出会いは、運命を動かす。
「おれなら、そのフィルターを開けられると思います。」
事情を聞いて小狼は言った。
「おれの脳は約80%が機械に置き換えられています。一切道具を使わずに、ありとあらゆるコンピュータへの接続・侵入が可能です。」

状況は変わった。
封真が決めた期限にはまだ間があるが、早いに越した事はないだろう。バベル脱走に向けて、ファイは藤隆の協力を仰ぐべく、彼の家に向かった。

黒鋼は、ファイの帰りを待つ間にパソコンを起動させた。ハッキングなどと難しい事を考えずに画面を見つめるのは久し振りだ。特に目的があったワケでもないのだが、なんとなくインターネットに接続して、気がつけば見慣れたページを開いていた。

『次の地球の君達へ』

「しばらく来ねえうちに、随分増えてるな。」
今まで適度に更新はされていたが、こんなに速いペースで増えているのは初めてではないだろうか。最新の数字が示すのは、No.99。続き物でもないので、最新作を開いてみる。

『次の地球の君達へ』 No.099

西暦2574年、人類は地球を殺した。
 

「それ・・・」
小狼が少し離れて画面を見つめる。
「一緒に見るか?」
黒鋼が場所を空けようとすると、小狼は慌てて首を振った。
「あ、大丈夫です。ここからで分かります。」
『見える』、ではなく『分かる』。ページはスクロールしていないのに、彼はもう随分先まで読めているらしい。
「なんだか、怖い話ですね・・・。」
「・・・ああ。」
結末は、いつも同じだ。空が落ちてきて人類は死ぬ。分かっているのに、なぜか、読まねばならない気がして。
黒鋼は再び画面に向き直った。




『次の地球の君達へ』 No.099

西暦2574年、人類は地球を殺した。
殆どの動物は絶滅し、今もしぶとく地上に蠢いているのは、人間と、それに寄生するように生き残った一部の生物だけ。しかし人類は、母体を通さずに生命を生み出す技術を発明し、食料となる肉は尽きる事がなかった。
空気は汚染され、人が外を歩くためにはガスマスクが必要となった。植物もその空気に耐え切れずに次々と絶滅していった。しかし人類は呼吸を賄えるだけの酸素と、食料として事足りるだけの植物を作り出す技術を持っていた。
自分達だけで生きていける。どれほどの人類がそう思っていたかは分からない。けれどその狂った環境の中でも、僕達は確かに生きていた。

『空が落ちてくる』

ある日突然、そんな噂が流れ始めた。
誰がそんな馬鹿なことを言い始めたのかは分からない。けれどそれは、物凄いスピードで世界中に広まった。
空が落ちてくる?馬鹿馬鹿しい。落ちるなら落ちてくれば良い。人類は、それでもしぶとく生き残るんじゃないか。僕はそう思っていた。

『空が落ちてくる』

最初の噂から一年が経とうとした時、僕はそれに出会った。
(まだ落ちてこねえのか。今回は随分かかるんだな。)
「え・・・?」
突然聞こえた誰かの声に、僕は周りを見回した。
「誰もいない・・・」
(お前、俺の声が聞こえるのか?)
「・・・?どこにいるんだ・・・?」
(お前の周り、この空気の中。俺は、この地球を覆う大気の一部だ。)
「大気の・・・?」
(ああ。空に殺された、前の地球の人間だ。)
「空に・・・?空は本当に落ちてくるのか!?」
(ああ。俺達のときは、落ちてきた。俺の声が聞こえる人間が現れたってことは、今度の空ももうすぐ落ちるんだろう。)

『空が落ちてくる』

異常気象で、地球に雨が降らなくなったらしい。
喜ばしい事だ、そう言った人は多かった。雨が恵みだったのはもう遠い昔の話。今の雨は、強い酸が溶け込んだ毒の水だ。降らないのならば、降らない方が良い。
空はまだ落ちない。

「空は、どうして落ちてくるんだろう・・・」
(地球を殺した人間達を殺すためだ。)
「神様の罰なのかな・・・」
(いいや、地球の復讐だ。)
「復讐?」
(ああ。地球は人類を殺して、また息を吹き返す。空が落ちてきて死んだ人類は、次の地球の大気となって、次に空が落ちるまでずっと、見守り続けなきゃならない。)
「君みたいに?」
(ああ。俺達みたいに。それが罰だ。)
「ただ見守っているだけ・・・?」
(お前は、俺の声が聞こえたから、次の地球の人間に伝えなきゃならない。空が落ちてくる理由と、人類に与えられる罰を。)

『空が落ちてくる』

大気汚染が悪化し、室内でも死者が出たらしい。今はどこの部屋にも、空気清浄機が備え付けられているにも関わらずだ。呼吸器の病気になる人の数も、去年の数倍にまで増えたという。
僕の母さんは以前から呼吸器が弱かったが、最近では日常生活も危ういほどに調子を崩し、一度入院する事になった。その間に、父さんは更に高性能な空気清浄機を用意した。病院から帰ってきた母さんは、前と同じ生活を送れるようになった。
噂はやまない。空はいつ落ちるのだろう。

「少し不思議に思ったことがあるんだ。」
(なんだ?)
「地球は毎回人間に殺されるのに、それでもどうして人間が生まれる事を許すんだろう。どうして最後の最後まで、人間を生かしておくんだろう。」
(・・・地球も信じたいのかもしれない。人は気付くかもしれないと。)
「僕は信じられない。きっと次も人は、地球を殺すと思う。」
(それでも地球は、次も人を育もうとするだろう。)
「僕たちはそれを、大気になって見守らなくちゃいけない。」
(ああ。そして、俺達は解放される。)
「人はまた大気を汚すだろうね。」
(汚れるのは嫌か?)
「ううん、そうじゃない。でも、やっぱり苦しいのかなって。」
(じわじわとだからな。それほど気にならないだろう。ただ、少し・・・)
「少し?」
(・・・少しだけ、地球の気持ちが分かった気がする。)

『空が落ちてくる』

数年間降らなかった雨が、世界中で一度に降った。何年分もの酸を溶かし込んだ水は、ずっと機会を見計らっていたのではないかと思うほど、強い酸と化していた。雨に当たり命を落とした人の数は膨大な数に上った。
雨が降る前に買い物に出た母さんは、雨が上がっても帰ってこなかった。探しに行った父さんは、数時間後に一人で帰ってきて、静かに首を振った。
3日後、母さんの葬儀が行われた。父さんは、棺の中を僕に見せようとはしなかった。
空はまだ落ちない。はやく、落ちてくれば良いのに。

「・・・どうして僕が選ばれたのかな。」
(次の地球へ伝える役目か?)
「そんなに大事な役目なら、もっと、地球を愛してるような人が選ばれれば良いと思うんだ。」
(・・・そんな人間、もうどこにもいないんじゃないのか。皆この世界で、どうやって生き残っていくかに必死になってる。)
「じゃあ、どうして僕だった・・・?」
(お前、空が落ちてくれば良いと思ったか?)
「・・・思ったのかもしれない。」
(俺も、そう思ったんだ。)
「終わりを願う事が地球を愛してることになるのかな。」
(少なくとも、今は。)


『空が落ちてくる』

予感がした。きっと、今日なのだと。
僕は、外に出た。家の前の道路には、ガスマスクをかぶった人間が行き来している。まるで海の底か、何処かの戦場のような光景。ここは一体どこだろう。地球は、こんな醜い星だっただろうか。
僕は、マスクを外した。

「一つ、聞きたかったことがあるんだ。」
(なんだ?)
「君の名前は?」
(忘れた。それが意味を持ってたのは、もう遠い昔だ。)
「そうか・・・。そうだね。」
(お前の名前は?まあ、聞いても仕方ないけどな。)
「そうだね。きっと、もうすぐそれも意味をなくす・・・。」

汚染された空気が、肺に入ってくる。息が苦しい。
マスクをつけた生き物達が、不思議そうに僕を見ている。
僕は空を見上げた。

「じゃあ、さよなら。」
(ああ。まあ、頑張れよ。)
「うん。ありがとう。」

さあ、空よ、落ちて来い。

その瞬間、何が起こったのかは良く分からなかった。気がつけば、苦しかったはずの呼吸がとても楽になっていて、マスクのゴーグルを通さずに見た地球は信じられないくらいに美しかった。
これは罪だという。けれど、それは解放だったようにも思う。
僕は今願っている。少しでも長く、この地球が続けば良い。
次の地球の人類は、この星を愛してくれるだろうか。



「・・・・・・この話・・・今の地球に似てねえか・・・?」
黒鋼は思わず呟いた。




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