「あー、美味かった。ご馳走様。」
「・・・・・・少しは遠慮しろよ。」
「お前の家じゃないんだろう?」
「食材を買ってきたのは俺だ。」
「まあまあ、黒様ー。」
黒鋼をなだめながらファイはテーブルの上の食器を片付け始める。大柄な男が二人でがつがつ食べてくれたので、作った者としては少々気分がいい。
「ところで、そろそろ名前くらい聞かせてもらえるー?オレはファイって言うんだー。こっちは黒むー。」
「黒鋼だ!」
「俺は封真。片付け、手伝おうか?」
「封真・・・封真君ねー。あ、いいよ、座っててー。」
すると突然、がたん、と、椅子を大きく鳴らして、黒鋼が席を立つ。そして無愛想に、机の上の食器を手にしてキッチンへ向かった。
「・・・手伝ってくれるみたいだしー。」
「ああ。じゃあ座ってるよ。」
分かりやすい不機嫌さに封真も苦笑した。

残りの食器を持ってファイがキッチンに入ると、黒鋼が黙々と食器を洗い始めていた。
「・・・そんな原始的なことしなくても、食器洗い機あるんだけどー。」
「やりたいんだ。ほっとけ。」
「・・・・・・じゃあオレ、洗ったお皿拭くねー?」
「・・・ああ。」
なんだか数世紀前のキッチンの再現映像みたいだ、なんて思いながら、ファイは黒鋼から皿を受け取っては、布巾で水滴をふき取っていく。やってみれば、それほど苦痛な作業でもないものだ。
しかしチラリと見上げると、黒鋼はやはり不機嫌そうに眉間にしわを寄せていて。わざわざこんなことをしているのも、あのお客様と一緒に居たくないからなんだろうなと。

「そんなに嫌い?封真君。」
ちょっと聞いてみたら、物凄い剣幕で怒鳴られた。
「嫌いとか言う問題じゃねえだろ!何あんな正体不明の奴と和んでんだ!」
「正体は判明したじゃないー。『封真君』って。」
「だからっ・・・!」
何か言い募ろうとして、黒鋼は疲れた表情で溜息をつく。
そして諦めたのか、唐突に話題を変えた。
「お前・・・最初は、凄く丁寧に呼ぶんだな・・・。」
「え?」
「名前・・・。」

『封真・・・封真君ねー。』

「だって・・・名前って・・・大切じゃない・・・?」
音も、イントネーションも、きっと、それをつけた誰かが、ちゃんと、意味を込めたものだと思うから。
「黒むーの名前だって・・・ちゃんと呼べるよ・・・?あだ名が嫌なら・・・『黒鋼』って・・・。」
「・・・・・そんな残念そうな顔で言われてもな・・・。」
「え・・・?」
「別に、そういうつもりで言ったんじゃねえ。呼びたいように呼べ。」
「・・・うん。ありがと。」
何に満足したのか黒鋼は眉間のしわを一本減らして、洗っていた皿の最後の一枚をファイに手渡す。
「それで、本当に泊める気なのか、あいつ。」
「だって、泊まるところないなんて可哀想でしょー。」
そういう問題じゃないだろうともう一度怒鳴りたいところだったが、言っても無駄な気がして黒鋼は他の説得を考える。
その隙にファイは最後の皿を拭き終えて、画用紙と絵の具を持ち出した。

「何描くんだ?」
テーブルに戻ると封真が尋ねる。
「ちょっと太陽の練習をねー。あ、オレの事は気にせず、黒むーとおしゃべりしててー?」
黒鋼が即座に嫌そうな顔をして、それを見て封真がまた苦笑した。
そして、部屋の中はしばらく沈黙に包まれる。聞こえるのはファイが筆を走らせる音。やがて画用紙に描かれたのは、周りを赤く染める赤い半球。画用紙の上の隅の方は黒く塗っている。
沈み行く太陽と、押し寄せる闇。
「・・・・・・んー」
気に入らなかったのか、ファイはその一枚を床に落すと、また新しい画用紙を赤く染め出した。
封真が破り捨てられた絵を拾い上げる。
「へえ、上手いと思うけど。この太陽、よく描けてる。」
「・・・・・・ただの赤い半円だよ。」
よっぽど気に入らなかったらしい。そして殆ど塗っていない次の一枚も、また捨ててしまう。

「学校の宿題?」
「オレは学校は行ってないよー。これは仕事。」
「ああ、スカイペンターってやつか。上手いわけだ。」
封真はファイが捨てた絵をしげしげと眺めている。
なんだか気分が乗らなくて、ファイは手に持っていた赤を、青に持ち替えた。そして慣れた手つきで画用紙に青空を描く。10分もすると、画用紙の上に、見事な青空が生まれた。
「へえ。バベルの天井のバーチャルスカイなんかより、よっぽどリアルだな。」
「・・・・・・ありがと。」
太陽とは違い、青空は得意中の得意。お世辞でも何でも、褒められて悪い気はしない。黒鋼はなんだか面白くなさそうな顔をしているが。
けれど、今必要なのは青空ではなく太陽。
ファイは大きな溜息をついた。

「どうした?」
「太陽を描いてくれって依頼されたんだー。夕日をね。」
「描けばいいじゃないか。」
「・・・描けないんだよ。」
「・・・・・・?」
封真は2枚の絵を見比べた。夕日の絵と青空の絵。どちらも上手くかけているとは思うが、
「どっちかっていうと、青空の方がリアルだな。太陽は、ただの絵って感じがする。」
「当たり前だよ、ただの絵なんだから。」

夕日は赤い光を放つ。けれど、絵は光を放たない。だからスカイペインターに太陽は描けない。バベルの空に映し出される太陽が、嘘臭く感じるのも同じ理由から。
そう説明すると、封真はしばらく黙り込んでからこう言った。
「じゃあ、太陽部分だけ光らせればいいじゃないか。」
「・・・・・・どうやって?」
「壁にライトを取り付ける。赤い光がいいけど・・・無かったら普通の電球でもいいかな。太陽を赤いフィルターで作れば、赤く光って見える。」
「・・・・・・成る程ー。」
だが大丈夫だろうか。あの部屋には病人が居る。
壁にライトを取り付けるとなれば、多少工事が必要になるだろう。
(まあ、それは明日にでも相談してみるとして・・・)
問題はもう一つ。
「オレ、電気の配線とか出来ないんだけど・・・。」
どうやってライトを取り付けるのか。本格的な業者に頼めば、コストが掛かりすぎる。依頼の予算内に収めるのも仕事のうち。
が、これは封真が解決した。
「ああ、俺がやってやるよ。その代わり、2つ頼みがあるんだ。」
つまり、交換条件。

「この絵、譲ってくれないか?」
そう言って封真が示したのは、さっきファイが描いた青空の絵。
「・・・どうするんだ。」
不機嫌そうに黒鋼が尋ねると、実にあっさりとした答えが返された。
「家に飾る。」
「家・・・・・・・・・・・・」
あったのかと思ってしまったが、バベルでは全ての人に家が与えられているのだから、あるに決まっている。
「何処なんだ?お前の家。」
「遠い所。」
「・・・・・・Zブロックくらい?」
「もっと遠いかな。いや、そんなには遠くないか。」
「?」
バベルはA〜Zブロックに分けられていて、アルファベットで表せない地区は無いはずだ。
しかし封真は『遠い所』としか言おうとはしなかった。

「とにかく、すぐに帰れるような場所じゃないんだ。だからもう一つの頼み。しばらく泊めてくれないか?」
「なっ・・・!」
がたん、と黒鋼が椅子を鳴らす。
「そんなに驚くような事か?」
「当たり前だ!どこまで図々しいんだ!」
「まあまあ黒様。こっちもお世話になるんだしー。」
今夜何度目になるだろうと思いながら黒鋼をなだめて、ファイは封真に向き直る。
「でも、しばらくって、どれくらいー?」
「取り合えず、その仕事が終わるまで。その後は、まだはっきり言えないな。俺の用事は、いつ終わるか分からないから。」
「用事ー?」
「そう。」
ここに来たのはその用事のためなのだと、そう説明したが、封真は用事の内容については何も言わなかった。
家も不明。ここに居る目的も不明。はっきり言って信用できない。
「やめとけよ、こんな怪しい奴。」
黒鋼が警告するが、背に腹は変えられない。
「でも太陽は何とかしてもらいたいしー・・・。」
「じゃあ俺の家に泊まらせろ。無駄に広いし、何かあっても兄貴もいる。」
「俺、ここの飯が食いたいんだ。」
普通に聞こえる音量で人を怪しいと明言する黒鋼の意見に、封真が隣から口を出す。ぎろりと睨まれたが、それすらも楽しそうだ。
「バベルの家は3寝室構造だろ?俺が信用できないなら、お前も一緒に泊まれば?」
「何でお前が勧めるんだ。それはこいつの役目だろ。」
「あ、オレはいいけどー・・・」
一家族は大体3〜4人なので、バベルの家は寝室が3つを基本構造としている。ベッドは備え付けだ。ただ、1,2人暮らしの家では、大抵、他の目的に利用するためにベッドを収納してしまっている。
「一部屋、画材置き場に使っちゃっててさ・・・黒むー、オレの部屋でいい・・・?」
「・・・・・・・・・」
今まで威勢のよかった彼が、突然無言になってこくりと頷くのを、分かりやすいなと思いながら、封真は笑いを堪えた。





「でも、思ったより早く帰れるかもしれない。」
その夜、封真は一人で、窓からバベルの天井・バーチャルスカイを眺めていた。
そこには、丸い月と無数の星々が映し出されている。
ネオンがいくら明るくても、消えることのない星達。
本物の星も、これくらい強ければ良かったのに。

「『アダム』と『イヴ』か。」
封真はファイに貰った絵を、偽物の月明かりに透かした。
「黒鋼・・・・・・あいつは『アダム』になれるかな。」
ファイの部屋からは、物音一つ聞こえない。きっともう、眠ってしまっているのだろう。
「ファイ・・・・・・あいつが『イヴ』になるのかな。」
一人きりの部屋の中、封真はまるで、誰かに話しかけるように、ファイの空を見て、呟く。
「こんな色の空・・・お前の空以来だ・・・。」
少し、懐かしさを込めて。少し、愛おしさを込めて。
「もう少し、見定めてみる。あいつらが、空を想うなら・・・誘ってみよう。」
ファイにも黒鋼にも向けなかったような、穏やかな笑みで。
「もう少し、待っててくれ・・・神威」
その呟きは誰の耳に入ることもなく、偽りの空に響いた。






「気付いたの・・・?」
「え?」
壁にライトを取り付けるという話を、依頼人の少女にすると、最初に返ってきた言葉はそれだった。
「気付いたって・・・何にですか?」
「あ、いえ。話は分かったわ。どうぞ、そうしてちょうだい。ただ、外の空気が流れ込まないようにだけ注意して。壁に穴があいたりしないように。」
「はい。」
少女は結局、謎の言葉を残したまま部屋を出て行った。

「?何だったんだろ・・・?」
首を捻りながら、ファイは黒鋼と封真の元に戻った。
「どうかしたのか?」
「『気付いたんですか?』って言われた。」
「・・・・・何に?」
「さあ?」

今日は三人で仕事に来ている。ファイと黒鋼と、そして封真。
夕日は昨夜の封真の提案通りで行くということで、依頼人からの了承も得た。
「じゃあ取り合えず、天井から行こうかー。ベッドの上から塗るから、シート持っててくれるー?」
そう指示して、ファイはベッドの横に脚立を立てた。
黒鋼と封真が二人で広げて持っているのは、いつも壁や床を覆うのに使っているシート。ベッドに塗料が落ちないようにするためだ。ベッドの上さえ塗ってしまえば、後はいつも通りに塗れる。その間に、封真が壁にライトを取り付ける。
今日はいつも使うスカイブルーは使わない。あまり使い慣れない紫色。夕日が沈む反対側から、押し寄せてくる夜の色。それでもファイの手つきに迷いはなく、あっという間に天井が空に変わっていく。
「さすが。」
鮮やかな手つきに封真が感心する。
黒鋼は、じっとファイを見上げている。目元には本当に微かな、微笑。

「空が好きなのか?」
「ああ。」
声をかけられて、黒鋼は視線を封真に向けた。
「青い空が、特にな。」
無愛想で一日中眉間にしわを寄せている彼が、それを語るときだけはとても穏やかな顔をして。
「オレ達、いつか地上に、青空を見に行くんだー。」
頭上から、ファイが言う。
「地上に?」
「うん。」
地上に出ても、青空はないと知っている。それでも、どんな方法を使っても、いつかきっと。

「『アダム』と『イヴ』か・・・・・・」
「え?」
「いや、なんでも。」
思わず漏れてしまった呟きを誤魔化して、封真はファイが生み出す空に視線を戻した。空への想いは、その絵を見れば分かる。だから、言葉にされるまでもなく予感していた。

空に憧れ,地上を想う二人。
このバベルという地下都市で、空を忘れない二人。

(決めた。)
封真は心の中で呟いた。






「ごほっごほっ・・・」
長い咳がやっと止まって口から手を離すと、掌一面が赤い液体で染まっていた。
薬を飲んでも、吐血の量が多くなる。
「・・・・・・僕の番も、近いですね・・・。」
呟くと同時に、電話が音を立てた。手の甲で口元を拭って、すぐに通話ボタンを押した。画面に、懐かしい顔が映る。
『お久し振りです、星史郎さん。』
「封真君・・・」
星史郎は、血塗れた手が映らないように、さりげなく身体の後ろに回した。
「これは珍しい・・・近くに来てるんですか?」
『ええ。ちょっと人探しに。時間があれば直接寄ろうかと思ったんですが、案外すぐに見つけてしまったので、すぐに戻る事になりそうです。』
「ああ・・・いつか話していた・・・創世記計画ですか・・・」
『具合が悪いんですか?』
「・・・少しね。」
吐血は隠したが、整いきらない呼吸で見抜かれたようだ。隠すことを諦めて、星史郎は身体を壁に預ける。

『そういえば、彼に会いました。』
「彼・・・?」
『貴方と仲のよかった・・・昴流、といいましたっけ。』
「ああ、昴流君ですか・・・。」
ベッドに寝たきりの少年の姿が、目の裏に浮かぶ。
「彼の時間も、もうすぐでしょう・・・」
『彼は、後期実験体でしたね。』
「ええ・・・。よく、もった方です・・・。」
僕もね、と、唇の動きだけで付け足す。もう、どちらが先に逝っても、おかしくはない状態だろう。

不意に、玄関で、帰宅を伝える声がする。
『誰ですか?』
「ああ・・・弟です・・・。」
『ああ。では、この辺で。』
「ええ・・・。これが、最後になるかもしれませんね・・・。計画の成功を、祈っています。」
『星史郎さん、』
「はい?」
『計画じゃなくて・・・夢ですよ。』
計画と呼ぶには、あまりにも幼稚で無益で身勝手な。
「・・・そうですね。」

通信が途切れて、画面に映った顔も消える。
弟が自分を探している。

「兄貴?いないのか?」

血に穢れた手を洗って、呼吸を整えた。
精一杯、平生を装う。

「ここに居ますよ。」
「何やってんだ、そんなトコで。」
「電話がかかってきてたんです。」
大丈夫。たった一人の家族には、まだ、気付かれていない。

「お帰りなさい。黒鋼君。」





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