長く生きていればそれだけ思い出も増えるかというとそんなことはない。人間の脳の記憶容量にはある程度の限界があって、参照頻度の低い記憶から順番に消えていく。
自分は今いくつだっただろうか。研究所では、誕生日より実験体となった施術日のほうが重視されるから、本当の年齢はそこから計算しないと分からない。
不老不死実験前期実験体。それが自分を表現する唯一の言葉。
どうして自分が実験体になったかも、もう忘れてしまった。研究所に居た間、暇潰しに読み漁った本の内容に比べれば、遠い日の思い出なんてものは殆ど価値のないものだ。
唯一つだけ、研究所に来る前のことで、覚えている事がある。
あの日、見上げた空はまだ青かった。



神に捧ぐ  うた



研究の終了が告げられてから3年程がたった。行く宛てもなく、実験終了後も研究所に留まった実験体仲間の最後の一人が死んだ。封真は、不老不死実験のデータを持って、目的地のない旅に出た。

研究終了時、実験体達は、実験の副作用ともいえる体の腐敗を抑える薬と、一つ、望むものを与えられた。
大抵の者は戸籍を望んだ。普通の暮らしがしたいと言っていた。
金銭を望んだ者もいた。その金で出来る限りの贅沢をして、金が尽きたら自害すると言っていた。
もっと薬をと望む者もいた。十分過ぎるほど生きてもなお、死は怖いのだと言っていた。
封真は、研究データを望んだ。更に研究を重ねるでもなく、利用価値を見出したわけでもなく。戸籍も昔の思い出もない自分にとって、そのデータが自分自身であるように思えた。
危険を顧みずに人体実験を行った研究所ではあったが、実験体はいたって快適な環境を与えられた。より長く生かすことが目的の研究だ。健康管理は勿論、実験体が感じるストレスにも十分に配慮がなされ、実験体は研究所から出る事は殆どなかったが、研究所内でなら望む事は大抵叶えられた。

そこで貪る様に得た知識を確かめながら、世界を旅してみるのも良いかもしれない。そう思って始めた旅だったが、一週間もすれば飽きてしまった。地球上から自然物は消えうせていて、どこに行っても存在するのは、酸性雨や異常気象に怯える人の街ばかりだ。空はどこまでも灰色で、コンクリートの天井のように、世界の上空にのしかかる。
旅をやめて終の庵でも探そうかと思ったが、戸籍がなければ家も借りられない。研究所に戻るしかないかと考えながら、とある街を歩いているとき、ふと見上げた空に、あるはずのない影を見つけた。
「鳥・・・?」
野生の動物は全て絶滅したはずだが。どこかの飼育施設から逃げ出したのだろうか。
「あんな小さな鳥じゃ食料にはならないな・・・観賞用のクローンなら結構な高級品だが・・・」
呟いたとき、急に背中に誰かがぶつかった。衝撃で、数歩前によろめく。ぶつかった相手の方は、封真より一回り小柄で、衝撃に耐え切れずに後ろに倒れてしまった。
「痛ぅ・・・・・・あ、わ、悪い!大丈夫か!?」
「いや、俺は大丈夫だが・・・」
そっちの方が大丈夫じゃないだろうと、封真は相手に手を貸してやる。腰をさすりながら立ち上がったのは、小柄な少年だった。少年は立ち上がると、はっと空を見上げる。
「鳥!鳥を見なかったか!?」
「ああ・・・それなら多分あっちの方へ・・・」
問われて指差した先には、もう灰色の雲以外何も見えない。少年はがくりと肩を落とした。
「お前のペットか?」
「いや、あれはロボット・・・やっと完成したのに・・・」
どうやら彼の作品らしい。空飛ぶ鳥のロボットはいまや子供のおもちゃレベルで普及しているが、この年で自分で作り上げるとは大したものだ。ただ、たかがロボットの鳥に逃げられるのはどうかと思うが。
「残念だったな。学校の課題か何かか。」
哀れみの視線を向けて尋ねると、少年は少しむっとした顔をした。
「あれは研究の一部、俺は科学者だ。」



神威と名乗った若い自称科学者は、封真を自分の家だと言う研究所に招いた。規模はやや小さいが建物自体は立派なもの。しかし研究者が他にいない、一人暮らしの家。
「こんな環境じゃろくな研究は出来ないだろ。何を研究してるんだ?」
率直な質問を投げかけると、神威はまたむっとした顔をする。感情がすぐ表情に出る、素直な奴だ。
「環境学と生物工学だ。地球環境の変化を観察しながら、絶滅した動物を蘇らせる研究をしてる。」
「なるほど。研究員が集まらないわけだ。」
人類は地球の未来に絶望している。そんな夢にあふれた研究は、とうに廃れた分野だ。
研究をこんな少年一人で続けられるはずがないから、出資してくれている企業くらいはあるのだろうが。
「それで、どうしてロボットを?」
「鳥の体の仕組みを調べるために作ってみたんだ。翼の構造が結構難しくて。」
「構造が分かったらどうするんだ?」
「体の各組織は人工的に作り出せるだろ?それを組み立てて生きてる鳥を作る。」
「・・・・・・」
積み木を前にして目を輝かせる子供みたいな顔で言い切られては、なんと返したものか一瞬悩んでしまうが、ここは正直な感想を伝えてやるべきだろうか。
「ロボットじゃあるまいし・・・パーツから命は作れないと思うぞ・・・」
「・・・・・・」
今度は神威が、言葉を失う番だった。


聞くと神威は、生物工学を本格的に学んだ事はないらしい。生物工学にも詳しかった母が、幼い頃からいろいろな話を聞かせてくれた、その程度だと言う。研究所は元は母親のもので、彼女は封真も名前に聞き覚えのある環境学者だった。神威は母の死後、彼女の研究を継ぐついでに、絶滅した動物の復活を目指して独自の研究を始めたらしい。
「それなら、クローンを作ったらどうだ。DNAサンプルは大抵の動物で残されてるだろ。」
「クローンは嫌だ。なんか・・・偽者っぽい気がする・・・。」
「わがままな奴だな。」
しかも科学者のくせに、発言が全く論理的ではない。まあ、未熟さぶりは幼稚な発想に十分表れているが。
「じゃあ、遺伝子を組み立ててみたらどうだ。確か一世紀ほど前に、遺伝子を組み立ててマウスを誕生させる実験が成功していたはずだ。手間がかかって実用性に欠けるからと研究自体は打ち切られているが、データはどこかに残っているんじゃないか?」
「それだ!」
叫ぶと神威は、すぐにパソコンを起動させた。ネットでデータのありかを調べるのだろう。
自分の研究に夢中になって、客人をもてなす事をすっかり忘れている。放置された封真は、神威の背中を見つめてくすりと笑った。
(面白い奴だな・・・)
「なあ、しばらくここに泊まっても良いか?」
「ああ。どうせ俺一人だし。建物の中の物は、好きに使ってくれて良いから。」
そう言ったきり、建物内の案内もなく、神威はやはりパソコンの画面の釘付けになっている。
(勝手に歩き回らせてもらうか。)
封真は、神威の側を離れて研究所内を回り始めた。家だと言うだけのことはあって、キッチンなどの生活に必要な部屋も完備されていた。あまり使ってはいないようだったが。
しばらくして、封真はベッドが二つ並んだ部屋を見つける。研究者用の仮眠室らしい。埃っぽさを我慢して、ベッドに横になった。質は悪くない。
(ここなら、しばらくは楽しめそうだな。)
目的地のない旅の途中、足を止めたこの場所が、結局旅の終着点になるとは、封真もまだ予想していなかったけれど。期待と呼ぶべきであろう感情が、確かに胸に湧いているのを感じる。そしてその高揚感を楽しんでいるうちに、旅の疲れが出たのか、封真は眠ってしまっていた。

翌朝、目を覚まして研究所内を探してみたが、神威の姿が見えなかった。代わりに、研究室のパソコン前に、一枚のメモを見つける。
『出かけてくる』
昨日出会ったばかりの男に留守を預けるかと呆れると同時に、やっぱり面白い奴だと思った。



せっかくなので、研究室の中にあった本棚の中を探ってみる事にした。神威の、子供の遊びの延長のような研究はともかく、彼の母親が、どんな研究をしていたのかが気になった。
論文が出てくると良いと思ったのだが、目的の物は見つからず、代わりに大量のデータが出てきた。
(空気中の汚染物質の濃度、雲の成分表、雨の酸性度の変化グラフ・・・)
夕方までかかって全てチェックしたが、環境学者なら、誰でも集めそうなものばかりだ。これだけでは、研究の内容まで推測する事ができない。他の場所を探そうかとデータを直そうとして、そこに隠すように収納されていたノートを見つけた。
(これか?)
目的の情報が得られるかと、ノートを取り出してめくってみる。しかしそれは、研究に関するものではなかった。
「小説・・・?」
タイトルは、『次の地球の君達へ』。文字が、書置きに残された神威の字に似ている。彼が書いたものなのだろか。
封真は読み始めた。ノートには、一話完結の短い物語が、何話も描かれていた。

舞台はいつも、終末を前にした地球。
『空が落ちてくる』
人々は、ある日流れ始めるそんな噂に恐れ惑う。
そんな中に一人だけ、『声』を聞くものが現れる。
『声』の主は、前の地球の人間。今は、大気となっているもの。
『声』は言う。これは、地球を殺した人間達への、地球の復讐だと。
空が落ちてきて死んだ人間達は、次の地球の大気となって、次の空が落ちるまで、ずっと見守り続けなければならないと。
そして『声』を聞いた人間は、次の地球の誰かに、このことを伝える事ができるのだと。
そして、空が落ちてくる。

「・・・・・・」
繰り返される人類滅亡のシナリオに恐怖を覚えながら、封真はのめりこむようにページをめくり続けた。
物語は全部で100話。100話目を除いて、全てにナンバーがつけられている。そして、No.100とよばれるべき100話目のタイトルは、『Last Message』。まるでこの話が、前の地球の誰かから、今の地球の誰かへのメッセージであったかのように締めくくられる。
いつの間にか、夜が明けていた。

「ただいまー。」
神威の声が聞こえて、封真ははっと顔を上げた。すぐに、神威が研究室に顔を出す。
「封真?何して・・・あ!」
封真の手にあったノートに気付くと、神威はそれを慌てて奪い取った。
「み、見た・・・?」
「ああ。全部。」
「っ・・・・!!」
素直に白状すると、神威は顔を真っ赤にして唇を震わせる。
「わ・・・笑うなら笑えば良いだろ!どうせ俺には小説なんて・・・!」
「いや、別に笑ったりは・・・むしろお前、そっちの方が研究より向いてるんじゃないのか?」
「っ!!」
褒めてやったつもりが、神威にはそれはそれでショックだったらしく、
「うるさい、馬鹿!」
と怒鳴られた。


すねた神威をなだめすかして、母親の研究の事を聞き出した。神威は人類滅亡のシナリオを聞かせてくれた。
数年後、人類を脅かしている酸性雨は、ぱったりと降らなくなる。そして雨が降らなくなって数年後、その数年間の汚染物質を大量に溶かし込んだ雨が、一気に地上に降り注ぐ。人類は、雨によって絶滅する事になるだろう、というものだった。
「大気中の汚染物質とかを調べる事で、その兆しが見えるんだって。だから俺は今もそのデータを取り続けてる。母さんの研究は、続けられなくちゃいけない。」
封真は神威の話を聞きながら、神威が出してくれた母の論文に目を通す。環境学はあまりかじったことのない分野だったが、説得力のある内容は容易に理解できた。理論が現実に完璧に沿うものではない事は、自らが関わった実験からも重々承知している。だが一つの可能性として、彼女が示した未来は起こりうるものであるように思えた。
「そういえば、あの小説にも、雨が人を殺す話があったな。」
「・・・・・・あれは、母さんが聞かせてくれた話に影響を受けてるから・・・。」
「公開は考えてないのか?」
「そんなこと・・・」
頬を少し赤くして目をそらす。神威は、小説の話をされるのは苦手なようだ。
「じゃあ、お前の研究の話を聞かせてくれ。鳥を作って、どうするつもりなんだ?」
「ノアの箱舟を知ってるか?」
「ああ。旧約聖書だな。」
「あれを、造ろうと思ってるんだ。」
神威は、封真を研究所の地下室に案内した。規模の小さい研究所だと思ったが、広大なスペースは地下にあった。広い空間に、並ぶ無数のカプセル。
「設備は母さんが用意してくれた。作った動物をこのカプセルに入れて、酸の海を渡るんだ。」
酸の雨から生き延びるためのスペース。あの論文を書き上げた彼女なら、これくらいの準備はしていても不思議ではない。けれど、人を救うのではなく、動物を乗せるとは。動物が絶滅したこの地球上で、それはノアの箱舟より、神の創世のシーンを思い出させた。
「お前は、神にでもなりたいのか・・・?」
思わず口をついた問いに、神威は驚いた顔をする。
「神なんて・・・そんな大げさな・・・。俺はただ・・・地球にできる事が・・・これくらいしか思いつかなかったんだ・・・。」
「・・・・・・」
封真は俯いた神威を見つめた。
神などと思い上がったことは微塵も考えていない。ただ、地球の復讐を甘んじて受け入れ、人類の罪を贖おうとしている、一人の人間。人類が地球から奪ったものを、ほんの少しでも返すことで、地球に懺悔したいと願うただの人間。
(こんな人間も、もう絶滅したと思ってたが・・・)
無性に嬉しいのは、自分が、まだ美しかった頃の地球を、知っているからだろうか。

「例の実験の資料はもらえたのか?」
「あ、うん。コピーだけど、譲って貰ってきた。」
「俺にも手伝わせてくれないか。生物工学には少し自信があるんだ。」
「!」
思いがけない申し出に、神威はぱっと顔を輝かせる。
「ホントに!?実は、俺一人じゃちょっと自信がなかったんだ!ありがとう!」
ここに来て、初めて神威の笑顔を見た気がする。見ている側まで幸せになるような、純粋な顔。
(こんな顔で笑うのか。)
自然と口元が緩んだ。
「じゃあ、まず資料どおりマウスから始めるか。」
「ううん、鳥がいい!」
「鳥?」
そういえば、最初に作ろうとしていたのも鳥だった。
「好きなのか?」
「好きって言うか・・・憧れるんだ。空を飛ぶ姿に。」
「空・・・」
あの小説でも、訴えていたのは空への想いだった。
「いつか見てみたいんだ・・・遠い昔・・・青くて綺麗だったって言う空の色を・・・。」

二週間後、鳥の遺伝子を持った胚が完成し、それは地下のカプセルを利用した人工子宮の中で順調に鳥に育った。
必要な設備は全て揃えられていた。環境学を専門にしていた母親が使うとは考えられないようなものまであったのは、神威の夢を聞いた彼女が、いつか神威がこの方法に辿り着くだろうと予想して用意しておいてくれたのだろう。
人工子宮から出て研究所内を羽ばたき始めた鳥は、空への願いを込めて、スカイと名づけられた。





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