MEMORY ――『小狼』 目が覚めたとき、おれが覚えていたのはその言葉だけだった。 おそらく、おれの名前だったんだろう。そう、推測した。 他の事は、自分に関することでさえ、何も覚えていなかった。 頭の中にあったのは、『小狼』という単語と、眠っている間に脳にインプットされた、新しい『おれ』の事―― 23世紀、世界中でサイボーグ研究が活発化した。それまでの医療の分野で行われてきた人体機械化技術とは異なり、死んだ人間の体の一部を機械と取り替えて、もう一度サイボーグとして復活させることを目的とした研究だった。蘇生に成功したサイボーグは基本的人権を与えられ、普通の人間と同じ様に生活することが認められた。遥か昔から人類が望んできた死者蘇生という夢は、叶うかのように見えた。しかし、心肺停止中の脳細胞の壊死による記憶の欠落など、死者蘇生技術としてのサイボーグ研究には乗り越えられない壁が多く、しだいに研究は廃れ始めた。 そして同時に裏の世界では、別の目的でのサイボーグ研究が始まる。それは、前世紀までに禁止された、軍事利用目的での人体機械化研究。しかし禁じられたのはあくまでも生きた人間の機械化であり、死者を使う事に関しては明記されていなかった。改造の仕方によっては、車より速く走る事も、体内に銃器を埋め込むことも可能。利用法はいくらでもあった。研究施設は様々な方法で人間の遺体を集め、機械との融合性が高い個体からはクローン体を作り出し、多くの戦闘用サイボーグを製造した。 『小狼』。 目が覚めたとき、彼が覚えていたのはその言葉だけだった。ほかの事は何も覚えていなかった。ガラスに映る自分は、幼い子供の姿をしていた。体はその姿で成長を止めたが、幼いのは見た目だけで、思考は大人と同じ、いや、それ以上のものが可能だった。しかし、この年で自分が命を落とした理由も分からなかった。彼の記憶は、彼が一度死んだ際に、すべて失われたらしかった。記憶喪失のようだと思ったけれど、それとは少し違った。脳には、なくした記憶の代わりに、新しい情報がインプットされていた。脳に刷り込まれた新しい自分のこと。彼は、暗殺専用の戦闘用サイボーグだった。 「S型初号機、すぐ管理室まで。」 スピーカーから、抑揚のない声が流れる。今まで壁にもたれて座っていた彼は、立ち上がって正面の扉に向かった。壁に埋め込まれたセンサーの前に立つと、センサーが彼に埋め込まれたコードを識別して、自動的に扉が開く。彼が外に出ると、扉はまた自動的に閉まった。 部屋には、彼のほかに4体のサイボーグがいる。なんの装飾もない、6面をコンクリートで作った、立方体の部屋。そこは、戦闘用サイボーグ保管庫と呼ばれる部屋の一つだった。 保管庫。その名は、人間にとって、戦闘用サイボーグはただの兵器でしかないことの表れだった。 彼は真っ直ぐ管理室に向かった。このサイボーグ研究センターは、表向きは、すでに世界では廃れたサイボーグ研究を粘り強く続けている施設ということになっているが、実際には約200体の戦闘用サイボーグを管理・利用するための施設だ。サイボーグ達は暗殺、情報収集など分野別に分類され、指令があるときだけ呼び出されて、それぞれの任務に向かう。すべてのサイボーグは管理室で監視され、また指令もこの部屋で伝えられる。 彼が管理室の前に立つと、先ほどと同じ様に扉が開いた。彼は、光源が監視モニターの明かりしかない暗い部屋に入った。 「遅かったな、S型初号機。」 部屋の奥でモニターを眺めていた男が、彼の方を向いた。この研究センターの責任者だ。 『遅かった』と言われた事について、彼は何も言わなかった。言いたくても言えなかったのだ。戦闘用サイボーグは言葉を持たない。改造されるときに、声を奪われる。理由は、不必要だからだ。 「さて、早速だが仕事だ。」 男はモニターに向けてリモコンを押した。モニターに、背広に身を包んだ初老の男が映し出される。 「今回のターゲットだ。データは脳に送信した。」 男の個人情報が脳内に流れ込んでくる。名前、年齢、職業、家族構成、リアルタイムで脳が分析する男の現在の居場所。今は自宅に居るようだ。 「家族にばれないように殺せよ。まあ、ばれたときは家族も殺せば良いが。」 男はそういうと、モニター画面を元に戻した。指令終了の合図だ。 彼は一礼して部屋を出た。そのまま外に向かう。両腕に内蔵された銃には、常に弾が入っている。 彼らのターゲットは様々だ。人種、年齢、性別に関わらず、指令があれば殺す。何故殺すのか、理由は知らない。心が痛むこともない。脳の大部分を機械に変えられた彼らに、感情などない。 「なっ、お、お前、何者だっ・・・!」 突然部屋に侵入した彼を見て、ターゲットは目を見開いた。当然だろう。幼い子供が、3階の、しかも鍵のかかっていた窓から侵入したのだ。鍵は電子キー、内側から、暗証番号を入力しない限り開かないはずのものなのに。 普通の人間には無理な事でも、彼には簡単な事だった。3階なら、2回もジャンプすれば到達できるし、あらゆるコンピューターに侵入する能力を持つ機械脳が、一秒もかからずに鍵を開けた。彼の脳の性能は、この国のサイボーグの中でも飛びぬけているのだと、研究センターの人間が言っていた。 「だ、誰か!!」 ターゲットが助けを呼ぼうとして部屋の扉に駆け寄った。彼はその背に向けて右腕を伸ばす。伸ばした右腕から、内蔵されていた銃口が姿を現す。 <発射> 彼は迷う事無く、頭の中でそう言った。 彼が放った銃弾は、正確にターゲットの後頭部に命中し、眉間へと貫通した。銃声はしない。ターゲットは扉まで後一メートルというところで倒れた。後二歩ほど踏み出していれば、センサーが彼を察知して扉が開いていただろう。助けは間に合わなくても、人を呼ぶことは出来たかもしれない。無駄な犠牲が出ただけだろうが。そう考えながら、彼は腕の銃をしまって、入ってきた窓から外に出た。任務完了。後は研究センターに帰ってそれを報告し、銃弾の補給を受ければ、恐らく今日の仕事は終わりだろう。 人を殺した直後でも、彼は何も感じない。 ――おれは暗殺専用の戦闘用サイボーグだ。 殺すことが存在意義。 言葉を奪われ、記憶を奪われ、自分を奪われ、ただ誰かを殺すためだけに生きる存在。 生きる―それは、おれ達にとっては、作動するという事―― <S型初号機、聞こえるか?> 突然、頭の中に声が響いた。サイボーグの誰かが話しかけてきたのだ。言葉を持たない彼らは、お互いの機械脳に接続することで話す。 <誰だ?> 彼は、頭に響いた声の持ち主に聞いた。 <N型No.003だ。> 同じ部屋に居るサイボーグだった。顔を上げると、No.003は、丁度正面の壁にもたれて立っていた、会話はしているが、顔は向けていない。監視カメラを警戒してのことだろう。習って、視線を外して俯く。 <なんだ?> <初号機がどうしたか知らないか?> No.003が聞いたのはN型初号機のことだろう。No.003と同じ顔のサイボーグ。No.003は、初号機のクローンだ。この施設には、同じ顔を持つものが何人も居る。この部屋には居ないが、S型と分類される自分のクローンも、今6人居ることを知っている。遺体から作られた自分と違い、彼らは人工子宮の中である程度まで成長させられてから改造されている。見た目の年齢が違うため、あまりクローンという気がしないが。 <おれは何も聞いていない。> N型初号機は、3日前に呼ばれたまま戻らない。No.003が彼に尋ねたのは、彼がこの部屋で一番の古株だからだろう。あるいは、施設一高性能な脳を頼ったのかもしれないが、この部屋は電波が遮断されているため、調べることは出来ない。 <そうか、ありがとう。> No.003からの接続が切れた。そのとき、スピーカーから声が流れた。 「S型初号機、すぐ管理室まで。」 嫌な予感がした。N型初号機のことが気になっていたのだろうか、いつもは同じ部屋の誰が呼び出されようが気にしないほかのサイボーグ達が、ちらりと自分を見るのを感じた。互いに無関心とは言え、皆少しくらいなら話したこともある。チームを組んで仕事をしたことがあるものも居る。仲間意識とまでは行かないが、似たようなものは持っているのだ。嫌な予感が当たらなければ良いと願いながら、彼は管理室に向かった。 「今回のターゲットはこいつだ。」 責任者がモニターに写したのは、予想通りN型初号機だった。何処かの部屋に、鎖でつながれて居る。 「今はB205号室に監禁中だ。脳部に欠陥が見つかってな。殺すときは頭を撃て。他の部分は傷つけるな。以上だ。」 『他の部分は傷つけるな。』つまり、N型初号機は、脳を取り替えられてまた使われるのだろう。 (脳部に欠陥・・・?) 声に出して聞く事は叶わない。彼は疑問を抱きながら、指定された部屋に向かった。 B205号室の扉が開くと、正面の壁に鎖で両手をつながれたN型初号機がいた。N型初号機は、扉が開いたのに気付いて彼を見た。その表情は、どこか哀しそうだった。 <S型初号機・・・お前が来たのか。> 頭の中に声が響いた。N型初号機だ。 <俺を殺すんだな。> 少しだけ頷く。N型初号機は、小さく笑った。 <じゃあ殺す前に・・・ああ、殺すって言うのは少し違うな。俺達は生きてるわけじゃないから。壊すって言うべきか。> N型初号機の顔からは感情が読み取れない。いや、感情など、サイボーグになって時点でもうないはずだが。 <N型初号機・・・> <『ナーガ』って言うんだ。俺が、人間だった頃の名前。> <・・・・・・> <少しだけ、話を聞いてくれないか?> 話をしてはならないという指示は受けていない。彼は小さく頷いた。 <俺達は、何のために存在してるんだと思う?> N型初号機の話は、質問から始まった。少し考えてから、答える。 <人を殺すため・・・> <サイボーグが作られた目的は、死んだ人を取り戻すためだった。なのに何故、俺達は人を殺すんだ。> <・・・誰かに・・・不都合な人だったから・・・> <誰に?> <・・・おれ達が知る必要のないことだ。> <それは俺達の脳にプログラムされてる答えだ。> <・・・・・・> N型初号機が何を考えているのか分からなかった。困ったような顔をしていたのだろうか、N型初号機が苦笑した。 <悪い、困らせたな。お前、自分の脳、どれくらい残ってる?> 自分の脳。つまり、機械ではない部分の脳だ。 <15%> 現存サイボーグの中では最も少ない。そしてそれ故に、誰よりも高性能。失ったものも、誰よりも多いのだろう。 <15%か。少ないな。俺は半分残ってる。・・・もうすぐ取り除かれるんだろうけど。> <何かあったのか?脳部に欠陥って・・・> <人を殺した。> 言葉を遮るように返された答えは、当たり前の事過ぎてどう脳部欠陥に繋がるのか分からなかった。人を殺すのは、自分達の存在意義だ。 <いつも通り撃ったんだ。女だった。そいつ、死ぬ直前に、俺を見て『ナーガ・・・!』って・・・> <知り合いだったのか?> N型初号機は、俯いて首を横に振った。 <覚えてない・・・。けど、向こうは俺を知ってた。> 俯いたままの顔から水が落ちた。涙だろうか。サイボーグに、そんなものあるのだろうか。 <S型初号機。自分の名前を覚えているか?> <・・・・・・『小狼』・・・だと思う・・・> <『小狼』・・・それ以外の自分のことは?> <・・・何も。> N型初号機は、しばらく俯いたまま黙っていた。泣いているのか笑っているのか、肩が小さく震えていた。 <どうして俺達は存在してるんだろう・・・> <・・・・・・> その言葉は、疑問形を取ってはいたけれど、誰かへの言葉ではなかった。 <彼女を殺せと命令したのは・・・、いつも俺たちに人を殺せと命令してくる『誰か』は人間なんだ。人間が、人間を殺すために、かつては人間だった俺たちを使ってる。> N型初号機は顔を上げた。顔には水が流れたあとが残っていたけれど、今はもう流れていなかった。 <俺は脳を入れ替えられてまた使われるんだろう?> <・・・多分。> その答えを聞いて、N型初号機は小さく笑った。今度は、諦めたような、何かが吹っ切れたような、そんな笑顔だった。 <S型初号機・・・『小狼』、話に付き合ってくれてありがとう。もういい、俺を壊してくれ。> <・・・N型初号機・・・> <『ナーガ』だ。> <・・・・・・『ナーガ』> 『ナーガ』は目を閉じた。その眉間に銃口を向ける。 <さよなら、『小狼』。> <・・・・・・発射。> 銃弾が、『ナーガ』の眉間の穴を空けた。『ナーガ』の体が床に倒れる。 <俺達の終わりはいつ来るんだろうな・・・> それが、『ナーガ』の最期の言葉だった。 3日後、部屋にN型初号機が帰ってきた。彼は、<初めまして>と言った。 <自分の名前を覚えているか?>と聞くと、<そんなの覚えているわけがない。>と笑って答えた。 『ナーガ』の記憶は、何も残っていなかった。 機械が少し壊れて、修理したらまた動いた。人間にとってはそれだけの事なのかもしれない。 けれど、『ナーガ』は死んだのだと思った。 ――おれ達の終わりはいつ来るんだろう。 生きてさえいないおれ達は死ぬこともない。 おれが失った脳の85%には何があったんだろう。 感情、記憶、『小狼』を構成していたもの。 おれは本当に『小狼』だろうか?―― BACK NEXT |