額に口付けると、少し慌しく部屋を出て行った。きっと、まだすることがあるのに、様子を見に来てくれたのだろう。
ファイは口付けられた場所に指先で触れて、静かに目を閉じる。

「名前・・・何て言ったっけ・・・」
「黒鋼だ。」
「黒鋼・・・」
兄が決めた事だ。従わねばならない。こんなことで彼の役に立てるなら。それでも、
「オレ、君が嫌いだよ・・・」
この死神さえ現れなければ、兄は死なずにすんだかもしれないのに。
「お前が俺をどう思おうと構わねえ。俺はただ、ノートの所有者となった人間に憑くだけだ。」
黒鋼がそう返したきり、その夜二人はそれ以上言葉を交わさずに。
ファイは黒鋼に見られないよう頭まで布団をかぶって、その中で一晩、声を立てずに泣いた。





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