何かを願う事が許されるほど自分の罪が軽くはなくても、もういない神に一つだけ願う。
この懺悔は届かなくても、せめて愛しいあの子が、安らかに眠っているようにと。
「小狼君・・・」
呟いたとき、玄関でチャイムが鳴った。

「こんにちはー、藤隆さん。」
「ファイ君・・・いらっしゃい。今日はどうしたんですか?」
「あの・・・例の事でー・・・」
周りに人はいなかったが流石に玄関先で犯罪計画を口にするのはまずいだろうと、声を落として言葉も濁したファイを、藤隆は室内に招き入れた。

「お茶を淹れますから、リビングで少し待っててくださいね。」
「はーい。」
何度か入ったことのある家の中、案内される必要もなくいつもの部屋を目指すファイを見て、藤隆はいつもと違う何かを感じ取る。
「ファイ君、何か良い事ありましたか?」
「え?」
「何と言うか・・・幸せそうですね。」
「・・・・・・そうかもしれません・・・」

『お前は、空っぽじゃねえよ』

あの一言で、空っぽだった心に何かが注ぎ込まれたような、そんな気がする。とても、満たされている。過去は変わらないけれど、未来を共に歩いてくれる人がいる。
「多分、地上に出るのが楽しみで、浮かれてるんだと思いますー。」
「ああ。今度は、上手く行くと良いですね。」
「はい!」
元気な返事を聞いて、藤隆はキッチンへ向かった。

先にリビングに落ち着いたファイは、ソファに腰掛けて、ぐるりと室内を見回した。男性の一人暮らしにしては綺麗に片付いた部屋。多忙のためか少し生活感には欠けるが、不思議と家族の匂いがする気がするのは、棚に飾られた写真のせいだろうか。
(写真・・・そういえばちゃんと見たことないなー。)
見ても構わないだろうか。ファイは立ち上がって棚に近付く。
少し古びた写真に写っているのは、今より若い藤隆と、妻らしき美しい女性。そして女性に抱かれた子供。生まれたばかりの頃だろう。産着に包まれていて顔はあまり見えない。
「『小狼』君・・・か・・・。」
勝手に名前を頂いてしまった彼。けれど、空が大好きだったということ以外、何も知らない。
「どうして死んじゃったんだろう・・・」
つい口に出してしまった疑問に、思いがけず答えが返される。
「手術に失敗したんです。妻に臓器を提供しようとして。」
「あ・・・」
振り向くと、紅茶の乗った盆を手に、藤隆が部屋の入り口に立っていた。
「そういえば、彼の話をしたことはあまりないんですね。」
「あ・・・はい・・・」
「年はファイ君とそう変わりませんから、生きていれば、友達になれたかもしれませんね。空が好きでしたから、もしかしたら今回のことも、一緒に行くと言い出したかもしれません。」
話しながら藤隆は緩やかな動きでカップを並べる。ファイは再びソファに座って、甘い香りのする紅茶を一口喉に流してから、おずおずと質問した。
「あの・・・臓器提供って・・・小狼君、まだ小さかったんじゃ・・・」
「ええ。でも現代の医療なら、子供からの臓器摘出も問題ないといわれて・・・。妻は長く内臓を患っていて、移植しか助かる道はないといわれたものの、なかなかドナーが現れなくて。容態が押してきたので、最後の手段として、息子から臓器提供を受けることになったんです。」
「人工臓器とかは・・・駄目だったんですか・・・?」
「体質の問題で、難しいと言われました・・・。」
こんな結果になると分かっていたら、承諾しなかったのに。最終的に判を押したのは自分。自分が殺したようなものだ。
「手術後、息子は一度は意識が戻ったものの、数日後に容態が急変して・・・。移植を受けた妻の方も、術後の容態があまり良くなく、結局移植した臓器を取り出すことになりました・・・。」
それでは一体何のために彼は死んだのか。
そしてまだ罪は終わらない。

「彼が死んだ翌日、妻に適合する臓器が手に入るかもしれないと言われました。でも・・・正規のルートで手に入れるものではないとかで・・・手術には法外な値段がかかると言われました・・・。長年の闘病生活と、一度目の手術の後では、とてもそんなお金は払えなかった・・・」
「・・・じゃあ・・・どうしたんですか・・・?」
「取引を持ちかけられたんです。息子の遺体を研究用に提供すれば、費用はすべて向こうで賄うと。」
「遺体を・・・?」
「ええ。遺体の行き先、研究内容等、一切の情報は教えられない。そして遺体は返却できない。それでもよければ、と。」
藤隆は手に持った紅茶の表を見つめる。その俯いた顔に、小狼の顔が重なるのはどうしてなのだろう。
「妻を救うには、他に選択肢がなかった・・・。僕は、息子の遺体を売りました・・・。」
静かに眠らせてやる事もできなかった。それが何よりの罪。
懺悔は届かない。願いも叶わない。
「妻は移植手術を受け回復に向かいましたが、息子の事を聞き、ショックで容態が悪化し・・・最後は、自ら命を絶ちました。」
全てを失って、最後には消えない罪だけが残った。
「藤隆さん・・・」
「ああ、すいません。旅立ち前にこんな辛気臭い話は不向きですね。忘れてください。」
そう言って、藤隆は寂しそうに笑った。

ずっと、不思議に思っていたことがある。
小狼が戦闘用に機械化するためだけに生み出されたクローンだといっても、その大本になった人間はいるはずだ。そういう人体は、どこから提供されたのだろうかと。
けれど、それを彼に聞くのは憚られた。そして、そこまでして知らなければいけない情報でもなかった。
しかしずっと、奇妙に感じていた事がある。
その場の思い付きでつけた『小狼』と言う名が、まるで元から彼の名であったかのように、彼にとても良く似合う。

「・・・・・・あの・・・」
『小狼』君の顔が分かる写真を見せてもらえませんか。そう言おうと思ったが、ファイは寸前で思い留まる。
それで何を確かめようと言うのか。もし『小狼』が自分が思っている通りの顔立ちだったとして、だからどうしようと言うのだ。提供という名目で手放された遺体はサイボーグとして再び命を与えられ、さらにその細胞から作られたクローンも、暗殺用サイボーグとして人を殺しているかもしれないと、そんなことを伝えるつもりなのか。その仮説が正しかったとしても、今自宅にいる小狼は、彼の息子として生れ落ちた『小狼』ではないのに。
(でも・・・小狼君に聞けば・・・元になった『小狼』君の居場所とか、分かるんじゃないかな・・・)
遺体にサイボーグ手術を施す場合、上手く行けば少しの記憶が残る場合がある。彼が藤隆の息子なのかどうか、確かめる事ができるかもしれない。
(でももし・・・『小狼』君が藤隆さんを憎んでたら・・・)
それに、小狼がいた施設に潜入して『小狼』を探し出すような能力と時間は、自分達にはないかもしれない。

「ファイ君・・・?」
「あ・・・」
藤隆に顔を覗き込まれて、ファイははっと我に返る。
駄目だ。なんの確証もないのに、下手な期待を抱かせてはいけない。それにそれが事実だとするならあまりにも残酷すぎる。教えない方が良い。
けれど本当にそれで良いのだろうか。本当に、黙っていて良いのだろうか。
「藤隆さん・・・」
「はい?」
「・・・もし・・・もう一度『小狼』君に会えたら・・・どうしますか・・・?」
「・・・・・」
藤隆はしばし黙り込んで、
「ただ、懺悔を・・・」
そう、呟いた。




電話が鳴る。黒鋼が通話ボタンを押した。
通常なら、画面に相手の顔が表示されるのだが、外からの電話なのだろう、画面は暗いまま。ただ、声ですぐに相手は分かる。
『黒むー?』
「ああ。どうした?」
『そこに、小狼君、いる・・・?』
「あ?ああ。」
車を運転しながら話しているのか、かすかにエンジン音が聞こえる。
黒鋼は、小狼を呼んだ。
「はい、」
『あ、あのね・・・ちょっと聞きたいことがあるんだ・・・。その・・・少し、嫌な事聞くかもしれないんだけど・・・』
「何ですか?」
『・・・君の・・・元になった子って・・・どんな子だったのかな・・・』
「・・・・・・」
声が、少し震えていて、質問を、躊躇っている事がわかる。
黒鋼は小狼を窺ったが、彼は殆ど表情を変えずに、頭の中にあるデータを読み上げるだけのような機械的な口調で、その質問に答えた。
「S型初号機は、脳の85%を電子頭脳に置き換えた、超高性能サイボーグだったと聞いています。当時存在した全てのタイプのサイボーグの中で、抜群の接続能力を誇り、そしてその能力で、当時の戦闘用サイボーグ施設を全て破壊しました。」
『破壊・・・?』
「彼がいた施設のメインコンピュータに接続し、世界各地のサイボーグ施設、および各サイボーグの電子頭脳に接続して、爆発を起こしたそうです。当時存在したおれ達のようなサイボーグは、ほぼ全て破壊されました。今存在するサイボーグは、その後新しい個体から作られたものか、当時まだ機械化手術を施されていなかった個体、またはそのクローンから作られたものです。その事件以後、能力を制限するために、脳の機械化は80%までに制限されるようになりました。」
小狼は後者。初号機と呼ばれる者が、壊せなかった者から作られた。
『彼は・・・どうしてそんなことを・・・?』
「原因は不明です。電子頭脳の故障とも、生体脳が何らかの原因で錯乱状態に陥ったとも言われています。初号機もその事件で自爆したため、詳しい事はわかりません。」
『自爆・・・?』
ファイの声が翳る。
『じゃあ、その子はもういないの・・・?』
「はい。」
『そう・・・じゃあ、いいんだ・・・。ごめんね、変なこと聞いて。』
無理に、笑顔をつくろっているような声が、どうしてそんなことを聞いたのかと、尋ねる事を暗に拒む。
『今、Bブロックくらいだから、もうすぐ帰るね・・・。また後で。』
通話は、ほぼ一方的に途切れた。




携帯電話を助手席において、ファイは両手でハンドルを握り締めた。
信じるものは救われると、星史郎は言った。信じ、足掻くものだけが、救うことが出来るのだと。
けれど、人の力で叶えらられることなど、本当は何もないのかもしれない。
「空は見れるのかな・・・」
呟いて見上げたバーチャルスカイは、無表情な青を映していた。




「ごほごほっ・・・ごほっ・・・」
やっと咳が収まって、口元を押さえたタオルを離すと、そこにはまた新たな赤が滲んでいた。
「やばいな・・・」
元は白かったそれが、ここ数日でどす黒く変色している。
「あいつらが来るまで、もつと良いんだが・・・」
パソコンの横に置いてあった小瓶から、錠剤を一粒取り出して飲み込む。瓶の中身は残り少ない。
「ほら・・・これだけじゃ足りないって言ったじゃないか・・・。」
今更言っても詮無いことだ。思い直して、パソコンに向き直る。手は汚れていない。確認して、いくつかのキーボードを叩く。
「完成。良かった。こっちは間に合ったな・・・。」
最後にエンターキーを押して、
「更新完了。」




「あ・・・黒鋼さん、」
「なんだ?」
「ページが、更新されました。」
小狼の視線の先には、さっき読んでいたままのページが映されたパソコン。
『次の地球の君達へ No.099』
黒鋼はメニューページに戻って、更新ボタンを押した。No.099の下に、新しいメニューが増えている。しかし、記されたタイトルはNo.100ではない。
「なんだ、これ・・・」

黒鋼は、そのメニューの先へ進んだ。
結末は、いつも同じだ。空が落ちてきて人類は死ぬ。
けれどその話だけは、最初から何もかもが違った。



『次の地球の君達へ』 −Last Message−





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