『次の地球の君達へ』 −Last Message− あの日からずっと考えていた。 空とは何だったのだろう。 それは人の罪の歴史であり。 それは人が受ける報いであり。 何よりも尊い教えであり。 唯一の、救いだったのだろう。 どうか君達は気付いてほしい。 でなければまた、空が落ちてくる――。 「ただいまー」 黒鋼がパソコンの画面を見つめていると、ファイが帰ってきた。そして、黒鋼の様子がおかしいことに気付く。 「深刻な顔して・・・どうしたの・・・?」 「これ・・・」 黒鋼に示された文章に目を通して、ファイも表情を強張らせる。 『次の地球の君達へ』。 ストーリーはいつも同じだ。地球を殺した人間達が、落ちてきた空によって死ぬ。その人間の中で一人だけ、前の地球の人間の声により、そのこと知ることが出来るものが現れる。 けれどこの話には、死ぬべき人間達も、声を聞く誰かも描かれていなかった。No.100ではなく、Last Messageと題されたそれは、ただ、前の地球の誰かの声だけを読者に――この地球の人間達に伝える。 それはまるで、次に死ぬのはお前達だというように。 この話は、神からの警告ではないかといわれていた。それならこれは、タイトルどおり、最後の警告だろうか。 けれどこの文章からは、ただ切なる願いしか感じ取れないのだ。空を愛し、ただひたすらに、失いたくないと願う誰かの声であるように思われるのだ。 「この話の作者は・・・声を・・・聞いたのかな・・・」 或いは前の地球の誰かが、文字という形で自分達に伝えているのだろうか。どちらにせよ同じだ。誰かが真実を知ったということは、この地球は、もうすぐ終わる。 「そんなわけねえだろ!これはただの・・・ただの、作り話だ・・・」 しかしきっと、今のこの地球上に、この話に畏怖を抱かぬものはいないはず。 ファイは、黒鋼と小狼を交互に見つめ、静かに、けれど力強く宣言した。 「今夜、発とう。」 地上を覆う厚い雲の上にきっと存在する、青空の下へ。 藤隆は、今夜の交代時間に、上手く通気孔周辺の警備を手薄にしてくれると言った。 『でも、そんなことして・・・藤隆さんは大丈夫なんですか・・・?』 心配して尋ねたファイに、藤隆はいつもの笑顔を浮かべる。 『心配はいりません。上手くやりますよ。』 藤隆の笑顔は、いつも暖かく優しい。けれど、それはときに、とても危ういものであるような、根拠のない不安を覚えさえる。それはきっと、その笑顔の裏に、彼が負っている罪の意識と、何か、張り詰めた決意のようなものが感じられるからだろう。けれどその決意の正体は、ファイには分からない。 彼は言った。 『ファイ君・・・僕はずっと、思っていたんです。』 『何を・・・ですか・・・?』 『バベル脱走者取締局。その名はまるで、バベルが牢獄であるとでも言うかのようではありませんか?』 バベル。その名は、思い上がった人間達へ神が罰を下した、古の町の名前。 なぜバベルはそう名付けられたのか。なぜ政府は人々が地上へ出る事を禁じたのか。 まるでこの都市は、人間達が神の裁きを待つ、最期の地であるかのように。 『人の罪はもう、償いようがないのかもしれません。けれど、人が地上へ戻りたいと願うことは、罪ではない・・・。僕は、そう信じています。』 ファイ、黒鋼、小狼の三人は車を近くに止めて、指示された時間に、徒歩で通気孔の下へ到着する。 「こんばんは。」 約束どおりの場所で、藤隆が待っていた。周りには、他に人影は見えない。 「時間がありません。急いでください。あれを。」 藤隆は、少し先に止めてあった車を三人に示す。バベル脱走者取締局のロゴマークが入っている。 「脱走者を追いかけるために改造されていますから、一般の車の何倍も高く飛べます。おそらく、この通気孔の中にあるフィルター辺りまで、到達できるでしょう。用が済んだら、オートにして下まで降ろしてください。」 「そんなことまで・・・ありがとうございます。」 「いいえ。」 藤隆は、一度だけファイを抱き寄せた。彼らはもう、戻っては来られないかもしれない。それに、これが最後になるだろうという、予感があった。 「成功を祈っています。」 藤隆は車に向けて、ファイの背を押す。黒鋼も、一度頭を下げてファイに続いた。 そして、もう一人。 「小狼君、ですね。」 「はい。」 名前はファイから聞いた。詳しくは言えないが、何か難しい事情がある子だということも。勝手に名前を貰って、すみませんと。謝るファイに、空を愛した彼を、名前だけでも地上に連れて行ってくれること、嬉しいと伝えた。それなのにファイはなぜかとても不安そうな顔をして、 『藤隆さん・・・通気孔の下って・・・暗いですか・・・?』 思えば、小狼の写真を見たときから、ファイは様子がおかしかった。あの質問、きっと、小狼と名付けられた少年の顔を、自分に見せたくなかったのだろう。息子の顔は知らないはずだが、何か、予感するものがあったに違いない。 『この街に、暗闇なんてありませんよ。』 空の映像は夜に変わる。けれど、人の街はもうずっと前に暗闇をなくした。室内にでも入って光を拒まなければ、人の顔も確認できないほどの闇は得られない。 「君も、行くんですね。」 「はい。」 小狼は、先に車に乗り込む黒鋼とファイを見つめて答える。 「あの人たちは、おれの空だから・・・」 青空は罪を許してくれる。汚れた手を洗ってくれる。 それならば、罪を許し、共に行こうと言ってくれた、あの二人こそが、青空だ。 「だから、一緒に行くんです。」 「・・・・・・気をつけて。」 引き止めることなどしない。人は空を求めるもの。 けれど駆け出そうとする小狼に、藤隆は最後にもう一度だけ声を掛ける。 「手放してしまった息子がいます・・・。もしも、もう一度会えるなら、一言、伝えたい・・・。」 彼は、自分が知っているままの『小狼』ではないのだろう。それでも、何年間も孤独に捧げ続けた懺悔の想い。きっと、口に出来るのはこれが最後だから。今の自分に出来る、精一杯の懺悔を。 「君の幸せを、願っています。」 「・・・・・・」 藤隆はそっと背中を押して小狼を促す。 「さあ、行って下さい。・・・さようなら。」 小狼は数歩踏み出して、一度、藤隆を振り返った。 機械脳からの情報と生体脳の意思が対立している。母体を通さずに生まれた自分には、勿論父親もいないのに、人として残っている部分が、なぜかその言葉を口にしたがる。 「父さん・・・」 呟いた言葉に、藤隆はただ静かに笑い、そしてもう一度、別れを告げた。 空を見に行くのだ。今ここで自分達は、別れる事しか出来ない。 「・・・さよなら・・・」 小狼は、踵を返すと真っ直ぐに黒鋼とファイが待つ車へ駆け寄った。 エンジンがかかり、車が浮上する。そして真っ直ぐに、地上へ通じる通気孔へ吸い込まれていくのを、藤隆はずっと見守っていた。 その姿が見えなくなるのとほぼ同時に、背後から声が掛けられる。 「お祈りは済んだかな?」 振り向くと、銃をこちらに向けて構える男がいた。見覚えがある。自分を、バベル脱走者管理局局長に任命した男。局長以上の権限を持ち、局員を管理・監視する役割もになっている男だ。 「祈りなど・・・」 捧げるべき神は、もうどこにもいないのに。藤隆は、体を彼に向けた。 「覚悟はしているようだね。局員による脱走幇助は、いかなる理由があろうとも現行犯処刑だと。」 「ええ。勿論です。」 それでも、命を賭けてでも、送り出してやりたかった。 「これまでよく働いてくれた。君に免じて、脱走者三名の追跡はやめておこう。おそらく、地上には出られないだろうし、出られたとしても長くは生きられないだろう。」 あそこは毒された土地。人はもう、あそこでは生きられないのだ。 人は空を求めるもの。地上に帰りたいと願う事は、罪ではない。 分かっていても、現実を知っている自分は、共に行きたいとは願えない。 「優しい顔をして三人も地獄へ送り出した。君は最悪の殺人犯だよ。」 「・・・・・・僕は、彼らの想いを、信じています。」 ファイは、それでも行くと言ったのだから。 「おしゃべりはこの辺にしておこう。思い残す事はないかな?」 「いいえ。もう何も。」 きっと、懺悔は届いた。 フィルターは小狼の力であっさりと開いた。同時に、汚れた空気が三人に襲い掛かる。 「っ・・・・!」 喉が焼けるような苦しさに、黒鋼とファイは咄嗟に口を押さえて息を止める。 「空気清浄機を使用してください。空気中の有害物質が、人間が耐えられる濃度を遥かに超えています。」 小狼は、時に苦痛を感じないらしく、清浄機の使用も必要ないと断った。 封真が残して行った小型空気清浄機を口にくわえて、二人はやっと呼吸が可能になる。 「まさかこんなにとはな・・・」 本当に人は、14年前までこんな場所で生きていたのだろうか。 三人は、壁に取り付けられていたはしごに移り、それを上り始めた。 開けたフィルターは、すぐに閉じた。 その下で一つ、銃声が響いた。 夜のバベルで死んだ男は、最後に愛する者の名前を呼んだ。 脱走者が出た事は、情報操作により公にはされなかった。 一人が空を求めれば、きっと誰もが求め出す。 地上では、それを察知した者がいた。 「フィルターが開いた・・・やっと、来るんだな・・・。」 『空が落ちてくる』 物語の結末は、人類の未来を暗示する。 青空は待ってはいないだろう。 それでもなお。 「見えた、地上だ・・・!」 彼らの夢は宙を舞う――― ************* ついにバベル脱出です。やっとサブタイトルが変わります。ちなみに次は『Ark(箱舟)』。 やたら詳しく設定されてたS型初号機=『小狼』に関しては、なんと番外編で。(えー)黒鋼とファイが出会い空を目指している時間軸の中で、色んな人の物語がそれぞれの結末を迎えていく。そんな話のつもりで進めているので、過去に終わっちゃった物語に関しては番外に回す気満々です。黒ファイも出ないんで食後のコーヒーくらいのつもりで軽く読み流して頂けると。 小狼はクローン人間かつサイボーグという実に未来的な設定にしてみました。ううん、未来的☆(自己暗示)彼がいないと、空飛ぶ車と地下都市くらいしか未来っぽいものがないんですよね、この話(爆)違うんですよ、地下都市は地上に比べると居住スペースが狭いので、ロボットとか、生活に必要不可欠というほどでもない機械の多くは地上に残してきた為、移住の際に科学文明は少し退化しているのですよ。なんて、乏しい想像力を言い訳力でカバーする私。 さて、次は封真も再登場です。 BACK Ark |