地球の状態は次第に悪くなっていった。神威がとり続けているデータを見るまでもなく、一般の人々にも感じられるほどに、地上は限界を迎えていた。大気汚染に酸性雨。人の技術ではもう、人を護りきれなくなってきていた。
そして世界は、ある打開策を考えた。それは、地下都市移住計画。地下に潜れば酸性雨に怯える必要はない。通気孔はあっても密閉空間に近い状態を作り出せるため、空気の浄化も容易い。事実、人類にはもう他に選択肢は残されていなかった。バベルと名づけられた地下都市は、その計画が発表されたときすでに、完成が近い状態となっていた。移住対象者は全ての人類とされ、拒否権は誰にもなかった。
神威は反発した。見上げる空は灰色でも、その下で生きていたいと。
二人は実験で二羽目の鳥を作り、二羽の間には雛が生まれていた。地下の箱舟では鳥のほかに、三種類の動物が息づいていた。

地下都市移住計画の発表から数日後、意外なことに、神威に依頼が来た。
「依頼?バベルのことでか?」
「うん!ほら!」
神威は、興奮した様子で封真に手紙を渡す。
「バベルの空に青空を映すんだって!その空の映像を作ってほしいって!!」
地下都市移住計画の発表後、多数の意見や要望が寄せられたらしい。その中で最も多かったのが、地下都市という密閉空間で感じる閉塞感への不安。そして、空を望む声。
空を作ってくれという依頼は、何件かの研究所に送られており、完成した空の中から、最もできの良い映像を使うということだった。
「良かった!人はまだ、空を望んでるんだ・・・!」
神威は純粋に喜んだ。青空が映されるなら、バベルへの移住も良いかもしれないとまで。
「空を作ろう!誰が見ても本物だと思えるような、凄い青空を!封真も手伝ってくれるよな?」
「・・・ああ。勿論だ。」
けれど封真は、不安を覚えずに入られなかった。神威に求められているのは、本当に『空』だろうか。この依頼を、受けさせて良いのだろうか。
自分が手伝えば、きっと誰よりも素晴らしい青空が作れるだろうという自信があった。あの美しさを、あの雄大さを、自身の目で見て知っている人間なんて、自分と同じ不老不死実験の実験体の数人を除けば、この地球上にはもういないはずだから。けれど、出来上がった空が美しければ美しいほど、神威は深く傷つく事になるのではないかと。

不安を振り払うように、封真は、空について覚えている全ての事を神威に教えた。
空全体が同じ色ではないこと、雲は季節によって特徴的に形を変えること、晴れた昼間に月が見えることもあること。青空の事だけではない、沈む頃になると太陽は赤く輝くこと、星はゆっくりと空をめぐること、月にはウサギやカニの形に見える影が浮かんでいる事。神威が作った映像の空には、鳥や飛行機も飛んだ。鳥はもう絶滅してしまったけれど。飛行機も、数年前に廃止されてしまったけれど。夕方に群れを成して飛ぶ鳥の映像や、飛行機が飛ぶ後ろに飛行機雲が発生していく映像は、神威も気に入ったようだった。
「凄い!きっと、この空なら誰にも負けない!」
白い壁の部屋をスクリーン代わりにして完成した空を映し出し、神威はその美しさに感動した。封真も、この空なら誰にも負けないだろうと思った。本物らしさ、という点においてはだが。
封真は、空で起こるさまざまな現象を伝えはしたが、色は殆ど神威が作った。本当の空を知らないはずの神威が描く空の色は、不思議と記憶の中にある本当の空の色に良く似ていた。
空を作りながら、封真はゆっくりと、自分のことを神威に話した。長い年月を生きてきた割に、話すべきことは少なかった。神威は、黙って聞いてくれた。そして全てを聞き終えた後、ただ一言、本当の空を知っている事が羨ましいと言った。
神威は、出来上がった空を大事に抱えて、選考会場に向かった。

封真は、神威の帰りを待つ数日の間に、犬の遺伝子を組み上げた。箱舟の人工子宮に移した胚は、順調に発生段階に入った。五種類目ともなると、この作業も慣れてきたものだ。そろそろ、大型動物に挑戦しても良いかもしれない。
バベル移住後、この箱舟はどうするのだろう。移住対象者は全人類といっても、戸籍が無い自分なら、上手くすれば移住を免れる事はできる。移住後もここに残り、箱舟を護るのも悪くないが。
(神威は、逃れられない・・・)
彼が行くなら、一緒に行きたいとも思う。彼の母親が予言した未来が本当にやってくるのなら、恐らくバベルの耐酸設備では酸性雨に耐え切れないだろう。『空が落ちてくる』。神威の小説が、現実になるかもしれない。それでも、共に死ねるのなら。
そんなことを考えているうちにふと思い立って、いつかの本棚を探ってみた。『次の地球の君達へ』は読破してしまったが、そう告げてもなお、「もうこの本棚の中は見るな!」というきつい言葉を貰ってしまった。ということは、もう一冊くらい、別の作品があるのだろう。
「あった。これだな。」
表紙に書かれたタイトルは、『神に捧ぐ詩』。
封真は、自室に移動して、ベッドに腰掛け表紙をめくった。



人類に罪があるのだとしたら

他の生物の命を奪い

地球を危機に追いやっても

それでもなお

生きたいと望んでいる事


神様

僕達を罰しますか?



「小説じゃないのか・・・詩・・・?」
次々にページをめくる。ノートは数行の言葉の羅列と、神への呼びかけが繰り返されていた。



全ての生き物が死に絶えた星で

今も生き続けてはいても

本当の空の青さも

太陽のぬくもりも

大地の感触も

何一つ知らない


神様

僕達は幸せですか




もし明日僕が死んでも

地球は何も変わらない

ちっぽけな存在だったはずの人類

それなのに僕らは


神様

生きてることさえ罪ですか




恐らく僕達は今

神がかつて行った殆どの事を

自らの力で行えるだろう

けれど空を削って得たその力は

空の美しさに勝るものだっただろうか


神様

僕はただ本当の空の色が知りたい



自らの首を絞める僕達を貴方は嘲笑うのだろうか

償う事もできない僕達を貴方は無力だと罵るのだろうか

救いを望むことすら罪だと言うほど僕達を憎むのだろうか

僕達を作り出したことを過ちだと嘆くのだろうか

僕達に殺された世界のために、涙するのだろうか


神様

それでも僕達は世界7日目の青空に、感謝しています




「7日目・・・?」
どういう意味だろう。首を傾げたとき、研究室の方で、大きな音がした。
「神威・・・?」
ノートを置いて研究室に向かう。いつの間にか帰ってきていた神威が立ち尽くしていた。足元に、空の映像が入っているはずのディスクが割れていた。
「・・・・・・神威・・・」
神威は振り返らずに、ただあったことを告げる。
「バベルの空には・・・他の人の空が選ばれた・・・。その空には、人が見てて一番落ち着く青が使ってあるんだって・・・。本物らしさは、絶対に、俺達の空が一番だったけど・・・バベルの空は、人間を地下に閉じ込めておくための『檻』だから・・・本物らしさなんて必要ないんだって・・・。俺達の空を見たら、誰もが地上に帰りたくなる。そんな空はいらないんだって・・・。」
「・・・・・・」
こんなことになるのではないかと思った。神威に求められたのは『空』ではなく『檻』。こんなことになるのなら止めておけばよかった。自分の判断ミスが神威を悲しませて、二人の空は、床の上で砕けた。
「俺・・・行きたくない・・・バベルになんて行きたくない・・・」
神威の声が震える。封真は、そっと神威を抱きしめた。
「・・・訊きたい事があるんだ。」
「何・・・?」
「『神に捧ぐ詩』を読んだ。」
「・・・・・・」
神威がはっと顔を上げる。何か言われる前に、封真は神威の頬を濡らしていた涙を指で拭った。
「『七日目の青空』ってのは、どういう意味だ?」
「・・・・・・・」
神威は、ぺたりと床に座り込んだ。そして、後を追って膝を付いた封真の胸に顔を埋める。
「空がどうして青いのか知ってるか・・・?」
「光の散乱だろう。」
神威は小さく頷いて続けた。
「神様は最初に『光あれ』と言った・・・。この世に一番最初に、青空を作ったんだ・・・。」
「『創世記』か・・・。人間が出来たのは、6日目だったな。」
「赤く燃える夕焼けの後、訪れた暗闇は恐ろしかったはずだ・・・。7日目の朝、青く戻った空に、人はきっと感謝した・・・。」
どうして人は忘れてしまったのだろう。神が世界に最初に起こした、空が青いという奇跡を。
「封真・・・空を見よう・・・」
神威は言った。震える声で、けれど力強く。
「人類に、本物の空を見せよう。バベル移住の前に、本当の空の色を・・・。偽りの空が頭上を覆っても、絶対に、人がその色を忘れないように。」


神威の理論はこうだった。
人工衛星を宇宙に向けて打ち上げれば、地球を覆う分厚い雲に一瞬だが穴が空き、青い空が見えるはずだと。
「その軌道だけじゃ狭い。もっと大きな穴を開けよう。」
封真が案を出して、都市を酸性雨から護るための斥力発生装置をより強力にしたものを積み込むことにした。
二人だけで準備するには時間がなかった。打ち上げ設備を持つ企業に協力を要請すると、意外にもすんなりと了承してもらえた。これから地下に移住するのならば、もうこんな設備は必要ないからということだった。
準備は順調に進み、バベル移住の5日前、ついにその日が来た。前もって世界中に宣伝を流した効果で、現地には多くの人々が集まっていた。カメラも多く集まった。きっと人類が見る最後の空は、世界中に同時放送される。
神威と封真は、その瞬間を別々の場所で迎える事になった。神威は記録のために空の真下で。封真は衛星の打ち上げのために、少し離れた制御室から。
「俺は一人きりだな。特等席だ。」
そう喜ぶ神威に、封真は何か不安を感じる。
「本当に一人で大丈夫なのか?打ち上げなら専門家に任せても・・・」
「カメラのスイッチを押すくらい、俺一人でも出来るよ。それに、泣いちゃうかもしれないから、一人が良い。」

その日の朝、それぞれの場所に向かう前に、神威は封真に一冊のノートを渡した。
「打ち上げまでに、殆ど読み終われると思うから。」
それは、神威が書いた小説だった。タイトルは『徒花』。
時間を待つ間、封真はノートのページをめくった。それは、きっと自分たちをモデルにしたのだろう、空に憧れる出来の悪い研究者と、そんな研究者のもとに突然現れた不思議な旅人の話。

二人は人類滅亡の未来に備え、箱舟を作る。そして小説の中でも人類は地下都市移住計画を発表し、科学者は地下都市のために空の映像を作った。けれど自分に本当に求められていたものを知り、彼は深く絶望し、地下への移住までに本当の空を見ようと試みる。そしてその朝、科学者は旅人に一冊のノートを渡した。ノートは小説、タイトルは『徒花』。
科学者は聞く。
『徒花の花弁の色を知っているか?』
首を振る旅人に、科学者は言った。
『きっと、悲しいくらいに赤い色をしているんだ。』

打ち上げの時間が来た。封真は、しばしノートを置いて、打ち上げボタンを押した。
打ち上げは正常に行われた。それを確認して、数秒を惜しむようにまたノートを開く。

小説の中でも打ち上げは成功した。旅人は小説を読んだ。しかし、彼は突然ノートを置いて制御室を飛び出す。そして、辿り着いた場所で赤い花が散るのを見た。

「・・・神威・・・!」
封真は、ノートを置いて制御室を飛び出した。
打ち上げた人工衛星が、雲を貫いた。見上げると、雲の割れ間に、いつか見た色と同じ、真っ青な空が覗いていた。
集まった人々が歓声を上げているのが聞こえる。けれど封真は足を止める事無く、一人で空を見ているはずの神威の元へ走った。
空が見えたのは30秒ほど、雲に空いた穴は、ゆっくりと閉じた。
そして、まだ空に青が残るうちに神威の元に辿り着いた封真は、床に散った赤い『花弁』と、その中に倒れる神威を見た。
「神威・・・神威・・・!!!」
駆け寄って抱き起こす。けれど、神威はもう目を開かなかった。

小説の中の研究者は、自ら喉を掻き切って、焦がれ続けた青空の下で死んだ。


研究者は、小説の中で旅人に懺悔と願いを残していた。一人で先に逝く事を許して欲しい。そしてどうか、箱舟を完成させて欲しい。酸の大洪水の後、息を吹き返した地球に、動物達を放してやって欲しいと。
『君が乗れないなら、他の誰かでも構わない。だけど、アダムとイブには、空を愛してる人を選んで欲しい。』

それが神威の願いなのだろう。
彼は知っていたのだ。戸籍のない封真とは違い、自分はバベル移住計画から逃れられないだろうということを。
「分かった・・・約束する・・・。」
研究所で小説を最後まで読み終えて、封真は呟いた。
神威が取り続けているデータから、人類絶滅のシナリオの一つ目の段階は近いと予測された。もうすぐ、雨が降らなくなるだろう。そして数年後には、酸の大洪水がやってくる。
しかし、自分の体も、そこまで持つ保証はなかった。不老不死実験の副作用ともいえる体の腐敗は、きっと近いうちに始まるだろう。いつかバベルに行って、相応しい人間を探さなければならない。
「きっとまだ居る・・・。お前みたいに、空を愛してる奴が。」
そう信じて自分達は、人類に空の色を示したのだから。

『徒花』は、いつも神威が小説を隠す本棚にしまった。そこから取り出すたびに、まだ神威がここに居るような気がした。
『神に捧ぐ詩』は、神威と一緒に埋めた。これから行く場所に神がいたら、叩きつけてやれと。
『次の地球の君達へ』は、少しずつ、ネットで公開することにした。神威の声が、少しでも多くの人に届けば良い。


長く生きていればそれだけ思い出も増えるかというとそんなことはない。人間の脳の記憶容量にはある程度の限界があって、参照頻度の低い記憶から順番に消えていく。振り返れば、浮かんでくるのは、神威と過ごした日々の記憶ばかりなのだ。きっと、自分が生きていたのは、彼と出会ってからのほんの短い時間だけだったのだろう。

人類が見た最後の空は、後にラスト・スカイと呼ばれた。




あの日から14年の年月が流れ、人類最後の日がやってきた。
バベルから迎えたアダムとイブは、無事箱舟に入ったようだ。箱舟のカプセルは全て、この14年で作った動物たちで埋まっている。
自分の命が消えていくのを感じながら、封真は研究室の中で、壁に貼られた一枚の絵を見上げる。最後にバベルに降りたときに、譲り受けた青空の絵。
「見れば見るほど・・・お前の空に似てるよな・・・」
できれば彼に、見せてやりたかった。そう思って、封真は小さく頭を振る。
これからいくらでも、話してやれば良い。地下都市にもちゃんと、青空を愛した人たちがいたこと。自分達の夢は、彼らが継いでくれた事。
「約束は果たした・・・今行くよ・・・」
封真は静かに目を閉じた。

神威が待つ場所からは、青い空が見えるだろうか。
今度こそ、二人で空を見れるだろうか。





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封真の過去話でした。いかがでしたでしょう。
ツバサコーナーに入れてますけど、やっぱりこの二人は]の二人のイメージで書いてます。
吸血鬼とハンターのお二人もいつか仲良くなれるんだろうか。まああれはあれで良いですが。
さて、このシリーズもこれで本当におしまいです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!




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