空が、完成した。
「じゃあ、点けるぞ。」
「うん。」
部屋には、ファイと黒鋼と封真。そして依頼人の少女と、寝たきりの少年。
部屋の本来の明かりは落して、封真が太陽を点灯する。
室内が、赤い光に満ちた。
「うわあ・・・」
ファイが、感嘆の声を漏らして、黒鋼も思わず溜息を零す。
部屋の壁の一面に、大きく描かれた赤い半円が、目映い光を放って周囲の空間を赤く染め、漂う雲は、夕闇の中で、縁をオレンジに輝かせる。反対側を向くと、押し寄せる闇。目を凝らすとうっすらと、輝き始めた星が数個。
日が沈むまでのほんの一時の光の芸術は、しかしそれだけでは終わらない。
「あ・・・あったかい・・・?」
「赤外線を使ったんだ。」
そのライトは、太陽が与えてくれた優しい温もりまでも再現する。

封真は、少年を振り返った。
「これなら、貴方にもわかるでしょう?」
「・・・・・・」
少年は静かに微笑んで、代わりに少女が息を飲む。
「気付いていたの・・・」
「というか、昔の知り合いです。ね、昴流さん?」
呼びかけられて、少年が応える。
「封真さん、ですよね?」
「ええ。」

「あ・・・ひょっとして、目が・・・?」
ファイが気付く。少女が申し訳なさそうに俯いて、また少年は静かに笑んだ。
「すいません。見えもしないのに、太陽を描いてほしいなんて。」
「言ったら気を悪くするだろうと思って、目の事は黙ってたの。見えないけど光を感じる事は出来るから、ライトを付けるって言われたとき、ばれたんじゃないかと思ったんだけど・・・」
「ああ、それでー。」
あのときの謎の言葉の意味を理解してファイは大きく頷くが、黒鋼はまだ、納得が行かない事がある。
「だが、依頼の時点ではライトの事まで想定してなかったんだろ?どうして見えないのに太陽を望んだんだ?」
「・・・・・気を、悪くしないで下さいね。」
少年は、見えない瞳で、壁に作られた太陽を見つめる。

「僕は、この星に生まれ、この星で生きた・・・。」
地球。それは、太陽系の中で唯一、太陽が恵を与えた星。太陽に愛された惑星。
「だからその結末は、太陽の下で迎えたかったんです・・・。」
少年の瞳から、涙が一筋、頬を伝った。
「ありがとうございます・・・。これで僕は・・・この温もりの中で死ねる・・・。」
太陽を裏切ったこの地下都市で、それは最大の幸福だと。
例えその温もりも、代替物によって作り出されたものでも。





「納得行かないって顔してるな。」
岐路の車の中、後部座席から封真がファイに話しかける。
「あ・・・うん・・・。なんか・・・あの人の事、騙してるような気がして・・・」
あれは本物の空ではないのに。

運転席の黒鋼が、ちらりとファイを見て、すぐに視線を前に戻す。
前方のヴァーチャルスカイが、夕日を映している。同じ作り物でも、あの部屋の夕日は目映かったのに、ただの映像のこの太陽は、見つめても眩しくもない。
「なんていうか・・・上手く、言えねえが・・・」
ファイが黒鋼を見て、台詞の先を待つ。
「その・・・お前の空は・・・バーチャルスカイよりも・・・なんていうか・・・」
「温かかった、とか?」
「・・・・・・ああ。」
台詞の先を封真に取られて、黒鋼の眉間にしわが一本増える。けれど、言いたいことは纏まったようだ。
「限られた中で選ぶしかないなら、俺はバーチャルスカイよりも、お前の空の下で死にたい。何が幸せかなんて、本人が決める事だ。あの太陽が本物じゃねえことなんて、あいつだって十分承知してるはずだ。それでもあれが、冷たい部屋の中で死ぬより、幸せだと思ったんだろ。お前の空は暖かくて、眩しくて・・・少なくともバーチャルスカイより、本物に近かった。」
「・・・でも・・・オレの絵が・・・死に場所なんて・・・。なんか・・・重くて・・・。」
封真が、空を見上げて言う。
「彼は自分の中に空を持ってる。絵はきっかけに過ぎない。あの温もりを通して、彼は自分の空の下で死ぬよ。」
重いと感じるのなら、きっとその感覚は正しい。けれど、望みを叶えた事で、自分を責める必要はないと。
「バーチャルスカイは、人間を地下に閉じ込めるための檻だ。だから冷たい。たった一人の死に場所としての空より、多くの人が生きる場所としての空のほうが、よっぽど重い筈なのにな。」
「・・・・・・バーチャルスカイが嫌いなのか。」
憎しみすらこもったような物言いに、黒鋼が問う。
「ああ、嫌いだ。」
「・・・オレも。」
ファイは静かに目を閉じて、眼裏に映るラストスカイを見つめる。
「地上に行きたい・・・。早く・・・。」

「じゃあ行こうか。」
「え・・・?」
あまりにもあっさりと封真が言うから、運転席の黒鋼まで、思わず目を丸くして後部座席を振り返る。
封真は、自信に満ちた笑みを浮かべる。
「前に、遠い所から来たと言ったな。俺は、地上から来たんだ。」
「地上・・・?」
「ちょっと待て、全人類はバベルに移住させられたはずだ!」
「ああ。でも振り分けは戸籍に従って行われただろ?俺には戸籍がなかったんだ。」
「戸籍がないって・・・いまどき珍しいねー」
そんな人間が存在したのは、2世紀ほど前までだと思っていた。それに、万が一のことがないように、移住終了後に人が残っていないか、一応チェックは行われたはずだ。
「色々と事情があってな。それに、地上でどうしてもやりたいこともあって、移住時は上手く隠れて、地上に残った。」
「じゃあ・・・どうしてバベルに・・・?」
「やりたいことのために、協力者が必要なんだ。」
「俺達に、協力しろってのか。」
「ああ。」
封真が、少し身を乗り出す。
「報酬は青空ってことでどうだろう。」
「青・・・空・・・?」
「ああ。」
なんて簡単に、それを口にするのだろう。しかし、振り向いて見つめた封真の眼差しは、真剣だ。
「一緒に帰ろう。地上へ。」








任務を放棄して指示されたルートを外れると、すぐに追っ手が放たれた。
少年は逃げていた。

「待て、No.009」
すぐ後ろで、下卑た笑い声がする。逃げ切れるはずなどないと、少年の愚かな足掻きを馬鹿にした笑い。
「まったく、どうしてお前達S型は我々の手を煩わせるんだろうな。まあ、初号機に比べれば、お前の脱走なんて可愛いものだが。」
少年は、走り続ける。しかし、追っ手を撒こうと曲がった先には、無情な壁がそびえていた。
「っ・・・」
「GPS機能は高性能なのに、使う余裕がなかったか?人の脳は追い詰められると簡単に判断を誤る。不便なものだな。」
「あ・・・」

壁を背に振り向くと、眼鏡をかけた、黒い服の男が、似たような格好の男を何人か従えて立っていた。
「さあ、帰ろう、No.009。」
「い・・・やだ・・・」
少年は、上着の胸ポケットから、ナイフを取り出す。
男達は、静かに笑った。
「随分と古風な方法を選んだな。お前はいくつ最新式の武器を持っているんだ?また判断を誤っているぞ、No.009。」
男が、手を伸ばす。
「あ・・・あ・・・・・・」

(俺は・・・・・)

「うわあああああああああ!!!」
少年は、祈りのために、吼えた。







地上へは通気孔を使って出る。通気孔は、地上から地下都市へ空気を取り入れるために、天井に開けられた穴。その最大のものが、Aブロックにある。14年前、人類はそこから、地下都市へ入った。バベルの法では、人はバベルを出る事を禁じられている。ゆえに、その穴はすでに出入り口としての役目を失い、他の穴とともに通気孔とみなされている。
「理屈は分かるが、どうやって地上まで上るんだ?車は地上の高さまでは上昇できねえだろ?」
Aブロックまで来たのはいいものの、遠くに見える通気孔を見上げて黒鋼は封真に問う。
「一応通気孔の中にはしごが取り付けられてるが、それを使うのは少し気が遠くなるからな。それに、穴の付近は警官が見張ってるから、車なんかじゃ、追いかけられてすぐに捕まる。」
警官、と言っても、警察の下部組織に当たる、『バベル脱走者取締局』の人間だ。
「だから、こいつを使う。」
封真は、通気孔の近くの駐車場にあった、シートをかけられた一際大きな物体を指す。
「何・・・?」
「シャトルだ。」
シートをはがすと、黒鋼とファイにも見覚えのあるボディが現れた。
「これは・・・」
「シャトル・ノア!」
シャトル・ノアは、人類を地下に移住させるために作られたシャトル。14年前、二人もこれに乗せられて移住した。目の前にあるものは、あのときのものより随分小さいが。
「移住後、シャトルの大半は地上に捨てられたから、その部品から作ったんだ。せいぜい5人乗りだな。」
登場口のセンサーに封真が手を翳すと、指紋認証なのか静脈認証なのか、ピッという機械音とともに扉が開く。
「さあ、早く乗・・・」

「両手を挙げて後ろを向きなさい!」

「!」
突然聞こえた鋭い声に、三人ははっと振り向く。紺の制服を着た警官が数人、銃を持って背後に並んでいた。
「バベル脱走者取締局・・・」
「何でもうバレたんだ!」
「ああ。入ってくるときに少し無茶したから、張られてたかな。」
「そんな適当なー・・・」

警官が威嚇にシャトルのボディーを撃つ。
「困ったな・・・」
本当にまったく対策を練っていなかったらしい封真を、黒鋼が呼ぶ。
「おい。」
「ん?」
「シャトルが飛ぶまで何秒くらいかかる。」
「・・・40秒くらいかな。」
「黒みゅー・・・?」
黒鋼は、真っ直ぐに封真を見る。
「バベル脱走で実刑をくらうのは20歳からだったはずだ。お前はこいつを連れて先に行け。俺は後から何とかして追う。」
「そんな、黒みゅー!」
「空の下で待ってろ。」
そう言って、反対しようとするファイを、黒鋼は封真の方に突き飛ばした。そして警官たちに向かって駆け出す。いくらなんでも丸腰の民間人を、彼らは撃たないはずだ。

「黒みゅー!」
「ファイ、早く。」
あの体格なら、訓練された警官相手でもしばらくはもつだろう。封真はファイを引っ張りあげて、シャトルの扉を閉めた。
すぐに運転席について、いくつかのスイッチを操作する。
「駄目だよ!黒みゅーを置いてなんて行けない!」
機械の起動音の中で、ファイは封真に詰め寄る。
「でもここで捕まるわけには行かないんだ。」
「でもっ・・・!」
19歳のファイはまだいい。封真は、このバベルの者でもなければ、戸籍もない。侵入者として捕らえられると、もう地上へは帰れないだろう。
「分かってくれ。俺は、戻らなきゃならない。」
「・・・・・・」
運転席の前のスクリーンが、シャトルの起動が終わったことを告げる。もうボタン一つで、飛びたてるだろう。
「お願い・・・扉を開けて・・・。」
「ファイ・・・」
「二人で行かなきゃ意味がないんだ・・・。空は二人の夢だから・・・。」
蒼い瞳から、涙が零れる。
「黒むーが行かないなら、オレも行けない・・・。お願い・・・。」
「・・・・・・・」



警官に掴みかかりながら、シャトルが飛び立つ音を聞いた。
ほっとして振り向くと、ファイが一人で立っていた。
「・・・・・・お前・・・」
呟いた黒鋼にファイが駆け寄って、その勢いのまま、胸に飛び込んでくる。
「ごめんね・・・」
ぎゅっと抱きつかれて、震える声でそんなことを言われては、髪を撫でてやる事しかできない。
「馬鹿野郎・・・」
でも、本当は少し、嬉しかった。








さまざまな機械と、薬品瓶が並ぶ暗い部屋に、一筋、光が差し込む。
「ただいま。」
そう呟くと、封真はパソコンの前に座った。スイッチを押して起動を待ちながら、更に続ける。
「結局、帰りは一人になったんだ。二人は後から・・・あ、そうだ・・・」
封真はふと思い出して、荷物の中から、青空が描かれた画用紙を取り出す。
「これを、飾らなきゃな。お前から見える場所に。」







通気孔の中には分厚いフィルターがある。そこで地上の空気から、粉塵や人体に有害なガスを除去している。地上で雨が降ったときは、フィルターの構成層が変わって、バベルに水が流れ込まないように防ぐ役割もするらしい。勿論、バベル移住の際のシャトル通過時には完全に開いた。そのフィルターの動作はコンピューターで制御されていて、通気孔内から手動操作はできない。つまりそれを開くためには、制御システムにハッキングして強引に開かせるしかない。
「ハッキングって・・・誰がそんな技術持ってるんだ。」
「だから、封真君・・・。」
「つまり俺たちだけで行くって言うのは・・・」
「かなり難しいみたい・・・。」
「・・・・・・」
無理をしてでもシャトルに乗っておくべきだったのではないかと、激しく後悔してももう遅い。黒鋼は大きく溜息をついた。
「あ、動かないでー。」
「ああ、悪い。」
謝って顔を上げると、警官と取っ組み合ったときに出来た頬の傷に絆創膏が貼り付けられる。
「はい、終わりー。」
救急箱返してくるねー、とファイが立ち上がる。向かった先では、黒鋼と取っ組み合った警官がこちらでも傷の手当をされている。
二人はあのままAバベルにあるバベル脱走者取締局本部に連行され、本格的な取調べの前に傷の手当をしたところだ。取調べといっても、19歳なので少し怒られる程度で済むはずだ。封真の事はしつこく聞かれるかもしれないが。

その時、丁度交代時間なのか、新しい顔ぶれが入ってきた。そのうちの一人が位の高い人物らしく、さっき自分達に名前と連絡先を聞いた警官が、事の詳細を報告している。こんな組織の上役にしては、人のよさそうな男だ。警察官というより、保育士や学校の先生を連想させる。
ふいに、その男と目があった。一通りの報告は聞き終わったのか、男が黒鋼に歩み寄って、向かいの椅子に座る。
「こんばんは。君は・・・住民ナンバー1365295の方ですね。良かったら名前も教えてもらえますか?」
バベルにおける本名は番号の方。名前は親しいもの同士が呼び合うときに使うもので、公的には何の意味も持たないはずだが。
「取調べに必要なのか?」
「ええ。呼びにくいでしょう?僕は藤隆といいます。」
「・・・黒鋼。」
なんだか、調子の狂う男だ。

「では黒鋼君、地上に行こうと思った理由を教えてくれますか?」
これは、誤魔化すほどの事でもないのだろうか。
「空を・・・見たいと思ったんだ。」
素直に答えると、そうですか、の一言で流された。
「では、一人逃げてしまった男の子のことについては、話せますか?」
話せますか、とは妙な質問だなと思いながら、話したくないので首を振る。追究されるだろうと思ったのに、取調べはそこで終わった。
「はい、分かりました。では、保護者の方に連絡するので、迎えが来たら帰っていいですよ。」
「は・・・?」
「どうしました?」
「いや・・・これだけか?」
「ええ。抵抗して警官を殴った件に関しては、大きな怪我もなかったようですし大目に見ましょう。」
そういう問題ではない。バベル脱走未遂。20歳を越えていたら実刑に処されるほどのことをしたのに。
「・・・厳重注意とかは・・・」
「して欲しいならしますけど。でも黒鋼君は、空を見たかっただけなんでしょう?何を注意すればいいんですか?」
「・・・・・・・・・・・・」
そんなことを言われては、こちらも返答に窮してしまう。

その時丁度、救急箱を返してファイが戻ってきた。しかし、黒鋼の隣には座らずに、向かい合う二人の少し手前で足を止める。
「藤隆さん・・・?」
彼の名前を聞いていなかったはずのファイが、正確にその名を呼ぶ。藤隆が驚いて顔を上げて、そしてすぐに表情を満面の笑みに変えた。
「ファイ君ですか?」
「やっぱり、藤隆さん!わー、お久し振りです!」
さっきまで不安そうな顔をしていたファイが、今は明るい表情で藤隆に抱きついている。完全に取り残された黒鋼は、二人の会話から二人の接点を推測するしかない。
「随分大きくなって。今はもう大学生ですか?」
「大学には行かずに働いてるんです。スカイペインター。」
「そうですか。君ならきっと、綺麗な空を描くんでしょうね。」
「藤隆さんはー?前は刑事さんだったのにー。」
「バベル移住のときに異動があって。今はここの局長です。」
「局長さん!凄いですねー!」

「おいっ!!」
早々に諦めて、黒鋼は叫んだ。
「人を置き去りにするな!誰なんだ、こいつは!?」
「あ、ごめんー。」
やっとファイが藤隆から離れる。
「この人は藤隆さん。えっと・・・オレに、ラストスカイを見せてくれた人だよ。」





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