サイボーグが医療分野で実用化され始めたのは20世紀〜21世紀。その後、軍事技術としての人体機械化の研究が行われたが、軍事力増強のために人体を改造することは非人道的行為であるとして、実用化の前に禁止された。
更に時は流れ、死んだ人間を機械化により蘇らせる研究が始まる。最初の施術対象は事故や病などで命を落とした若い身体のみとされた。損傷した臓器や器官、そして動きを止めてしまった心臓や脳を機械に置き換えることで、人は再び動き出すのではないかと。勿論、脳の全てを機械に置き換えてしまっては、それはロボットと変わらない。いかに最小限の機械脳で人間を動かせるか、それが焦点となった。
人は動いた。しかし、その人がその人たる所以である記憶が、一度経験した死による脳細胞の破壊で消滅してしまうという問題が発生した。極稀に、即座に施術が行われた者には記憶が残る場合があったが、それもほんの僅かであった。人類の夢は破れ、死者蘇生技術としての人体機械化研究は廃れた。
現在、人体へのサイボーグ技術の利用が行われているのは、表向きは医療の現場のみである。





「落ち着いたか?」
「っ・・・あ・・・」
背後から声を掛けられて、ファイはびくりと肩を揺らす。血まみれの少年を目にした動揺が、まだ収まらないらしい。
「あの、ご、ごめん・・・手当て・・・手伝えなくて・・・」
「苦手なもんなんて誰にでもある。気にするな。」
そう言って黒鋼はファイの向かいに座る。そこには、黒鋼が少年を手当てしている間にファイが用意してくれたらしき紅茶が湯気を立てていた。少年は今、黒鋼の部屋で眠っている。
「えと・・・あの子・・・どう・・・?」
「とりあえず落ち着いてるように見えるが、サイボーグだしな。さっぱり判らねえ。とりあえず傷口を洗って包帯を巻いといたが・・・」
「傷・・・酷いの・・・?」
「手足に銃で撃たれたような傷が数箇所。ただ、手足は機械らしい。血も出てねえし、命には関わらねえんじゃないかと思う。あと、腹部に、何か刃物で裂いたような傷痕がある。こっちは出血があったみてえだが、もう塞がりかけてた。」
「じゃあ・・・随分前に負った傷なのかな・・・」
「さあな。あいつが目覚めたら、聞けばいいことだ。」
黒鋼がそう結論付けたとき、背後の扉の向こうで何かが倒れるような音がした。




少年は目を覚ました。そこは見慣れた蛍光グリーンのライトの部屋ではなく、誰かが生活している形跡のある部屋。血に汚れた服は脱がされて、傷には包帯が巻かれ、身体はベッドに横たえられていた。
(どこだろう・・・)
そういえば、薄れる意識の中で、誰かの声を聞いた気がする。
(傷は・・・自己修復機能が働いてる・・・。完治まで、後5時間38分・・・)
動いても問題ないと判断して、少年はベッドから起き上がった。しかし立ち上がろうとすると、足からがくりと力が抜ける。どさりと大きな音を立てて、床に倒れてしまった。
(しまった・・・膝を・・・)
追っ手に撃たれたのだろう。彼らは、命を奪わずに動きを止められる場所を狙って射撃してきた。ある程度はよけたものの、一発を食らってしまうと後は立て続けに。
(それで・・・また・・・撃ち返したんだ・・・)
こんなことがしたいわけじゃないのに。
「おれはただ・・・」

がちゃりと音を立てて、部屋のドアが開いた。はっと顔を上げると、黒い髪に赤い瞳の大柄な青年と、背は高いが少し華奢な印象を受ける金髪の青年――黒鋼とファイが立っていた。


「大丈夫か!?」
黒鋼が駆け寄って少年を助け起こし、ベッドの端に座らせた。
「まだ動くのは無理だろ。腹の傷も治りきってねえし、機械部分は修理しねえと。お前の家は?それとも病院に・・・」
「駄目だっ!!」
急に少年が声を荒げる。怪我人とは思えない剣幕に、黒鋼も思わず目を見開く。
「あ・・・すいません・・・でも・・・」
少年は、苦々しげに顔を歪めて、黒鋼の腕を掴む。
「お願いです・・・。貴方達が・・・おれと関わった事を、誰にも知られてはいけない・・・」
「・・・・・・お前・・・何者だ・・・?」
「っ・・・おれは・・・・・・」
少年は、黒鋼から手を離して、自分の両掌を見つめる。そこに何が見えるのか、表情は更に苦しげに歪められ、目をそらすようにこぶしが握られる。
「おれは・・・」
「君・・・もしかして・・・」
今まで扉の近くにいたファイが、少年の様子を見て何かを悟る。
「人を・・・殺したの・・・?」
「っ!」
その動作を知っている。自分の掌に赤の幻影を見、罪の重さに顔を歪めるその動作を。
少年は何も答えなかったが、怯えたように見開かれた目が、何よりの答えだ。

ファイは少年に歩み寄り、その前に膝を付いた。黒鋼は、見守るために一歩下がった。
ファイはそっと、握り締められた少年の手に触れる。少年はびくりと身体を強張らせて、そして呟く。
「離れて・・・下さい・・・」
「どうして?」
「おれは・・・汚れてる・・・」
「・・・・・・」
赤の幻影は、消えない。それもちゃんと、知っている。
ファイはそっと、少年を抱きしめた。
「大丈夫だよ・・・辛かったね・・・」
予想もしなかった温もりを与えられて、少年は戸惑いの表情の中に、僅かに、安堵を滲ませた。何に安堵したのか、きっと少年自身も分かっていないのだけれど。迷子が母親を見つけた瞬間のように、胸の奥にじわりと暖かい何かが広がる。
「オレはファイ。後ろの大きい人は黒鋼って言うんだー。君の名前は?」
「ありません・・・。」

少年はファイに抱かれたまま、静かに自分のことを話し始めた。
「今までいた施設では、S型No.009と呼ばれていました・・・。」
「施設・・・?」
「研究所と呼ぶ人も倉庫と呼ぶ人もいました。おれ達は任務があるときだけ表に出されて、任務が終わればその施設で眠りに付かされます。おれは・・・暗殺専用に設計された戦闘用サイボーグです・・・。」
「戦闘用・・・?」
ありえない筈の言葉に二人は耳を疑う。
「サイボーグ技術の軍事利用は禁止されてるはずだ!」
「それでも、おれ達は生み出されました。」
少年は、ファイから体を離して、二人に見えるように腕を出す。その腕の表面の一部がスライドし、小型の銃が現れた。腕から生えたような形のそれに、引き金はない。
「脳からの電気信号で弾が発射されます。身体の中にいくつも、こんな武器が仕込まれています。おれが、望んだわけじゃないのに・・・」
「望んでないのに、どうしてこんな・・・。機械化手術って・・・本人とか家族の同意無しにできるものなの・・・?」
ファイの質問に、少年は更に残酷な現実を口にする。
「・・・家族なんていません。おれは、サイボーグにするためだけに、カプセルの中で作られたクローンです。」
「クローン・・・?」

クローン生物は親を持たない。勿論、遺伝子上の親は存在するが、クローン胚は子宮内環境を再現したカプセル内で成長させる。それが現在のクローン技術だ。そうすることによって、クローン動物の発生段階の完全管理と、食料としての需要を満たすほどの大量生産が可能になった。
技術は時代のニーズに合わせて進歩する。けれど今も、クローン技術開発開始当時と変わらぬものが一つだけある。
「クローン人間も禁止されてるはずだろ!」
少年は静かに言い返す。
「人間じゃありません。施設の職員は、これは兵器の大量生産だといっていました。」
「・・・・・・!」
生まれた瞬間から、人間だとは認められずに生きてきた。ただ人を殺すためだけに生かされてきた。
だから、逃げようと思ったのだ。どうしても、知りたいことがあった。
「服に付いていた血は、大半は施設からの追っ手のものです・・・。逃げる途中で、何人も殺してしまった・・・。」
こんなことを望んだわけじゃないのに。ただ、知りたいことがあっただけなのに。

祈りは届かない。

「お前の傷は?その追っ手とやらに撃たれたのか?」
「手足はそうです。腹部は、体内に埋め込まれた発信機を取り出すために自分で。自己修復機能が組み込まれているので、傷はすぐに修復されます。機械の部分も。人間のように脆くては、兵器として使えませんから。」
「・・・・・・そんな、悲しいこと言わないで・・・。」
じっと話を聞いていたファイが、再び少年を抱きしめる。
「君は人間だよ・・・。」
「・・・おれが?」
「うん。兵器はこんなに悲しい顔したり、罪の意識に苦しんだりしないもん・・・。」
「・・・・・・」

『誰か・・・誰か答えてください・・・おれは・・・』

「おれは・・・人間なんですか・・・」
「うん、人間だよ。オレが保障する。君は人間。」
「・・・・・・・」

祈りが、届いた。

「ねえ、一緒に地上に行かない?」
「地上・・・?」
「青空を見に行くんだー。一緒に行こう?」
「でも、おれは・・・」
少年は、悲しげに目を伏せる。
「何人も殺して・・・汚れてるのに・・・」
発信機は取り出した。不用意に外を出歩きさえしなければ、施設の追っ手が、自分を見つけることはないだろう。でも、罪深いこんな自分が、こんな、優しい二人の側にいていいはずがない。この手は血に濡れて真っ赤なのに。
けれど、ファイは微笑む。
「大丈夫。空が、その手を洗ってくれる。」
「空が・・・?」
「うん。空の青が、その赤を洗ってくれるよ。」
少年は、じっとファイの顔を見つめた。
不思議な人だ。クローンでもなく、兵器として生きてきたわけでもないはずなのに、何か通じるものがある。小さな動作や表情の変化で、何もかもが理解される。それに、断言するような台詞は、まるでそれが彼の体験談であるかのような。
「貴方は・・・」
疑問は、確信の下になされた。自分達は通じている。
「貴方は誰を・・・殺したんですか・・・?」
「・・・・・・」
ファイは一度、黒鋼を振り向く。黒鋼は無言でファイを見返した。いつも通りの鋭い目つきではあるが、途中から勘付いていたのだろうか、その視線に嫌悪は含まれていない。ファイはほっとしたように少年に向き直って、また彼の手を握る。
「オレは・・・母親を、殺したんだ・・・。」
この答えは予想外だったのだろうか。背後で、黒鋼が小さく息を呑んだ。
「オレの名前はファイ。お母さんがくれた名前だよ。空っぽって言う意味なんだ・・・。」
「空っぽ・・・?」
「そう。愛も、夢も、希望も何もない。生まれる意味すらなかった子供・・・。」

ファイはいつも、人の名前を大切に呼ぶのだ。それはきっと、誰かが、意味をこめたものだからと。



母は、自らの体を売って生きていた。自分が生きていくのだけでやっとだった言う。けれど、ファイが生まれてしまった。
「ファイ」
母がそう名を呼ぶたびに、自分は愛されてはいないのだと、期待されていないのだと、生きることすら望まれてはいないのだと思い知る。そう育てられてきた。お前は要らない子供だと、生まれなければ良かったのにと何度も繰り返し聞かされながら。
体を売ることでしか生きていけなかった彼女は、子供ができた事で更に収入が減ったらしい。苦しくなる生活の中で、ファイへの暴言や暴力も増えていった。
今なら彼女の苦しみが理解できなくもない。けれどあの頃はどうしても分からなかった。
聞く事は許されなくて、ただ心の中で繰り返した。
どうして生きていてはいけないの。
生きていたいのに。

「どうして生まれてきたの。生まれてこなければ良かったのに。死ねばいいのに。お前なんて死ねばいいのに!」
ある日、狂気が、暴走する。
ファイを殴り続けていた手に、母は突然、包丁を握り締めた。
「お前なんて死ねばいいのに!!」
「いやだああああああああ!!」

どう、抵抗したのか分からない。気がつけば、母が血を流して倒れていて、自分の両手は真っ赤に濡れていた。
「お母さん・・・?」
何が起こったのだろう。何も理解できないのに、手には確かに嫌な感触が残っている。
「お母さん・・・お母さん・・・!」
まだ微かに息のあった母は、虚ろな目でファイを見上げて
「ファ、イ・・・」
最後の最後まで、いらない子供だと呼んだ。



「まだ5歳だったし、近所の人が虐待を証言してくれたらしくて、オレは罪には問われなかったけど・・・」
罪の意識は自分自身を苛む。何度手を洗っても、両手に付いた赤の幻影は消えない。手に付いた血の匂いも、耳に焼きついた母の最期の声も。
「壊れそうになってたオレに、藤隆さんが言ってくれた・・・。」

『空を、見に行きましょう。』

「ラスト・スカイか。」
「うん・・・。」
それは、人類が見た最後の空。
「その事件を担当した刑事さんが藤隆さんだったんだ。お母さん以外身寄りがなかったオレは、すぐに孤児院に入れられるはずだったんだけど、バベル移住直前で受け入れてくれるところがなくて、藤隆さんが預かってくれた・・・。」
(それでか・・・)
黒鋼は思い返した。彼らは、出会いの話はしないのだ。

「空の写真を見てる時は落ち着いたけど、やっぱり本物の空とは、比べ物にならなかった・・・。本物の青に目を奪われた後に自分の手を見たら、手に染み付いた赤は消えてた・・・。」
今も、血は怖いけれど。人の死は恐ろしいけれど。傷は消えないけれど。
「空が手を洗ってくれた・・・。だから君も、大丈夫・・・。」
「・・・・・・」
少年は、じっとファイを見つめる。空の色を映したような、その蒼い瞳を。
「おれ・・・一緒に行きたいです・・・」
「うん、行こう!3人で・・・いいよね、黒様?」
「ああ。」
空を求めるのは、人類全ての権利だ。

「だがその前に、名前がいるな。」
まさかNo.009なんて呼ぶわけにはいかない。彼は人なのだから。
「じゃあ、小狼なんてどうかな。」
ファイが提案する。
「小狼・・・」
「知り合いの名前か?」
「藤隆さんの息子さん・・・。空が大好きだった、男の子の名前だよ。」
藤隆に断りもなく付けてしまうのは気がひけるが、きっと彼なら、許してくれると思う。
「いい名前だと思うんだけど、どうかなー?」
「はい・・・ありがとうございます・・・」
それが良い名前かどうかなんて分からなかったけれど、少年は――小狼は、ただ名前をもらえた事が嬉しくて、二人に出会って初めて、その顔に笑みを浮かべた。

「よし。じゃあとりあえず、お前は傷を治せ。」
話がまとまったところで、黒鋼が小狼にそう命じて、ファイに立つように促した。
「準備を急がねえとな。俺達は隣にいるから、何かあったら声を掛けろ。」
「はい、分かりました。」
急がなければ。封真が設けた期限が迫っている上に、小狼の追っ手のこともある。一日も早く、地上に出た方がいいだろう。
けれどもっと、それ以上に。

「大丈夫か?」
部屋を出て扉を閉めてから、黒鋼はファイにそう問うた。
「え・・・?何が・・・?」
「泣きそうだと思った。」
だから一刻も早く、あの部屋から出してやりたかった。
黒鋼の言葉に、ファイは目を丸くする。背を向けていたから、顔は見えていなかったはずなのに。
過去の話をするのは、自分の傷を抉る行為だ。それに、
「怖かったんだ・・・知られたら・・・黒みゅーに嫌われるんじゃないかって・・・。」
一緒に空を目指してくれた大切な人を、失いたくなくて。

「ファイ、」
「っ・・・」
不意に呼ばれた名に、思わず体を強張らせる。
いらない子供。空っぽな子供。
黒鋼は普段、あまり人の名を呼ばないから、それが妙に、心地よかったのに。
けれど黒鋼は気付いた。ファイはいつも人の名前を、とても丁寧に呼ぶのだ。それは誰かが意味をこめたものだと思うから。それを感じ取ろうと努める事で、自分の名前の意味も噛み締める。それが、殺してしまった母親への懺悔。自分が空っぽなのだと忘れないように。自分を苛むために、人の名を呼ぶのだ。

「名前に、縛られるな・・・。お前は、空っぽなんかじゃねえ。」
黒鋼は、ファイの前に跪き、ファイの手を取った。そして真っ直ぐにファイの目を見上げる。いつか見上げたラスト・スカイを、そのまま映しこんできたかのような瞳を。
「お前が、空を描いてるところを見上げてるのが好きだ。」
「黒むー・・・」
「天井近くから、時々お前が俺を見下ろす。目が合って微笑む。そのたびに俺は・・・・・・青空を、見上げてる。」
そう、丁度今みたいに。
「空っぽなんかじゃねえよ。その目の奥に、青空を秘めてる。空を見上げる事を忘れてた俺に、空の青さを教えてくれた。俺の夢も希望もお前の中にある。お前は、空っぽじゃねえよ。」
「く、ろ・・・」
「目を逸らすな。」
「・・・駄目・・・少し・・・泣かせて・・・」
ファイはがくりと膝を折って、黒鋼の肩に顔を埋めた。

3人でいいかと問うと、ああと言ってくれた。こんな過去を知っても一緒に居てくれると。
「黒むー・・・オレ・・・」
「ん?」
「一緒に空を目指したのが・・・君で良かった・・・」
「・・・ああ。俺もだ。」
そっと背中に手が回された。
それはいつか藤隆が与えてくれた温もりに似て、けれどそれより遙かに愛おしかった。





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