「ま、待ってくれ!!」 目の前には、今回のターゲットの男の、引きつった表情があった。 「た、助けてくれ!!金ならいくらでもやるぞ!!」 そういって男は、背広の内側に手を突っ込んで、紙の束を差し出した。そんな紙切れ、サイボーグにはもう意味を持たないのに。 <発射> 男の眉間に穴が空いた。男は倒れると、二度と動かなかった。傷口から血が流れ出て、地面に広がって行く。なんて、あっけないのだろう。 彼はすぐにそこを離れて、研究センターへ戻ろうとした。 いつの間にか全速力で走っていた。『ナーガ』を殺してから、自分が殺した人間のそばに居るのが嫌になった。 そしてその勢いのまま角を曲がると、反対側から来た誰かとぶつかった。 「きゃっ・・・」 互いに地面に倒れこむ。地面にぶつかった瞬間に、何処かから警報音が鳴り出した。 ピー、ピー・・・ 今の衝撃でどこかが壊れたのだろうか。とりあえず動ける事を確認する。運動機能に問題はなさそうだ。 ぶつかった相手も起き上がった。 「いたた・・・何、この音・・・?あ、貴方サイボーグ?大丈夫!?どこか壊れちゃった!?」 少女だった。明るい色の髪に、翡翠色の大きな目。年は、自分よりいくつか上、いや、普通に成長していれば、同じくらいの年だったかもしれない。 「どうしたの?言語機能、壊れちゃった・・・?」 声がないため返事ができない事を、勘違いしたらしい。世間では、戦闘用サイボーグの存在は知られていない。言語機能を持たないサイボーグなんて、普通は想像もしないだろう。どうしようかと悩んでいると、少女が顔を覗き込んで、目を丸くした。 「小狼・・・?」 <・・・!> 今度はこちらが驚く番だった。 「ねえ、小狼でしょ!?私サクラ!おじさんに貴方が死んだって言われて・・・どうして生きてるの?私のこと分かる?」 少女―サクラは、目に涙をためながら、次々と質問した。けれど、彼には彼女の記憶も、彼女がおじさんと呼んだ、恐らく自分の父親だったであろう人物の記憶もない。 彼は、咄嗟に立ち上がって駆け出そうとした。サクラと一緒に居るのが苦しかった。彼女は、自分が失った記憶を知っている。 「待って!」 サクラが、手をつかんだ。そして、その手に長方形の紙を押し付ける。 「お願い!今急いでるなら、また連絡して!待ってるから!」 混乱していた。何がなんだか分からないまま走り続けて、気がつくと研究センターの前まで来ていた。 手にあの紙を握っていた。子供のおもちゃで作ったような名刺だった。携帯電話の番号と、メールアドレスが記されている。連絡しろと言っていたのを覚えている。けれど連絡なんて、できるはずがない。 その名刺を捨てようとした。けれど、 <・・・・・・> 彼はしばらく考えて、その名刺を服のポケットに入れた。 ――君と出会えた事は何を意味するんだろう。 おれが忘れた事を、君は覚えてる。 君はおれのメモリー。 おれが探していたもの。 なくさないためには、どうすればいいんだろう。―― 「サクラって言うのは、昔存在した花の名前なんだって。」 一度だけ、サクラに会った。連絡を取るのは難しくなかった。彼女のメールアドレスにメールを送るのに、彼はパソコンも携帯電話も必要とはしない。 仕事が終わった後に少しだけ。戦闘用サイボーグだということは勿論秘密にして。声を出さないのは、この前ぶつかったときの言語機能の故障のせいだと、サクラは勝手に思い込んだ。 「花ってね、散った後には種や実ができて、そこからまた命が生まれるものなんだって。今の地球上では、人が咲かせなきゃ花は咲かないけど、昔は自然に、命が紡がれていたんだって。」 上を見上げると、分厚い雲に覆われた空が見えた。地球は汚れている。空からは青い色が消えて、今の人間は写真や映像でしか、空が青かったことを知ることができない。人間はこの空の下では生きられなくて、地下への移住を計画しているという。サイボーグの自分達は地上に残されるのだろうか。それとも地下に連れて行かれ、また人殺しを続けるのだろうか。どちらでも構わなかった。人の世界は灰色に覆われていて、コンクリート作りのあの部屋に似ている。どこにいても同じだ。 「ピンク色の花弁が、青い空の下に満開になると、凄く綺麗だったんだって。小狼に、写真を見せてもらったね。小狼は今でも、空が好き?」 <・・・・・・> 話を合わせるために、とりあえず頷いておく。サクラは、思い出話として、なくした記憶の一部を話してくれた。けれど、それは他人事みたいに、あまりしっくり来なかった。 「おじさんは、今でも刑事さん続けてるの?あの後すぐ引っ越しちゃって、連絡取れなくなったから・・・」 <・・・・・・> 父親の事もぴんと来ない。サクラは、今も自分が父親と共に暮らして居ると思っているようだから、頷いておくけれど。 「ねえ、小狼。小狼は、一度死んじゃったんだよね・・・?」 嘘をついても仕方がない。一つ頷く。 「おじさんは、小狼をサイボーグにして取り戻そうとしたんだね。」 本当の事は伝えられない。これも、頷く。 「死んだ人をサイボーグにすると、生きてるときの記憶は消えちゃうことが多いんだって。」 世間の常識だ。知らない方がおかしいだろうと思って、頷く。 「ねえ、小狼。私のことを・・・覚えてる・・・?」 はっとサクラの顔を見る。彼女の眼差しが痛かった。サイボーグになった自分は、もう痛いなんて感じないはずなのに。 何も答えられなくて、静かに目を伏せた。 サクラは、黙って彼を抱きしめた。 ――一つだけ、気付いたことがある。 おれ達の存在は必要ない。 おれはおれ達を消そうと思う。―― 「S型初号機、管理室まで。」 いつもどおりの機械的な呼び出し。彼は管理室に向かった。 管理室に入った途端、聞き覚えのある声が聞こえた。 『サクラって言うのは、昔存在した花の名前なんだって。花ってね・・・』 彼は驚いて顔を上げる。いつもは研究センター内の各所が映されているモニター全てに、サクラの顔が映っていた。 <どうして・・・> 「驚いたか。ああ、お前達にそんな感情はないな。」 男は、馬鹿にしたような笑みを浮かべる。 「お前達の眼球には、小型カメラが内蔵されている。お前達の脳にはその情報はインプットしていないがな。なかなか可愛い子じゃないか。この前ぶつかった子だろ?S型初号機。」 男が彼に尋ねる。顔は笑っていたが、目は笑っていなかった。 「この前はぶつかった衝撃でカメラに不具合が生じて誰だか分からなかったが、やっと個人情報がつかめた。」 男は、最後にこう言った。 「これで殺しにいけるな。」 それが、本当に男の最期の言葉だった。 はっと気がつくと、男は血にまみれた肉の塊になって床に転がっていた。 腕の銃は空になっていた。いつ撃ったのか、彼自身でも分からなかった。 突然警報音が鳴り響いて、部屋の中で赤いランプが点滅した。この部屋で何かあったことを知らせる合図だ。 (まずい・・・) 彼は壁際に設置されているこのセンターのメインコンピューターに駆け寄ると、急いでこの部屋の扉をロックし、警報を切った。それでもすぐに誰かがやってくるだろう。扉が破られるのも時間の問題だ。 彼は、自分がするべきことを認識していた。 コンピューターの回線を引っ張り出し、自分の外部接続端子とつなぐ。これで、このコンピューターと彼は一体化した。この方が、より大きなデータを扱える。そして彼は、全世界の戦闘用サイボーグの脳、そして戦闘用サイボーグ研究センター内のコンピューターへの接続を試みた。全てを消すために。 サイボーグたちの脳と、施設の機械を爆発させる。15%しか残っていない脳なら、こんな大掛かりなことにも耐えられるはずだ。いや、耐えられなかったとしても、最後まで、やりぬくことは出来るはず。 ――花が散った後には実ができて、また新しい命が紡がれる。 おれ達が散った後には何が残るだろう。 君が静かに咲ける世界だと良いと思う。 殺すための存在はもういらない。―― 接続した順番に、サイボーグたちを破壊する。半分ほどが終わった頃、時間に換算すると20秒ほどの事だろうが、メインコンピューターが付加に耐え切れずにショートした。彼の脳も悲鳴をあげている。それでも彼はやめなかった。 自分は身勝手かもしれない。壊れるくらいなら、罪を選ぶサイボーグも居るかもしれない。クローン体から作られた者たちには、大切な人などいないだろう。それでも、『ナーガ』のような、悲しい運命をたどる者たちも居るだろう。この行為が間違っているなんて誰に言えるだろう。殺すための存在など、もういらない。 頭が痛い。体が熱くてたまらない。 最後にこの研究所のサイボーグたちを、彼は破壊した。部屋の外で爆発音と、研究員達が走り回る足音が聞こえる。彼は全てを終えて、力尽きて床に倒れた。 ――君に会えて良かった。 どうか、おれを忘れないで。 君はおれのメモリー。 おれが生きた証。―― 最後に残された意識の中、彼は、サクラにメールを書いた。ただ思いつくままに、想いを文字にする。脳の回線が、あと少しだけ持つことを願いながら。 外の音がだんだん遠くなる。 意識が途切れる寸前、彼は別れの言葉を添えて、サクラにメール――遺言を送信した。 何も怖くはなかった。サイボーグたちは、殺すために存在すべきではない。死んだ人間を生き返らせる。それは兵器としてではなく、一人の人間として。人と共に生きるために。 (おれも・・・人として生きたかった・・・サクラと・・・) それがなくしたはずの感情であることに、彼は気付かない。 もう一度会いたいと思ったけれど、それももう叶わない。 ――さよなら。―― 『小狼』は、死んだ。 彼は知らない。サイボーグたちの電子頭脳には、あらかじめ、自分達に感情はないとインプットされている事。生体脳も機能している以上、感情を消し去る事は難しく、その自己矛盾が彼の脳に不具合を生じさせたのではないかと、その後の調査で発表された。しかしどんな研究者も、正確な原因の解明には至らなかった。大切な者を殺したくないというごく当たり前の感情が、自分を犠牲にしてまで世界中のサイボーグを破壊させたことは誰にも分からなかった。研究所内のデータは全て失われており、S型初号機の脳も完全にデータが消えていた。 その後、人類は地下へ移住する。研究者達は、被害を免れたクローン胚を地下都市に持ち込み、また新たに戦闘用サイボーグを作り始めた。今度は、感情がないという情報はインプットされなかった。異常を察知するシグナルになりうるとして、声も与えられた。しかしサイボーグ同士が言葉を交わし団結し人に背く事が懸念され、サイボーグたちは任務以外の時間は、それぞれカプセルの中で眠りに就かされる事になった。そして機械への接続能力を制限するために、脳の機械化は80%までに抑えられた。 世界は変わらなかったけれど、『小狼』の行為は、一人の命を確かに救った。それは些細な事かもしれなかったけれど、殺すことしか許されなかった彼には、とても幸せなことだった。 メールを受信しました。 差出人:不明 タイトル:(non title) 『小狼』 目が覚めたとき、おれが覚えていたのはその言葉だけだった。 おそらく、おれの名前だったんだろう。そう、推測した。 他の事は、自分に関することでさえ、何も覚えていなかった。 頭の中にあったのは、『小狼』という単語と、眠っている間に脳にインプットされた、新しい『おれ』の事。 おれは暗殺専用の戦闘用サイボーグだ。 殺すことが存在意義。 言葉を奪われ、記憶を奪われ、自分を奪われ、ただ誰かを殺すためだけに生きる存在。 生きる―それは、おれ達にとっては、作動するという事。 おれ達の終わりはいつ来るんだろう。 生きてさえいないおれ達は死ぬこともない。 おれが失った脳の85%には何があったんだろう。 感情、記憶、『小狼』を構成していたもの。 おれは本当に『小狼』だろうか? 君と出会えた事は何を意味するんだろう。 おれが忘れた事を、君は覚えてる。 君はおれのメモリー。 おれが探していたもの。 なくさないためには、どうすればいいんだろう。 一つだけ、気付いたことがある。 おれ達の存在は必要ない。 おれはおれ達を消そうと思う。 花が散った後には実ができて、また新しい命が紡がれる。 おれ達が散った後には何が残るだろう。 君が静かに咲ける世界だと良いと思う。 殺すための存在はもういらない。 君に会えて良かった。 どうか、おれを忘れないで。 君はおれのメモリー。 おれが生きた証。 さよなら。 小狼 ------------------------- 番外編、『小狼』の話でした。『小狼』って書いてるけど、お兄ちゃんより弟君のほうの感覚で書いてますね。ナーガって言うのは龍王のことなんです、殺しちゃってすいません・・・。ってうかこの話は人が死にすぎですいません・・・。 初号機君自身はあんまり本編に噛んで来ないので、こっちもあんまり青空要素がありませんがいかがでしたでしょう。おまけくらいの気分で読んで頂けると良い感じです(なんて最後に書いてもしかたないですか。) そういえば本編の方の小狼がNo.009だった理由は、サイボーグといえば009(ゼロゼロナイン)だからです。ネタが分からない人はウィキあたりで調べていただくと良いかもしれませんが、雪流さんも実はタイトルくらいしか知らないので、調べたからこの話が面白くなるなんていう奇跡は起こりません。 次は封真の番外編。こっちは本編のあれとかこれとかに繋がってくるので、私も復習してから挑みます。 BACK (番外編)神に捧ぐ詩 |